第226話 魔王城デート 無慈悲な先制攻撃(前半)
「さあ、二人きりで今日を楽しもう。マイスウィートハート」
歯の浮くような台詞を言われて、さすがにルーシーも自身の頬をギュっとつねった。
もしかしたら認識阻害でもかけられているのではないかと疑ったのだ。もっとも、頬に痛みはあったし、魔眼で一応確認もしてみたが……どうやらこのセロは本物らしい。ということはこの言葉も本心ということだ。
しかも、左手をルーシーの背にそっと当てて、二階の食堂こと広間からの退室を促してきた。
これにはルーシーも驚かされた。そもそも、魔王城内の扉などは基本的に人狼メイドたちが率先して開けてくれるので、セロが女性をエスコートする必要など全くない。だが、どうやら今日はセロ自らがルーシーをリードしたいらしい……
エルフの大森林群に侵攻すると決めてからこっち、セロにいったいどんな心境の変化があったのかはルーシーもまだよく掴みかねているところだが、もともとセロとルーシーの性格上――あるいは元人族と根っからの魔族という種族差もあってか、セロはルーシーの尻に敷かれることが多かった。
だから、ルーシーとしてはやや物足りないところもあったわけだが……「ふむん」とルーシーは息をついて、たまにはこういうのも悪くはないかとセロのことを見直した。
よくよく考えてみれば、セロは人族の中でも聖職者だったこともあって相当に堅物だ。歯の浮くような台詞はもちろんのこと、夜に二人だけで一緒にいるときでさえも、愛の囁きなどほとんど寄越してくれない……
先ほど近衛長エークが返してきた意味ありげな視線から察するに、今日に限ってセロにはどうやら何かしら思惑があるようで、まあ、それならそれで乗っかってやろうとルーシーは考えた。こんなふうにリードしてくれることなど滅多にないからだ。
そんなわけで、ルーシーもたまには甘えた声をかけてみた。
「ところでセロよ。
「ふふ。秘密だよ」
「それぐらい教えてくれてもいいではないか」
ルーシーも珍しく駄々をこねると、
「やれやれ、ルーシーはせっかちさんだな。これから僕たちが行くのは――」
セロはそこで言葉を切ると、床下を指差した。
「
それを聞いてルーシーは「ん?」と首を傾げた。
たしかに今、魔王城は浮遊しているので宙と言うなら宙にいるわけだが、セロはなぜ下を指差したのだろうか。
もしかしたら地上にいったん降りるということか。とはいえ、それならば逆に「宙だよ」という台詞はいかにもおかしいわけなのだが……
「宙……だと?」
「うん。ルーシーもきっと楽しんでもらえると思う」
その言葉の意味がいまいち分からなかったが、もしかしたら空にも昇る気分にさせたいとでも遠回しに言いたいのかとルーシーは考え直した。堅物のセロにとって気障ったらしい台詞はまだ難しかったのかもしれないと解釈したわけだ。
もっとも、そんなことよりルーシーはいつも以上にドギマギしていた。
自身の右肩の方にちらりと視線をやると、ほんのすぐそばにセロがいるせいだ――
二人は恋人なのだからそんなことは当然のように思えるが、実のところ、ルーシーにとってはとても新鮮な出来事だった。
というのも、ルーシーは普段からヒールの高い靴を履いているので、セロとはだいたい同じくらいの背丈になるのだが、今は魔王城も移動中ということもあってスリップオンのルームシューズで済ませている。
となると、セロの方がやや高くなる。ほんのわずか角度が変わっただけなのに、斜め下から見るセロの横顔は何だかとても目新しくて、ルーシーは不思議と頼もしさを感じていた。
「さあ、着いたよ」
魔王城内の中央階段をゆっくりと下りて、玄関ホールまでやって来ると、セロはそう告げた。
もっとも、魔王城は浮遊しているので両開きの大きな鉄扉は完全に閉まっている。ただ、そこには
「お待ちしておりました、セロ様。それにお姉様」
「う、うむ……」
ルーシーは生返事をした。
何だか嫌な予感がしたせいだ。実際に、リリンのそばの足もとにちらりと視線をやると、そこには杭が打ちつけてあって、とても長い
しかも、リリンはさりげなくセロとルーシーの足首をその蔦で縛り始めた。さらにヌフは二人に法術で『
そのせいか、ルーシーは「ひっく」と
が。
「大丈夫だよ、ルーシー」
「……え?」
セロはルーシーをギュっと抱きしめた。
リリンとヌフが「きゃあ」と声を上げるも、ルーシーの混乱は逆に増す一方だ。
ちなみにこのバンジージャンプにハーネスなどは存在しない。辺境の
一応の安全管理はなされていて、昨晩、エークが絶叫しながら五十回ほど落とされている。もちろん、幾度か死にかけはしたが、ヌフの法術で何とか事なきを得た。
というか、エークにとってはある種のご褒美でしかなかったわけだが……何にせよそんな耐久実験と安全対策を重ねた上での法術による身体強化である。いわば、これからセロとルーシーに『死の
高所が苦手なルーシーでなくとも、嫌な予感しかしないというのはごくごく当然のことだろう。
それはそうと、エークからすると、エルフの王族ドスに対して行う
「さすがはセロ様だ」
と、エークは己の主を仰ぎ見て、尊敬の念をさらに高めた。
「お姉様。どうか忌憚ない意見をお聞かせください」
また、リリンはというと、ルーシーが高いところが苦手だということを単純に知らなかった。
これについては、ルーシーが母から学んだ帝王学の都合上、たとえ実妹といえども弱いところを見せまいとしてきた結果であって、リリンが悪いわけでも、鈍感なせいでも決してない。
むしろ、リリンからすれば、隙のない実姉のことだから悲鳴の一つも上げずに涼しい顔をして戻って来るだろうなと信じ切っていた。ルーシーが泣き叫ぶ姿なぞ全く想像つかなかったわけだ。
ところで、当のルーシーはと言うと、
「…………」
終始、無言だった。
セロからギュっとされているので心地は良い。
夜の寝室は別として、こんなふうに昼間から皆のいる前でしかと抱きしめてくれることなどついぞなかったので、そういう意味では感極まっている状態ではある。何なら一日中ずっとこうしてくれてもいいぐらいだ。
その一方で、ルーシーの頭脳は冷静に状況を分析していた――
ルーシーも帝王学の中で有翼族の
そんなルーシーは今、それと極めて酷似した状況に置かれている。とうに成人を迎えているので今さら通過儀式をする必要などないはずだが……なぜかセロと一緒に蔦で結ばれて、リリンからはまるで結婚式のケーキ入刀みたいな感覚でもって、夫婦で初めて行う共同作業さながらに、「さあ、ここから落ちてください」と言われている気もする……
「な、何なのだ……これはいったい」
ルーシーが戸惑うと、セロはその耳もとにイケボで囁いた。
「さあ、ルーシー。一緒に、
「ちょ、ちょっと待――」
「アイ キャン フラーイ!」
ルーシーは咄嗟に近くにあるものを掴んだ。
たまたまそばに控えていたエーク――その手に持っていた鉢である。
当然のことながら力はエークよりもルーシーの方が強いので、エークは「あっ……」と鉢を離さざるを得なかった。こうして二人と一株は脳天真っ逆さまに魔王城から
ちょうどその頃、エルフの大森林群では臨戦態勢が整えられていた。
遠くの空に浮遊する城が見えてきたのだから当然の警戒だろう。果たして空からどのような攻撃を仕掛けてくるのか――このような対空戦は長寿を誇るエルフたちでも初めてのことだったので気が気ではなかった。
しかも、昨晩は奇怪な叫び声を夜な夜な聞かされたばかりだ。
視力の良い狩人たるエルフたちが目視するに、一応は同族たるダークエルフが一人だけ、宙から吊るされる格好で幾度も宙に落とされているではないか……
もちろん、エルフたちからすれば、残虐な見せしめにしか思えなかった。
いわば、第六魔王国と戦うことになって敗れたなら、全員がこのような仕打ちを受けるのだと知らされて、エルフたちは身の毛もよだつ思いがしたものだ。
大森林群の奥に潜んでいた元第六魔王こと真祖カミラでさえも、
「ええと……いつから第六魔王国はあんな蛮行を平気で許すようになったのかしら?」
と、ドン引きするほどだった。ルーシーにはきちんと帝王学を教え込んだはずなのに、「教え方を間違えたとは思えないのだけど……」と首を傾げたものだ。
そして、夜の絶叫が聞こえなくなって、エルフたちもやっと落ち着いて仮眠でも取れるかといった段で、今度はおぞましい声が聞こえてきた。
それを耳にした者たちは全員、否が応でも精神異常を引き起こされた――
「※#△&(;^ω^)♨♡!!!」
マンドレイクの絶叫である。
より正確に言えば、マンドレイクよりもルーシーの方がよほど叫んでいたので『断末魔の叫び』の方が勝っていたわけなのだが……何にしても、エルフたちは得意とする森林内での野戦を仕掛ける前に、すでに強力な呪いと精神異常による攻撃を受けて機能不全に陥ってしまったのだった。
―――――
最後のルーシーの絶叫、「※#△&(;^ω^)♨♡!!!」については、環境依存文字を二つ使っているのでもしかしたら環境によっては読み込めないかもしれません。「こめしゃーぷさんかくあんどにこにこおんせんはーと」になります。にこにこマークは弾かれたので、顔文字で代用しています。
この絶叫は『SPY×FAMILY』の59話、ベッキーの台詞からそのまま引用しています。意味も全く同じです。作中ではこれ以上詳しく描きませんが、飛び降りた際におかしくなった精神状態で、さらにセロにギュっとされたルーシーの心中を表しています。
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