第183話 島嶼国騒乱(序盤)

 大陸南西の海域にあるマン島の海岸にて、人族の戦士と蜥蜴人リザードマンたちはかれこれ数時間ほど睨み合っていた。


 海岸と言っても、砂浜から続く小道は岩壁によってしだいに狭まっていく。マン島の中心に上がるにはその道を通るしかなく、島自体は断崖絶壁に囲まれた離島だ。そんな天然の要害の上に洋館――というよりもむしろ城塞は建っていて、砂浜を見下ろすように防御陣地が幾重も築かれている。


 もっとも、人族の戦士が幾ら屈強と言えども、その数はわずか千人ほどだ。それに比して、蜥蜴人たちは外海にて遠泳している者たちも含めると数千に及ぶ。


 城塞の一部である洋館から急いで出てきた第二聖女クリーンや女聖騎士キャトル、さらには随伴していた神殿の騎士たちが客観的に見積もっても、人族の戦士たちは英雄ヘーロス級とまではいかないものの、よく鍛えられている上に、練度が高いこともあって、王国の聖騎士団に見劣りはしない。


 むしろ、王国の盾が聖騎士団ならば、マン島の戦士たちは剣に例えてもいいかもしれない……


 だが、個の力と言うならば、当然のことながら蜥蜴人だって負けてはいない。


 そもそも、亜人族は人族よりも長寿なこともあって、素のステータスで秀でていることが多い。その分、自らの文明に籠りがちになって出てこないのは、エルフ種も、ドワーフ族も同じなわけだが……何にしても対峙している人族の戦士たちと引けを取らない実力を持っているのは確かだ。


 それに加えて、蜥蜴人は水陸両用で戦える種族でもある。水よりも陸の方が動きは鈍くなるようだが、さすがに倍以上の数の暴力に人族の戦士たちが容易に抵抗し得るとは思えない。


 そんな人族を統べる真祖カミラが三女、妖精ラナンシーはというと、クリーンたち一行が洋館から出てきたのを見届けると、岩上から砂浜にいる蜥蜴人たちに向けて大声を発した。


「まずは客人を返そう! 迷いの森のダークエルフ共々、早々にこの戦場から立ち去らせるがいい!」


 ラナンシーがそう呼び掛けると、蜥蜴人たちも肯き合った。


 そして、砂浜に上がっていたダークエルフたちを岩間の狭い小道へと進むように促した。


 もちろん、人族の戦士も攻撃を仕掛けることはしない。ダークエルフたちはいったん二手に分かれて、一方は砂浜から出向する小舟の用意、もう一方は坂道を急いで上がってクリーンたちに合流した。


「聖女殿、ご無事でしたか?」


 ダークエルフの中からリーダーらしき者が声をかけてくる。


「はい。ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」


 クリーンはそれだけ言って、わずかに目を伏せた。


「ところで、人質でいる間、無体なことはされなかったですよね?」


 その質問に、場が一気に緊張した――


 もちろん、無体なことはされた。だが、ここでもしクリーンが「拷問されました」と答えようものなら、ダークエルフたちは人族の戦士たちに刃を向けかねない。


「…………」


 ラナンシーも、人族の戦士たちも、またキャトルでさえも、これはマズいと感じつつも沈黙するしかなかった。


 そんな重苦しい沈黙に対して、当然ダークエルフたちは眉をひそめたわけだが、一方でクリーンはというと、さも平然と答えてみせた。


「全く何もされませんでした。ちょっとばかし、がっかりです」


 何ががっかりなのか。さすがにダークエルフたちも首を傾げたわけだが……


 とにもかくにも、その場の全員が「ほっ」と息をついて、今回ばかりはクリーンの筋金入りのあれ・・さ加減に感謝した。たまには役に立つものである。


「そういえば、ダークエルフの皆様はどうやって蜥蜴人たちの協力を得られたのですか?」


 今度はキャトルが疑問に思っていたことを口にした。


 同じ亜人族とは言っても、海竜ラハブの書簡を持ってきたぐらいでこうも簡単に手伝ってくれるものなのだろうか……


 すると、ダークエルフのリーダーはアイテム袋から手の平サイズの小さなモノリスを取り出してきた。一見すると、よく研磨された綺麗な石にしか見えなかったわけだが、


「これにてラハブ様と連絡が即時で取れるのです。もともとは第三魔王国の秘宝だったようですが、すでに人造人間フランケンシュタインエメス様が試作品を作り上げて、大量生産をしたことによって、こうして私たちも報告用に持たされています」


 キャトルはクリーンと顔を見合わせた。第六魔王国は浮遊城といい、巨大ゴーレムといい、今度はモノリスの試作機といい、その技術はまさに日進月歩だ。


「それでは聖女殿にお付きの騎士殿。この島から出航します。ところで、ルーシー様から依頼のあった末妹のラナンシー様に関する情報は何かしら手に入ったのでしょうか?」


 ダークエルフのリーダーがそう問い掛けると、クリーンは女海賊にちらりと視線をやった。


 すでにラナンシーは認識阻害によっていかにも海賊の頭領といった姿に変じていた。その手の闇魔術に詳しいダークエルフでも全く気づかないぐらいだから、さすがは真祖直系の吸血鬼といったところだろうか……


「ま、まさか……あそこで威張り散らしている人族の女がラナンシー様なんですか?」

「はい。その通りです。如何しますか?」

「いや、それはそのう……如何も、何もありません。私たちが命じられたのは、王国を平定するまで聖女一行を陰ながら護衛することであって、ラナンシー様の保護ではありません。ここは素直に退きます」

「そうですか。ちなみに、それは誰の命令に当たるのですか?」

「もちろん、我らが主君セロ様です。もっとも、より正確に言えば、ルーシー様の命になりますが――」

「では、この手紙をご覧いただけますか?」


 クリーンは懐に忍ばせていた一枚の手紙をダークエルフたちに見せた。すぐに目を通したダークエルフのリーダーがクリーンに向けて訝しげな視線を返してくる。


「もしや、聖女殿はこのマン島の人族を守るおつもりですか?」

「はい。私は王国の聖女です。たとえ配流されたとはいえ、無実の・・・王国民の危機を見逃すことは出来ません」


 クリーンはきっぱりとそう言い切った。


 実のところ、ルーシーの手紙には驚くべきことが書いてあったのだ。それは泥竜ピュトンを尋問して得られた情報だったわけだが――


 要は、巴術士ジージが宮廷魔術師を引退して、ピュトンが現体制を裏で操るようになってから数十年ほど、このマン島には現王を諫めたというだけで罪に問われた貴族、騎士や聖職者たちが秘かに流されたとあったのだ。


 たとえ死んでも何ら問題のない無辜むこの市民たちは西の魔族領の不死王リッチのもとに送られて亡者となり果てて、その一方で身柄を拘束して、人質などとして利用出来そうな者たちはこうして島流しにされてきた。


 しかも、王女プリム側についている貴族たちの中にも、失踪した親族や友人をいまだに探して者たちもいるようで、彼らの協力を取り付ければ、現在の王政や神殿勢力を崩すのが容易になるはずだとも記してあった。


「しかしながら、聖女殿。戦況は明らかに多勢に無勢――完全な劣勢です。先ほども言った通り、私たちの目的は貴方がた一行の護衛になります。このまま強引に聖女殿を抱えて本土に戻ってもいいのですよ?」

「そうは言っても、これはおそらくルーシー様の描いた策略の一環でもあるはずです」

「ですが、ルーシー様が手紙を書かれたときとは状況が異なります。繰り返しますが、撤退を進言します」


 すると、さすがに話が長引いてしまったせいか、


「おい! お前ら、いつまで島から出ずに、ごちゃごちゃと喋っているんだ? さっさと早く、ここから出て行ってくれ」


 女海賊に扮したラナンシーに一喝されてしまった。


 その言葉にダークエルフたちも肯く。蜥蜴人たちとて、そろそろ我慢の限界だ。決戦の戦端が開かれるのを今か今かと待ちわびている。


 そもそも、ラナンシーも、人族の戦士たちも、第二聖女クリーンの協力など、ちっとも望んでいないのだ。余計なことをして彼らの誇りを傷つけては元も子もない。


 が。


 このとき、状況が大きく動いた。


 マン島から見て南の海域――最果ての魔族領で蠢くものがあったのだ。


 さらにはマン島と同じ大きさの島が海から浮かび上がってくると、八本の触手がうようよと動き出した。巨大蛸のクラーケンだ。どうやら魚系の魔族こと眷族を大量に引き連れてやって来たらしい。


「はん! 猿どもと、蜥蜴どもが騒がしいと思ったら、ものの見事に全員集合ではないか!」


 クラーケンはその巨体を誇らしげに見せびらかすと、マン島の外海にいた蜥蜴人たちを蹴散らすように眷族に命じた。


「第八魔王クラーケン様の恐ろしさを思い知せるがいい!」


 しかも、クラーケン本人はマン島へと突進してきた。


 直後だ。クリーンは閃いた。


 翻る聖衣の裾も気にせずに全力で走って、砂浜まで出て行くと、クリーンは蜥蜴人たちにも聞こえるように声を張り上げたのだ。


「私は王国の第二聖女クリーン! 魔王討伐こそ、聖女パーティーに課された宿命!」


 もっとも、この場にいた肝心の聖女パーティーの面子はというと、女聖騎士キャトル、たった一人しかいなかったわけだが……


 そんなキャトルではあったが、クリーンがここにきて何をしたいのか、すぐに理解出来た。要は第五魔王国アバドンのときと同じだ。人族と魔族が手を取り合えたのだから、人族と亜人族ならさほどの障害はあるまい――だから、クリーンを追いかけて砂浜に出ると、胸もとから一匹のヤモリを呼び出した。


「ドゥーズミーユ!」

「キュイ!」


 陸の上ならドゥーズミーユに敵う者はこの場にはいない。


 ドゥーズミーユはすぐに巨大化して、得意の土魔法によって大剣のような巨岩を次々に出現させてマン島の海岸に大きなバリケードを作った。さらに今度はクリーンが続く――


「私は王国民を守りたい! 囲め、『聖防御陣』!」


 次の瞬間、聖なる光の壁が剣の岩をコーティングするかのように拡がっていった。これで外界にいた蜥蜴人たちも、水棲の魔族も、もちろんクラーケンとて早々には攻めてこられない。


「さあ、第八魔王クラーケンとやら、私が相手になってみせます。皆さんも、どうかよろしくお願いいたします」

「は?」

「ええ……」


 人族の戦士も、蜥蜴人も、共に戸惑いの声を上げるしかなかったわけだが、何にせよこうしてクリーンは遅滞戦術によって時間稼ぎをはかったのだった。

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