第231話 嘘――

「さあ、第六魔王こと愚者セロ様。どうかこちらでお寛ぎください」


 エルフの族長こと現王ドスは森の最奥にある『エルフの丘』にセロ一行を招いてから、大きな木製のテーブルや椅子などを急ごしらえした。


 浮遊城からの先制攻撃によって、ほとんどのエルフたちが行動不能となっていたので、歓待の準備やら、食事の用意やら、果ては今後の寝床の提供やらと、全てをドスが一人きりで行わなければいけなかったわけだが……


 さすがにそういったことに慣れていないせいか、ドスはあたふたとするばかりで、セロもつい見かねて、狙撃手トゥレス、屍喰鬼グールになったウーノやドルイドのヌフと共に総出で手伝ってあげることにした。


 もちろん、その三人共にドスに対しては腹に据えかねるものを持っていたわけだが……とりあえずはこの森でセロを正式に接待することの方が優先だと割り切ったらしい。


 とはいえ、セロと共に森に入ったメイド長のチェトリエや近衛長のエークも一緒だったので、むしろこちらの二人の方がよほど戦力になった。


 ただ、ドスからすると、チェトリエは人狼という珍しい魔族の獣人かつ女性なのでまだしも、エークはダークエルフの青年なので、エルフの森に分け入ってきただけでなく、好き勝手に手伝っていることが気に入らなかった。


 それでも、エークを咎めてセロ一行と一悶着を起こすほど、ドスも愚かではなかった――


「それでは、改めて第六魔王国とエルフの大森林群との講和を称えて、いざ乾杯といきましょうか!」


 ドスは木製のグラスを片手に声高らかに宣言した。


 グラスに入っているのはお酒ではなく水だが、エルフの大森林群で湧く清冽せいれつな水は大陸でも有名で、ドワーフの造る麦酒と並んで高く評価されている。


 基本的にはエルフ以外が口にすることは許されない飲み物なのだが、この日ばかりはドスも仕方ないと諦めるしかなかった。当然、毒などは入っていない。そんなものがセロに通用するとはドスも思っていないし、そもそもセロは邪竜ファフニールを倒したほどの強者だ。


 よほどの状態・精神異常を繰り出さないことにはセロの耐性を貫通しないであろうことは、ドスとて理解していた。


「ふふ。そう。よほど……な」


 ドスは乾杯の音頭を取ってから小さく笑ってみせた。


 ちなみにドスが「乾杯!」と声を張り上げた一方で、セロ一行はというと若干白け気味に、


「か、ん……ぱい?」


 と、一応は疑問符ながらも調子を合わせてあげた。


 皆が首を傾げた理由は単純だ。国家間同士の戦争がまだ終わっていなかったからである。


 というか、戦争が終わったなどと勝手に思い込んでいるのは、哀しいことにこの場ではドスだけだった。


 つまり、エルフの現王の土下座――いや、下げた頭の重さは第六魔王国の振り上げた手を思いとどまらせるほどに価値があるとみなしていたのはドスしかおらず、セロたち一行は戦争が終わったどころか、まだ始まってすらいないという認識だった。


 そもそも、『天の火』という名の花火はあくまでも祝砲であって、たとえるならばスポーツ競技でいうところの「よーいドン」のピストル、あるいは戦時の名乗りやほら貝みたいなものだ。


 むしろ、セロからすると、この場で見せたドスの態度にかえって感心して評価を上げたぐらいだ。


 実際に、ウーノ、トゥレスやヌフの話を総合すると、現王ドスとは傲岸で卑怯で女好きのどうしようもない義父だという認識だったわけだが、こうして開戦早々に敵の主力を本陣にまで招いて歓待するわけだから、本質的には相当に剛の者なのだろう。


「これこそ魔族の鏡――さすがはルーシーたちの義父だね」


 と、乾杯と同時にセロも小さくこぼしていた。


 もちろん言うまでもないが、ドスは亜人族であって魔族ではないし、全てはセロの勘違いでしかなかったわけだが……


 さて、そんな剛の者なら快く答えてくれるだろうと期待して、セロは幾つか質問することにした――なぜ古代ハイエルフを誅殺するに至ったのか、あるいはルーシーやリリンたち実の娘に長らく会わなかったのか、はたまた真祖カミラは今どこにいるのか――など、それこそ聞きたいことは山ほどあった。


 それに歓待の主役であるセロが切り出さないことには、ヌフも、リリンも、尋ねにくいだろうと思いついて、セロはまず古代エルフこと本来の王族を傀儡の術で殺した件に踏み込むことにした。


「ドス様……いや、お義父様と呼んだ方がよろしいでしょうか?」

「え? お……あ、ああ! そうでしたね。はい、何でしょうか。セロ様?」

「ええと、ルーシーやリリンの実父なのですから、僕に対して様付けはしなくても結構ですよ」

「はは、そう……ですね。で、では……我が息子、セロ殿」


 と、ドスがなぜか気弱に答えると、唐突に「あ、痛っ!」と、ドスはその場で飛び上がった。


「どうしたんですか? お義父様?」

「あ、いや、ちょっと持病の腰痛が――あ、また痛っ!」


 ドスは再度、痛みで跳ねた。


 セロだけでなく皆が訝しげに思ったが、何はともあれドスはしばらく腰痛とは到底思えない、何らかの鋭い痛みに堪えながらもセロの質問に答える姿勢を見せた。


「まず、お義父様には、かつてエルフの本来の王族こと古代エルフを抹殺した件についてお聞きしたいのです」

「…………」

「この大陸では失われてしまった傀儡の術で同族を暗殺したという嫌疑がお義父様にはかかっています。僕には到底信じられないことなのですが、その嫌疑を晴らす為にもお答えください。それは事実なのでしょうか?」


 セロがそう尋ねると、ドスは先ほどの痛みで慌てる姿勢から一転、いかにも涼しげな顔つきで答えた。


「それは正統なエルフの王たる私に対する誹謗中傷でしかありません。セロ殿がそのような実も蓋もない噂に踊らされるのは如何なものかと思います」


 その言葉に対して、屍喰鬼となったウーノが何事か言おうとしたが、ドスは片手で長兄を制した。


「もしや亡くなった我が兄から何事か吹き込まれたのかもしれませんが……亡者は生者を憎むと言われています。セロ殿におかれましては、ゆめゆめ流言なぞに惑わされますな」


 ドスはきっぱりと言い切った。


 まさに詐欺師が見せるような得々とした表情だ。


 ウーノだけでなく、ヌフも、トゥレスもそんなドスをきつく睨みつけていたが、セロは「ふう」と息をつくと、最初のカードを切ることにした。


「では、実際に生き証人に聞いてみましょう。悪魔のネビロス――君はこの森に来るのは二度目なんだろう?」


 セロがネビロスに話を振ると、ドスは明らかにギョっとなった。


 ネビロスがいつも使っている傀儡が黒焦げになって、異なる人型に受肉していたせいで、かつて会った姿と違っていたことから、ドスもその人物がネビロスだと認識出来ていなかったらしい。


 というか、まさか森の入口で競ってセロに土下座していたのが、第一魔王こと地獄長サタンの配下だとはそれこそ夢にも思わなかったのだろう。


 そんなネビロスはというと、サタンにひれ伏すのと同様、セロにも平身低頭してから、


「はい。セロ様。二度目でございます。かつて降魔術で呼ばれて、そのドスなる者に傀儡を教えました」

「ん? 教えた? 君が操ったわけじゃないんだ?」

「とんでも、滅相も、全くもって、そんなことはありません。死ね」


 最後の「死ね」は何なのかとセロもツッコミたくなったが、ドスに向けられた言葉のようだったので、セロはとりあえず平伏するネビロスに話を続けさせた。


「その者はたしかに古代エルフの集まる宴で傀儡によって虐殺せよと命じてきました。ただ、契約の対価としてその者の命を求めたところ、情けなくも日和ってしまって……結局、傀儡の術を教えよ、という内容になったのです」


 ネビロスがそう答えると、ドスの片頬はひくひくと引きつった。


「じゃあ、君が直接手を下したわけではないんだね?」

「はい。もちろん、無論、至極当然のことながら……死ね」


 そろそろネビロスの敵意が殺意に変わってきたので、セロはそこで釈明を打ち切った。


「ということだそうですが、お義父様。これはいったいどういうことなのでしょうか?」

「セロ殿。亡者同様に悪魔の言葉を聞き入れるとは嘆かわしい限りですな」

「つまり、ネビロスは嘘をついていると?」

「亡者同様に悪魔なぞ、嘘八百で地上にいる者をたぶらかす存在です。セロ殿は今でこそ魔族であられるようですが、元は人族の聖職者だったとお聞きしています。果たして王国と協調してきたエルフの王族と、亡者や悪魔の妄言綺語、いったいどちらを信じるのですかな?」

「ふむん」

「私は嘘をついていません。ついたことすらありません。我が息子、セロ殿。この義父をどうか信用してください」


 ドスはそう言って、恭しく頭を軽く下げた。


 人族にしろ、エルフにしろ、現王が頭を下げるというのは滅多なことではありえない。しかも、ドスは相当に誇り高き亜人だ。これにはセロもまたもや大きく息をついた。


「それでは義理の息子として、もう一つだけ、お聞きしたいことがあります」

「ほう? いったい何でしょうか?」


 ドスは目を大きく見開いた。セロが息子であることを強調したからだ。


 ここにきてドスも内心で「ちょろいな」と笑みを浮かべていた。所詮は十数年しか生きていない元人族でお人好しとされる魔王――それこそ嘘八百で生き抜いてきたドスからすると、鴨が葱を背負ってきたようなものだった。


 そんな鴨ことセロがすぐ隣で甘えている女性の肩に手をさし伸ばして尋ねる。


「なぜ、実娘であるルーシー。また、リリンに会いに来てくれなかったのですか?」


 ドスはしばらく無言になった。


 実のところ、本音を言えるはずがなかった。ここは何とかこの場にいる者・・・・・・・を欺く為にも、言葉を濁すことにした――


「それは……そのう……エルフの現王が森を留守にするわけにもいきませんし……」

「それでも一度も会わないというのは父親としてどうなのでしょうか?」


 セロが元聖職者らしく毅然と問い直すと、ドスの目はつい宙を泳いだ。


「ええと、そもそも魔族の娘になど、エルフの王族たる私が会えるわけもないと言うか……」

「たとえ魔族でも実娘ではないですか?」

「いや、まあ、たしかにそうかもしれませんが――」


 というところで、ドスはまた「あ、痛っ!」とその場で跳びはねた。


 同時に、何もないところから「ふう」と息が漏れる。そして、認識阻害で巧妙にその身を隠しながらも、ドスの体を何度もつねっていた張本人が姿をゆっくりと現した。


「何が『そうかもしれません』なのよ? そもそも、なぜルーシーやリリンが貴方如きの実娘になるのかしら? ついて良い嘘と悪い嘘ってあるけど……貴方はそろそろ私を怒らせたわ!」


 そう告げたのは――元第六魔王にして吸血鬼の真祖カミラだった。

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