第192話 ダークエルフと水着とプール(序盤)

今話はダークエルフがセロと出会う前の時間軸からスタートします。



―――――



 ドルイドのヌフは引きこもりだ。こればかりは千年近くも迷いの森の最深部に隠れ潜んでいたのだから相当に根の深い問題だ。


 おかげで、そこらへんに生えている巨木よりもよほど大地に根付いてしまったようで、てこでも動きやしない。


 だから、ダークエルフのリーダーことエークは時折、『迷いの森』の地下洞窟の奥にある祠を訪ねては――


「たまには私たちの狩りでもご覧になっては如何です? 精鋭たちのモチベーションも上がりますし、何より今晩の食事も豪勢になるやもしれませんよ」


 と唆そそのかしては、ほとんど樹木と化したヌフを何とか動かそうとしたものだが、


「なぜです? 当方がいなくとも迷いの森での狩りは出来るでしょう?」

「それはもちろん出来ますが、今日は若手も多く参加します。皆が安心する為にも、やはり最長老のヌフに出てきてもらって――」

「最長老と呼ぶのは止めなさい」

「しかしながら、他の長老たちもそう呼んでおりますし、区別する為にも――」

「区別する必要などありません。当方はこの通り、まだぴちぴちでヤングな二十代のギャルなんですよ。老いてなどいないのです」


 その言葉選びのセンス自体がすでにぴちぴちの二十代じゃない気もしたが、エークはその点については指摘しないことにした……


 そもそも、ダークエルフに限らず、エルフ種は寿命が近づいてくると一気に老けていく。この森の過酷な生活の中で、他の長老たちが四百年ほどで腰を痛め、背を曲げて、顔に幾つもの皺が刻まれていくのを見るにつけ、その倍以上は生きていると謳われるヌフがいまだに少女の姿を維持しているのは奇跡にも等しい。


 あるいは、ドルイドという職業に就くとそうなるのか、それともこんなふうに森の最深部に引きこもって動かないと、エルフ種は樹木みたいに永遠に生き続けるのだろうか――と、エークは首を傾げながらも、仕方なく話を続けた。


「何にしても、たまにはこの祠から出てきてもらわないことには集落の士気にも関わります」

「さっきから士気とか、モチベーションとか、いったい急にどうしたというのです?」

「私がリーダーに就任してからちょうど十年が過ぎました。最近は仕事も覚えたせいか、この集落について考える時間が増えたのです。私たちは長寿の種族ゆえに、あまり集落や社会の発展など、積極的に取り組んできませんでした。これは代々の迷いの森の管轄長の落ち度と言ってもいいものです」

「ふむん。まあ、たしかにこの千年ほど、生活レベルに大きな変化はありませんね」

「はい。そのくせ、迷いの森では一瞬の油断が命取りになります。おかげで近年になって、やっと私たちも危機感を持って、種を残すことを考えるようになってきましたが……残念ながら遅きに失してしまった」

「はて。今はどれほどの数がいるのです?」

「先日、二百を切りました」

「…………」


 ヌフは絶句した。


 古の大戦時にこの地に移住してきたときには、千人以上は優にいたはずだ。


 もちろん、人族はとうに一千万人以上の人口に達していたから、それと比するといかにも少ないが、もともと長寿で、あまり食事をしなくても新陳代謝が出来て、そのせいで熱心に生産活動をする必要がないダークエルフは生に――延ひいてはに対する関心も欠けていた。


 実際に、ダークエルフを代表するエークも、当のヌフにしても、恋人がいたためしがない……


「そういう意味もあって、ヌフには皆の前に出てきてもらいたいのです。何なら、今の優秀な若者たちから幾人か見繕って、人族の貴族のように愛妾を囲ってもらって――」

「それを言うなら、貴方こそ、子孫を残すべきでしょう。良い人はいないのですか?」

「いません」

「即答ですか……もしや同性愛者とか?」

「違います。良縁に恵まれなかっただけです」

「噂では、性癖的にあれなので、かえって女性が寄り付かないとも聞きますよ」

「それは単なる噂でしょう。人口の少ない集落では、得てしてそういう下賤な詮索があっという間に駆け巡るから嫌なのです」

「……もしや、貴方が急に集落の発展云々などと言い出したのは、それが原因じゃないでしょうね?」

「繰り返しますが違います」


 そこでエークは言葉を切って、やや遠い目をしながらまた話を続けた。


「実は、先日、迷いの森と湿地帯の緩衝地帯にある砦に行ってきたのですが――」

「ほう。高潔の勇者ノーブルは元気にしていましたか?」


 このとき、食い気味に質問が来たことにエークは驚いた。


 百年ほど前に、引きこもりだったヌフを初めてこの森から出したのがノーブルだった。


 もちろん、第六魔王こと真祖カミラの仲介もあって、ヌフも重い腰を上げたという事情があったわけだが、今もエークはそれだけではなかったのではないかと訝しんでいる。つまり、ヌフの初恋の相手こそノーブルだったのではないかと邪推しているわけだ。


 何にしても、エークはそんな内心を読まれないように微笑を浮かべてみせた。


「ええ。とても元気にしていましたよ。まあ、かの元勇者殿も、今では不死性を持った魔族ですから、元気にしているという表現もおかしなものですが」

「そうですか。たまには会ってみたいものですね」


 その返答に対して、エークはふいに「おや?」と感じた。


 集落の発展云々で釣るよりも、かつてのパーティー仲間に会いに行こうと誘った方が効果的かもしれないと考えたわけだ。


 何なら、ヌフがノーブルとくっついてくれたならこれほど良いことはない。あの引きこもりのヌフですら結ばれたと知れたら、この集落で空前の婚活ブームが巻き起こるのは間違いない……


「ともかく、話を戻すと、私はその砦の発展に驚かされたんですよ。やはり人族――いや、元人族ではありますが、彼らの生に対する執着というのは凄まじいものです。今ではこの集落よりもよほど立派で、かえって奪い取ってやろうかと思ったほどです」

「止めはしませんが、残念ながら貴方ではノーブルには勝てませんよ」


 そうはっきりと言われて、さすがにエークもかちんときた。


 とはいえ、エークとてたしかに実力差は感じていたので、内心では「このぴちぴち最長老めが」と毒づいていた。


 とまれ、結局、その後も幾度か似たような話題を振って、エークがノーブルを出汁だしにしてどれだけ誘ってみても、ヌフが地下洞窟の奥地にある祠から出てくることは一度としてなかった……


 当然、ダークエルフの集落に婚活ブームが起きることもなかったし、それでもエークの孤軍奮闘で以前よりは同族たちも異性を意識するようになってくれたものの、せっかく仲良くなっても迷いの森に囲まれていてはデートをする場所もなく――集落の発展など願うべくもなかった。


「はあ。どうすればあのぴちぴちでヤングなドルイドに協力してもらえるだろうか。どこかに良い男が転がってくれればいればいいのだが……」


 エークは自身のことは棚に上げて、大きくため息をつくばかりだった。


 もっとも、それから数日後、迷いの森と隣接する岩山の境界を過ぎていく大量の吸血鬼を目撃して、エークは集落全体に厳戒態勢を敷いたわけだが――そのすぐ後の奇跡的な出会いによって、ダークエルフたちの運命が大きく変じることなど、もちろんこのときのエークは知らなかった。



―――――



どこが水着とプールなんじゃーい! と、ツッコミがありそうですが……いやいや、次話ですよ。そうです。プール回です。今話はエーク視点でしたが、次話はヌフ視点です。ちなみに、今話の砦に行ってきた云々といったところは、「17話(追補) 森での生活」で描かれています。

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