第218話 セロ不在の魔王国(序盤)

 宣戦布告も果たして、いざ出陣ということで、魔王城は浮遊して、大陸南東のエルフの大森林群に向かったわけだが……


 もちろん、第六魔王国がもぬけの殻になったわけではない。


 温泉宿泊施設は通常営業しているし、魔性の酒場ガールズバーもやっている。


 それに『迷いの森』から出稼ぎにきているダークエルフたちはヤモリ、イモリ、コウモリたちに囲まれてトマト畑を耕しているし、今は人狼メイドのトリーが近衛長エークの代わりに現場監督となって一大温泉パークを建設している最中だ。


 また、内戦状態で混迷を極める王国がわざわざこのタイミングで戦争を吹っかけてくるとは考えづらいが、万が一を考えて、ルーシーが鍛え抜いた吸血鬼たちも相当数残って、北の街道で備えている。こちらは人狼メイドのドバーが率いて、今もルーシーの代わりに地獄のような訓練を課している最中だ。


 ちなみに魔王であるセロがいない場合、基本的にはルーシーが魔王代行となるわけだが、今回のようにルーシーも、さらには人造人間フランケンシュタインエメス、夢魔サキュバスリリンや近衛長エークまでもが不在となると――


「やれやれ、若女将モタがいないことがせめてもの救いかな……」


 と、第六魔王国の家宰かつ大将のアジーンが切り盛りすることになる。


 もっとも、こんなふうにセロが不在となるのは、先日の東の魔族領こと第五魔王国への侵攻に続いて二度目なので、アジーンもそろそろ勝手が分かってきた頃合いだ。


 そもそも、セロの代わりにアジーンが行うのは、せいぜい魔王城周辺の見回りぐらいなので、仕事が一気に増えるわけでもない。


 逆に言うと、あるじと城がない今、執事としての仕事はほとんどなくなったも同然なのだ。


 これでもしモタが残っていたとなると、皆がいないのをいいことに羽を伸ばして、余計な事件を引き起こしそうなものだが、今回は蠅王ベルゼブブのおかげでモタも向こうに付いて行っている。


「何なら、このままエルフの森で一生を過ごしてくれても構わないんだからな」


 アジーンは遠方に視線をやりながら、そんなモタを思って呟いた。


 最近は同じ獣人という括りのせいか、あるいは温泉宿泊施設の同僚だからなのか、どうにもモタのお世話係みたいなポジションになってきてしまっている。


 セロからは、「いつもモタの面倒を見てもらって悪いね」と両手を合わせて感謝されるし、ルーシーなどは、「人狼とハーフリング――いわば年の離れた娘みたいなものだろう。世話をしてやれ」と押し付けられる始末だ。


 そのせいか、あらぬ噂も耳にすることが多くなった。


 それはアジーンとモタが付き合っているという類いのものだ。しかも、同族の人狼が積極的に流しているらしいから余計にたちが悪い……


「人狼の復興の為にも早く子供を作ってくださいね」


 人狼メイドのトリーはにこにこ顔で周囲に聞こえるように声をかけてくるし、


「アジーンとモタの子供なら鍛えがいがある」


 同じく人狼メイドのドバーは表情を崩さずに淡々と耳もとで囁いてくるほどだ。もしや刷り込みサブリミナル効果でも狙っているのだろうか……


 それに先日の女豹大戦にて、なまじ息の合った実況と解説をしてしまったせいか、周囲も何かしら期待している節がある……


 セロとルーシーについてはある意味で予定調和な結婚だっただけに、今度は臣下からもという機運が高まってきたのは当然の流れだろう。


 もちろん、アジーンにはその気が全くない……


 いみじくもルーシーが指摘した通り、アジーンからすればモタなどは娘どころか孫、ひ孫、玄孫やしゃご来孫らいそん昆孫こんそん仍孫じょうそんを超えて、雲孫うんそんみたいなものだ。


 たしかにアジーンは若かりし頃に方々でぶいぶい言わせてきたプレイボーイだったが、今となってはずいぶんと落ち着いた大人ダンディな人狼である。


 ハードボイルドがよく似合う男を自負しているし、シュペル・ヴァンディス侯爵やヒトウスキー伯爵と並んで、魔性の酒場のカウンターにて、


「ギムレットには早すぎる」


 などと呟きながら、昔話で夜を更かしたいのだ。


 とはいえ、今回はそのシュペルも、ヒトウスキーも、共に不在にしている。


 むしろ、第六魔王国の中枢で残っている者の方が稀で、人狼メイドの二人を除けば、あとは屍喰鬼グールのフィーアぐらいか。


 あるいは関係者というならば、ドワーフたちとその代表のオッタ、もしくは巨大蛸のクラーケンもいるが、他にもう一人だけまだ残っている者がいた――モンクのパーンチだ。


 もっとも、聖女と元勇者による混成パーティー結成ということもあって、そんなパーンチも、今ちょうど王国に戻ろうとしていたところだ。


 むしろ、アジーンの本日の主な仕事はパーンチの見送りと言ってもいい。


「さて、これで長いお別れになるのかな?」


 アジーンが荷物をまとめたばかりのパーンチに背後から声をかけると、


「そうだな。『さよならを言うのは、ほんの少しだけ死ぬことだ』――なんて言葉があるが、不死性を持ったあんたたちには分からないんじゃないか?」

「そうでもないさ。残される者の気持ちにもなってみてくれ。気づいたら、親しくしていた人族の女性はすでにいない。虚しくもなるものだ」

「……そうか。悪かったな。別に、当てこするつもりはなかったんだ」

「構わんさ。手前てまえたちが長い間生きることに変わりはないんだ。そのうちに幾つもの出会いと別れを繰り返す。そうして喜びも、哀しみも、しだいに薄れていく」


 アジーンがそう淡々と言うと、ふいにパーンチは右拳を真っ直ぐに突き出してきた。アジーンは「ふう」と息をついて、それを片手で軽くいなす。


「はん。余裕綽々じゃねえか」

「そんな簡単に貴様の拳を喰らってやれるほど、手前は弱くはない」

「じゃあ、次に会うときにはその顔面にぶち込めるほどにオレが強くなっていないと駄目だな」

「ほう、次があるのか?」


 アジーンが意外そうな顔つきで尋ねると、パーンチは鼻の下をこすった。


「今は王国も騒々しいみたいだし、何なら孤児院のチビどもをこっちで育てようかとも考えているんだ。魔族にもこんな感傷的なやつがいるんだって教えてやらないとな」

「ふん。ずいぶん変わったものだな。勇者パーティーにいて、魔族は敵だったのではなかったのか?」

「オレが変わったんじゃねえ。時代が求めているんだよ」

「そうか。まあ、何にしても死ぬなよ」

「たりめえだ。オレを誰だと思っていやがる」

「ヤモリに嬲られ、手前にぼこられ、最近はすっかり丸くなったモンクの誰かさんだな」

「うっせーよ。じゃあな」


 パーンチはそう言って、荷物を背負って北の街道を進んでいった。


 あっという間にその背中が小さくなる。セロの代理ということで今回はアジーンが見送ったわけだが……セロならもう少しぐらい気の利いた言葉をかけたのでないかと思うと、まだまだ未熟だなと感じる……


 アジーンはもう一度だけ、「ふう」と小さく息をつくと、ふいに背後に別の気配を感じ取って振り向いた。


 そして、やや眉をひそめた。そこに見慣れない女性がいたからだ。


 とはいえ、魔族特有の魔力マナの波長ですぐに誰なのかは分かった。いかにもいまだ小型化と人型化に慣れていない様子だったが――巨大蛸ことクラーケンだ。


 そのクラーケンがなぜか妙にしっとりとした雰囲気で言った。


「別れがこんなに辛いだなんて知らなかった」

「ああ……そういえば、貴女はパーンチとよくつるんで、ドゥと遊んでやっていましたね」

「はい。だからこそ、気づきました」


 アジーンは首を傾げた。それからふいに嫌な予感がした。


「アジーン様。セロ様の代理としてお願いします。どうか、私とパーンチ様との仲人なこうどをしていただけませんか?」


 こうしてアジーンはよりにもよってセロ不在の間に、恋の悩み相談を受けることになったのだ。



―――――


「ギムレットには早すぎる」、「さよならを言うのは、ほんの少しだけ死ぬことだ」は共にレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』に出てくるものです。

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