第219話 セロ不在の魔王国(中盤)

 巨大蛸クラーケンは赤い長襦袢を着ていた。


 どうやらまだ人型化は上手く出来ないようで、足が四本もあるのでそれを隠したいらしい。和装はこの大陸では見慣れない衣装だが、おそらく『火の国』のドワーフたちを脅して……もとい彼らを通じて手に入れたのだろう。


 ただ、さすがにもとは蛸だけあって、肌が吸い付くように艶々だ。


 また、襦袢を着慣れていないからか、着崩している格好となっているので、胸もとが肌蹴ていて妙に色っぽい……


 それにクラーケンは大陸南西にある最果ての海域で第八魔王と称して、かなり傲慢に振舞っていたはずだが、海竜ラハブにやられて、この第六魔王国でセロ、ルーシーや人造人間フランケンシュタインエメスといった強者を目の当たりにしたせいか、やけにしおらしくなっていた。


 そんなギャップがクラーケンの妙に大人びた慎ましさに昇華されて、魅力を底上げしている。


 とはいえ、相談を受けた人狼の執事アジーンは「ふむん?」と首を傾げざるを得なかった。そもそも、根本的なところ・・・・・・・で自由恋愛にまつわる大きな障害が幾つかあるように思えたからだ――


「ところで、クラーケン。貴女に一つお聞きしたいのですが?」

「はい、何でしょうか。アジーン様」

「貴女はたしか……すでに子沢山の人妻でしたよね?」


 アジーンはまずそのことを尋ねた。


 というのも、クラーケンが第六魔王国にやって来るに当たって差し出したものがあったからだ。皆のたこ焼きとなった自慢の美脚二本もそうだが、この国にやって来てすぐさま解凍して生き返ったクラーケンがエメスに実験体として扱われそうになったとき――自身の卵を何個か献上していた。


 今もその卵は魔王城の地下階層の研究室でエメスによって孵化容器に入れられて、


「これは改良しがいがありますね、終了オーバー


 と、いかにも狂科学者マッドサイエンティストよろしく、「くくく」という邪悪な笑みと共に培養されている。


 もちろん、セロが「なるべく倫理を逸脱しないようにね」と注意しているので、さすがにいきなり合成獣キメラを造るような真似はしないだろうが、それでも魔力マナ操作によって本来のクラーケン個体よりも遥かに強い子供たちが生まれてくることはすでに予想されている……


 そんな子供たちが成長した際に、実は母親によって売られて、さらにその母親は教育を放棄して自由恋愛に走ったなどと知ったら、果たして子供たちはどう考えるだろうか――間違いなく、やさぐれた不良一直線だ。


 第六魔王国はいずれさらに発展して新しい世代も出てくるだろう。セロとルーシーに子供が出来たら、王子や王女として育てられるはずだ。その周囲に不良や半グレが付きまとうのはさすがにマズい……


 しかも、よりにもよって育てているのは盗んだ起動躯体バイクで走り出すような喧嘩上等夜露死苦なエメスである。絶対にろくなことになりはしない――と、アジーンはまずそのことに思い至って、クラーケンに問い正したわけだ。


 すると、クラーケンはけろっとした表情で言った。


「子沢山と言われましても……毎年百万匹は生んでいましたから」

「…………」


 アジーンはつい遠い目をした……


 蛸の生態についてはあまり詳しくないので、クラーケンが仲間となったタイミングで執事としてきちんと勉強しようと、エメス、ドルイドのヌフや巴術士ジージから色々と聞いていた。


 たしか一般的な蛸の雌は卵が孵化する時期には子供の成長を待つことなく死んでしまうのだ、と。


 ただし、孵化するまでは食べ物も取らず、卵をしっかりと守り抜き、孵化と同時に餓死するようにしてその命を散らすと聞いて、アジーンは「おお」と感心させられたものだ。


 もっとも、クラーケンは単なる蛸とは違って魔族なので不死性を持っている。その為に死ぬことなく、最果ての海域の海底の岩棚あたりに産卵すると、そのままどこかに行って、人族や蜥蜴人リザードマンと好き勝手に喧嘩していたそうだ……


 ちなみに、生態の不思議と言うか、生命進化の面白さとでも言うべきか、クラーケンの子供たちは全て魔族になるわけではない。むしろ魔族として生まれる者の方が稀だ。


 結果として、そのほとんどは海の外敵によって捕食される。皮肉なことに同族の蛸にまで食べられるのだから、海の世界の弱肉強食は凄まじい。そもそもクラーケン自身も、強くなければ生き残れないことをよく知っているので、子供たちを積極的に守ろうとはしない。


 この魔王国に来て早々、自身の足や卵を差し出したのは、そんなクラーケンのしたたかな生存戦略によるものなのだろう。


 それはさておき、話に聞いていた蛸の生態とは違うことにアジーンは「うーん」と額に片手をやりつつも、再度クラーケンに尋ねた。


「そもそも、蛸とは交接すると、雄が死ぬ生物ですよね?」


 理由は分かっていないが、蛸の雄は交接すると死んでいくらしい。


 これまた生物進化の不思議ではあるが、そういうふうに生命としてプログラムされているようだ。


 つまり、雄が全員、テクノブレイクして集団死する種族とも言える。この原因が解明されない限り、たとえモンクのパーンチと巨大蛸クラーケンが付き合ったとしても、愛ある行為を取った瞬間にパーンチは腹上死することになる……


 アジーンはさほどパーンチと仲が良いわけではないとはいえ、性交中に特級闇魔術デスがかかるような者の仲人となるのはさすがに気が引ける。もちろん、クラーケンも経験上、そのことをさすがに知っていたらしく、


「そこなのです、アジーン様」

「ほう。ご存じだったなら話が早い。ということで早々に諦めましょう」

「そんなあ!」


 クラーケンはその場でへたりこんでしまった。


 アジーンはぽりぽりと頬を掻いた。せっかく相談を受けたのにきちんと応えることが出来ずに申し訳ないと思いつつも、どう考えても厄介な面倒ごと……もとい生物学的にとても困難な道のりではあったので、さっさと諦めさせる方向に持っていこうとしたわけだ。


 この世界では異種族婚が珍しくはないものの、人族と魔族の場合となると伝承上でもほとんど残っていない。ということは、土台無理があるということなのだろう……


 が。


「たとえ行為中にテクノブレイクしようとも、そこに愛があれば――乗り越えられるはずです!」


 そんな強い声音がアジーンやクラーケンの横合いから届いた。


 屍喰鬼グールの料理長フィーアだ。どうやらおやつのたこ焼きを作る為に、魔王城前の永久凍土の坂にある氷室に保存していたクラーケンの足を取りに行く途中のようだった。


 何にしても、そんなフィーアが珍しく主張した。


「私の料理にも死に対する耐性を一時的に得られるものもあります。それに第二聖女クリーン様にお願いすれば、たとえ死んでもすぐなら生き返ることが可能なはずです」


 アジーンはまた「うーん」と呻った。


 クラーケンはすがるような視線を投げかけてくるし、フィーアも挑むような眼差しでアジーンをじっと見つめている。それにアジーンはもともと女性には弱い……


「はあ。仕方ありせん。肝心のパーンチもすでに出立した後ですし、ここはいったんセロ様にお伺いを立ててみることにしましょうか」


 結局、アジーンはセロに丸投げすることに決めたのだった。

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