第221話 やることのない浮遊城(序盤)

 最近、ルーシーの態度がおかしい……


 セロは早朝からそんなことを考えながら魔王城内の見回りを終えた。


 もっとも、今、魔王城は浮遊して、旧第五魔王国こと現第六魔王国の東領を経由して大陸南東にあるエルフの大森林群に向かっている最中だ。


 明後日の昼頃には到着予定となっていて、本来なら空からの大展望パノラマでもまったりと楽しむべきところなのだが……何せこの砂漠の上空に入るのは二度目となるのでさすがに感動も薄い。


 では、時間をかけて逆回りのルートでも取れば良かったかと言えば、そちらはそちらで湿地帯が広がるだけのじめじめとした亡者の巣窟なのでいまいち景観がよろしくない……さらに言うと王国とは冷戦状態なので、その上空を横切って、これ以上の刺激を与えたくもない……


 というわけで、北の魔族領から時計回りで行くことになったのだが、湿地帯ほどではないが、砂漠ばかりの景色もやはりすぐに飽きるというものだ。


 セロはいつもの日課を欠かさず、起きてすぐさま見回りの仕事をしたわけだが、浮遊中ということもあって魔王城外を見回る必要もないし、当然のことながら玉座での公務も少ない……


 良いことなのか、そうでもないのか、こうしてセロは暇を持て余していたわけだ。


 そんなセロはというと、一つの懸念事項に頭を悩まされていた。


 最近のルーシーの変貌についてだ――


 どうにもルーシーからちょっとした距離を取られている感じがあるのだ。


 以前はもっと可愛らしい笑みを間近で見せてくれたり、いじらしかったり、拗ねてみせたりと、他者には絶対に見せない表情をセロにだけこっそりと見せてくれたものだが……ここ数日はそんな微笑ましい素振りも示してくれない……


 もちろん、女豹大戦からこっち、婚約者としてやるべきことはしっかりとやっているので、そんな夜とのギャップにセロは戸惑うばかりだ。


 もしかしたら、結婚が決まったので、これ以上アプローチする必要がなくなったのかなとセロは寂しく思うわけだが……


「それはやっぱり――嫌だ」


 セロは、はっきりと独りちた。


 そもそも、セロはこれまでデートしたことすらないのだ。


 出身村ではバーバルとばかりつるんでいたし、王都に出てからは生真面目な神学生だったし、いきなり聖女クリーンと婚約したおかげで勇者パーティーにいたのに女性が寄り付いてこなかった……


 そのせいで、デートで手を繋いだこともなければ、一緒に買い物に行ったり、演劇を見たり、あるいは貧乏な神学生らしく大神殿の中央広場のベンチにでも座って他愛のない法術理論の話で半日ほど過ごすといったことも経験せずにきた。


 逆に言うと、そんなものを一足跳びして、いきなり夜の情事に突入して、事後にルーシーから、


「ふむん。そろそろセロも側室を迎えるべきかもしれないな。はてさて、いったい誰にするのだ?」


 などと、腕枕しながらも、すぐ真横で女豹の頂点たる貫禄を見せつけられる始末だ。


 これで本当にいいのか、とセロはつい考える。


 いや、良くはない。結婚とは恋愛のゴールであって、ゴールであるからこそ人生の墓場などとかえって例えられてしまうものだが、セロは墓地みたいな家庭を築くつもりなど毛頭なかったし、何にしてももう少しぐらい新婚気分を味わいたい。


 手も繋ぎたいし、デートだってしたい。恋人らしいイチャイチャをしたいのだ。


 とはいえ、魔王が恋愛したいなどと考えるのも可笑しな話だということはセロとて一応は理解している。


 そもそも、ルーシーと手を繋いで、るんるんとスキップしながら王国の中央市場にショッピングにでも行こうものなら、間違いなく侵略と勘違いされて、王都の市場は閉鎖となって神聖騎士団から反撃を喰らうことだろう……


 だからこそ、セロは第六魔王国内でも市街地の建設を最優先で進めているのだが、まだ温泉、酒場、鍛冶屋と大使館ぐらいで、あとはせいぜい吸血鬼たちが棺を収める為の居住区しかない。


 魔王国と王国の文明を比べて、技術レベルは圧倒しているはずなのに、文化レベルはまだまだ足りていない……


「いやいや、そんなことを浮遊城で考えても埒が明かないな」


 セロはそう呟いて、肝心のルーシーについて思いを馳せた。


 こうなったら、魔王城内デートプランを作成するしかない。セロはそう考えて、両手をギュっと握った。


 魔王城内とは言っても、ルーシーにとっては長年住み続けた家なので見どころも何もないかもしれない。だが、セロからすればいかにも趣のある古城だ。その良さをルーシーに再発見してもらえば、デートとしての勝算はあるんじゃないかなと思い至った。


 そこでセロは二階食堂こと広間での朝食後に、モノリスの試作機を通じて、秘かに二人の人物をセロの自室に呼んだ――近衛長エークと外交官リリンだ。


 エークはセロと同様に魔王城にまだ慣れていないはずだから、それに加えてリリンはルーシーと同様に長くここに住んでいた経験から――それぞれの立場でアドバイスしてくれるんじゃないかとセロは踏んだわけだ。


 ちなみにこのとき、ドゥは付き人の仕事にいとまをもらって、今は強襲機動特装艦こと『かかしエターナル』の公試運転に付き合っている。


 それはさておき、エークも、リリンも、セロの私室に入るや否や、


「さて、二人ともよく来てくれた。これから話すことは機密事項だ。それをしっかりと理解してほしい」


 いつもとは違う主人の雰囲気に、「ごくり」と唾を飲み込んだ。


 もしかしたら、エルフの大森林群攻略で秘密作戦でも思いついて、二人にこっそりと託そうかとしているかのように見えたのだ。


 一方でセロはというと、いつも寝ている大きな棺をテーブルに見立てて、食堂から借りてきた椅子に二人を座らせてから、まずは些細なところから切り出した。


「ところで、エーク。ルーシーはどうしている?」

「はい。今はディンと一緒になって、ベランダで食虫植物を栽培しているはずです」

「おや? ディンは……ドゥと一緒にかかしエターナルに乗艦していないんだ?」

「まだ搭乗しておりません。巨大ゴーレムの件といい、今回の強襲機動特装艦かかしエターナルといい、どちらかと言うとエメスがドゥの為にわざわざ作ってあげたところがあるので、おそらくディンも一歩だけ退いて遠慮しているのでしょう」

「ふうん。一歩だけ……退くか……」


 セロはその部分を強調して、二人に視線をやった。


「今日はわざわざ私室に呼びつけてすまない。喫緊の話があったんだ」


 エークとリリンは身構えた。これはよほどの事態かもしれないと、手に汗を浮かべたほどだ。


 もっとも、セロはさりげなく話を切り出した――


「僕は、ルーシーと魔王城内でデートしたい」

「……は?」

「……え?」


 当然のことながら、室内には静寂が広がった。


 もっとも、エークは咄嗟にこれは何かの隠語だろうかと考え直した。


 この場合、ルーシーというのはその父親のエルフの王族ドスのことで、デートとは拷問のことかと思いついたわけだ。もちろん、拷問からデートを連想したのはエークが性癖的にあれだからに過ぎない……


 一方で、リリンは比較的冷静かつ素直に事態を受け止めていた。そして、いかにも外交官らしく外交政策の一環なのだろうと捉えてみせた。


 つまり、温泉やお酒だけでなく、古城であるこの魔王城もいずれは開放して、観光スポットとして人族から金銭などを毟り取ろうと、セロが考えているに違いないと思案したわけだ。もちろん、セロはそんな大層なことは全く考えてすらいない……


 とまれ、そんなふうに思いをぶっちゃけてしまったことで、セロはちょっとだけもじもじしていた。


 ルーシーと上手くいっていないと思われるかもしれないし、それを逆手にとって世継ぎや側室についてエークやリリンから催促されるかもしれない。


 だが、セロはラブラブなデートをする為にも二人に力を込めた眼差しを送った。


 魔族として最近やっと魔力マナが安定してきたとはいえ、いまだに無尽蔵の魔力が漏れ出すセロなので、そんなふうに踏ん張ってみせると、当然のことながら大陸の覇者とでも言うべき禍々しい恐ろしさが周囲を支配した。


 だから、室内全体がさながら溶岩マグマで焼き尽くされるほどの熱量でもって、


「僕にとってはどうしても必要なことなんだ。頼む。力を貸してほしい」


 と、セロがそう伝えると――


 セロによく従っているエークやリリンでさえも、ついその場に平伏してしまったほどである。


 もっと言うならば、エークはそれほどに義父ドスを許せないのかと納得した。また、リリンも、王国平定後のことを考えて観光政策を今から練るとはさすがセロ様だなと、「うんうん」と感嘆していた。


 何にしても、こうして勘違いから生まれる魔王城内デート計画が極秘裏に始まったのだった。

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