第185話 島嶼国騒乱(終盤)

 果たして、どこで何をどう間違ってしまったのか――


 女聖騎士キャトルはやれやれと、額に片手をやるしかなかった。


 勇者パーティーだけでなく、続いて聖女パーティーにも選ばれて、実際に第二聖女クリーンと幾つか言葉を交わしたとき、キャトルはこれでやっと聖騎士として真っ当なキャリアを積むことが出来ると感じたものだ。


 クリーンには元勇者バーバルのような傲岸さは微塵もなく、一方で頭がとても良く、他者の言葉にもしっかりと耳を傾け、何より英雄ヘーロスや巴術士ジージといった歴戦の強者つわものにも全く退かずに、やるべきことや言うべきことをはっきりと告げた。


 まさに理想的な上司だと、キャトルも同性ながら惚れ惚れとしたほどだった。


 当初は第六・・魔王討伐という大任を押し付けられて、険しい表情をしていたときもたまにあったが、それでも微笑みを絶やさずに、聖人として相応しい振舞いをしてきた。


「そう考えると……その第六魔王国に行ってからですか?」


 キャトルはそう呟いて、「はあ」とため息をついた。


 一度目の訪問時はまだよかった。厳しかった顔つきがさながら憑き物でも取れたかのようになって、何もかもから解放された、清々しい表情をするようになった。


 これにはキャトルも、「ほっ」と息をついた。クリーンにはいつも笑みを浮かべてほしかったからだ。


 ただ、第五・・魔王を討伐した直後の二度目の訪問時からどこか怪しくなった。せっかく解放されたはずなのに、今度は自ら望んで律するようになったのだ。それもキャトルが思ってもいなかった方向で……


「あのときに止めていれば……もしかしたら少しは違ったのかもしれません」


 キャトルはギュっと下唇を噛みしめた。


「それでは、キャトル。いきますよ!」


 いきます――の『いく』が行くなのか、はたまたイクなのか、微妙なニュアンスの違いをキャトルも感じ取ったわけだが……


 何にしても、キャトルはそれだけでクリーンの意図を理解した。


 というのも、この半月ほど、島嶼国へと赴く馬車上でクリーンが修行していた姿を見ていたからだ――そう。クリーンとて無駄に縛られていたわけではなかった。あの緊縛も修行の一環だったのだ。


 そんなクリーンの意を受けてキャトルはすぐに指示を出した。


「ドゥーズミーユ! 巨大蛸クラーケンのいるあたりに何か攻撃を加えてください!」

「キュイ!」


 ドゥーズミーユはすぐさま『溶岩マグマ』を落とした。さすがに大魔術なので、ドゥーズミーユも疲労したのか、「キュイ……」とその場にへたり込んでしまった。


 が。


「あちち! あちち!」


 効果は抜群だった。


 沸騰して水蒸気が立ち上がるのと同時に、クラーケンは思わず海上に姿を現したのだ。


 その瞬間をクリーンは見逃さなかった――


「全てを束縛せよ! 新聖防御陣、『大聖流』!」


 クリーンは流れるように祝詞を謡った。


 もちろん、クリーンとてこれまで切り札にしていた『聖防御陣』が実力を持った魔族に対して有効でないことは理解していた。


 吸血鬼のルーシーには触れただけで破られたし、泥竜ピュトンには簡単に解析されて張ったそばから無効化された。いわば、護国の法術としては欠陥品だ。


 ならば、高潔の元勇者ノーブルが伝え聞いていた百年前の『聖防御陣』を素直に教えてもらうか否か――


 そこでクリーンは一つの答えを出した。魔族に教えを乞うのではなく、自ら創造しようと考えたのだ。そして、クリーンはそのアイデアの発端として自ら縛られることを思いついた。


 クリーンの名誉の為に言っておくと、最近、やたらと縛られたがるのは性癖的にあれだからというだけではなく、一応はちゃんとした理由もあったのだ。


 つまり、以前の『聖防御陣』が敵の攻撃を防ぐ壁だとしたら、新しいそれこと『大聖流』は敵の攻撃を拘束する紐だ。そう。聖なる光によって、クリーンはクラーケンの巨体を見事に縛り上げたのだ。


 法術にしろ、魔術にしろ、想像することこそ、創造に繋がるわけで、クリーンの理想の緊縛をそのまま具現化させた『大聖流』による拘束は非常に強固なものだった。それこそ、今の緊縛ならばセロにすら通用する可能性があるほどだ。


 そんな性癖的な集大成にクラーケンは文字通り手も足も出なかった。まあ、手はないのだけど。


「ちくしょう! 全くほどけないぞ!」


 聖なる縄で見事に縛られたクラーケンの巨体が海面にじわじわと浮かんできた。


 それに対して、マン島の戦士たちは好機と見て船を出し、また海上ではやられる一方だった蜥蜴人リザードマンたちも攻撃に転じて、さらには無駄に被害を受けた魚系の魔族たちも仕返しとばかりに殺到した。


「斬って斬って斬りまくれー!」

「この触手野郎め! 海の上で我が物顔しやがって!」

「何が第八魔王だ。体がでかいってだけでボス面して威張り散らかしやがって!」

「貴重な触手キャラのくせして縛ることも出来ないとはこの無能めが!」


 と、まあ、島嶼国形勢以来、どういう訳か、初めて人族、亜人族と魔族が手と手を取り合って、クラーケンに攻撃を仕掛ける光景はまさに圧巻だった。いかにクラーケンが皆に対して長らく迷惑を掛けてきたのか、これだけでもよく分かるというものだ。


 それはさておき、ここでクリーンは再度、ダークエルフたちと砂浜で接触した。


 そもそも、クリーンが最初に遅滞戦術を取ったのには理由があったのだ。ダークエルフを通じて、とある・・・人物と連絡を取ってもらう為だ――


「はじめまして、海竜ラハブ様。私は王国の第二聖女クリーンと申します」


 ダークエルフが手渡してきたモノリスの試作機を受け取ると、クリーンはラハブにまず挨拶した。


 二人には当然面識がない。ラハブが猪突猛進に第六魔王国に突っ込んでいったのは、ちょうど聖女パーティーが王国に帰還した後だった。


「うむ。がラハブだ。ところで王国の聖女がいったい何の用だ?」

「どうか、お力をお貸しください。蜥蜴人を味方に引き込みたいのです」

「嫌だ。面倒臭い」


 クリーンは面食らった。


 ずいぶんと直截的な物言いをする人だなと思ったが、むしろこちらの方が腹芸をせずに済むからやりやすいとも考え直した。


「そう仰らずにお聞きください。ラハブ様にとって利点が二つもあるのです」

「ほう。では言ってみよ」

「はい。一つはルーシー様に大きな貸しが出来るということです」

「はあ? ルーシーに貸しだと?」

「その通りです。今、このマン島にはルーシー様の妹君であるラナンシー様がおります。その助けになることで、ルーシー様は恩に着るはずです」


 だが、ラハブは眉をひそめて難色を示した。


「気が乗らんな。別にルーシーに貸しなど、どうでもいいことだ」


 これでラハブとルーシーの関係がクリーンにもある程度把握出来た。つまり、女同士の友情を前提として話をしても埒が明かないというわけだ。だから、クリーンはすぐに話の角度を変えた。


「それでは、もう一つ――セロ様に大変喜ばれます」

「ほう。それはどういう意味だ?」


 今度はラハブも画面越しでも分かるほどに身を乗り出してきた。


「今回の島嶼国での作戦はセロ様も関わっています。失敗すればさぞかし悲しまれることでしょう」

「ふむ。一理あるな。だが、余を説得するにはまだ弱い。そもそも余がそこのダークエルフ同様に、また蜥蜴人の仲介をしてやったとして、貴様の小狡い考えが必ずしも成功するとは限らん。クラーケンは楽な相手ではなかろう?」


 これにはクリーンも驚いた。


 まるで現状でも見透かしているかのような物言いだ。いや、もしかしたら直前にダークエルフからある程度の情報を仕入れていたのかもしれないが……


 何にしても、たしかにこのままクラーケンに致命的なダメージを与えられず、時間経過と共に『大聖流』から逃れられて、また海中で『大海流』でも連発されたら、形勢は一気に逆転する可能性だってある。


 それだけクラーケンは堅いというよりも、あまりに巨大でダメージが通っているのかどうか分かりづらいのだ。


 だが、そのとき意外なところからクリーンに加勢する者がいた。


「キュイ。キュ、キュイキューイ」


 ドゥーズミーユが会話に割り込んでくると、


「おお! それはたしかにとても良いアイデアだな。余も第六魔王国への輿入れで、セロ様に何をプレゼントするか、ちょうど悩んでいたところだ!」


 ラハブはその意図を理解して、パンっと手を叩いたのだ。どうやら蜥蜴系同士、コミュニケーションには全く困らないらしい。


 とはいえ、クリーンにはさすがに何を言ったのか分からなかったので、困った表情でキャトルに視線をやった。


「クラーケン、美味しそう。セロ様、海の幸、喜ぶ――ドゥーズミーユはそう伝えましたよ」


 キャトルが翻訳すると、クリーンはつい遠い目になった。


 さっきもドゥーズミーユはクラーケンを見て美味しそうと言っていたが、あんな巨大な魔族を食べるという考えに唖然とするしかなかったし、それでラハブまで見事に釣られるとは……クリーンでは絶対に思いもつかなかったアイデアだ。


「よし! いいだろう。王国の聖女クリーンよ。手伝ってやる。今日は早速、蛸の丸焼きだな」


 とにもかくにも、ドゥーズミーユの一言でラハブは乗り気になってくれたようだ。


 というか、蜥蜴人の仲介どころか、むしろクラーケン討伐までやりかねない勢いだ。しかも、とても不思議なことに、モノリスには見慣れた景色が映し出された――


 それは海だった。


 しかも、その中心には島があった。


 間違いない。マン島だ。さらに接近しつつあるのか、海上まで映し出されると、クラーケンを倒そうと蟻のようにすがりつく三種族まで見えてきた。


「まさか!」


 クリーンは上空を見た。


「ふふん。貴様らは運が良い。今日の余はご機嫌だ。セロ様も蛸料理にはさぞお喜びなることだろう。なるほど。義父様が言っていたが、旦那様の胃を掴めとはこういうことだったか」


 いつの間にか、遥か上空では、美しき竜人の少女が水の羽を広げて滞空していたのだ。


「海上にいる者どもよ! こんがり焼き上がりたくなければ、早々にどくがいい!」


 そんな宣告に対して、まず蜥蜴人が真っ先に「退避―っ!」と叫んだ。


 マン島の戦士たちは事態をいまいち飲み込めずに訝しげな表情を浮かべるも、魚系の魔族たちが上空を指差して、「げえっ! ラハブだあああ!」と叫ぶと、双方、一目散に逃げ出した。


 どうやら亡き水竜の一人娘はこの海域では相当に恐れられているらしい。それこそ自称第八魔王とは比較にならないほどに――


 そんなラハブが聖なる縄で拘束されているクラーケンに粛々と告げた。


「クラーケンよ。古の大戦の頃はまだ小さな蛸の魔族だったものが、よくもまあこんなに美味しそうに育ったものだ。今度は丸焼きをいただこうぞ……じゅるり」

「ラ、ラハブ……様……お久しぶりです。えーと……先日も、三本ほど脚を納めたはずですが?」

「足りん」

「い、いや、我の丸焼きなぞ決して……美味しくはないですよ」

「それは食ってから決めることだ」

「ど、どうか……お許しください」

「第八魔王などと自称せず、海の果てで大人しくしていればよかったのだ。所詮、この世界は弱肉強食。ここでこんがりと焼けてセロ様の食卓に上がるがいい!」

「こんちくしょうがああああああ!」


 次の瞬間、ラハブの口から凶悪なエネルギー波が放たれた。


 それはドゥーズミーユの『溶岩』よりも数段以上も高火力な攻撃で、クリーンは一瞬だけ、直撃したクラーケンが消滅してしまったのではないかと目を見張ったが、どうやらラハブもさすがに攻撃を上手く調整したらしい。


 さながらオーブンがチンっと鳴ったかのように、気がつくと海上にはこんがりと美味しく焼きあがったクラーケンが浮かんで、さらには磯の香りまで漂っていた。


「勝った! 勝ったぞー!」


 果たして誰が何の為に勝ったのかはさておき――こうして三種族は揃って勝鬨を上げたのだった。



―――――


なぜラハブが島嶼国上空にいたのかについては次話で説明が入ります。

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