第202話 女豹大戦 お蔵出し

◆ラブストーリーは突然に


「あああーっ!」


 モンクのパーンチはかぱっと審査員席から落下すると、そのまま地下通路の斜面を滑落していった。


 とは言っても、イモリたちの水魔術によるものなのか、ウォータースライダーみたいになっていて、そこを滑っている格好だ。


 コーナリングなどでえぐい箇所もあるにはあったが、パーンチは自慢の筋肉と身体能力で何とか切り抜けた。


「あああー……おっと?」


 そんな暗がりの通路から、すぽーん、と。


 今度は身一つで宙に投げ出されたと思ったら、魔王城裏手の岩山のふもとに出ていた。


 ちょうどダークエルフたちの為にプールを作ったばかりの場所だ。今はそこに巨大蛸ことクラーケンがぷかんと浮かんでいる。


 ちなみにこのクラーケン――海竜ラハブによって魔核を削られたことで、本来ならきれいさっぱり消失していいはずなのだが、どうやら蛸に心臓が三つあるように、クラーケンにも魔核が同数あったらしい。


 そのうちの中心的な魔核はラハブによってやられたものの、あと二つが残っていたことから、解凍後にしぶとく再生したようで、最初のうちなど――


「ふはは。ここはどこだ? たとえ地上といえど、この第八魔王クラーケンが征服してやるぞ!」


 と、ずいぶん息巻いていたものの、まず公務でプールへと視察に訪れたセロを一目見るなり、すぐにこれはヤバいと察したのか、まるで服従した犬のように腹部を晒して寝転ぶと、


「どうか幾らでもこの自慢の美脚をお食べくださいませ」


 そんなふうにしおらしく庇護を求めてきた……


 次に、再生能力に興味を持ってやって来た人造人間フランケンシュタインエメスがにやりと笑って、「これは改造しがいがありますね」と呟くと、


「いやはや、どうかこちらをお納めくださいませ」


 そんなふうに大きな米粒みたいな卵を幾つか差し出すことで自らの助命を懇願し始めた。


 さらには、ラハブが第六魔王国に戻って来て早々、「おお、クラーケン。やっぱり生きていたか」と声をかけると、


「もう何も望みません。せめて水のあるところに入れてください」


 こんな感じでラハブにすがりついたものだから、仕方なくダークエルフのプールを一時的に開放した形となっている。


 魔王城を挟んで反対側にある温泉パークの巨大露天風呂にまだ湯が張っていなかったのも、いずれはそちらにクラーケンの為の大きな湖でも作ってあげようかというセロの意向があったからだ。


 何はともあれ、クラーケンは自慢の美脚を二本ほど魔王国に提供したわけだが、一本だけでも十分過ぎる量だったので、『女豹杯』の実況中にもアジーンが語っていた通り、まだまだ在庫が大量に残っている状況だ。


 さて、そんなクラーケンだったが、すぐに懐いたのが意外にもダークエルフの双子ことドゥで、最近はドゥが搭乗する巨大ゴーレムの対戦相手をよくしてあげているようだ。


 そういったドゥ繋がりもあってか、パーンチとも親しくなっていたらしく、ウォータースライダーからすぽーんと宙に放り出されたパーンチはというと、クラーケンの吸盤によって見事にすぽっとキャッチされた。


「おう。すまないな、クラーケン」

「いえいえ、まさか岩山から飛んでくるとは思ってもいませんでしたよ」

「オレだって落とされるとは思ってもなかったぜ」


 パーンチはそう言って肩をすくめると、クラーケンと共に「はあ」とため息をついた。


「本当に色々と桁外れの国ですね。ここは……」

「まあな。セロはともかく、周りが絶対におかしい。お前も気をつけろよ」


 なお、クラーケンがしばらくしてイモリたちとも仲良くなって、身体小型化のやり方を学び、ついでにラハブから人型化も教えてもらって、本当に美脚自慢の女性の姿に変じるようになるのは――まだまだしばらく後の話である。


 もちろん、このときクラーケンも、パーンチも、二人のラブストーリーが突然始まっていたことなど、ついぞ知らずにいる。






◆セイ・イエス


 ドワーフ代表のオッタはまだかまだかと出番をじっと待っていた。


 シュペル・ヴァンディス侯爵が『女豹杯』の小芝居にて担任教師役を任されたように、実はオッタにも役割が与えられていた。それは体育の教師役だ。


 午後一のセロの視察時に、体育という名の天下一武道会に突入する予定だから、その審判役をやってほしいと、人狼の執事のアジーンを通じて依頼されたのだが、当然のことながら女豹たちはディン以外、オッタよりも実力者揃いなわけで審判など到底務まるはずがない……


 もっとも、当初、審判役は高潔の元勇者ノーブルに振られていて、オッタは近衛長エーク、巴術士ジージやモンクのパーンチと並んで審査員役につく予定だったはずなのだが――


「そういえば、オッタ殿は既婚者だろうか?」


 と、アジーンに聞かれたので、オッタは素直に答えた。


「いや。拙者はどちらかと言うと、お酒や温泉や筋トレと結婚したようなものだな。がはは」


 おそらくその答えがいけなかった……


 アジーンは「うーん」と呻って熟考を重ねてから、ノーブルとオッタを配置転換したのだ。


 おかげでさっきから温泉宿泊施の入口広間ロビーに突っ立って、まだかまだかと待機しているわけだが、そろそろ夕方も過ぎようというのに一向に声がかからない。


 これは何かあったなと、オッタが「ふう」と息をつくと――


「ああ、オッタさん。ちょうど良かった。お願い出来ますでしょうか」


 屍喰鬼グールの料理長フィーアが厨房から出てきた。


 もしやこんな暗くなってから武道会なのかとオッタは緊張したが……連れてこられた先の倉庫では、なぜかヒトウスキー伯爵が居合術や抜刀術を見せつけている。


「ほう」


 それを見て、オッタは素直に感嘆した――


 若かりし頃にヒトウスキーは『火の国』へと秘湯探しにやって来て、その際に温泉への情熱をドワーフたちに認められたことで、親交の証として刀などを渡された。


 あの頃は天稟に恵まれただけのまだまだ若い武術だと思っていたが、あれからおよそ十数年――どうやらヒトウスキーはその才に溺れることなく、血の滲むような努力を積み重ねてきたようだ。


 その武術はまるで一服の絵画のように美しさすら感じさせるもので、オッタもつい感傷的になった。


 が。


 一方でオッタは首を傾げた。


 切りつけている対象があまり見慣れないものだったせいだ。


 いや、それは正確ではない。最近、魔王国の食卓でかえってよく見かけるようになったもの――そう。それは蛸の大きな切り身だったのだ。


「ま、まさか……」


 オッタが呻るも、フィーアは満面の笑みを浮かべてみせた。


「このままだと『女豹杯』がすぐ終わってしまうかもしれません。そうなると、予定より早く宴会に突入するはずで、おやつのたこ焼きに入れる蛸の欠片がまだ足りていないのです」

「はあ……それで拙者にどうしろと?」

「ヒトウスキー様から、オッタさんも負けず劣らずの腕をお持ちだとお聞きしました」

「もしや?」

「はい! どうかお願いします、オッタさん!」


 次の瞬間、ヒトウスキーは「ちぇすとー!」と、大きな蛸の脚を無数に切り分けた。目にも見えない早業である。


「…………」


 オッタはその光景につい押し黙った。


 ちなみにオッタに限らず、ドワーフ族は基本的に海産物をあまり食べない。


 火の国自体が山々に囲まれた場所なので、海の幸があまり届かないということもあるし、さらに蛸はその形状がどうにもオッタには不気味に映って、積極的に口に入れようという気が起きないからだ。


 ついでに言うと、刀は調理器具ではなく、稀代の匠たちが丹精を込めて作り上げたドワーフ族の魂そのものでもある。


 が。


「またつまらぬものを斬ってしまった」


 などと言いながら、さっきからヒトウスキーは挑発的な眼差しを投げかけてくる。


 もちろん、ドワーフはタンラクテキというか、刹那的というか、売られた喧嘩はすぐに買う性質たちなので、ヒトウスキーの後塵を拝すなどもっての他だった。


 今も女豹たちがどこかで争っているように、侍たるオッタにも絶対に負けられない戦いがあるのだ……多分。


「よろしい。では、拙者も参る!」


 この日、オッタはまさに人修羅の如き形相でもって、魔王国全員分のたこ焼きの為の蛸を斬りまくったそうだが……


 その一方で、ヒトウスキーはというと、倉庫裏で小さく笑みを浮かべて、


「ふう。これで麻呂はゆっくり湯につかれるでおじゃるよ」


 と、面倒事を全て押し付けていった事実を当然のことながらオッタは知らなかった。


 なお、後世、第六魔王国に出来た学校の居合術や抜刀術などの体育の演武で、切りつける対象が蛸になったのは、このときの出来事とは無関係ではあるまい。

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