第209話 墳丘墓の遭遇戦
肝心の暗殺対象こと第二聖女クリーンが不在なのに、暗殺者が大挙してお礼参りにやって来るわけだから、泥竜ピュトンの暗躍がなくなって以降、いかに王国の諜報活動が腑抜けになってしまったか、よく分かるというものなのだが……
……それでは果たして、クリーンがこのときどこにいたのかと言うと、
「相変わらず、この地はじめじめとしていて不快な場所ですね」
実のところ、クリーンは西の魔族領こと湿地帯を突き進んでいた。
第七魔王の不死王リッチがいなくなったとはいっても、ここは古の大戦以降、フィールド効果で
以前は墳丘墓に向かう者を優先的に排除していたが、現在は不死王リッチによる命令がなくなって、亡者本来の闘争本能に従うようになったのか、生者を見かけると一斉に襲いかかってくる。
とはいえ、
「やれやれですね。かつて勇者パーティーと一緒に来たときとは雲泥の差です」
クリーンはそう呟いて、バーバルのことを懐かしんで、苦笑するほどの余裕まであった。
前回、この湿地帯を抜けようとしたときには大量の亡者に加えて、不死将デュラハンの登場もあって、ずいぶんと手こずらされた……
それが今ではほとんどフリーパスみたいなもので、クリーンは一度として馬車から下りることすらしなかった。
もちろん、その馬車も
その小舟を引いているのは
今も手綱にはヤモリが張り付いて、「キュイ!」と鳴くと、スレイプニルは「ひひーん」と
「それはそうと……この墳丘墓は王国の大神殿とはやはり
遠目に目的地が見えてきて、クリーンはおもむろに目を細めた――
第六魔王国の東領にある砂漠の旧神殿郡が古代ギリシア時代の廃墟に近いとしたら、こちらはエジプトのピラミッドとでも言うべきだろうか。
王国の大神殿は前者と類似性を持つので、かつて存在した帝国と、現在の王国とは、同じ神かその系譜を信奉していた可能性が高い。
その一方で、古の大戦によって湿地帯となったこの地方では、異なるものを祀っていたのかもしれない……
何にせよ、湿地帯の奥に佇んでいる墳丘墓は、今では古墳というよりも、むしろ要塞に近かった。おそらくここに引きこもった不死王リッチが色々と手を加えたのだろう。
「そういえば、『火の国』のドワーフたちもまた異なる信仰を持っているんでしたっけ」
クリーンは首を傾げつつも、馬車から降りて、墳丘墓入口の階段を上がっていった。
王国の大神殿が信仰するのが『
さすがにクリーンは聖職者なので異神を積極的に認めてはいないが、それでもこの世界には亜人族が信奉する土地神とでも言うべき四竜も存在しているし、地下世界の魔族は明らかに『深淵』とは敵対しているし、さらにこの大陸西の地方には『深淵』とは明らかに異なる信仰があった――
「かつての統治者を神格化して、その勢力争いを神々の戦いなどと謳う向きもありますが……はてさて、この大陸では神代の時代にどのような争いが繰り広げられてきたことやら」
クリーンは遠い昔に思いを馳せながら、階段を上り切った。
「あら?」
すると、墳丘墓の入口でクリーンは目的の者たちにすぐに接触することが出来た。
墳丘墓内の探索の為にずっと以前にここに来ていたダークエルフや吸血鬼のチームと、クリーンに先んじて彼らと合流していた高潔の元勇者ノーブルだ。
「お久しぶりでございます。ノーブル様」
「うむ。聖女殿も息災で何よりです」
やはり
もちろん、ノーブルにしても聖女なら誰でもいいわけではなく、そうはいっても聖女の衣装は百年前とどうやら変わりがないようで、何にしても馬子にも衣裳――クリーンは他の女性よりも一際良く映ったようで、いかにも紳士的な態度でエスコートした。
もっとも、当のクリーンはというと、周囲にきょろきょろと訝しげな視線をやってから、疑問を口にした。
「ところで……こちらにはノーブル様ではなく、シュペル様やヒトウスキー様がいらっしゃると伺っていたのですが?」
クリーンがそんな話を持ち出すと、ノーブルは「こほん」と一つだけ咳払いをした。
実は、海竜ラハブが女海賊もとい妖精ラナンシーのもとに残していったモノリスの試作機に入った通信で、クリーンは急遽、ここで二人と合流する手筈となっていた。
もちろん、王国北西の貴族諸侯を三人で調略しつつ、王都へと向かう為だ。
すでに南西は辺境伯の呼び掛けに応じて、ほとんどがなびいているので、この調略の成功によって、王国西側全体が反体制派の旗の下に結束することになる。
その結果として、本物のクリーンと、ラナンシーが扮したクリーンによる二方面作戦で敵を欺きながら進軍していく段取りだった。
だが、肝心のシュペル卿とヒトウスキー卿の姿がない上に、予定になかったノーブルがここに来ていた。
ということは、もしかしてクリーンが湿地帯を移動している間に、作戦変更を余儀なくされる出来事でもあったのかと、さっきから首を傾げていると、
「実は、シュペル殿とヒトウスキー殿に急用が出来てしまったのだ。今はエルフ絡みの対応に追われているらしい」
「エルフ……ですか?」
「もしかしたら、セロ殿はエルフの大森林群に迎え入れられるかもしれん」
「そ、それは! 帝国の内戦以降……初めての快挙ではないですか?」
クリーンは驚きのあまり、ぽかんと口を開けた。
かつて第三魔王こと奈落王アバドンに対抗して、人族、エルフとドワーフが手を組んで、結果として敗北してからというもの、ドワーフの『火の国』以上に、エルフの大森林群に他種族が足を踏み入れることはなくなった。
それでも『火の国』は交易の為にハーフリングの商隊を迎え入れてはいるが、エルフたちはそれすら拒んでいる。
唯一の他種族との繋がりといったら、いわゆる『古の盟約』があって、王国はこの協定によって溜飲を下げている側面もあることから、もしセロの訪問が人族に伝わった場合の衝撃は計り知れないものになるだろう……
「それに加えて、私もしばらく砦を不在にしてしまったからな。ここに来るついでに様子を見に行きたかったので、こうして志願したというわけさ」
「そうでしたか。では、シュペル様とヒトウスキー様がいらっしゃるまで、こちらで待機ということになるのでしょうか?」
「ああ、そうなるな。とはいっても、それほど時間はかからないはずだ。ドゥ殿とディン殿の巨大ゴーレムが二人を連れてくる予定で、実のところ、浮遊城から先程出立したと連絡が入ったばかりだ。明日には到着する手筈だよ」
ノーブルはそう言って、手もとのモノリスの試作機を見せた。
「畏まりました。ところで、墳丘墓内で亡者はまだ湧いていますか?」
「いや、問題ない。すでに墳丘墓内の探索チームが亡者を一掃して、アイテムの『光の護符』などで再発生しないように対策してある」
「では、あとは私かノーブル様が『聖防御陣』を張って、外にいる亡者たちが侵入してこないようにすればいいわけですね?」
「その通りだ。もっとも、不思議なことに外にいる亡者たちは墳丘墓内に入ってこようとはしないがね」
「どうしてでしょうか?」
「この長い階段がネックなのだろうな。生ける屍たちは足腰が強そうに見えないからな」
「たしかに……では、ここでキャンプでもいたしましょうか」
「ああ。もうテントは張ってあるから、聖女殿は旅の疲れでも取るといい。何ならヒトウスキー殿の言っていた泥風呂がある場所も、一通りの安全はすでに確認済み――」
そのときだ。二人は同時に墳丘墓の入口階段の踊り場に視線をやった。
あまりにも禍々しい
何にしても、ダークエルフと吸血鬼たちは臨戦態勢を取った。ノーブルもクリーンを背にして、片手剣を構えた。
すると、二人の人族らしき者が階段をゆっくりと上がってくる――
「おやあ、吸血鬼がいますよ。無事に第六魔王国に来られたのではないですか?」
「だがよ。人族やダークエルフまでいるぜ? やっぱ、ちげーんじゃねえのか?」
「そもそも、貴方が、ここらへんでいーじゃねーか、とか言い出して、
「うっせーな。降魔の為に仮死になる必要があるとかほざいて、俺を殺しにかかってきたからだろーが。不可抗力だよ」
「事前に説明したではないですか。聞いていなかっただけでしょう?」
「ちい。悪かったって。まあ、でも、ここが第六魔王国なのかどうか、目の前にいる奴らを適当に殺して聞き出せばいいだけじゃね?」
そんな物騒なことを言って、ノーブルたちの前に踊り出てきたのは一組の若い男女だった。
男はいかにも軽薄そうな美青年で、女の方はドルイドのヌフをさらに陰気にしたような少女だ――
人族の姿をしているが、明らかに内包している魔力の量と禍々しさが違う。つまり、魔族だ。しかも、魔王級……いや、下手をしたらルーシーや
ただ、いまだに放出する魔力に揺らぎがあって、何らかの制約の為に本来の力を出せないのか、もしくは出すことを禁じているといったふうでもあった。
そんな二人に対して、ノーブルが一歩だけ進んで声をかけた。
「高名な魔族とお見受けする。私は元勇者のノーブル。今は第六魔王こと愚者セロ殿の食客をしている」
二人が第六魔王国の話をしていたので、ノーブルがあえて情報を与えてみると、
「ほーら、見ろよ! やっぱ、ここが第六魔王国じゃねーか」
「ふむん。では、ここにいる者はとりあえず皆殺しにしましょうか。セロとやらに対する見せしめにちょうどいいかもしれませんね」
「おい、ノーブルだったか? 元勇者と言ったなあ。おい?」
そんなふうに青年の方が問いかけてきたので、ノーブルは「そうだ」と肯いた。
「はん! 昔は勇者が魔王になって驚かされたもんだが、今は勇者が魔王の配下になる時代かよ」
「私たちも年を取ったものです」
「まあ、いいさ。俺は第一魔王こと地獄長サタン様に仕えている――悪魔ベリアルだ」
「私はネビロスと申します」
「とりあえず、ここで全員死んでくれ」
「ええ、死ね」
こうして不運な遭遇から望まぬ戦闘が始まろうとしていたのだった。
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