第217話 大森林群への侵攻

「糸とは……どういうことですか?」


 セロはすぐさま素朴な疑問をぶつけた。


 先ほども、まるで糸が切れたかのように殺し合いが始まった、と聞かされたばかりだ。


 もっとも、エルフの長兄ウーノに取り憑いていた死神レトゥスはというと、「おや、セロは糸と聞いてピンとこないかい?」と首を傾げてみせた。


 当然、セロとてそれなりに魔物や魔族などについて学んできたが、それでもしばらくの間、「糸? 糸かあ……」と、眉をひそめるしかなかった。ためしにルーシーやリリンたちに視線をやってみるも、他の者たちも分からないようだ。


 すると、死神レトゥスは「ふむん」と一つだけ息をついた。


「地下世界では、この強力無比なスキルを得意とする者が一人だけいるのだが……そうか、地上ではすでに失われつつあるということかな」

「いったい、どんなスキルなのですか?」


 セロが尋ねると、今度は死神レトゥスではなく、モタに憑依していた蠅王ベルゼブブが威勢よく答えた。


「傀儡なのだ!」

「……傀儡?」

「そうなのだ。第一魔王こと地獄長サタンの配下にいる悪魔ネビロスが得意とするスキルだな。何千、何万という者を意のままに操ってくるので、とても厄介なのだぞ。同士討ちなどお手の物だ。我輩の蠅騎士団もそれで幾度も煮え湯を飲まされた」

「かなり厄介そうなスキルですね」

「ネビロス本体は弱っちいんだがなあ。まあ、悪魔ベリアルといつも一緒にいて、こちらは個体でもそこの死神なんぞよりは強いから、そういう意味では本当に厄介なコンビなのだぞ」


 すると、死神レトゥスが長兄ウーノの遺体を使って、見事に拗ねてみせた。


せつは戦うこと自体が好きじゃないんだよ。そこの蠅と一緒にしないでもらいたい」

「何だとー!」

「ほら、そういうところさ」


 そんなこんなで長兄ウーノとモタがいがみ合ったわけだが、それはともかく、ネビロスについては地上世界の伝承でもよく残っているのでセロもさすがに知っていた。


 もしかしたら、古の大戦でそんな傀儡による同士討ちといった惨状を生み出したことで、恐ろしさが言い伝えられてきたのかもしれない……


 何にしても、エルフやダークエルフの王族こと古代ハイエルフたちはその傀儡によって操られて殺し合いを始めた。そして、その背後にはドスがいた。野心に駆られたのか、それとも他に理由があるのかはまだ分からないが、ドスは古代エルフを皆殺しにして、王権を掻っ攫ったわけだ。


「じゃあ、トゥレスが皆を殺したというわけじゃないのでは?」


 セロが当然の疑問を尋ねると、トゥレスは頭をはっきりと横に振ってみせた。


「いや。そもそものきっかけを作ったのは私だし、それに私もこの手で何人もの同族を殺して回った。何より――」


 トゥレスはそこで言葉を切ると、泣き顔をさらに歪めてみせた。


「何よりだ。兄であるウーノをこの手で殺めたのは私自身なのだ!」


 その独白で魔王城二階の食堂こと広間にしばし沈黙が下りた。


 ここにきてセロはやっと理解出来た。トゥレスがここまで自分を追い詰めて、全ての贖罪を背負おうとした理由について――たとえ傀儡で操られていたとしても、血を分けた兄を殺めた自分自身を決して赦せなかったのだ。


「…………」


 セロにはトゥレスにかけてあげるべき言葉がなかった……


 操られていたからトゥレスのせいなんかじゃないなんて無責任なことは言えなかった。


 だからといって、トゥレスが全て悪いというのも言語道断だ。悪意があるとしたら、そんな皆殺しの舞台を仕組んだドスにこそあるはずだ。


 セロはちらりとルーシーやリリンに視線をやった。実の父親がそんなひどい仕打ちを同族にする人物だと知って、さぞかし気分を害しているのではないかと心配したからだ。


 もっとも、二人ともそんな気配りは必要なかったようだ。


「つまり、ドスとやらをとっ捕まえて、洗いざらい全て吐き出させればいいわけだな。わらわにその趣味はないのだが、たまにはエメスの手伝いもしてきたくなってきたぞ」

「お姉様、私も同感です。女の敵だけでなく、エルフ種の敵――私たちの仲間であるヌフの宿敵ということは、いては第六魔王国の怨敵でもあります」

「うむ。悪魔の手を借りて皆殺しを企てた上に、自ら表に出てきて戦わないなど、魔族の面汚しでもあるな」

「はい。魔族としての誉れも持たない最低最悪な屑野郎です」


 いや、ドスは亜人族であって、魔族ではないのだけど……


 だから、今回に限っては魔族の誉れは全く関係ないはずなんだけど……


 とはセロもなかなか言い出せない雰囲気になっていた。これでは実父との感動の再会が血みどろの復讐になってしまいそうだ……


「と、ところでさ。トゥレスは……大罪人という冤罪を受けたわけだよね?」

「セロよ。冤罪ではない。私はたしかに罪を犯している」

「ええと、まあ、それはそれとして……その罪に対する罰は受けなかったのかな? 普通、それほどの事件が起こった場合は、処刑されるものじゃない?」


 セロがそう尋ねると、トゥレスは自身を嘲るかのように「ふふ」と小さく笑ってみせた。


「結果として、エルフの大森林群に入ることを禁じられた。加えて、『古の盟約』を押し付けられて、人族や魔族のそばでずっと過ごすことになったよ」


 なるほど。本来は森からほとんど出てこないとされるエルフ種にとって、これほど重い罰もないのかもしれない……


 おそらくドスからしたら、トゥレスにまだ利用価値があったということなのだろう。そういえば、セロとて魔王認定されてからこの地に飛ばされた。バーバルにとってはその場で処刑するよりも、ここで討伐する方が都合良かったということか……


 そんなことをふいに思い出しながらもセロはついに考えをまとめた――


 何にしても、この件があってエルフとダークエルフは明確に決別したわけだ。


 ドスはこの事件以降、エルフ種の現王となって『エルフ至上主義』を唱え、大陸南東の大森林群は孤立主義に入った。


 そんなドスによってさらに仕組まれたことかどうかは分からないが、人族もダークエルフを迫害するようになっていった。『迷いの森』に侵入して、魔族領でわざわざ暮らすダークエルフを魔族とみなすほどにまでなった。


 もっとも、『迷いの森』が『竜の巣』と同様に危険な場所だったから、結局のところ、ダークエルフは人族による蹂躙を免れた。結果、ダークエルフも人族にほとんど関わりを持たなくなる。


 こうしてエルフが人族の歴史に再登場するのは、勇者パーティー結成時の『古の盟約』と、あとはせいぜい時代が下って、第五魔王アバドンが支配した帝国に戦争を吹っかけた頃になる。人族、ドワーフ、エルフによって同盟を結んだにもかかわらず、侵攻に失敗したことで、エルフはさらなる非干渉主義を貫くことになった。


「そんなエルフが……今になって、わざわざ僕を大森林群に招待すると?」


 セロがそうこぼすと、広間はまた静寂に包まれた。


 静けさを破ったのは、意外にもセロに招待の案内を持ち込んだトゥレスだった。


「セロよ。許してくれるならば、かつてのパーティー仲間として助言したい――これは明らかに罠だ。あのときの再来を次兄ドスは目論んでいる可能性が高い」


 つまり、また傀儡で操って皆殺しを企てている可能性をトゥレスは指摘したわけだ。もちろん、これはドスに対する明確な裏切りだ。逆に言うと、トゥレスはドスではなく、セロの方を信頼してくれたのだ。


 セロはふいに勇者パーティーの頃を思い出した。


 トゥレスは口数こそ少ないものの、いつもセロが問い掛ければしっかりとした答えを用意してくれた。いわば、若いパーティーにとっては重石のような存在だった。


 バーバルの企てによってセロを追放する際にも、パーンチやモタと違って、セロを嘲るようなことは何一つ言わなかった。その代わりに助け舟も出してくれなかったが……今、そんなトゥレスがはっきりとセロに助言してくれている。


 いや、もしかしたらトゥレス自身もセロに助けてほしいと願っているのかもしれない……


 セロは「ふう」と息をついた。


 広間にいる皆を見渡す。今、決断を下すべきときだった。


 第六魔王としてセロはどんな意思を表明するべきか――ここには第二魔王こと蠅王ベルゼブブも、第四魔王こと死神レトゥスもいる。セロの決定次第では、甘いとも捉えられかねないし、与しやすいと見られるかもしれない。


 しかも、敵はルーシーやリリンの実父だ。


 さらには大森林群には真祖カミラの存在までほのめかされている。


 言ってしまえば、今回の件はエルフ族の王室復興という名の敵討ちだけでなく、セロにとっては第六魔王の正当性を巡る戦いでもあって、またルーシーやリリンたちからすると親子喧嘩にもなるわけだ。


 だからこそ、セロには躊躇いなど許されなかった。


 そもそも、セロはとうに決めていたのだ。仲間が助けてほしいときには必ず手を伸ばす、と――


「エルフの現王ドスが友好を結ぶ為に当国に直接来なかったことは大変遺憾だ。今回の使者トゥレスの訪問を最後通牒と受け止めて、第六魔王国はエルフの大森林群に宣戦布告するものとする!」


 ひどい言いがかりみたいなものではあったが、セロはとりあえずエルフの大森林群を挑発してみようと考えた。向こうが森に籠って出てこないなら、まずは出てくるように仕向けるだけだ。


 すると、人造人間フランケンシュタインエメスがモノリスの試作機に告げた。


「総員、戦闘準備。魔王城起動。白い耳長族の森を焼き尽くします。終了オーバー

「ん?」


 セロは少し首を傾げた。同時にルーシーやリリンが続いた。


「ドスとかいう大罪人を地下牢にぶち込んで、育児放棄ネグレクトしていたツケを払わせてやろうぞ」

「何でしたら去勢しましょう。これ以上、妹が増えるのも困りものです」


 いつも淡々と拷問をしているエメスよりもよほど怖い顔を二人はしていた……


 執事のアジーンは人狼メイドたちにてきぱきと指示を出して、いかにも新しい戦いを楽しみにしている様子だ。戦場に誉れを求める者ばかりなので、三度の飯よりも戦争が好きといった感じに最早なってしまっている。


 しまいにはモタに憑依した蠅王ベルゼブブが白々とした表情で呟いた。


「ここって第二魔王国うちよりもよっぽど好戦的じゃね?」


 地下世界で単独なら最強と謳われるベルゼブブ――しかも軍事国家とされる第二魔王国よりも好戦的ってヤバくないかなとセロは思ったが……最早、後の祭りである。


 さらには同盟を提案していたはずの死神レトゥスが額に片手を当てながらぼやいた。


「エルフの森で焼かれて非業の死を遂げた大量の魂が霊界を彷徨うのか……仕事が増えるなあ。まいったものだよ」


 こうして第六魔王国は浮遊城で出発して、強襲機動特装艦かかしエターナルの公試運転も兼ねて、東領こと砂漠の上空経由でエルフの大森林群に電光石火の如く侵攻したのだった。


 ちなみに、セロが「あれれ? 宣戦布告しただけなんだけど……なぜ侵攻を始めるのかな?」と、ルーシーみたいに九十度ほど首を傾げ続けたのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る