第184話 島嶼国騒乱(中盤)

「おい! クリーン! いったい何をしてくれるんだよ!」


 女海賊こと妖精ラナンシーは城塞から見下ろすようにして、砂上にいる第二聖女クリーンを強く非難した。


 当然だ。覚悟を決めて本土決戦をしようとしたら、巨大蛸クラーケンだけでなく、クリーンまでが勝手に割り込んで、人族と亜人族との戦いを邪魔してきたのだ。


 もっとも、前者についてはまだいい。こういう三竦みの戦いは過去にもよくあったし、どのみち蜥蜴人リザードマン同様に、最果ての海域に棲息している魚系の魔族も打倒すべき敵だからだ。


 もちろん、ラナンシーも魔族ではあるのだが、たとえ同族とて牙を剝いてきたなら明確な敵に違いない。その点、魔族同士の対立はとりあえずぶん殴って従わせればいい、という単純な価値観が共有されているから分かりやすい……


 ただ、人族の場合は少々事情が異なってくる。


 というのも、ここにいる千人近いマン島の戦士たちは皆、共通した思いを持っているのだ。それは紛う方なく、郷愁――


 そもそも無実の罪で王国を追われた本人、もしくはその子孫たちばかりだ。いつかはその罪を晴らして帰り咲きたい。錦の旗とまではいかなくとも、叶うことなら一旗揚げて故郷に戻りたいと願う者たちなのだ。


 だからこそ、今の王国に対してもマン島の人々はあえて面従腹背してきた。


 さながら修験者のように自らを厳しく律して、肉体を苛烈に鍛え上げることによって邪念を排し、いずれは蜥蜴人たちを制し、また魔族も討伐して、そんな圧倒的な力をもって故郷に凱旋する――


 言ってしまえば、今回の蜥蜴人との決戦はそんな道のりの中間目標メルクマークでもあったのだ。


 それを巨大蛸クラーケンだけでなく、よりによって同じ人族のクリーンにも邪魔されたとなると、憤るのは当然のことだろう。


「本当に何をやってくれているんだ……あの尼さんは!」


 そんな戦士たちの思いをよく知っているからこそ、ラナンシーは憤った。


 そもそも、クリーンが主張するような「クラーケンを討つ為に人族と亜人族が手と手を取り合う」などといった綺麗事は絵空事でしかなかった。


 もちろん、それは蜥蜴人とて同様で、遥か昔にこの島々に勝手に入植してきた人族など、最早排除の対象でしかなく、協力するなど到底ありえない話だった。


 心酔する海竜ラハブの命令があったからこそ、ダークエルフには助力をしたが、それとてマン島を攻め立てる為の口実に使ったぐらいだ。さほどに両種族の間には決定的な乖離があった。


 だから、クリーンが幾ら声高に、「クラーケン討伐に協力を!」と叫んでも、共闘など実現するはずもなかった……


「ふん。威勢のいい人族の女がいるな。いいだろう。この触手で散々に弄んでやるぞ!」


 一方で、海上のクラーケンは強大だった。


 少なくとも各個で好き勝手に戦って倒せる相手ではない。第八魔王を勝手に・・・名乗っているのも伊達ではないのだ。


 そんなクラーケンはというと、マン島の外海付近に展開していた蜥蜴人たちの軍勢を背後から急襲する形であっという間に蹴散らして、今度は島の海岸に立った剣岩に取りついた。


 岩に付与された『聖防御陣』がばちばちと発光して、クラーケンに雷撃にも似た聖なるダメージを与えたものの、どうやら海の中に雷が流れ込んで霧散していくようだ。これではさしてダメージが期待出来ない。


 その様子を見て、ドゥーズミーユは「キュイ!」と土魔法で石礫を無数に投げつけた。


「ちい! 厄介なのがいやがるな」


 クラーケンもその攻撃にはたまらなくなったのか、いったん海に潜った。


「というか、なぜ同じ魔族が人族になぞ協力をするのだ?」

「キュキュイ、キューイ!」

「所詮は大きくなった蜥蜴か! むしろその言葉、そのまま返してやるわ!」


 もっとも、どんな会話が繰り広げられたか、ラナンシーも、クリーンも分からなかったので、二人とも女聖騎士キャトルに視線をやった――


「蛸の足は思ったより美味しそうだと、ドゥーズミーユは申し上げました」

「…………」


 そんな説明をして、巨大化したドゥーズミーユの頬を撫でるキャトルに対して、二人とも何も言えなかった。


 すると、しばらくの間、まるで凪のようなしんとした静寂が過ぎていった。「まさか逃げたのか?」と、マン島の戦士たちも、蜥蜴人たちも、全員が一斉に眉をひそめた。


 そのときだ。


「全てを飲み込め――『大海流シーウェーブ』!」


 海の潮目が一気に変わって、先ほどまでクラーケンのいた場所が大きく渦巻いていった。さらには剣岩よりも遥かに大きな津波がマン島に一気に押し寄せてくる。


「うわああ!」

「逃げろ! 巻き込まれるぞ!」

「クラーケン様! なぜ我々までも――」

「せめて触手で縛られたかった……」


 その大波はマン島の近海にいた蜥蜴人たちだけでなく、眷族たる魚系の魔族までも巻き込んだ。しかも、『聖防御陣』を突き破って剣岩を軽く超えると、砂浜にいたマン島の戦士たちにも多大な被害を与えた。


「くそが! あの蛸野郎。めちゃくちゃにしやがって!」


 女海賊ことラナンシーが悪態をつく。


 だが、またもや海の潮目がしだいに変化していった。


 どうやらクラーケンが海中にいる間は連発が可能らしい。もちろん、こんなものを何発も喰らったら、海にいる蜥蜴人や魚系の魔族も全滅するし、マン島自体とて波に飲み込まれかねない。


 逆に言えば、それだけクラーケンも、マン島の戦士と蜥蜴人が総動員されたこの戦いをある種の節目とみなしたのだろう。これまで以上に本気のようだ。


 そんなクラーケンの本気の攻撃を受けたせいか、さすがに誰もがクラーケンを先に何とかしなくてはならないという共通認識だけは持つことが出来た。


 ただ、マン島の戦士たちにとっては船を出さないことには海中にいるクラーケンを攻撃する手段がないし、その一方で蜥蜴人にしてみても、海中に潜ってもまた『大海流』に巻き込まれるようではたまったものじゃない……


 直後だ。


 クリーンはキャトルに視線をやった。


「あまりにも強大な禁術故ゆえに、これまで秘匿してきましたが……私はあれを試してみます。手伝ってくれますか?」


 クリーンはそれだけ言って、意外にも軽い身のこなしで剣岩を昇っていったのだ。そして、クラーケンのいた海域あたりに向けて声を発した。


「クラーケン! 貴方が『大海流』をもってして、私たちを滅しようとするのならば、王国の聖女たる私は最大の防御法術によって抗いましょう! ――『大聖流・・・』です!」


 大海流に対して、大聖流――


 なるほど、聖なる力の流れで対抗するのだなと、マン島の戦士たちも、蜥蜴人たちも、あるいはラナンシーも思い至ったのだが、そんな禁術に振られたルビに誰しもが眉間に皺を寄せた。


 そう。クリーンはたしかに言ったのだ。よりにもよって、これから放つのは――『大聖流ホーリー・ボンデージ』だと。

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