第201話 女豹大戦 07

 人造人間フランケンシュタインエメスは浮遊城の玉座の間にてセロと対峙していた――


 実のところ、エメスはまだ感情など持ち合わせていなかった。そもそも人造人間だ。古の大戦で魔族に対抗する為に造られた、人族側の最終決戦兵器なのだ。


 戦う為に不要と定められたのか、あるいは過酷な大戦の中でせめて心だけは傷ついて欲しくないという親心だったのか、いずれにしてもほとんどの感情は亡き父ハカセによって、パンドラの箱のような最奥の領域に閉ざされて、エメス自身でもろくに参照することが出来ない状態だ。


 もちろん、セロたちと出会ってから改めて調査してみたのだが、あまりにも不確定要素が多い上にデータの蓄積も少ないことから、エメスをもってしてもいまだに棚上げせざるを得ない問題があった――それは恋愛と名付けられた感情についての解析だ。


 先日も、比較的参照しやすい恋愛ゲームから感情なるモノを読み解こうとしたばかりだが、結局のところ、それも見事に失敗してしまった……


 あの後、モタに相談して、色々と改良を加えてパッチを当ててみた結果、なぜか恋愛ゲームなのに闇魔術のレベルを上げて攻略対象のおけつを抹殺するものになってしまったわけだが……まあ、それについては多くは語るまい。


 何にしても、エメスは大いに不安を抱いていた。


 というのも、魔王セロを筆頭として、この第六魔王国には恋愛に疎い者があまりに多過ぎるのだ。


 幾ら魔族が不死性を持つとはいえ、このまま新たな若い人材が生じないようでは、せっかく芽吹いた魔王国の文明がすぐに固陋ころうとなって、その発展も阻害されていくのは明らかだ。


 だからこそ、エメスは今、恋愛感情なるモノを最も知りたいと欲していた。


 もちろん、恋愛ゲームに頼るまでもなく、その感情を得る為には、恋愛、結婚や出産を経験知として集積することが最適であると答えは出ていた。


 ゆえに、今のエメスに躊躇いなど全くなかった。


 こうなったら多少不敬だと謗られても、セロに馬乗りになって、子作り・・・を試みるべきだという結論に達してしまったのだ。


 これでは最早、恋愛過剰主義者エロテロリストである。まあ、精神年齢はドゥやモタと同じく、まだ中学生レベルなので、こんなふうに極端に振れるのは仕方のないところだろうか。とまれ――


「セロ様、どうかお答え頂けますでしょうか。小生のことを好いておりますか?」


 そんなド直球な質問に対して、さすがにセロも面喰った。


 というか、近衛長エークから「お急ぎください」と連れられてここまでやって来て、魔王城が緊急シークエンスにて浮遊したのはいいものの、いったい、いつ、どこで、何の問題が起きたのか、まだ報告すら受けていなかった。


 もしや、エメスのこの真っ直ぐな質問と何か関係あるのだろうか……


 だから、セロは「うーん」と首を傾げつつも渋々と答えた。


「ええと、好きか嫌いかというなら、もちろん好きだよ。エメスにはよく助けられているし――」

「では、小生と結婚して頂けますか? 終了オーバー


 さらなるド真ん中剛速球ストレートな問い掛けを受けて、セロもわずかによろめいた。


 この大陸上の誰よりも高い精神異常耐性を有しているはずなのに、ここまで衝撃を受けるのだから、エメスの発言がいかほどだったかよく分かるというものだ。


 そういえばと、セロは振り返った――今日は朝からどこかおかしかった。皆が何だかそわそわしていたし、朝食時にはなぜか神学校の教室を模したような舞台で小芝居まで見せられた。


 その後も、女性陣の空気がいつも以上にぴりぴりしているし、極めつけはこのエメスの発言だ……


 ……

 …………

 ……………………


 セロはしばらく無言を貫いた。


 もしかしたら、何か試されているのだろうか?


 この答えを誤ると、魔王としての地位を失うとか? あるいは、どこかでセロは知らない間に皆を失望させてしまったとか?


 そんなふうにセロが急な不安に駆られていると、エメスはさらに言葉を付け加えた。


「それでは、セロ様。こういうケーススタディは如何でしょうか?」


 エメスはそこで「すう」と息を吸うと、まるで哲学者のような眼差しでセロに改めてこう問い直してきたのだ――


「セロ様が小生と結ばれない場合、この城を落とします。果たして何人が生き残れるでしょうか。さて、このとき、セロ様はどうお答えしますか? 終了オーバー


 セロは思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。


 どうやらエメスは本気だ。セロが拒絶したら、浮遊城を本当に落とすつもりかもしれない……


 セロの眉間には険しい皺が寄せられた。


 第六魔王国にいる人々を決して裏切らないというのがセロの信条だ。


 もし魔王の座を明け渡せと言われようと、命を差し出せと脅されようと、あるいは今のように理不尽な要求を受けようとも、セロには――絶対に・・・守らなくてはいけないものがあった。


 だから、セロにとっては、他に選択肢など持ち合わせていなかった。


「……分かったよ、エメス」


 セロは玉座から立ち上がって、ゆっくりとエメスの方に歩むと、小さく笑みを浮かべてみせた。


「僕は君と――」






「ま、ま、ま、まさかの! 大逆転かあああ? セロ様がついに、ついに――」

「ぎゃあああ! ルーシーに賭けてたのにー。わたしの全財産があああ。いやあああ! セロ、やめてえええ!」

「おや、ところで……いきなりどうしたのでしょうか? これは……」

「ほよよ? たしかにこれは……」

「……揺れていますね、解説のモタさん?」

「ほいな。どんどん大きくなってきていますね、アジーン?」

「もしかして――」

「はいはい、もしかして――」

「これは浮遊城が――」

「じ、じ、自由落下しとるん?」

「ふむ」

「うーむ」

「ぐわあああああ!」

「ひょえええええ!」


 その瞬間、モノリスの試作機の映像はぷつんと途絶えたのだった。






 ルーシーにも――絶対に・・・譲れないものがあった。


 セロはまだ魔族になったばかりだ。互いに多くの価値観を共有していきたいとは言っても、種族の垣根を超えるのは早々出来るものではない……


 だから、ルーシーはゆっくりとした歩幅で共に進もうと思っていた。そもそも、不死性を有しているのだ。今は魔王国の発展と、セロの魔核が安定することに尽くすべきだと、ルーシーは考えていた。


「それが……まさかこんなことになるとはな」


 ルーシーとて、セロのすぐ隣を譲る気などさらさらなかった。


 それにルーシーはすでに事実上、第一妃の地位にいた。セロからも、とうに同伴者パートナーだと正式に認められている。


 もちろん、その言葉の解釈を巡って、魔王国内でも様々な議論があるのは知っていた。だが、それでもルーシーの立ち位置を脅かす者など存在しなかったし、ルーシーからしても、ラハブも、エメスも、ヌフも、またディンも、あるいはモタも、脅威とはみなしていなかった。


「女同士というのは本当に面倒くさいものだ」


 つまり、この『女豹杯』は当てつけのようなものなのだ。


 どこか消極的なルーシーに対して、ある意味で物理的・・・に結婚を急かす為に仕組まれたイベント――


 そもそも、ルーシーは誰よりも誇り高き女性だ。真祖カミラの長女として育てられたから仕方ないところではあるが、そのおかげで誰かに合わせるのがとても苦手だし、また誰かをおもんぱかるのも得意ではない。だから、他者との距離感を上手く掴むことが難しい。


 さながらハリネズミのジレンマだ――


 近づきたいのにハリが邪魔をして他者を傷つけてしまうかもしれない。結局のところ、ルーシーはそれを恐れて丸まって、ハリという殻の中プライドに閉じこもってしまう。


 セロがそんなハリなど気にせずに、たとえ自身が傷ついても抱き止めてくれるならいい……


 ただ、セロがもし血を流してわずかでも離れようとするものなら、ルーシーは愛した者を傷つけたことで、一晩中涙を流して、そこからもう立ち直れないような気がしていた。


「ならば、ここで諦めるというのか?」


 ルーシーは自問自答した。


 同時に、浮遊城を眺めながら、己の拳をギュっと固く握りしめる。


「もちろん、答えは――否だ」


 ルーシーは根っからの魔族だ。真祖直系の長女で誇り高いということは、魔族的な価値観を最も強く継いでいるという意味でもある。


 だからこそ、ルーシーはここで即座に想いも、考えも、いったん全て投げ捨てた。そう。ルーシーには決して譲れないものがあったのだ――こんな姑息な分断工作を仕掛けてきたエメスなど、まず一発ぶん殴ってやらないと気が済まない。


 ルーシーは「ふんす」と鼻息荒く、そう結論付けると胸もとに手をやった。


 そこにはペンダントがあった。先日、セロからもらった大切な物だ。他者をあまり思いやれなかったせいか、ルーシーはセロやモタなどよりも、ヤモリ、イモリやコウモリなど魔物モンスターたちと上手く会話することが出来なかった……


 が。


 セロからそれをプレゼントされた日から、不思議と彼らの声が聞こえるようになった。ルーシーの声も届くようになっていた。


 だからこそ、今、ルーシーはそのペンダントに手を当てて強く願った。


「頼む。わらわはセロのもとに行きたいのだ」






「キュイ!」

「キューイ!」

「キュキュ!」


 魔王城の各所からそんな声が上がった。


 ちなみに、浮遊城の動力は土竜ゴライアス様の血反吐から得ている。


 それを血管のように城のあらゆる箇所に流して、イモリたちが魔力マナに変換して動かしているわけだ。当然のことながら、イモリたちが「キューイ!」と職場放棄すると、一次動力源は機能しなくなって、城は宙で立ち行かなくなる。


 また、補助動力装置もあるにはあるのだが、このとき城の司令室ではヤモリたちが「キュイ!」と、浮遊城を操作しているダークエルフたちの邪魔をしていた。


 このままでは魔王城は無残にも落下して瓦解する――というところで無数のコウモリたちが「キュキュ!」と城を上から吊り上げた。何せ一体で巨大なジョーズグリズリーを軽々と持ち上げる力持ちだ。そんなコウモリたちがぱたぱたと飛び立って、魔王城をルーシーたちがいた平野にゆっくりと下ろしたわけだ。


「皆、ありがとう。心から感謝する」


 ルーシーはそう言って、ヤモリ、イモリやコウモリたちをなでなでして労った。


 そして、リリン、ディン、ヌフやラハブを引き連れて玉座の間に入った。そこには魔王城の落下に驚いて台詞を言い切れなかったセロと、分断工作の首謀者ことエメスがいた――


 すると、ルーシーが一歩前に出て、はっきりと告げる。


「エメスよ。褒めてつかわそう。よくもまあ、妾たちをこうも見事に出し抜いたものだ。当然、覚悟は出来ているのであろうな?」


 もちろん、リリンとディンもそれに続いた。


「室内だからルール上、凹れないのが悔しいところです。でも、魔族的にはもうルールなんて関係なく、一気にやっちゃいたいところなんですが?」

「わたしは魔族ではありませんが、気持ちは皆様と一緒です」


 さらにヌフがため息をついてみせる。


「封印を使って皆を分断した当方が言うことでもありませんが、そこにぼけっと突っ立っているエークには少しばかり思うところがあります。あとでモタと相談して、闇魔術の素材として使いたいかな」


 エークが「ひいい」と情けない悲鳴を上げると、最後にラハブが拳を自らの掌に叩き込んだ。


「さて、これで分かりやすくなったんじゃないか? あとは魔族らしく外で戦って決めりゃあいいんだろ? なあ、どうだ?」


 もっとも、その提案に対してはさすがにディンとヌフが抗議した。


 こればかりは二人とも魔族ではないから仕方がない。そもそも、ディンが一番不利だし、ヌフにしてもかく乱は得意だが、ルーシーたちを倒すほどの火力は持ち合わせていない。


 そのときだ――


「ちょっと待ってほしい。皆」


 セロが前に出てきた。


「ええと、聞き捨てならない話を聞いたんだけど……『女豹杯』っていったい何かな?」


 直後、玉座の間がしーんとなった。


 いつの間にか、セロの肩にはヤモリが乗って何かを耳打ちして、右手の甲にはコウモリが懐いて、胸のあたりにはイモリも張り付いていた。当然、魔物たちにも絶対に・・・認められないものがあったのだ。


「…………」


 女豹たちは沈黙した。


 さすがにセロの第一妃を決めるレースだと本人の前で言うのははばかられた。それで第一妃が決まるとしたら、いったい魔王の威厳と自由意思はどこにあるというのか――


 そんなタイミングで実況のアジーンと解説のモタが玉座の間に駆け込んで来た。


「おおっと! さて、解説のモタさん。映像が途切れたのでどうなったのかと思いきや――」

「ほいほい。何とセロの前で決戦が行われるようですねー。どうやらわたしの全財産はまだ無事のようです。よかったあー」

「ただ、何だか様子がおかしいですよ」

「ほいな。なぜ女性陣はおもむろにわたしを指差し始めたのでしょうか?」

「ええと、エークが何やらセロ様に耳打ちしたのが聞こえてきたのですが……」

「ほう? 人狼の耳は良いですかんね。それで、何と言ってたんスか?」

「どうやら――『モタがまたやらかした』――のだそうです」

「…………」

「というわけで、手前も空気を読んで指を差させてもらいますね」


 そう言って、セロ以外の皆がモタを指差した。ご丁寧に魔物たちまで「キュイ!」と悪乗りしている。


 モタはというと、こんなことなら出走しておけばよかったと悔やんだわけだが……もう後の祭りである。その日、玉座の間ではモタの「ぎょえええ!」という魂の叫びがこだましたのだった。


「わたし、無実だよー」

「何だ。やっぱい、まーたモタがやらかしたのか……」

「セロおおおおお!」






 こうしてモタにとっては散々な結末となったわけだが、意外にも『女豹杯』で集められたお金はモタに寄付され、念願の魔術研究室どころか、女豹たちの協力もあって、魔王城の外にモタ専用の研究棟まで建設されたこともあって、モタも何とか機嫌を直した。


 もっとも、セロは魔物モンスターたちからきちんと詳細を聞いていたようで、それほどモタのことも、女豹たちについても、責めはしなかった。


 たしかに第一妃を早く決めることは大事だし、こんなふうに女豹たちの暴走に繋がったのも、セロ自身の優柔不断さにあると判断したわけだ。


 その晩、セロは夕食を終えて魔王城二階のバルコニーに出ると、


「今日は風がとても気持ちいいよ」


 と、ルーシーをさりげなく誘った。


 このとき、皆のモノリスの試作機にはバルコニーの様子が映っていたのだが、ルーシーだけはそのことを知らされていない。ちょっとしたセロの意趣返しだ――


 すると、ルーシーはセロに対してまず頭を下げた。


「セロよ。すまなかった。『女豹杯』など、本来なら妾が止めるべきだった」

「構わないよ。それで第一妃が決まったとしても、僕にとって不本意なものなら、僕自身が覆したはずだしさ」

「そうなのか?」

「だって、僕はもう魔族だよ。何かあったら殴って従わせればいいんでしょう?」

「では、素朴な疑問なのだが……エメスから結ばれようと問われたとき、どう答えるつもりだったのだ?」

「僕は君と――戦う!」


 セロはそう言ってファイティングポーズを取ってみせた。


 エメスが魔王城を落とす前に決着をつけるつもりだったのだろう。出来るかどうかはともかく、ルーシーはそんなセロをやはり頼もしく思った。


「ふむ。その通りだ。そもそも第六魔王国にはセロに敵う者はいないのだから」

「それより、ちゃんと頭を上げてよ。ルーシー?」


 セロはそう言って、夜空を差してみせた。


「月がきれいだね」


 ルーシーは何気なくその言葉を聞いて、ああ、本当に美しいな、と感じ入ってから、ゆっくりとその意味を噛みしめた。


 なぜだろうか……


 不思議と涙が流れてきた……


 セロの言葉ハリが痛かったせいじゃない。


 たとえハリで貫かれて、魔核が失われてしまっても構わないと思える人に出会えた奇跡に心が揺さぶられたからだ。だからこそ、ルーシーは自然とこう返していた。


「死んでもいいわ」


 その晩、セロとルーシーは結ばれた。


 第六魔王国にて正式に第一妃が誕生した瞬間だった。



―――――


【最終時点の保有ポイント】

ルーシー:優勝

エメス:5

ヌフ:3

ディン:9

リリン:10

ラハブ:24

アジーン:25(※モタに対して)


【その他】

パーンチ:友人代表スピーチの文面に頭を悩ませ中

シュペル:王国から出すご祝儀を検討中

ヒトウスキー:相変わらず入浴中

エーク:ヌフとモタに色々といじられ中

魔族の大半:お祭り騒ぎ


―――――


拙作で最も長いエピソードだったわけですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。この『女豹大戦』につきましては、あと一話だけ、作中に描けなかったお蔵出しエピソードがありますので、次話はそれを掲載して、第三部の中盤のエルフの大森林への侵攻となります。どうかよろしくお願いいたします。

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