大森林群侵攻

第203話 秘密工作

 若女将ことモタはあまりの忙しさに目を回していた。


 何せ、温泉宿泊施設が満員御礼なのだ。週二、三ほどで働けばいいと大将のアジーンから言われていたはずだが、今の温泉宿は猫の手も借りたいような活況で休みなど望むべくもない……


 ためしにこないだ、アジーンに猫なで声で甘えてみたら、


「ねえねえ、アジーン?」

「どうしたのだ、モタよ」

「うんとさ。わたしってば……ここのところ働きづめじゃない?」

「ああ、よくやってくれている。感謝するぞ。それではな」

「ちょ! ちょっと待って。アジーン」

「だから何だ?」

「いやさあ。こないだ一緒に解説もやって、息もぴったりで、二人ともよく通じ合っているなと思って――」

「そうか。さすがはモタだ。手前てまえも二人一組で良いコンビだと考えていたのだ。というわけで、手前の仕事がこれだけ溜まっている」


 モタの言葉に被せるようにして、アジーンはどこからか書類仕事をどさっと取り出してきた。


 温泉宿泊施設の帳簿類だ。食材などの在庫、金銭のやり取り、必要な補修箇所とその見積もりなど、魔王城のことならば人狼メイド長のチェトリエが担当して、アジーンがセロを通じて承認をもらうのだが、この温泉宿ではアジーンが全て担っている始末だ。


 おかげで満員御礼のような状況になると、アジーンだけは手が回らなくなるので、そろそろ事務仕事担当の者を配置しようかと考えていたところだったのだが、どうやらモタは若女将としてそんなアジーンを心配してくれているらしい。


 もちろん、モタはそんな心配など微塵もしていないのだが、


「では、モタよ。この辞書十冊分ほどの書類を今日中に処理してくれるか?」

「ほへっ!?」

「いや、本当に助かった。礼を言うぞ。それではな」


 それだけ言うと、アジーンはそそくさと宴会場の方に向かっていった。


「…………」


 モタもさすがにその大きな背中を見送るしかなかった。


 せっかくモタ専用の研究施設が建設中で、そっちの現場に声掛けしつつ、これからはドルイドのヌフにも引けを取らない自堕落なニート魔女人生を歩んでやるぞと息巻いていた矢先のことだ。


「むむう。どうしてこうなったんー?」


 モタは書類の束を重ねて持ってよろめきながらも、何とか温泉宿の執務室に転がり込むと、ばたんきゅーと倒れてしまった。


 これでもつい数日前までは閑散としていたのだ――


 まず、聖騎士団と神殿の騎士団の大半が聖女パーティーと共に王国に帰ったこともあって、温泉宿の空室率が一気に上がった。


 第六魔王国に残ったのはシュペル・ヴァンディス侯爵と、その供回りの騎士たち程度だったし、人族の大使館があっという間に完成してからはそちらに移ったので、モタとしても約束通り、屍喰鬼グールの料理長フィーアやチェトリエと一緒になって、リリンに料理を教える余裕があったぐらいだ。


 また、ドワーフ族の大使館も同じくらいの時期に出来上がって、その周囲に幾つか火の国風の住居も建てたことから、ドワーフたちもそちらに移住していった。


 もちろん、食事や赤湯を求めて宿にはやって来るが、それでも夕方以降に過ぎない。


 そもそも当初は外交団という扱いだったが、隕石跡地などの調査なども落ち着いて、第六魔王国と火の国との同盟が正式になされると、働かざる者食うべからずということで、ドワーフたちも積極的に魔王国で仕事を求めるようになっていった。


 主には魔王国でのお酒の醸造や武器防具などの鋳造をやり始めたわけだが、何にしてもそんなふうに自立していったので、温泉宿は以前に比べるとずいぶんと静かになった。


「もうこのまま誰も来なくていいんじゃないかなー」


 そんなことを言って、「あ、痛っ」と、アジーンに頭を叩かれたほどだ。


 とまれ、こうしたのんびりとした状況に変化が訪れ始めたのは――ちらほらと冒険者たちがやって来るようになってからだろうか。


 騎士たちが王国に帰って、第六魔王国で飲める麦酒エールの美味しさ、赤湯の素晴らしさ、料理の独創性、温泉宿のおもてなしに加えて、魔性の酒場ガールズバーの存在を吹聴して回ったことで、命知らずの人族や亜人族の冒険者たちが北の魔族領に一気に訪れるようになったのだ。


「モンクのパーンチ先輩、ちいーっス」

「おう! よく来たな。ちゃんとヤモリさん、イモリさん、コウモリさんたちに挨拶してきたか?」

「もちろんっス。最初に目を合わせたときは死んだかと思いましたよ」

「はは。オレは実際に死にかけたからな。ここではちゃんと大人しくしておけよ」

「うっス!」


 とはいえ、冒険者たちはまだ良かった。


 そもそも数自体が少なかったし、大将のアジーンを見るなり縮こまって、迷惑などは一切掛けてこなかった。それに加えて冒険者たちからすれば、モタも『災厄の暴走絶望魔法少女』として王都のギルマスことマッスルのおけつを破壊した要注意人物として重要視マークされていたので、


「やっべ。モタさんだ。お前ら、目を合わすなよ」


 などと、一応は敬して遠ざけてくれた。


 モタが聖女パーティーの近況を聞こうと冒険者たちに近づこうとするも、「ひいい」とおけつを塞いで走り去っていく若手なんかもいて、「何だかなー」とモタも首を傾げたものの、古株の者たちはというと、


「おい、モタよ。あのときはよくもやってくれたな」

「めんごめんご」

「ふん。だったら、宿賃を少しはまけてくれよ」

「いいよー。最近、『女豹杯』でがっつり稼いだから、わたしは小金持ちなのだ」


 そんなふうにすぐに意気投合して、もとの関係に戻るあたり、モタの愛嬌の良さがうかがえたものである。


 が。


「モタよ。ちとよいか」


 突如、師匠の巴術士ジージが温泉宿にやって来て、くいくいと指先だけで「近くに来い」と合図してきたときに、モタは何だか嫌な予感がした……


「なーに、ジジイ?」

「ジージじゃ。まあいい。明日の夕方頃にわしの友人たちがやって来る」

「え? ここに?」

「他にどこに来るというのじゃ?」

「だって、ここは北の魔族領だよ。治めているのがセロとはいえ、魔王のお膝元なんだよ。ジージの友達って、あの偉そうな爺さん連中でしょ?」


 次の瞬間、ぽんっと杖で頭を叩かれた。


「とうに引退した公侯伯爵たちじゃ。わしの宮廷魔術師時代からの知り合いもおる。皆、年じゃから、出来るだけ丁重にもてなしてやってくれ」

「むむうー」


 まあ、老人の介護ぐらいならたまにはいいかとモタは頭を切り替えた。


 王国にいたときも似たような感じで接待してあげて、その後に金銭含めて色んなご褒美をもらったこともあった。


 モタは今、たしかに小金持ちになってはいたが、コネの大切さも重々承知していた。いずれ魔女として独り立ちするときに、パトロンは必要になるかもしれない……


 だが、その当日――


「えええー……いったい、何人いるのこれ?」


 モタは唖然とした。


 何しろ、いかつい上に壮健なジジババばかり百人近くが馬車の大行列を作ってやって来たのだ。


 いつの間にか、武門貴族の筆頭たるシュペルがその列の前で跪いていた。つまり、それほどの王国武門に連なるお歴々が集まってきたということだ。


「ほっほ。皆もよく来てくれたのう。ここは魔族領じゃ。地位も実績も関係ない。無礼講じゃと思って、どうか存分に楽しんでいってくれ」


 ジージがそう挨拶すると、武門貴族のジジババたちは「ほう。ここが戦場ヴァルハラか」とか、「まさか魔王国で寝泊まりすることになるとはな」とか、「どうせ死ぬなら珍しいところで死にたいわい」とか、もう言いたい放題だ。


 当然のことながら、モタに斟酌してくれる者など一人ももおらず、


「モタさんや。こちらに来ておくれ」

「いーや、こっちじゃ。飴ちゃんを上げるぞい」

「最近、腰が悪くてのう。おぶって温泉まで行ってくれんかね」

「わしゃあ、魔王と戦ってみたいのじゃ。魔王国という戦場で死んでこそ、武門貴族の本懐よ」


 こんなふうにしてモタは散々にこき使われた。


「ほへー。もうたくさんだよー」


 モタはくたくたになって、いっそ認識阻害でもかけて隠れようかと考えた。


 ジージは宴会場でちょうど旧交を温めている最中だ。これなら出し抜けるとモタは「にしし」と笑みを浮かべて、温泉宿からこっそりと出て行こうとした。


 すると、そんな認識阻害をあっけなく見破って、モタの肩を掴む者がいた――


「モタ殿、ちょうど良かったでおじゃる。急な話だが、明日、麻呂の友人たちもやって来るのでおじゃるよ」


 その瞬間、モタは天を仰いだ。


 その後のことは最早、言うまでもないだろう……


 ヒトウスキー伯爵を代表する旧門貴族のうち、放蕩貴族もとい可笑しな趣味人たちが大挙してやって来たのだ。


 今度はシュペルだけでなく、列の前に冒険者パーティー『調査旅団』のクライス・ハザードが平身低頭して畏まっている。どうやら旧門七大貴族の一つ、ヒデブ伯爵令嬢のハート様に粛々と挨拶しているようだ。


 すると、ヒトウスキー伯爵は「ほほ」と笑みを浮かべながら旧門の貴族たちに挨拶した。


「麻呂からは多くは語らん。けいらの曇りなき眼でこの国をよくよく見てほしいでおじゃる」


 当初は魔王国ということで、旧門貴族もいかにも恐る恐ると魔族たちに接していたが、温泉宿泊施設で赤湯を楽しみ、珍しい蛸料理に舌鼓を打ち、また麦酒を飲み、魔性の酒場で夢魔たちに鼻の下まで伸ばして、さらにはドワーフたちが打ちつける刀剣などに感心しつつも――


 夜になると、武門と旧門との分け隔てなく、温泉宿の宴会場に集まって、何やら喧々諤々の議論を交わし始めた。


 その周囲には、もちろん冒険者たちもついていた。よく見たら、王国を代表する冒険者パーティーもいる。英雄ヘーロスにも引けを取らない実力者たちが貴族たちの会話を聞きながら、今後の身の振り方を考えているわけだ。


 こんなふうして、若女将ことモタがあまりの忙しさにばたんきゅーとなった翌日――


 魔王城の玉座の間にてセロが着座すると、その御前でシュペル、ジージ、ヒトウスキーとクライスが跪いて、代表してシュペルが声を上げた。


「セロ様。武門貴族及び旧門貴族の主だった者たちは第六魔王国の支持を表明いたしました。王女プリムを擁する現行の体制派に対する工作、及び第二聖女クリーンを擁する反体制派……いえ革命派への支援について約束を取り付けた次第です」

「ありがとうございます、シュペル卿。ところで、真祖カミラに関する情報は何か得られましたか?」


 そこでセロは話題を変えた。


 先日、邪竜ファフニールからカミラが生きていると聞いたばかりだ。ならばいったい、どこに潜んでいるのか――


 北の魔属領なら他の吸血鬼たちが気づくはずだ。


 もちろん、大陸北西の迷いの森や砦内でもない。西の湿地帯ではろくに隠れられないし、墳丘墓にはとうに金銀財宝の回収も含めてダークエルフを中心とした捜索隊を送った。


 また、南西の島嶼国にもいなかったことは妖精ラナンシーや巨大蛸クラーケンからも報告を受けている。それに南の魔族領もあり得ない。東の砂漠でも見掛けなかったし、北東の火の国に滞在しるわけでもない。


 となると、可能性として最も高いのが王国だった。だからこそ、シュペルは慎重に言葉を選んだ。


「はい。その件につきましては、こちらの者から報告を申し上げたく存じます」


 そして、玉座の間にゆっくりと入ってきたのは――エルフの狙撃手ことトゥレスだったのだ。



―――――


お知らせです。明日の9月12日(火)から更新を火曜、木曜、土曜にいたします。ご了承くださいませ。

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