第212話 傀儡

「お断りいたします」


 当然のことながら、第二聖女クリーンは悪魔ベリアルの求婚をにべもなく断った。


 もっとも、クリーンもバーバルで色々と学んだことがある。こういう男に限って人の話を聞かない上に、押しがやたらと強いのだ……


 とはいえ、今回は周囲に高潔の元勇者ノーブルや巴術士ジージもいるし、ベリアルには相棒の悪魔ネビロスもいるしで、以前に大神殿の地下で孤立して、バーバルから強引に唇を奪われたような事態にはならないだろうと踏んでいた。


 それでも、クリーンは数歩だけ下がって、聖杖を両手でギュッと持ち構えて警戒した。


 唇以前に、肩に気安く手でも回してこようものなら、その頬を聖杖で思い切りぶっとばすぞと、じりじりとベリアルを睨みつけてみせる。


 一方で、そんなかたくななクリーンの様子に、ベリアルはずいぶん落ち着き払った表情で、いかにも紳士的にやれやれと肩をすくめた。


「はは。つれないな……だが、まあ、そうだな。はっきりと申し出を断ってくれたことには感謝するよ」


 クリーンは「あら?」と意外そうな表情を浮かべた。てっきり強引に絡んでくると思っていたからだ。


「とはいっても、|お嬢さん(フロイライン)。俺はまだ諦めていないぜ。これほどの女性に巡り合えた運命を呪いたくなどない。せめて君に少しでも好意を持ってもらえるように、これからは自分に磨きをかけて、君に評価してもらおうじゃないか」


 クリーンは「あらあら?」とベリアルの評価を考え直し始めた――


 女性を見たらとりあえず声をかけるような軽薄なタイプだと思っていたが、こういう台詞がスラっと出てくるあたり、見かけによらず、わりときちんとした人物なのかもしれない……


 もちろん、人族の聖女たるクリーンが魔族の大悪魔と付き合うなど、一顧だにしてはいけないはずなのだが……恋愛経験に乏しく、外面の良いクリーンからすると、何だかベリアルに少し悪いことをしてしまったかなと、多少の負い目を感じてしまった。


「ま、まあ、そういうことでしたら、せいぜい頑張ってください」

「ああ。君の瞳の中で、俺の人生が少しでも輝けるように努力するぜ」


 そんな気障キザなことを言われて、どうにもまんざらでもないクリーンである。


 こんなところはまさにダメ男ホイホイの真骨頂といったところなわけだが……


 逆にベリアルはというと、これはいけるぜとクリーンに見えないところでグっと片拳を固めてみせた。


 ちなみに、少し離れて泥湯に浸かっていたネビロスはそんな同僚にちらりと視線をやって、まーた始まったかと呆れ顔だったし、ノーブルにしてもそんなクリーンのダメダメな様子を見て、いつの時代も聖女は世間知らずなんだなと白々となっていた……


 そうはいっても他人の恋愛ごとなので、ノーブルは深く考えるのを止めた。きっとまあ、なるようになるだろう。どうやらジージも同感のようで、やれやれと頭を横に振っている。


 ちなみに、ヒトウスキーはというと、相も変わらず「良い湯でおじゃるなあ。よきかな、よきかな」と泥を顔に塗って、美肌パックみたいにして一人だけ悦に入っていた。隣で物静かに浸かっているネビロスとはいかにも対照的だ。


 そんな状況で、意外なところからベリアルに対する擁護が上がった――


「結婚とはさすがに行き過ぎですが……聖女様の隣にこの御仁を立たせてみるのも面白いかもしれませんよ」


 そう言い出したのは、シュペル・ヴァンディス侯爵だった。


 クリーンはつい、何を言っているんだこの人は、と不審な眼差しを向けた。


 とはいえ、ノーブルも、ジージも、「うむ」と肯いてみせる。どうやらクリーンには考え及ばないアイデアがあるらしい。


 実際に、ノーブルは顎に手をやりつつもこうこぼした。


「たしか反体制派の中には、矢面に立てる男の人材がいなかったのだよな?」


 より正確に言えば、女性ばかりが目立って、男性のリーダーがろくにいなかったのではないか? ――という問いかけだ。


 事実、マン島の人族の部隊にはハダッカという元聖騎士の老兵がいるものの、表立って人族を率いているのは侯爵家令嬢の女聖騎士キャトルだ。


 また、亜人族の蜥蜴人リザードマンの代表はリザだが、この部隊にも実質的な命令を下しているのは海竜ラハブだ。


 さらに、島嶼国の魔族にはジンベイがいるわけだが、こちらもまた妖精ラナンシーの配下になっている。


 しかも、反乱軍の代表は何よりクリーンということで、女性ばかりが目立っている状況だ。


 それできちんと反体制派の軍隊がまとまっているから、今のところ問題はないのだが……やはり反乱という血生臭い内戦をこれから行っていく上で、汚れ役として一人ぐらい男性がいてもいい。つまり、シュペルはクリーンにそう示唆したわけだ。


「ですがちょっとお待ちください。このベリアルという方は先ほど出会ったばかりで、しかも第一魔王国を代表する魔族ですよ? もっと言うならば、ノーブル様と先ほどまで交戦していたのですよ?」


 クリーンが当然の疑問を口にすると、


「君の為なら俺はいつだって第一魔王国なんて抜けてやるさ」


 ベリアルはきらりとした白い歯を見せつけて、しれっとそんなことを言ってきた。


 今度は一転して、いかにも軽薄な感じだ。一方でネビロスはというと、我関せずと微動だにしていない……


「その心遣いはうれしいですが……聖女として、さすがにこれ以上、魔族の助けを得ることについては看過出来ません」


 クリーンがそう声を上げて抵抗するも、シュペルはやけに真剣な表情を向けてくる。


「聖女様。すでに我々の王国復興は第六魔王国の援助なしには成し遂げられません。そもそも、人族、亜人族、魔族が一致団結して、新しい世界を作ろうとするのが我々の立場です。そろそろ、未来に目を向けるときではないですか?」


 シュペルに正論を突き付けられて、クリーンは思わず、「ぐうっ」と呻った。


 ただ、このとき、クリーンにはどこかしら引っ掛かるところがあった。


 それが何なのかはまだ分からないが……相手が正論をぶつけてくるなら、とりあえずこちらも同じことをするまでだ。


「第六魔王国のセロ様は信頼が置ける人物ですし、その実績もあります。また、島嶼国の魔族についても一応は共に苦境を乗り越えてきた者たちです。しかしながら、厳しいことを言うならば、そちらのお二方にはまだ信用も、実績も、何もございません」


 すると、ベリアルは急に着ていたシャツの胸もとをバっと肌蹴はだけてみせた。


 これにはクリーンもまた「キャ」と声を上げて、すぐに目を背けた。それでも、ベリアルは急に女性を追い落とす狩人のような雰囲気で迫ってくる。


「だからこそ俺のことをもっと知ってほしいんだよ、ベイビー。嘘偽りのない俺をしかと見て欲しい! さあ、ほら!」

「…………」


 そのとたん、クリーンは無言になった。


 そして、眼前に来ていたベリアルではなく、泥湯に浸っていたネビロスの方をキっと睨みつける。


「なるほど。よーく分かりました」

「分かってくれたか? じゃあ早速、俺と――」

「いえ、分かったのは嘘偽りばかりの貴方がたのやり口です」


 クリーンはそう言うと、祝詞を謡って、


「全てを暴け、『聖防御陣』!」


 法術による聖なる陣を展開させた。


 すると、泥湯から立ち上がっていたもや・・と一緒に、それに隠されていた呪詞・・もかき消されていった。


「ちい。バレちゃったのよ、腹立つのよ、むかつくのよ、死ねよ」


 ネビロスは舌打ちをしてから捲し立てた。


 そのとたん、シュペルが「うっ」と頭を抱えるようにしてしゃがみ込んだ。ジージも、ノーブルも、頭痛がするのか、額に片手を当てている。


 ただ、一人だけ、そんなふうにならなかった者がいた――


「さすがは聖女殿。助け舟は必要なかったようでおじゃるな」


 ヒトウスキーだけが泥パックを付けたままで泥湯に浸かりながら呑気な声を上げたのだ。


「いえ。ヒトウスキー様、ありがとうございます。むしろ、その泥パックこそが助け船だったのではないですか?」

「ほほほ。何のことやらでおじゃる」


 すると、ネビロスが泥湯から立ち上がった。


「はあ……いったい、どこでバレたってのよ?」


 そう。シュペルは傀儡としてネビロスに操られていたのだ。


 また、ノーブルやジージもどうやら思考停止させられていたようだ。それほどにネビロスの『傀儡』は強力なスキルだった。


「何かがおかしいなと、ずっと引っ掛かっていたのです」


 クリーンはそう応じると、さらに言葉を続けた。


「まず、貴女自身が泥湯の美白効果を謳っておきながら、ヒトウスキー様のように顔パックをしていませんでした。もっと言うなら、湯に入ってからは微動だにしていません」


 ネビロスは「まあ、たしかにその通りですね」と口の端を歪めた。


「シュペル様の発言はたしかに正論でした。ただ慎重なシュペル様らしくない早急なものです。そこで、もしや誰かに言わされているのではと考えました。ただ、その場合、ノーブル様やジージ様が気づかないはずがない。これはいかにもおかしい」

「それで?」

「ということは、ノーブル様やジージ様も操られかけている可能性を考慮しました。では、ヒトウスキー様は? というところで、傀儡とは糸で操るイメージが浮かびました。もしかしたら水などに浸かっていると操れないのでは?」

「ふむ。呪詞を糸状にして操る都合上、仕方のないことです。この点については、よく気づいたと褒めてあげましょう。撫でてあげましょう。ついでに殺してあげましょう」

「それは御免こうむります。そもそも、もう一つだけ、決定的な違和感がありました。そちらのベリアル氏が急に操られたかのように軽薄に変じたことです」

「こんちくしょう。俺を勝手に出汁だしに使いやがって――」

「貴方がいつもの女癖の悪さを発揮したからでしょう? 自業自得ですよ。死ね」


 ネビロスが反論すると、二人は「いーっ」といがみ合った。大悪魔のくせしてどこか子供っぽいが、意外と似た者同士なのかもしれない……


「何にしても、これである程度のことが分かりました。貴女の『傀儡』というスキルは男性なら男性だけ、女性なら女性だけを一斉に操ること出来るスキルというわけです。かなり強力な分、そうした制約があるのでしょう。どちらにしても、もう貴方がたの思惑に乗ってあげることは出来ません」


 クリーンがそう言って、再度、聖杖を構えると、ネビロスとベリアルは立ち並んだ。


 この場にはノーブル、ジージ、ヒトウスキーといった実力者がいて、シュペルとて元聖騎士団長の実力者だ。


 それに上空には二体の巨大ゴーレムを含めた強襲機動特装艦こと『かかしエターナル』も控えている。


「まあ、失敗は認めなくてはいけません。どのみちあの船が来た方向を逆にたどれば、第六魔王国に着くはずです」

お嬢さんフロイライン、今回は残念なお別れになってしまったが、俺たちの運命のわだちはまたどこかで交錯すると信じているぜ」

「では、ベリアル。今度こそ第六魔王国に行くとしましょうか」

「ああ、そうだな」


 ベリアルがそう短く応じると、転送陣が二人を包み込んで一瞬で消えてしまった。


 おそらく『降魔術』というやつだろうか。


 歴代の聖女に伝わる法術による転送とは違って、座標の設定などを必要としない特殊なスキルのようだ。傀儡といい、降魔術といい、ネビロスはかなり多芸な悪魔らしい。


 が。


 ジージは髭に手をやりながらこぼした。


「ところで、わしらは……別に第六魔王国から直接ここに来たわけではないのじゃが?」


 すると、シュペルも眉間に皺を寄せた。


「ええ。セロ様一行をエルフの大森林群の前で下ろしてから、こちらに向かってきたわけでして……」


 ということは、強襲機動特装艦かかしエターナルが来た方向を逆にたどると、その行きつく先は――


「やれやれ。全員が鉢合わせとなるかもしれないな。エルフの森が大陸から消えてなくならなければいいのだが……」


 ノーブルはそんなふうに達観して、何にしても本来の目的である反乱軍の二方面作戦について改めてクリーンと打ち合わせすることにしたのだった。

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