第187話 光を遮る者

 第三魔王こと邪竜ファフニールが第六魔王国に宣戦布告して、大軍を引き連れてカチコミをしていた頃――もしくは、第二聖女クリーンが王国に戻るや否や、三者会談という名の性癖披露会をやらかして島嶼国に追放されたすぐ後に――


 王国民の怒りは頂点に達した。まさに怒髪天を衝くといった状況だ。


「聖女に手をかけようとした現王は退位しろや!」

「主教のイービルなんぞ、一番の悪役顔じゃねーか!」

「そもそも王女プリムはどこ行った? ちっとも表に出てこねーぞ!」

「クリーン様の縛られる御姿をもう一度見たい……」


 そんな不満もまあ当然だろう。王国に起きている不条理を全てクリーンに押し付けて島流しにしてしまったのだ。このままでは王権も神権も打倒されかねない。


 もちろん、これらはセロたちが仕掛けた策略ではあったが、現王も、主教イービルも、さすがに最大の悪手を打たされたという自覚はあった。両陣営共に頭を抱えるしかなく、結局のところ、王党派と革命派は臆面もなく手を取り合うことになった。


 それぞれが抱える虎の子の騎士たちを合わせて、わざわざ神聖・・騎士団を作ったのも、二つの勢力が一本化して、改めて王国を立て直すという意志を明確に示す為だし、何より本音としては、王国民の反乱を恐れたからだ。


 そんな神聖騎士団の団長には、聖騎士団内の派閥争いで団長モーレツと対立していた副団長ハレンチが就いた。


 聖騎士団は王国最高峰の騎士たちが集まる所帯ではあるが、基本的には名家の子弟が多く所属している。実際に、前団長のシュペルは侯爵家の出身だし、現団長のモーレツも子爵家だ。


 その一方で、ハレンチは騎士爵しか持っていない。いわば、現場の叩き上げであって、実力は申し分ないどころか、モーレツと比しても上回るのではないかと騎士団内でも噂されるほどだ。事実、かつて英雄ヘーロスをして、


「王国で単純な武芸によって私に勝てるとしたら――聖騎士団副団長のハレンチ殿か、もしくはいつもどこかをほっつき歩いている放蕩貴族のあの御仁ぐらいだろうか」


 と、言わしめたぐらいで、その力は誰しもが認めるところだった。


 だが、それほどの実力者であるハレンチが副団長で頭打ちになっているのは、貴族としての身分以上に大きな理由があった。


 というのも、このハレンチは、言ってしまえば、元勇者バーバルや宰相ゴーガンに連なる人物なのだ。要するに天上天下、唯我独尊――その傲岸さはバーバルの比ではなく、慇懃無礼さもゴーガンに劣らず、さらには自己評価があまりに高くて、組織の上役に据えるにはあまりに不向きというわけだ。


 モーレツがいるからこそ、その力のみで副団長に就けているわけで、モーレツ後の団長には到底なれないというのが衆目の一致するところでもあった。


 とはいえ、そういう男に限って、一定数以上の子分はいるようで、今回の王国動乱を受けて、ハレンチはついに聖騎士団を二つに割って出た。その結果が神聖騎士団の結成ということになるわけだが――


「あのハレンチが団長って……」

「こないだもろくに金を払わずに、店のアイテムを分捕っていったよ」

「魔導騎士団の騎士たちだったか、肩がぶつかったってだけで半殺しにあったってさ」

「クリーン様の縛られる御姿をもう一度だけでも見たい……」


 これまた当然のことながら、王国民は冷ややかな視線を投げかけるばかりだった。


 もっとも、その神聖騎士団はすぐに一つの手柄を立ててみせた――王女プリムの救出だ。それ以前に、王女をかどわかした元勇者バーバルが逮捕されていたので、王都の広場では神聖騎士団が警護する形で、ついにバーバルの公開処刑が実施された。


 もちろん、このバーバルはよく似た偽者であって、救出も処刑も仕組まれた演出に過ぎなかった。


 だが、そんな台本通りのガス抜きであっても、残酷かつ無慈悲な公開処刑エンターテイメントを目にして満足した王国民の苛立ちは何とか収束に向かっていった。


 これにて王党派や改革派といった体制側に属する者たちはやっと胸を撫で下ろしたわけだが……実のところ、このとき王女プリムも、神聖騎士団長ハレンチも、主教イービルも、また当のバーバルさえも王国にはいなかった。


 では、どこにいたのかと言うと、第三魔王国だった――


「ここまでもぬけの殻になっているなんて、罠を疑いたくなるわね」


 王女プリムが『竜の巣』を進みながら言うと、先導していた人工人間ホムンクルスバーバルは「ふん」と鼻で笑った。


「蜥蜴の考えることにいちいち意味などなかろう。むしろ、俺は邪竜ファフニールとついに戦えると思って、ここまでやって来たんだがな。いやはや、がっかりだよ」

「そう不平を言いなさるな、バーバル殿よ。ファフニール相手ではさすがに貴殿も分が悪かろう」


 バーバルと会ってすぐに意気投合した神聖騎士団長ハレンチが宥めるも、その一方でバーバルは異形となった自らの腕にじっと視線を落とした。


「たしかに分は悪いかもしれないが……魔族になったせいかな。戦って死ぬことこそ誉れという思いが、身中にずっと渦巻いているのだ」

「はは。さすがは勇者殿だな。私もその気概を見習いたいものだ」


 いかにもなおべっかだったが、王国有数の実力者にそう言われて、バーバルも悪い気はしなかった。


 とはいえ、肝心の竜が一匹も見当たらない『竜の巣』や『天峰』というのも何だか不気味に感じられて、さすがにバーバルでも、王女プリムが疑うようにやはり罠だったかと思い始めた。


 主教イービルはというと、先ほどから疑り深い眼差しを周囲にやるだけで、じっと無口を貫いている。供回りの神聖騎士たちもわずかしか連れて来ていないので、どうにも落ち着かない様子だ。


 竜たちが王国西方の上空を大移動しているという報告を受けて、もしやと思って王女プリム一行は第三魔王国に踏み入ったわけだが、まさかここまでもぬけの殻になっているとは思ってもいなかった……


 そんな空っぽの『天峰』を昇っていくと、山頂には塔があった――『神の門バベルの塔』こと軌道エレベーターだ。


 今にも崩れてきそうな天にも届く塔を目の当たりにして、王女プリム以外の皆がその光景に圧倒されて、ぽかんと口を開けた。


 すると、王女プリムの身がぶるりと震えて、わずかに天から後光が差すと、まるで別人のような口ぶりで告げた。


「それでは、人工知能『深淵ビュトス』より天使アイオーンを召喚いたします。各位、受肉アップデートが出来るように門前に立ちなさい」


 さながら神託を受けたかのような厳かな雰囲気だ。王女プリムに受肉していた天使ことモノゲネースが顕現したのだ。


 その宣告を受けて、イービルとハレンチはおずおずと塔の門前に立った。


 次の瞬間だ。


 門がわずかに開くと、二人の肉体に何かが流入した――


 イービルにはエクレーシア、ハレンチにはテレートスという名、いやそういう概念の天使が入り込んで、二人の存在、より正確に言えば体内を巡る魔力マナを上書きしたのだ。


 もちろん、バーバルはとうに魔族に変じて魔核を有しているので天使を受肉することはない。だが、バーバルから見ても二人に相当な魔力量が備わったのが見て取れた。


 が。


 そのときだ。


「これで長らく守ってきた冥王との約定を明確にたがったことになるわね」


 王女プリム一行の背後には、いつの間にか、一人の女性が立っていた。


「誰だ!」


 バーバルが刃を構えるも、すぐに顔をしかめることになった。


 というのも、その人物とはかつて顔を合わせたことがあったからだ。一度でも相まみえたならば絶対に忘れることはないだろう――美しいという言葉はまさにこの者の為に創られたと思わせるほどに見目麗しい。


 深紅の双眼が柘榴石ガーネットのようだとしたら、肌はまるで白い大理石だ。


 その唇は血をすすったかのように妖しく艶やかで紅く、髪は白銀に幾つも煌めいて、それでいて身に纏っているマントは闇そのものだ。ビスチェのような大胆な衣装は、見ているだけで深い『魅了』に誘われる。


 そんな至高の芸術のような存在が――いかにも劣悪な合成獣キメラであるバーバルをはっきりと見下していた。


「く、ふふ」


 いや、もしかしたら懐かしき者との再会を面白がっているのかもしれない。


 あるいは、虫けらを視界に入れたことで不快に感じているのかもしれないし、ちょうど良い玩具を見つけたことを存外喜んでいるのかもしれない――何にせよ、バーバル程度の力ではその女性の表情から何も読み取ることが出来なかった。


 バーバルはすぐに悟った。あのときと同じだ。二度目に第六魔王国を訪問して、この者の長女・・・・・・に出会ったときと全く同様の状況に、今、バーバルは立たされていた。


 もちろん、バーバルは混乱するしかなかった。たしかにあのとき聖剣によって魔核を貫いて消滅させたはずだ。その感触だってまだこの手にあった。そもそも、第六魔王・・・・討伐はバーバルの人生の絶頂期クライマックスでもあったのだ。忘れられるはずがない。


 それなのに、こうして当の人物がのうのうと生き永らえているということは……


 そんな当惑のせいか、バーバルの差し向けた刃は小刻みに震えていた。一方で、その女性は口の端をわずかに緩めてみせる。


「あら。もしかして再戦したいのかしら、坊や?」


 それはまるでちょっと散歩にでも出掛けようかといったふうな、いかにも軽やかで何気ない声がけに過ぎなかった。


 だが、バーバルは心の底からゾっとした。


 その深紅の魔眼に捉えられただけで、百回以上殺されたかのような錯覚に陥ったせいだ。


 魔族としての格が圧倒的に違った。というか、そもそも以前会ったときとは全く別人と言ってよかった。


 北の魔族領でこの者の長女ルーシーと出会ったときには、ルーシーこそが真祖かと錯覚したものだが……いやはや、その比ではない。本物の真祖カミラ・・・・・がこれほどの化け物だったとは……


 バーバルはついじりじりと後退した。


 背後をちらりと見ると、天使が受肉したばかりのせいか、イービルも、ハレンチも、魔力マナが不安定だった。まだ戦える状態ではない。


「ちいっ!」


 バーバルは舌打ちした。


 もっとも、戦って死ぬことこそ誉れと言うならば、今まさにこのときかと思い直した。これほどの魔族が相手ならば不足はなかろう。


 そんなふうにバーバルが決意を改めたときだ。ふいに王女プリムが「勘弁してほしいわ」と呟いた。


「あまり私の玩具で遊ばないでいただきたいのだけど?」


 王女プリムはそう言って、バーバルの左肩にぽんと何気なく手を乗せた。


 バーバルにとっては、玩具という言葉は聞き捨てならなかったが、たしかに人工人間にされた上に、今も唯々諾々と第三王国まで邪竜ファフニールと戦えると誘われて、ほいほいと付いてきたわけだから、王女プリムの尻に敷かれていると指摘されても文句は言えないだろう……


 すると、真祖カミラは「ふふん」とまた笑みを浮かべてみせた。氷のような微笑だった。バーバルはつい背筋が凍りついた――


「あら、ごめんなさい。人族に天使が受肉する様を見るなんて、古の大戦以来のことだから、少しだけ興奮しちゃったのよ」

「嘘つき。今、一瞬だけ、私たち全員をこの場で始末してしまおうかしらと本気で考えたでしょう?」

「はは。当たり! 正直、今でも少し悩んでいるぐらいだわ」

「せめて約束は守ってよね」

「分かったわ。まあ、その方が新しい大戦・・・・・も楽しめそうですし、何より私の目的も達成出来る可能性も高いし……」


 そのとき、バーバルの口から「新しい大戦?」と、ふと疑問が漏れた。それに対して、真相カミラは呆れた顔つきになった。


「当然でしょう。魔族との約定違反は世界大戦に繋がるわ。天界も。冥界も。そして、この地上世界も。今度こそ、大陸全土が戦火に巻き込まれるでしょうね」

「つまり、このもぬけの殻の状況はやはり罠だったと言いたいのね?」


 王女プリムが肩をすくめてみせると、


「邪竜ファフニールはもともと冥王の子飼ペットに過ぎないわ。貴女たち、結局のところ、嵌められたのよ」


 真祖カミラはそこまで言って、「じゃあね」と一瞬で姿を消した。


 おそらく認識阻害だ。真祖カミラ自身はまだ近くにいるはずだ。とはいえ、バーバルはいまだに惑わされていた。


 今でも首筋に牙を立てられているかのように、甘い吐息を感じていた。いや、違うのか。これもまた認識阻害によってそう感じさせられているだけなのかもしれない……


 何にせよ、バーバルはごくりと唾を飲み込んだ。


 まだまだ上には上がいる。王女プリムこと天使モノゲネースにもバーバルは敵わないし、このカミラに関しては全く手も足も出ない状況だった。ということは、邪竜ファフニールにも――


 何より、このままではおそらく生涯の敵セロにも……


「ちくしょう!」


 バーバルはそう吐き棄てつつも、ここでの用を済ませた王女プリム一行と共に足早に天峰を下りることにした。


 冥王の罠だろうが、世界大戦だろうが、何でもいい。バーバルは力の限りに暴れたかった。この『魔眼』によって旧友を捉えたかった――


「待っていろよ、セロ……今度こそ俺の剣を届かせてやる」


 何にしても、後日、王国の現王は国民に対して王党派と改革派の協調を改めて発表して、王女プリムのもとに一致団結するように呼び掛けた。ついに王女プリムが政治の表舞台に戻ってきたのだ。


 折しもその日は、第二聖女クリーンが大軍を引き連れて、大陸南西の港湾都市に戻ったタイミングだった。世界大戦の前哨戦とでも言うべき、王国内での会戦が近づいていた。



―――――


明日は「キャラクター表など」を投稿予定です。よろしくお願いいたします。

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