第227話 魔王城デート 無慈悲な先制攻撃(後半)
バンジージャンプを終えて、浮遊している魔王城の玄関ホールにやっとこさ戻ってこれたルーシーはすでに魂が抜けきっていた。
「…………」
顔の表情筋も固まって、終始、無表情だ。
そんな様子に妹のリリンはかえって、「さすがはお姉様だ」と感嘆の声を上げた。
ちなみに、ルーシーの『断末魔の叫び』はマンドレイクの絶叫と重なったので、上空から眺めていただけのリリンからすると、ルーシーはいかにも冷めた顔つきで難なく帰ってきたように思えたわけだ。
逆に、セロなどは媚薬の効果もあってずいぶんとテンションが上がっているのか、子供みたいにやたらとはしゃいでいる。一生分の絶叫を果たしたマンドレイクがしなしなに萎えているのとは対照的で、何ならもう一回、「アイ キャン フラーイ!」しかねない勢いだ……
おかげでリリンは観光事業の一つとして、このバンジージャンプなら人気が出そうだな、という無駄にたしかな手応えを掴んでいた。
一方で、近衛長のエークはというと、エルフの王族ドスの為に用意した拷問のはずなのに、セロにはずいぶんと面白がられ、またルーシーには拷問としての説得力に欠けていたようで、マンドレイクと同様にかなりしょんぼりしていた。
これでは昨晩、決死の思いで安全対策の為に幾度も飛び降りたのが無駄になった感じだ。もしかしたら、このバンジージャンプはかなり個人差が生じる拷問なのかもしれない……
エークはやれやれと肩をすくめてから、マンドレイクの入った鉢を持ち直すと、バンジージャンプの改良版を
なお、余談だが、後世になってこのバンジージャンプは第六魔王国の観光事業の目玉となる。
マンドレイクの細い蔦のみを頼りに、浮遊した魔王城の玄関ホールから宙にロケットで射出されて、いわゆる成層圏にまで打ち上がって、超高高度からのフリーフォールを体験出来るということで、一部の好事家からはエクストリーム拷問として広く認知されることになるわけだが……
もちろん、現時点でセロたちはそんなことを知る由もないし、安全確認の為の実験体としてエルフの現王ドスが散々酷使されることにもなるわけなのだが、その肝心の当人はというと、今はまだエルフの大森林群に引きこもってぬくぬくとしている。まさに知らぬは仏というやつだ。
それはさておき、実のところ――
今、ルーシーはやや幼児退行化していた。
恐怖は時として人に抗い難いショックを与える。
ルーシーはバンジージャンプの経験を脳みそから速攻で削除して、セロと一緒にいる安堵感を強く求めようと、さながら赤ちゃんみたいに甘えた状態になってしまっていた。
「ばぶー」
当然、周囲は一瞬「ギョっ」としたが、
「ふふ。ルーシーは本当に甘えん坊さんだな。ほーら、よちよち。一緒に歩きましゅよー」
と、全く気にする素振りも見せないセロから察するに、おそらくルーシーは男性に対する甘え方をよく知らないだけなのかなと好意的に解釈することにした。つまり、一種の幼児プレイだ。
リリンはそんな姉の意外な一面に接して、「セロ様の前でだけあんな無垢な姿を見せるとは」と逆に驚いていたし、エークはもともと性癖的にあれ過ぎるので他人の甘え方にけちをつける気などさらさらなかった。
そんなわけで、この可笑しな状況をきちんと可笑しいと認識出来ていたのは、この場ではドルイドのヌフしかいなかったわけだが、そのヌフにしても――「もしかしたらセロ様は幼児プレイがお好きなのかしら」、と余計な勘繰りをしている始末だ。
そうとなったら早速、『幼児退行』の精神異常の魔術を研究しなくてはと、ヌフは決意を新たにするわけだが……こうしてこの世界に新たなステータスが爆誕したことについては、もちろんこれまた誰一人として知る由もなかった……
とまれ、かなりの紆余曲折はあったものの、セロとルーシーは夕方まで魔王城内で十分に楽しい一時を過ごした。
セロは媚薬効果でテンションが上がって何に対してもずっとオーバーリアクション気味になっていたし、ルーシーは幼児退行のせいで、「ばぶー」、「きゃっきゃ」と「わーん」しか語彙がなかったものの、見る物全てが新鮮なようで退屈とは無縁だった。
昼食時にセロに誤って媚薬を飲ませてしまって、果たしてどうなることやらとずっとやきもきしていたエークや人狼メイド長のチェトリエも、ここにきてやっと胸を撫でおろすことが出来たわけだ。
一方で、そんな二人とは違って、セロたちをいまだにハラハラしながらこっそりと認識阻害で隠れて尾行している者がいた――モタだ。
そのモタはというと、「うーん」と腕を組ながら蝿の相棒こと第二魔王ベルゼブブに対して、
「ねえ、ベルちゃん。あれって……さすがにわたしのせいじゃないよね?」
そんなふうに心配して尋ねたわけだが、蠅がモタの鼻先にちょこんと乗ると、モタは器用に一人二役を演じ始める。
「この魔王国には、モタがまたやらかした、という金言があるではないか?」
いかにもしたり顔でモタが言うと、次にはころっと表情を変えて、あたふたとした様子で自身に言い返した。
「それって金言じゃなくね? てか、もしかして今回も全部わたしのせいになっちゃうのかな? ルーシーの幼児退行とか全然関係ないんだけど。むすー」
「何にしても、日頃の行いが物を言うのだ」
「うへえ」
「それが嫌なら、愚者セロにかかってしまった媚薬の効果ぐらいはきちんと解くように努めればいい。幼児退行についてはルーシーの耐性を考えれば、時間経過で明日には治っているだろう」
「ちぇ。わかったよー。あのセロも結構楽しそうなのになー」
「そういうところだぞ」
「むむう」
モタが口を尖らせると、蠅ことベルゼブブはモタから離れてぷーんとどこかに飛んでいった。
何はともあれ、モタがしおらしくなったおかげで、さらに余計なハプニングが起こることもなくなり、魔王城にはいつもの平穏が戻ってきたように見えた。
実際に、夕暮れ時には魔王城二階の食堂こと広間で皆が集まってディナーを取ったわけだが、今回ばかりはモタもエークやチェトリエときちんと相談して、媚薬の効果を打ち消す特効薬をセロの飲み水に注ぐことに成功した。
「もう媚薬なんてこりごりだよー」
「媚薬? いったい何を言っているんだ、モタよ?」
隣席のリリンが訝しげに尋ねてきたので、モタはあわわと両手を振ってみせた。
「な、何でもない! てか、媚薬じゃなくて、美白だよ。び・は・く」
「それこそ、唐突にいったい何の話だ?」
「ええと、あれですよ、あれ……その、何と言うか……美しくなっちゃう系のモタ特製闇魔術?」
「なぜ疑問形なのだ……しかも闇魔術で本当に美しくなれるのか?」
「そこは……ほら、わたしってば天才だから」
「ふむん。それは楽しみだな。こりごりとは言わずに是非とも作ってほしいものだ」
「んじゃ。いっちょがんばりますか」
「何なら手伝うぞ」
「おけおけ。じゃあ、お願いするよー」
やらかしの種がまた撒かれてしまったことに気づかないモタではあったが……それはともかく、ディナーはこれまでの騒々しさが嘘のように何事もなく進行して、デザートの段となると、ついにエメスが恭しくセロとルーシーの前に進み出てきた。
「セロ様、花火の準備が整っております。
「オーケー。それじゃあ、ルーシー。バルコニーに出ようじゃないか」
「ばぶー」
こうして本日のメインイベントである花火こと『天の火』が放たれるまでのカウントダウンがついに始まったのだった。
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