第204話 古の盟約

 エルフの狙撃手トゥレスは跪くことなく、セロの前では立礼だけで済ました。


 これにはさすがにセロのそばで控えていたダークエルフの近衛長ことエークが顔をしかめてみせると、


「無礼だぞ! そこの白い耳長族よ!」


 と怒鳴って、片手剣を抜きかけた。


 だが、セロは片手を上げて制して、「構わないよ」と穏やかに言った。


 本来、王の御前なのだから、たとえ交誼を結んでいなくとも、跪礼などで恭敬を示すのが最低限の礼儀作法であるはずなのだが……実のところ、エルフについてはその限りではなかった。


 というのも、エルフは大陸で最も誇り高い種族として知られている。


 もちろん、四竜の庇護や加護を受けているダークエルフ、ドワーフや蜥蜴人リザードマンなども、頑固かつ偏屈な亜人族だとみなされているが、それら三種族と比しても、エルフの高慢さは群を抜いていると言われてきた。


 実際に、エルフは大森林群から出てくることがほとんどなく、交易どころか、たまに訪れてくる他種族とも口をろくにきかない。さらには近隣の他種族とは緊張関係にあって、南の魔族領の竜たち、森林奥の山々に棲息する有翼ハーピー族とは常にいがみ合っている。


 海竜ラハブをして、「新年早々に耳長族にちょっかいをかけるのが唯一の挨拶」と言わしめるほどで、千年以上の引きこもり実績のあるドルイドよりも、よほど話が通じないと呆れられるほどだ。


 かつては帝国内戦の際に、人族、ドワーフと協調して、天使から魔王に転じたアバドンを討伐しようとしたこともあったが、その敗北を機に、より固陋ころうとなってしまった。


 そんなこともあって、狙撃手トゥレスが勇者パーティーにいた頃も、王国の現王の前には出て行かずに客間でずっと待機していたし、誰かに対して礼を口にしたことも一度としてなかった。


 それでも許されてきたのは、長らく王国とエルフの大森林郡の間に『いにしえの盟約』と呼ばれる約定があって、エルフの生態がそれなりに王国民にも知られていたからだ。


 つまり、そのときと同じ態度をトゥレスは第六魔王国でも示しているに過ぎないわけだ。


 もっと言うと、あくまでもセロの観点からすれば、勇者パーティーでそれなりにお世話になったトゥレスに跪礼などされたくなかった。女聖騎士キャトルの父であるシュペル・ヴァンディス侯爵にも普通に接してもらいたいぐらいなのだ。


 まあ、シュペルとは最近、温泉宿泊施設の赤湯などで裸の付き合いが出来るようになってきたが、さすがにこのような公式の謁見の場だとそうもいかないらしい――


 何にしても、そのシュペルはというと、地に膝を突けたままで言葉を続ける。


「それではエルフのトゥレスよ。第六魔王の愚者セロ様に説明を願いたい」


 すると、トゥレスはこくりとだけ肯いた。


「ところでセロは――」


 と、トゥレスが言いかけた瞬間だ。


 エークが片手剣をまたトゥレスに突き出した。


「貴様! 無礼にも程がある。様を付けろ! この血色の失せた耳長野郎めが!」

「ふむ。これではいつまで経っても話が進まん。それと貴様こそ、ガングロ耳長野郎ではないか。言葉を慎め」

「何だと! 前々からふざけたやつだと思っていたのだ。いいだろう。ここで決着を――」


 と吠えた瞬間、ぽこんとエークの頭は杖で叩かれた。


 ドルイドのヌフだ。先ほどまで玉座の間にはいなかったはずだが、どこからともなく現れ出てきた。


 これにはエークだけでなく、トゥレスも気配を察することが出来ずに驚いたようだが、どうやらヌフは自身に認識阻害をかけてこっそりとこの場を見学していたらしい……


 セロのすぐ隣で座っていたルーシーでさえも気づかなかったほどだから、やはりこの分野に関してはヌフに一日の長があると言っていい。


 そんなヌフがセロに対してぺこりと頭を軽く下げた。


「セロ様、申し訳ありません。うちの若い者がご迷惑をおかけしました」

「い、いや、別に……いいけど」


 認識阻害で隠れていたことの方がよっぽど迷惑な気もしたが、セロは言い出せなかった。


「それとエルフのトゥレスよ。ドルイドとして命じる。セロ様に礼を尽くせ」


 ヌフがそう言ったとたん、トゥレスは即座にシュペルたちと同様に膝を地に突いた。


 これには、セロも、ルーシーも、驚かされたが、何にしてもエークはいったん退場となったようだ。


 トゥレスの一挙手一投足にいちいち文句を言っていたらろくに話が進まないので仕方のないことだが、去り際にやや頬が緩んでいたので、トゥレスが跪礼をしたことで少しは満足出来たのかもしれない。


 もっとも、地下に連行されていったから、玉座の間で騒いだことに対する罰を受けることを性癖的に喜んでいたに過ぎないのだが……


 それはさておき、トゥレスはやっと話を切り出した。


「セロ様は古の盟約をご存じでしょうか?」


 急に畏まられたのでセロは面食らったものの、とりあえずその問い掛けに答えた。


「知っているも何も、王国民なら誰もが知っているものでしょ? 魔王討伐の為にエルフが勇者に協力するという約定じゃなかったっけ?」

「残念ながら、それは盟約の一面にしか過ぎません。より正確には、あまり知られていない三つの事実があります」


 トゥレスはそう言ってから、ヌフにちらりと視線をやった。


 これ以上のことを言ってもいいのかと、まるで一々確認でも取っているかのような眼差しだった。


 エルフとダークエルフが犬猿の仲だということもまたよく知られていたので、セロは二人の関係についてわずかに気にかかったが、とにもかくにも話の先を促した。


「一つ目は、この盟約はエルフと人族との間で結ばれたものではないということです」

「え? じゃあ、いったい誰と?」

「人族ではなく、天族です。現時点で言うならば、王女プリムに取り憑いている天使のモノゲネースとの間で結ばれていることになっています」


 トゥレスがそう答えると、セロは一瞬だけ訝しんだが、すぐに納得の表情を浮かべた。


 それも道理だろう。王国の現王に命じられて勇者は魔王討伐をする。その命じる者が人族を代表する現王だろうと、天族を代表する天使だろうと、そこにはさして矛盾はない。


 どちらにとっても魔族は宿敵だし、大神殿を通じて人族は神を信奉している。だから、その神に仕える天使が現王を通じて、勇者に魔王を討つように仕向けているといっただけの話に過ぎない。


 が。


 トゥレスの次の言葉でセロの表情は険しくなった。


「二つ目は、この盟約は魔王討伐とは全く関係ないということです」

「ちょっと待って、トゥレス。それじゃあ……いったい、何と関係あったっていうのさ?」


 セロは当然の疑問を発した。魔王討伐ではないとしたら、トゥレスはいったい何の為にセロたち勇者パーティーに付き合ってきたのか。


 トゥレスはしばらく無言になったが、「ふう」と小さく息をつくと、


「奈落の監視です。少なくとも私は勇者パーティーに所属して、王国の大神殿の地下や東の魔族領に忍び込むことでそれらの任務を行ってきました」


 なるほどな、とセロは思った。


 天族や魔族がいったいどうやって、それぞれの陣営にある奈落や軌道エレベーターを確認しているのか、ちょうど疑問だったところだ。つまり、トゥレスはその密偵をやっていたらしい。


 とはいえ、古の盟約について、ある程度セロも認識を更新出来たわけだが、そうなるとより大きな疑問が湧いてくるというものだ。


 果たして、それがいったい、真祖カミラの潜伏とどういった関係にあるのだろうか――


 すると、トゥレスは視線をセロからルーシーへと移した。


 当然ながらルーシーは「いったい急に何だ」といったふうに眉をひそめるも、トゥレスの次の言葉に凍り付いてしまった。


「三つ目は、軌道エレベーターの保護です。天族に命じられて古の盟約を果たしている者は、実は私以外にも、もう一人おります。ドスという名のエルフの族長です。もっとも、ドスは族長だけあって大森林群から出てこないこともあって、一人だけでは盟約を果たすことが無理なので、元人族の勇者に依頼をして、これまで協力しつつ監視を続けました」


 セロは「まさか!」と声を上げた。


 元人族の勇者など、セロは二人しか知らない。一人は高潔の元勇者ノーブル。そして、もう一人は――


「はい。その協力者とは、勇者の真祖にして、吸血鬼の始祖とされるカミラに当たります。何より、ご存じなかったかと思いますが、そのドスという者は――」


 トゥレスはそこで言葉を切ると、ルーシーになぜか不可解な笑みを浮かべてみせたのだ。


「真祖に連なる三人の娘の実父・・に当たるのです」



―――――


明日から、火曜、木曜、土曜更新に変更となります。ご了承ください。

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