第215話 古代エルフ


 大陸南東にあるエルフの大森林群すぐ手前の平原では、可笑しな光景が広がっていた。


 何と、一組の男女が見事な土下座をかましていたのだ――


 いや、より正確にはまた・・土下座をしたと言うべきだろうか……もっとも、以前は三つ指をついて簡素に済ませていたのに対して、今回はしかと地に額を突いて、ひれ伏している様子から察するに、よほど深刻な事態なのだと二人も認識したに違いない。


 もちろん、そんな見事な土下座を披露していた二人コンビとは、言うまでもなく、大悪魔のネビロスとベリアルだ。


 そして、二人を取り囲んでいるのは、セロ、ルーシー、海竜ラハブ、人造人間フランケンシュタインエメス、ドルイドのヌフに加えて、ダークエルフや吸血鬼の精鋭たちだけでなく、ヤモリなど超越種の魔物モンスターたちもずらりと並んで、さらには蠅王ベルゼブブや死神レトゥスの分体までいる。


 そんな大所帯の中心にセロはいたにもかかわらず、悪魔のベリアルはというと、墳丘墓のときと同様に、後先考えずにセロに喧嘩を吹っかけようとして――


「あれ? こいつ……マジで強くね?」

「ヤバいです。マズいです。聞いていたのと違います。死にますよ」

「てか、ベルゼブブとか、レトゥスとかもいるってどういうことだよ? あと、あれってたしかエメスだろ? 懐かしーなあ、おい」

「目を合わせない方がいいですよ。喧嘩上等夜露死苦な魔族です。肩がぶつかっただけで殴りかかってきます。というか、かえって貴方とは気が合うのでは?」

「それに超越種の魔物が何でこんなにいんのよ……つぶらな瞳で見やがって……でも、凶悪そのものじゃねーか」

「私……そろそろ貴方と他人のふりしていいですか?」

「とりあえず……あれ、やるか」

「はい。あれで穏便に済ませましょう」


 というわけで、エルフの大森林群に入ろうとしていたセロたちの前で二人はいとも華麗にジャンピングスクリューエアリアル土下座を決めてのけたのだった。






 さて、話は数日前にまで遡る――


 第六魔王国の魔王城の二階食堂こと広間にて、人造人間フランケンシュタインエメスがゲル状になったエルフの狙撃手トゥレスを桶に入れて持ってきて、「大森林群に招待されました」とセロに報せたときのことだ。


 エルフの聖なる森に他種族として初めて招かれたという栄誉にあずかったセロはというと、元人族として、「それはすごい。まさに歴史的な一頁じゃないか」と感心する一方で、実のところ、魔王としては、「うーん」と大いに首を傾げていた……


 というのも、たとえ幾らお人好しで知られているセロでも、最近はルーシーやエメスから帝王教育をみっちりと受けて、やっと魔王らしい考え方を身に着けてきた。


 そんな魔王的な感覚でもって考えると、今回の場合、エルフの現王こそがセロのもとにやってくるべきであって、セロが現地に赴くのは明らかに立場的に見下されている証左とも言える……


 実際に、第三魔王こと邪竜ファフニールなら、「来ないなら森ごと燃やすぞ!」と凄んでみせるに違いない。


 だからこそ、エメスもついかっとなって、大切な使者であるトゥレスをゲル状にしちゃったわけだし、他の配下もそんなエメスに「あちゃー」となりはしたものの一切咎めていない……


 むしろ、よくぞやってくれたと胸のすくような思いでいる配下たちばかりとも言える。


 もっとも、ドルイドのヌフによると、実はトゥレスはエルフの王族であって、長男のウーノ、次男のドスに次ぐ三男に当たる重要人物らしい。


 勇者パーティーで一緒にやってきたセロにとってはこれまた驚愕の事実ではあったが、エルフの王家では長兄ウーノ亡き後、次男ドスが王位を継承したそうで、そういう意味ではエルフ側としても一応はそれなりの人物を使者として寄越してきたわけだ。


 とはいっても、セロからすれば、幾つか疑問がすぐに浮かんだ――


「ところで、トゥレスは昔、なぜダークエルフのヌフのもとに、エルフのお兄さんであるウーノの遺体を持っていったの?」


 その質問に対して、ゲル状になっているトゥレスではなく、ヌフが代わりに答えた。


「根本的なところからまず説明いたしますと、古の時代以前、エルフとダークエルフは大陸南東の大森林群で共生していました。そもそも、その頃はエルフとダークエルフという区分自体もありませんでした。エルフ種に混血は生まれず、法術に適性がある者が白い肌のエルフ、魔術に適正ある者が黒い肌のエルフというだけで、分け隔てなく過ごしてきたのです」

「へえ。そうだったんだ。じゃあ、どうして二種族に分かたれてしまったのかな?」

「古の大戦のせいです。その際に白い肌のエルフが天族側に、黒い肌のエルフが魔族側につきました。多分に大戦に直面したエルフ族として、そういった生存戦略を採ったという側面もあります」

「なるほど。では、大戦後にエルフが黒い肌のエルフをダークエルフと区別して、迫害を始めたということかな?」

「いいえ。実のところ、当方らの迫害を始めたのは人族なのです。エルフ種は双方とも、大戦後も長らく種族統一を目指してきました」

「え? でも、エルフとダークエルフは犬猿の仲だってよく聞くけど?」

「はい。たしかにその通りです。より正確に言えば、時代が下って、ウーノの亡き後、ドスの治世になってから、彼らはいわゆる『エルフ至上主義』を掲げ始めました」


 セロは「へえ。そうなんだ」と相槌を打った。


 とはいえ、さっきから外堀を埋めているだけで、肝心の話の本丸には全く届いていない……


「で、繰り返しヌフに聞くけどさ。そんなドスの弟のトゥレスがヌフを信用して、ウーノの遺体をわざわざ預けた理由は何なの? それにトゥレスはヌフに対して臣従しているようにも見えたけど?」


 セロの問いかけに対して、ヌフはわずかに沈黙した。


 これから話すことが種族の秘中の秘であり、ずっとヌフ一人で抱え込んできた問題だったからだ。


 だが、今ではダークエルフはセロに従っている。まだ数ヶ月しか経っていないが、『迷いの森』で長らく艱難辛苦を味わっていたことに比べると、今は最も幸福な時期にあると言っていい。


 だからこそ、ヌフはセロに全てを打ち明ける覚悟を決めた――


「ウーノ、ドスやトゥレスはたしかにエルフ種の王族ではありますが、所詮は傍流・・に過ぎません。古代ハイエルフの正統なる血を継いでいるのは――今や当方しか残っていないのです」


 ヌフはそう言って、セロを真っ直ぐに見つめてから頭を下げた。


 これまでやや取っつきにくい女性だなとセロも感じてきたが、その正体がやっと分かった格好だ。


 何しろ、大陸最古の亜人族と言ってもいいエルフ種の正当なる王位継承者が眼前にいるのだ。しかも、セロに対して初めて頭を下げたことで、ヌフは明確な庇護を求めてきたと言ってもいい。


 もっとも、セロは額に片手を当てて思案顔になった。


「待ってほしい。ヌフがエルフ種の王女だということは分かったよ。ここまできたら乗りかかった船だ。王室再興の手助けをしてもいい。でも、一つだけ、やはり大きな疑問が残っている」


 セロはそこで言葉を止めると、ヌフと同じくらい真摯な眼差しで見つめ返した。


「いわゆる古代ハイエルフと呼ばれる王族、その本流はどこに行ったんだ? ヌフ以外は、病気か何かで一斉に亡くなってしまったってことなのかな?」


 その問いかけに対して、ヌフはぐっと言葉を飲み込んだ。


 そして、しばらくしてから自らのかたきを告発するかのようにこう唾棄したのだ。


「エルフ王家の本流は……かつて皆殺しにされました」


 そこで言葉をいったん切ると、ヌフはたらいに乗せられたゲル状のモノを睨みつけた。


「現王ドスの弟こと、そこの……トゥレスによってです」

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