第194話 ダークエルフと水着とプール(終盤)

「さあ、選んでください。お見合いの時間です。今なら選り取り見取りですよ」


 近衛長エークはそう言って、お見合いの姿絵を取り出した。


 これにはハンモックでまったりしていたドルイドのヌフも思わず、「はあ?」と挑発的な声を上げた。


 一見すると、いかにも優雅にプールサイドで読書を楽しんでいるといったふうだが、目を通しているのは人造人間フランケンシュタインエメスから借り受けた分厚い技術書であって、決して遊んでいるわけではない。


 むしろ、今後の魔王城周辺の魔改造……もとい改良の為にも、昼休みの間に専門知識をしっかりと身に付けている最中なんだぞと、ヌフにしては珍しく憤慨して、ついにハンモックから身を乗り出した。


 だが、そのとたんにハンモックが大きく揺れて、ヌフは「ぎゃ」と落とされてしまった。


「やれやれ。お見合いの前に、もう少し運動しなくてはいけませんかね」

「ぐう」

「ダークエルフがいかに身体能力の優れた種だと言っても、あまりに長く引きこもっているとこうなってしまうという反面教師ですね」


 そんなエークの嫌味に、さすがのヌフもぐうの音しか出なかった。


 とはいえ、ヌフの三分の一ほどしか生きていない若造に言いたい放題にされるのも癪だったので、ここでいったん反撃に出た。


「今、貴方はお見合いと言っていましたよね?」

「はい。私の方でセッティングしますので、持ってきた羊皮紙の中から相手を選んでいただけると助かります」

「例によって集落の為というやつですか?」

「それもありますし……より正確には、ダークエルフ族全体の発展の為です。また、貴女ほどの実力を持っていながら、いまだにセロ様の好意に甘えて、ここに客人で滞在していることに対する当てつけでもあります」

「ほう。当てつけだと、はっきりと言うのですね」

「そうでも言わないと、博識の貴女はなかなか理解してくれないと思いましたので」


 そんなエークの皮肉に対して、ヌフは険しい表情で返した。


 二人の視線が宙でばちばちと火花を散らす。もっとも、その背後では対照的に、さっきから美しいダークエルフの女性たちが「きゃあ」と声を上げながら、次々とプールに飛び込んで楽しんでいる。


「やだあ。水着が取れたあ」

「泳いでいても取れるのよね。もうちょっと良いものにしたいなあ」

「セロ様! 水着の改良をお願い出来ませんか。このままじゃ……ほら、ずっと胸や股のあたりにこんなふうに手をやりながら泳がないといけません……」

「い、いや、そそそその前に、脱げたものを早く着てほしいんだけど――」


 直後、ばちーんとセロの頬を叩くような甲高い音が響いた。


 きっとルーシーだろうと思いつつも――とまれ、そんな音をきっかけにして、ヌフはそろそろ本格的な反抗を開始した。


「お見合いと言うなら、貴方はどうなのですか? 種の発展の為と言うなら、ダークエルフの元リーダーがいつまで経っても独り身というのは、私としても心苦しいのですが?」

「そこなのですよ。私も大変遺憾に思っています」

「ふむ。では、貴方の方から率先して、お見合いしてくださると?」

「残念ながら、それは出来かねます」

「語るに落ちましたね。貴方自身が出来ないものを私に勧めるとはいったいどういう了見です?」

「もちろん、出来ないのには事情があります」

「へえ。それは、それは、大層ご立派な事情なのでしょうね」

「はい。もちろん、立派な理由ですとも。何せ私は今や、セロの様の近衛長です。王の忠実な近衛たる私が、敬愛する王よりも先に結婚してはさすがにマズいでしょう?」

「ぐう」


 これまたヌフはぐうの音しか出なかった。


 セロのことだから、「そんなの気にする必要はないよ」と言うだろうが、それでも第六魔王国は魔族の国家で、セロを頂点とした絶対的な縦社会だ。魔王たるセロを先に立てるのは、配下として必要な配慮に違いない。


 それぐらいのことはヌフもすぐに気づいたので、さすがに言葉に詰まってしまった。


 そのときだ。


「ふむん。何やら騒がしいですね。終了オーバー


 プールサイドだというのに、珍客・・がやって来たのだ。そう、人造人間エメスだ。


 よりによってほぼ全裸だ。傍から見ると、しか纏っていない。しかも、ボディは球体関節人形なので、いつもとは別の物に換装していた――何と、ぼん、きゅ、ぼーんなのだ。高身長で、痩せぎすなのは変わらないが、出るところがはっきり出ていて、まさに理想的なモデル体型と言っていいだろう。


 そんな魅惑的な肉体に、際どい紐水着ということもあったせいか……どこからか、ごきっと首が百八十度も曲げられたかのような鈍い音が響いた。セロにとっては本当に災難しかない昼下がりである……


 もっとも、エメスの登場にはヌフだけでなく、双子のドゥやディン、またルーシーも唖然とさせられた。


 これまで性差セクシャリティに全くと言っていいほど興味を示さなかったエメスが本気を出してきたのだ。まさに女豹たちに対する本格的な宣戦布告と言っていい。


「何でしたら、貴女もあちらの戦いに加わりますか?」


 エークにそう指摘されて、ヌフは「はっ」となった。


 とはいえ、エークからすれば、すでにディンが手を挙げていることもあって、さほど本気で言ったわけではないようだ。むしろ、本命は手に持っている羊皮紙の連中なのだろう……


 そんなふうに考えをまとめていた隙にさりげなく手渡されたこともあって、ヌフも渋々と目を通してみると――


 まず一人目には高潔の元勇者ノーブルがいた。


「ええと、お見合いということですが……本人は合意しているのですか?」


 ヌフが尋ねると、エークはにやりと狡賢い笑みを浮かべてみせる。


「もちろんです。名高い勇者殿がまさか童貞ではありますまいと挑発したら――当然だ、と。お見合いだろうが、果し合いだろうが、何でも受けてやると宣のたまっていましたよ」


 ヌフは「はあ」と息をついてから額に片手をやった。


 実のところ、ノーブルはヌフにとって初恋の相手だった。何しろ、長らく引きこもっていたところに突然訪ねてきた異性だったのだ。


 人族ではあったが、いかにも勇者らしい高潔さと清々しさで、いわゆる深い森にこもる女性をキスで目覚めさせてくれるおとぎ話の王子様よろしく、ヌフにしても、もしやこれが恋なのかと驚いたものだったわけだが……残念ながらノーブルにはすでに想い人がいた。当時の聖女だ。


 しかも、アバドンを封印した後に、ノーブルはその聖女の転送によって強制的に別れさせられるといった劇的な悲恋をしたばかりだったので、ヌフも声を掛けづらかった。結局、砦の世話だけをして、初めての恋は苦い想いと共に終わってしまった。


 そんなノーブルが一枚目に出てきたので、ヌフも思わず、やれやれと肩をすくめたわけだ。


 すると、エークは意外そうに目を大きく見開いた――


「おや、ノーブル殿はお気に召しませんか? 実は、第一候補だったのですが?」

「何でも貴方の思い通りになるとは限らないのです。そもそも、ノーブルは地下世界に行って、古の魔王たちを討伐する予定なのでしょう? 当方を早速、未亡人にしたいのですか?」

「ふむ。まあ、たしかに。では、二人目はどうです?」


 そう言われたので、ヌフは一応、二枚目の羊皮紙にも目をやった。


 直後、ヌフはまた眉間に深い皺を作った。よりにもよって、そこに映っていたのがドワーフ代表のオッタだったからだ。


「エルフ種とドワーフ種が結ばれるなど、聞いたこともありません」

「だからこそ、インパクトがあるのです」

「インパクトって……人のお見合いを何だと思っているのです? そもそも、ドワーフ種は髭が生えていない女性を子供だとみなす慣習があります。ダークエルフの女性たちの裸に囲まれていても、プールサイドで淡々とボーリング孔を掘って調査を続けていた連中ですよ?」

「もちろん、知っています。ですから、はっきりと申し上げると、これはむしろ政略結婚に近い」

「政略結婚?」

「はい。オッタ殿にヒアリングしたところ、第六魔王国と同盟を結んだ功績をもって、族長に選出される可能性が高いとのこと」

「ほう。良いことではないですか」

「ただ、そうなると『火の国』に戻らなくてはならず――」

「ああ、何となく察しました。要は、現地人と結ばれて、帰りを引き延ばしたいという魂胆ですね」

「全くもってその通りです」


 政略結婚というよりも、いっそ偽装結婚ではないか、とはヌフも指摘しなかった。


 ある程度立場のある人ならば、恋愛結婚など望めないのは、人族でも、亜人族でも同じだ。そういう意味では、『魔眼』で好敵手を求めて、力尽くで恋愛関係になろうとする猪突猛進な魔族の方が特殊なのだ。


 そんなことをつらつらと考えながらも、ヌフが三人目に視線を落とすと、


「さすがにこれは……冗談でしょう?」

「まさか。本人は乗り気でしたよ。そのまま本人の弁を述べますと――麻呂・・もそろそろ適齢期でおじゃるからそろそろ身を固めないとのう、とのことでした」

「た、たしかに……人族の貴族なら自由な結婚などありえないのでしょうが」

「再度、本人の弁ですが――可能ならば、第六魔王国の赤湯の良さが分かる女子おなごと結ばれたいものよ、とのことでした」

「…………」


 領地に帰るつもりはないんかいとは、ヌフもツッコミを入れなかった。


「で、四枚目は……モンクのパーンチですか」

「ドルイドの秘術には筋肉を増強するものがあると話したら、やけに乗り気でした」

「止めてください。当方は筋肉に興味はありません。というか、ノーブル、オッタ、パーンチと役満ですね。もしや、これまた当方に対する当てつけですか?」

「いえ、偶然です。では、五枚目はどうですか?」

「おや? これはシュペル・ヴァンディス侯爵……って既婚者じゃないですか!」

「どのみち第六魔王国担当ということで、王国には早々に戻れませんから、何なら現地妻でもどうですかと迫ってみました」

「およしなさい。近衛長の貴方が迫ると、シュペル卿は立場的に断れないでしょう? ついこないだも、ドルイドの秘術に髪の毛が生えるものはないかと、悲痛な表情で相談されたばかりなのですよ」


 ヌフはそう言って、また「はあ」と息をつくと、プールに視線をやった。


 その中央には、赤くなった頬をさすりながら、折れ曲がった首の骨を自ら治していているセロがいた。すぐそばにはルーシー、エメスにディンまで集まっていて、何だか剣呑な雰囲気だ。


 手もとにはまだまだ羊皮紙があった。吸血鬼、聖騎士、神殿の騎士や冒険者までリストアップされていて、たしかに選り取り見取りだ。なるほど。エークはさすがに手強い。近衛長になって、さらに無駄に力をつけた印象だ。もし今回断っても、すぐに二の矢、三の矢を放ってくるだろう。だったら――


「当方は、セロ様と結ばれます」


 ヌフは覚悟を決めた。女豹の戦いに身を投じると宣言したのだ。


 もっとも、エークはその言葉の裏をすぐに見破った。


「お見合いを勧められるのが嫌で時間稼ぎをするつもりなら、かえってディンの邪魔になるだけなので、私としては止めてほしいのですが?」

「いえ、当方は本気ですよ。どうせなら地上世界最強の男性を欲してもいいでしょう? 女のさがというやつですよ」

「貴女は本当に女豹たちに立ち向かえるのですか? さっきまで恋愛小説・・・・うつつを抜かしていたような貴女が? 本当に?」


 エークはそう指摘して、ハンモックの下に落ちていた古の時代の技術書に目をやった。


 それは鈍器のように分厚い本の中身を切り抜いて、技術書に偽装した・・・・恋愛小説だった。実は、ヌフは王国で発行されている貴族子女用の恋愛ロマンスモノ愛好家マニアだったのだ。


 百年前に高潔の元勇者ノーブルが迷いの森にやって来たとき、目覚めのキスをしにきた王子様と勘違いしたのも、その影響が大きかったに違いない――エークはそう見立てたからこそ、女豹の戦いに身を置く覚悟があるのかと問い詰めたわけだ。


 が。


 ヌフはさすがに大地に根が張る引きこもりだけあって頑固でもあった。


「たかだか三百年ほどしか生きていない若造が侮辱しないでください。再度、言いますが、当方は本気です。今からよくよく後悔しておきなさい。当方をこうして焚きつけたことをね」

「ふむ。それはいったいどういう意味でしょうか?」

「当方がセロ様の妃になった暁には――せいぜい近衛長をこき使ってやるということですよ。狡賢いエークにはそこまで言わなければ分からなかったですか?」


 ヌフは最後に皮肉で返した。散々これまでちくちくと虐めてくれたお礼だ。


 もっとも、ヌフは知ることになる――女豹たちに囲まれて争っているうちに、本当にセロに惚れていくことを。


 ちょっとした内集団バイアスに近い群集心理が働いてしまったことは否定出来ないが、こればかりはどんな恋愛小説にも全く書いていなかったと、近い将来、ヌフは「やれやれ」と、小さく笑みを浮かべることになるのだが……


 このときのヌフはというと、エークを必ず顎で使ってやると、意気込むのだった。



―――――



次話から――大変お待たせいたしました。『女豹大戦』の開幕です。

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