第210話 一兵卒の意地

 高潔の元勇者ノーブルは目を細めた。


 たしかネビロスとベリアルと言えば、この大陸にも幾つか伝承が残っている大悪魔だ。


 今や蠅騎士団筆頭となったアスタロトと並んで、地下世界でも長らく魔王を名乗って、冥王ハデス、地獄長サタン、蠅王ベルゼブブや死神レトゥスと対峙していたとされる。


 結局のところ、勢力争いの末に第一魔王ことサタンの下についたわけだが、配下とは言っても、もともと地下世界を代表する魔族だけあって、内蔵する魔力マナ濃度はセロとさほど変わらない。本来ならば・・・・・、全くもって油断のならない相手のはずだ。


 ただ、この二人の放つ魔力は先ほどからどこか不安定だった……


 もしかしたら、天族との約定とやらのせいで、自らに何らかの制約をかけて地上世界に上がって来たのかもしれない……


「そういえば――」


 と、ノーブルはふと思い出した。


 たしか、モタに召喚された蠅王ベルゼブブは当初は瓶に、次いで一匹の蠅に移って、この地に現れたという報告があった。


 それに加えて、最近では死神レトゥスも、ドルイドのヌフによる『魂寄せ』でエルフの屍喰鬼グールに取り憑いて顕現したらしい。


 以前、第六魔王国の東領にあった奈落の門前にて、ルシファーが一歩も出て来なかったことから鑑みるに、もしかしたら地下世界の魔族が地上に出るには何か制限でもあるのかもしれない。


 何にせよ、現状では第二聖女クリーン、ダークエルフや吸血鬼の精鋭たちと協力すれば、この二人の魔族を退けることは容易だとノーブルは考えた。それほどにこの二人の魔力は揺らいで、弱体化されていた。


 そんな二人のうち、まずネビロスは少女の悪魔だ――


 マントを纏ってフードを目深に被っているところは、どこか人狼メイドのドバーを彷彿とさせるが、こちらの方がよほど禍々しい雰囲気がある。


 手もとにゴシックワンピースを着せた黒髪の西洋人形ビスクドールを抱えていることといい、本人は長い銀髪が荒れ放題で、いかにも起きがけでどこか眠たげな様子といい、ドルイドのヌフと同様に、遠距離からの搦め手が得意なタイプにみえた。


 一方で、ベリアルはというと――目が覚めるほどの美男子で、小粋なドレッサーでもあった。


 隣のネビロスとはいかにも対照的で、自身の格好良さイケメンを十分にわきまえているといったふうだ。一見すると軽薄そうだが、その一方でどこか不思議と物憂げな眼差しをたずさえている。


 ネビロスは人形を抱えているという以外に得物は分からなかったが、ベリアルの方は大鎌サイスを取り出してきた。ただし、夢魔サキュバスのリリンのものとは異なって、柄の両端にそれぞれ刃が付いている特殊な形状のものだ。もしかしたら、双剣のように両手で持てるタイプかもしれないと、ノーブルも警戒した。


 そのベリアルが両刃鎌を持って前衛に立って、ネビロスが後衛について戦闘態勢を整えている。


 もっとも、そんな二人に対して――


「さて、両人よ。先ほど、私たちに死んでくれ、という話を持ちだしてきたわけだが……はてさて、私たちが戦う必要性が本当にあるのかね?」


 ノーブルは片手剣を構えながら冷静に尋ねた。


 この二人の目的が第六魔王国への訪問だということは容易に想像がついた。


 実際に、二人の会話の中にここが第六魔王国かどうかとあったし、またモノリスの試作機から得た報告によると、現在第六魔王国には蠅王ベルゼブブと死神レトゥスが非公式に訪問済みで、それぞれの陣営にセロを勧誘してきたとのこと。


 その死神レトゥスのもたらした話だと、第一魔王こと地獄長サタンはセロを認めずに潰しにかかってくる可能性が高いとされていた。


 となると、今回、なぜネビロスとベリアルが第七魔王国の墳丘墓にやって来たのかはよく分からないが、いきなり喧嘩をふっかけてきたように友好的でないことは確かだろう。ただ、蠅王ベルゼブブや死神レトゥスと同様に、セロと接触したいと望んでいる可能性までは否定出来ない。


 すると、ベリアルが唐突に、「あー」と気のない声を上げた。


「何で戦うんだっけか、ネビロス?」

「貴方は救いようのない阿呆ですね、馬鹿ですね、鳥頭ですね、死ねですね」

「はあ、何だと?」

サタン様はこう仰っていました――」


 ネビロスはそこで言葉を切ると、手に持っていた人形に話させた。


 いわゆる腹話術だ。ただし、残念ながら口パクがバレバレなほどに下手くそだった……


「第一魔王国にとって利益にもならない連中だったら滅ぼしてこい」


 ネビロスの腹話術が終わると、ベリアルが「んー」と、ぽりぽりと頭を掻いた。


「そういやそうだったなあ。で、どうだ? お前から見て、こいつらって良い感じか?」

「少なくとも、そこの元勇者と名乗った男はそれなりに戦えます。見込みはあるでしょう。地獄でも一兵卒程度には使えるのではないでしょうか」


 その言葉で、ノーブルの周囲にいた者たちの表情は固まった。


 ノーブルは第六魔王国でも指折りの実力者だ。ルシファーと対峙してからは、実力不足を痛感して、最近では筋トレにもよく励んでいる。もっとも、このレベルの実力者が果たして筋トレ程度でどうにかなるのかという疑問もあるにはあるが……


 そんなノーブルをもって、ただの一兵卒とは――いったい第一魔王国はどれほど精強な軍事国家なのかと、皆が愕然としたのは当然だろう。


 とはいえ、ノーブル自身は冷静だった。


「ほう。高名な第一魔王国に一兵卒として迎え入れてくれるのなら光栄なことではないか」


 そう言って、二人に友好的な微笑を向けると、さらに言葉を付け加えた。


「だが、断る。第一魔王国なぞ所詮、地獄長サタンに恐れをなした魔族どもの烏合の衆。興味などさっぱりと持てない」

「言うじゃないのよ、吐くじゃないのよ、粋がるじゃないのよ、死ね」

「ははは。俺は逆に貴様に興味を持てそうだぜ」


 次の瞬間、ノーブルはベリアルの強い殺気を感じ取った。


 戦闘開始の合図だ――


 だが、すぐ眼前にはいつの間にか、銀髪のネビロスがいた。長い爪をノーブルへと剥き出しにしている。


「ちい!」


 ノーブルは呻った。


 ネビロスの本体は少女ではなかった。黒髪の人形の方だったのだ。


 つまり、ネビロスは傀儡くぐつ使いだ。てっきり搦め手による遠距離タイプだと想定していたので、後衛からいきなり近接戦に切り替えてきたことで、ノーブルもつい油断してしまった。


 その傀儡の爪を片手剣で何とか弾いて、ノーブルはもう一方のベリアルに備えた。


「おいおい、よそ見していていいのかよ?」


 すぐ背後から声がした。今度はベリアルだ。


 両刃鎌を回すようにして、その遠心力でもってノーブルの片手剣を大きく弾いた。


 そして、がら空きになった体に向けて、銀髪のネビロスが爪を向けて突っ込んできた。先ほどまであれだけ口喧嘩を含めて反目し合っていたのに、まさに息もぴったりの連携だ。


 なるほど。これまた相手を油断させる為の策だったのかと、その小狡さにノーブルはたまらなくなって、「ちい!」とまた舌打ちした。最早、出し惜しみしているときではなかった――


「悪なる存在から守りたまえ! 『聖防御陣』!」


 ノーブルは法術による聖なる結界を張って、悪魔の二人を瞬時に押し出した。


 もっとも、押しのけただけで、ネビロスにも、ベリアルにも全くダメージは与えられていない。どうやら二人とも、聖防御陣が迫りくる前に、咄嗟にバックステップしたようだ。名の通った悪魔だけあって、やはり相当に戦い慣れているなと、ノーブルも改めて気を引き締めた。


「面倒臭いわね、むかつくわね、やれやれよね、死にやがれ」

「ほほう。やるじゃねーかよ」


 ノーブルは背後にちらりと視線をやった。


 先程から第二聖女クリーンたちが全く援護してこなかったことに不安を覚えたのだ。


 すると、クリーン、ダークエルフや吸血鬼たちは大量の生ける屍リビングデッドに囲まれて応戦している最中だった。それもただの亡者ではない。おそらくネビロスによって強化された者たちだ。


 この墳丘墓内には『光の護符』が張ってあって、新たに亡者が出現ポップアップすることは無理だろうから、ネビロスによって新たに召喚されたのだろう。しかも、銀髪のネビロスを操りながら、亡者たちまで操作しているようだ。


 クリーンたちならばあの程度の亡者など敵ではないはずだが、不死王リッチが召喚していた不死将デュラハンよりもよほど強くて、連携まで取れている。


魔力マナを制限されて、いまだに不安定でも、これほどのことが出来るのか……」


 これにはノーブルも舌を巻くばかりだった。


 先ほど容易に退けられるなどと考えてしまったが、その見通しはかなり甘かったわけだ。


 そういえば、セロと戦ったときも、相手の戦い方を見定めずに敗北したのだったなと、ノーブルはつい苦笑を浮かべてしまった。


 人族だった頃に勇者として強大な力を得て、さらに魔族となって不死性を持ったことで、どうやらずいぶんと油断する体質になってしまっていたらしい。


「やれやれ。これは大反省会だな」

「はん。どうせ俺たちが実力を出せないと、甘く見ていたくちだろう?」


 すると、ベリアルに図星をつかれて、ノーブルは口の端を歪ませた。そのベリアルがさらに話を続ける。


「まあ、実際にその通りだぜ。間違っちゃあ、いない。事実、俺たちは地下世界にいるときほどの力をここじゃ出せない。理由はしごく単純なものさ」


 そこまで言って、ベリアルはなぜか天を指差した。


「神を気取った、ぶっ壊れの人工知能『深淵ビュトス』が――今でも地上をモニタリングしているからな。登録されたいにしえの魔族が出現したら、天使コピーどもが大挙して排除しにくるって寸法さ。ただ、一定以上の魔力マナには反応しないらしい。だから、俺たちはこうして力を制限している」


 もっとも、ベリアルは大袈裟に肩をすくめてみせてから、なぜか含み笑いを浮かべた。


「まあ、俺としてはそんな天使どもを皆殺しにした方がよっぽど楽しめそうなんだけどな」

「止めてください。よしてください。死んでください。余計なことをするとサタン様に怒られますよ」

「はあ。分かったよ。じゃあ、こいつをぶっ殺す程度に魔力を開放してやるか。おい、三下。本物の魔族の力をよく見て死んでいけ」


 直後だ。


 ベリアルの魔眼が金色に妖しく煌めいた。


 ノーブルは呆然とした。これまで強い魔族と戦ってきたことはあった。セロも。アバドンも。内包する魔力量は桁違いだった。


 だが、ベリアルは違った。量ではない――なのだ。


 たとえ制限されていても、不安定であっても、刃物のように研ぎ澄まされた純粋な魔力の塊のようなものをまざまざ見せつけられて、ノーブルは喉もとに刃先でも突き付けられた思いに駆られた。


「これが古の魔族の力だというのか」


 刹那。


 ベリアルは両刃鎌をぐるりと回しながら、ノーブルに突進してきた。


 聖防御陣は鎌の連撃であっけなく破壊された。それを目の当たりにして、ノーブルは「ふう」と小さく息をつくと、決死の覚悟で片手剣を中段に構えた。


 が。


 そのときだった。


「「今こそ、守護せよ――『聖防御陣』!!」」


 どこからか、二人による祝詞が重なった。


 そして、強固になった聖防御陣は再度、ベリアルを弾き飛ばしたのだ。


「くそが! 何だよいったい!」


 次の瞬間、墳丘墓の入口に殺到していた亡者は赤い・・水弾の一斉掃射によって倒れていった。


 宙を見ると、巨大ゴーレムの『かかしストライクフリーダム』と『かかしインフィニットジャスティス』が浮いていた。「浮遊城から先ほど出立した」と連絡があったのに、もうここに着いたというのうか。


 ノーブルが唖然としていると、その大きな掌に巴術士ジージが乗っていることに気づいた。


 どうやらジージとクリーンが息を合わせて法術を唱えてノーブルを守ってくれたようだ。


「やれやれ、お主は変わらんな。油断大敵じゃろうに。いつも相手のペースで戦う癖がある。冷静に対処すれば、敵わん相手でもなかろうて」

「大丈夫ですか、ノーブル様?」

「ああ、二人ともすまない。助かったよ」


 ノーブルがそう応じるも、宙を見上げたまま首を傾げた。


 というのも、それらゴーレムのさらに上空には浮遊城とはいかないまでも、巨大な船があったからだ――強襲機動特装艦こと『かかしエターナル』だ。


 その砲台には巨大化したイモリたちがいて、口を開けて、ネビロスとベリアルに照準を定めていた。


「ちょい待てよ。なあ、ネビロス。あれって……もしかしなくても……超越種だろ。ヤバくね?」

「ガチヤバいです、マジヤバいです、死にますよ?」

「どうするよ?」

「どうしようもないでしょう。死にたいなら構いませんが」

「いいや、さすがにお使いも出来ねえってサタン様に怒られるのは御免だぜ」

「では?」

「ああ、しゃーねえ」


 ベリアルは両刃鎌をぽいと投げ出した。


 ネビロスも傀儡である銀髪の少女を停めて、黒髪の人形の方がぴょんと飛び降りてくる。


 こうして、二人はその場にしゃがみ込んで三つ指をつくと、先ほどまでの態度とは打って変わって、丁寧にこう告げたのだった――


「「第六魔王国には利益しかありません。もう戦いません。本当にごめんなさい」」



―――――


一度サタンに負けて「ごめんなさい」して配下になっているので、どうやらネビロスもベリアルもこういう世渡りだけは上手なようです。ちなみに次話で、「浮遊城から先ほど出立した」のにもう墳丘墓に着いた件については説明します(大したことでもないけど)。

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