第207話 大森林群への招待

せつがセロに提供出来るのは――とある情報だ。吸血鬼という存在にまつわる真実だよ」


 エルフの現王ドスや狙撃手トゥレスの兄に当たるウーノの遺体に寄生した死神レトゥスがそう言うと、セロはすぐさまルーシーやリリンへと視線をやった。


「…………」

「…………」


 だが、二人とも無言で、いかにも訝しげに頭を横に振るだけだった。


 吸血鬼の真実などといきなり大層なことを言われても、さすがによく分からないし、見当もつかないらしい……


 おそらく真祖カミラが元人族で勇者だったことから、そのあたりに関係してくる話だとは予想出来るのだが、さすがにセロでもそれ以上は見当がつかない。


 こういうときには古の時代を生きた人造人間フランケンシュタインエメスに聞くのが一番なのだが、モノリスの試作機がぴくりとも振動しないということは、エメスにも判断つかないか、もしくは対象自動読取装置セロシステムを通じて地下深層の司令室で様子見をしているのかもしれない。


 ためしにドルイドのヌフとも目を合わせてみたが、ヌフでも「んー」と首を傾げている。


 エメスの次に長く生きているダークエルフの最長老でさえも予想がつかないのだから、世界の開闢かいびゃくの時期の出来事か、そうでなければずっと闇に秘されてきた事柄なのかもしれない……


 あるいは存外、先ほどの話の延長線上で、カミラ、エルフのドス、それにルーシーたちといった親子関係にまつわることなのだろうか……


 何にせよ、なぜ死神レトゥスがそんな真実を知っているのか――


 もっとも、その点についてだけはセロでもわりと簡単に予測はついた。


 実際に、死神レトゥスも先ほどヒントを出してくれたばかりだ。おそらく非業の死を遂げた者の魂が霊界に行きついて、そういった者たちから情報を仕入れたに違いない。


 逆に言うと、この死神レトゥスは地下世界でも相当な情報通だということだ。


 エメスが知っている古の技術然り、今も王国に仕掛けている諜報戦然り、情報は何より力だ。最近、セロはそのことをよく思い知らされたばかりだ。


 だから、これは気を引き締めてかからないといけないなと、セロは「ふう」と短く息をついた。


「さて、と」


 同時にまた、決断するときだった。


 このまま死神レトゥスを手ぶらで返すのか。それとも、同盟への道筋をここで作っておくべきか。


 すると、ちょうどそのときだ。


 ぷーん、と。


 セロの周りを蠅が飛んでいた。


 しかも、セロが結論を告げようかというタイミングで鼻先にぴたりと止まる。


 セロは「むっ」として、鼻先を両手で叩こうとしたが、手を上げたとたんに、なぜか広間のバルコニーから声が掛かった。


「セロ、だめー!」


 モタだ。よりにもよって勢いよくセロの背中へと飛び込んできた。


 ちょうど叩き潰そうと集中していたせいもあって、セロはモタに背後から抱き着かれたまま椅子ごと前のめりで倒れてしまった。蠅はというと、またぷーんと、飛び立って、今度はエルフの遺体ことウーノにまとわりつく。


 セロは床に倒れたまま、モタをどかしながら唇を尖らせた。


「いったい何なんだよ、モタ?」

「ごめーん、セロ。でも、その蠅さんはわたしの友達なのさ」

「蠅が友達?」

「にしし。この子、結構賢いんだよー」


 そんなモタの返事に対して、ウーノの遺体こと死神レトゥスは片手で蠅を払いながら「はああ」と深いため息をついてみせた。


「当然さ。賢いに決まっている。いや、狡賢いと言った方が正確だろうけどね。ところで、蠅王ベルゼブブよ。いったい、こんなところまで何をしに来たんだい?」


 直後、広間の空気が凍った。


 まず全員が「またモタか」と白々とした思いに駆られつつも、次に地下世界最強を誇る第二魔王の登場に警戒した。


 そんな肝心の蠅はというと、モタの付近にぷーんと寄って、鼻先に止まった。


 それからモタがぶるぶると一瞬だけ小刻みに震えると、蠅はまるでモタを傀儡にでもしたかのように優雅に皆に挨拶をしてから、自在に言葉も発してみせる。


「それはこっちの台詞なのだ。どうして死神なぞがここにいる? ここは我輩の遊び場なのだ。許さないのだ。理由如何によっては霊界ごと潰すぞ」


 モタの普段の言葉遣いとは若干違うが、傍若無人ぶりはさほど変わらない。むしろドスがきいていて、凄みが増している。


「ふん。ちょっとした観光さ。たまには地上で日でも浴びたくなったんだよ」

「嘘つけ! どうせそこの第六魔王を勧誘に来たのだろう? 先駆けとは卑怯だぞ!」

「たまたま『魂寄せ』の機会を得ただけだ。そう目くじらを立てるな。というか、それよりも卑怯と言うならそちらはどうなのだ?」

「う! いやあ、た、たまたま……このハーフリングに召喚されたのだ。もっとも、瓶が壊れたおかげで、今ではこれっぽっちの残滓だけになってしまった」


 その瞬間、セロと死神レトゥス以外の全員が「あっ」と口を開けた。


 当然のことながら、セロは媚薬騒動については知らないし、また決して知らせてもいけない。せっかく女豹大戦が終わって、何とかきれいに丸く収まったのだ。今さら、全員雁首揃えて叱責など受けたくはない……


 とはいえ、そんな心配をする必要もなく、蠅王ベルゼブブと死神レトゥスの舌戦はしだいに過熱していった。


「何にしても、第六魔王よ。死神と手を結ぶのだけは止めておけ。こやつの霊界はあまりにもブラックな環境なので、配下リッチにも逃げられる始末だ。ろくなことにならんぞ」

「それを言うなら、そちらこそパワハラで有名じゃないか。セロよ。魔界は古株の魔族が幅を利かせるような封建社会だ。いや、文字通りのデスマーチの軍隊生活だ。新しく加わっても、使い倒されるだけだぞ」

「魔族は力こそが全てだ。パワハラのどこが悪い?」

「魔族には不死性があるんだ。死ぬほど働くことこそ本望のはずだろう?」

「むむむう」

「うぐぐぐぐ」


 仲が良いのか悪いのか、よく分からない二人だ。


 何にしても、傍から見ている分には腐乱死体のエルフと、やけに威張ったモタとが睨み合っているだけだから大した問題でもないように思えるが、一応はあれでも地下世界を統べる二人の魔王らしい……


 セロはやれやれと肩をすくめつつも、さてどうしようかと首を捻った。


 すると、そんなタイミングで広間に入ってくる者がいた――エメスだ。対象自動読取装置で見ていたこともあって、ある程度の事情を理解した上でやって来たようだ。ただ、その両手に大きなお盆を抱えていて、そこにはなぜかゲル状・・・になった何かが入っていた。


 長い耳がぽよんと角のように浮いている……


 勇者パーティー時代によく見慣れた弓矢や貫頭衣はそばにいた人狼メイドのトリーがきちんと整頓して手にしている……


 見紛うはずなどなかった――どうやらこれはエルフの狙撃手ことトゥレスの変わり果てた姿のようだ。


 ……

 …………

 ……………………


 それを見るなり、さすがに地下世界の魔王二人を含めて全員が沈黙した。


 すると、エメスはすまし顔で、いかにも何事もないといったふうに小さく肩をすくめてみせた。


「お待ちください。誤解しないでいただきたい。本人がこうなりたいと望んだのです。そうですよね?」

「――――」


 もちろん、ゲル状だから答えるなど出来やしない。


 だが、エメスは盆に耳を近づけて、「ふむふむ」と聞き取った素振りをすると、


「ほら、本人もそう申しております。終了オーバー


 しれっとそう言ってのけた。


 これには蠅王ベルゼブブも死神レトゥスもドン引きしたのか、それぞれ片頬を引きつらせた。もしかしたら、第六魔王国は魔界や霊界よりもよっぽどひどい場所なのかもしれないと、薄々気づき始めたわけだ。


 それはともかく、ウーノに取り憑いた死神レトゥスは会釈すると、


「古の大戦以来だな。人造人間エメスよ」

「ふむ。達者のようで何よりだ。どうだ。貴様も我のもとに来るか?」


 同時に、モタを傀儡のように動かして蠅王も声をかけた。どうやら二人とも、エメスとは面識があるらしい。


 エメスは目礼だけ返すと、セロに向いて報告を始めた。


「つい先ほど、このトゥレスとかいう耳長族から必要な情報の聞き取りを済ませました。どうやら真祖カミラはエルフの現王ドスと共に、現在エルフの大森林群に滞在しているそうです。また、トゥレス自身はセロ様を聖なる森に招待する為にやって来たとのこと。さて、如何いたしますか? 終了オーバー






 人造人間フランケンシュタインエメスがセロに対して大森林群への招待の件を報告したときだ。


 ちょうど同じ頃、その者・・・は古井戸の秘密通路を通じて、第六魔王国の魔王城の地下階層に姿を現した――人狼だ。だが、人狼のメイドは二十人ほどいるが、その誰にも当てはまらない。


 そもそも、本当に人狼なのかどうかすら怪しい……


 というのも、その者には人狼特有の嗅覚、もしくは野生的な身振りや素振りといったものが一切見受けられなかったからだ。


「おや、まあ、しばらく来ない間に、地下牢獄が様変わりしていますね。やはり第六魔王が代替わりしてからこっち、この国はずいぶんと変化したようです」


 その者はそう呟くと、廊下の角から地下深層にある司令室を覗いた。


 そして、すぐに驚愕した。迷いの森のダークエルフ、それに爵位持ちの吸血鬼に加えて、人族の冒険者らしき者たちが忙しくなく活動していたからだ。


「ほう。真祖カミラの統治時代には見られなかった光景ですね。浮遊城を動かしたことといい、これはどうやら過小評価してはいけなそうです。まずはじっくりと新しい第六魔王の手腕を見定めることにいたしましょうか」


 直後だ。


 その者は認識阻害によって自身の姿を一瞬で消失させた――


「あれ? おかしい……」


 そう疑問を呈したのは、人狼メイドの掃除担当のドバーだった。


 おそらくわずかな気配の変化を感じ取って、ドバーはここにやって来たのだろう。さすがは掃除担当と言うべきだが、鼻をくん、くん、と鳴らして、次いで被っているフードを取って獣耳を立てるも、


「気配が消えた……」


 それだけ呟いて、しばらく廊下に佇んだ。


 そのときだ。地下階層の階段を下りてくる者が複数いた。ダークエルフの精鋭たちだ。もっとも、侵入者に気づいてやって来たわけではなく、定時巡回のようだった。


「おや、ドバーさん。こんなところでどうかしたのですか?」

「エメス様は?」

「え、ええと……今は玉座の間に行ってらっしゃいますよ」

「分かった。ありがとう」


 ドバーは精鋭たちに礼を言うと、足早に階段を上がっていった。


 ダークエルフの精鋭たちはというと、互いに顔を合わせてから首を傾げるも、廊下を目ざとく確認して「異常なし」と呼称して、いったん司令室に入っていった。定時巡回の休憩室がそこにあるからだ。


 次瞬、その者は認識阻害を解いてまた姿を現した――


 今度は吸血鬼に変じていた。人狼が希少な種族だと知っていて、第六魔王国で最も多いはずの種を選んだようだ。どうやら相当に手慣れた侵入者のようだ。


「ふう。驚きましたね。人狼の身体能力がずいぶんと上がっています。それにダークエルフもあれほど屈強な力を持っていたでしょうか。私め・・でなければ、この時点で気づかれたところでしたよ」


 その者は若干反省した様子を見せるも、すぐに小さく笑ってみせた。


「くく。さて、それでは案内してもらいましょうか――前第六魔王こと、吸血鬼の真祖カミラのもとにね」

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