第182話(追補) 映画『セロ』
その夜、第六魔王国の魔王城では警戒態勢レベル3が発令されていた。
これは主に戦闘能力にさほど長けていない者――たとえば畑作業に従事するダークエルフたち、吸血鬼の中でも爵位の低い者たち、あるいは人族の冒険者のうちで見事に魔王国に寝返った者たちなどが、魔王城の中でもシェルターとされる地下階層に退避する意味合いを持つものだ。
当然、それらに該当する者たちは速やかに地下階層に駆け込んだ。
ただし、
理由はとても単純だ。果たして今回、いったい何に警戒していたのかと言うと――
それはよりにもよって、第六魔王こと愚者セロだったのである。
……
…………
……………………
「セロ様……セロ様……?」
ダークエルフの双子ことドゥは軽く――本当に、こつん、こつんとだけ、柩を叩いた。
本来ならばすぐにでも地下階層に退避すべきドゥだったのだが、今回は大役を担っていた。いわゆる
「ふう。大丈夫ですね」
ドゥはそう呟くと、セロの寝室の隅に設置してあった
その瞬間、魔王城の地下最下層にある司令室では歓喜の輪が広がった――
「成功だ!」
「我々の勝利だ。やったぞ!」
「まさか本当に上手くいくとは……私たちでもセロ様の域に届くということか」
「これは第六魔王国にとっては小さな一歩だが、世界にとっては偉大な一歩である」
もっとも、そんな喧騒は
「よろしいですか、ドゥよ。可及的速やかに現場から立ち去るのです。一切の証拠を残してはいけません。
「りょーかいです」
ドゥは手に持っていたモノリスの試作機で応じると、柩から数歩ほど離れたところで「んー」とわずかに首を傾げた。
「ところでエメス様?」
「どうしたのです?」
「バナナを食べていいですか?」
「ドゥよ。帰って来るまでが遠足なのです。バナナはここでも食べられます。
要は、ドゥはおやつのバナナで釣られてしまったのだ。しかも、夕食に供されたエメスの分だけではない。何なら司令室にいる全員の分ということもあって、魔王城の正門から出てすぐの絶対零度の断崖こと氷庫には今、たくさんのバナナがきんきんに冷やされている。
「セロ様、おやすみなさいませ」
ドゥはそう言って、セロの寝室の扉を閉めた。
その瞬間だった。ドゥは「はっ」として、すぐに上を仰ぎ見た。
普段、立哨しているのはダークエルフの精鋭たちなのだが、今回だけは違った。そこにはなぜか、近衛長エークが立っていたのだ。
「ほう。意外に早く出てきたな、ドゥよ?」
「……エーク様がなぜ?」
もっとも、エークはエメスたちの企みを阻止しようと待ち受けていたわけではなかった。
「ふふ。安心しろ。私も今回ばかりはエメス様たちの味方だ。私の全力でもって、ここでセロ様を食い止めてみせるよ」
「そうですか」
ドゥは「ほっ」として、エークに別れを告げると、魔王城の入口広間に出た。
結局のところ、エークも釣られたわけだ。おそらくエメスに拷問の残虐性マシマシ肉塊アブラ入りあたりで買収されたのだろう。とはいえ、ドゥも今回ばかりは仕方ないなと納得していた。
何せ、セロ以外のほぼ全員――ルーシー、エメスにドルイドのヌフや双子のディンはもちろんのこと、さらに
ちなみに、唯一の良心だったはずの高潔の元勇者ノーブルだが、事前にモタに声をかけられて、
「ねえねえ、ノーブル?」
「どうしたのだ、モタよ」
「じゃじゃーん。これなーんだ?」
「こ、これは……もしやプロテイン? しかも古の時代に製造されていたという無添加、低脂肪で当然香料なども一切使われていない分解度の極めて高い、超高級プロテインではないか!」
「へへーん。錬金術で作っちゃったあ」
より正確に言えば、エメスが提供してきたレシピで、ジージ監修の下、無理やりに作らされたわけなのだが――
「ほう。モタは世紀の大天才か!」
「ほしいー?」
「ああ。もらえると言うならば、この聖剣と交換してもいいぐらいだ」
「い、いや……それはいらないかな。というか、ちょっとお願いがあってさあ」
そんなわけで、この時間帯、肝心のノーブルはというと、モンクのパーンチやドワーフ代表のオッタと連れ立って、もう一人の良心こと人狼の執事アジーンを拉致して、温泉宿泊施設三階の大部屋で筋トレをしていたのだ。
「ナイスバルク!」
「キレてる! オレたち、バリバリマッチョだぞ!」
「その血管が美しい! 『火の国』のマグマのようだ!」
「当方はこんなところでいったい……い、いや、見よ、この狼の括約筋を! 人種が野獣に敵うわけがあるまい!」
そんなこんなでむさ苦しい一室はともかくとして、魔王城最下層の司令室では着々と、その
「戻りました」
「戻ったよー」
こうして司令室にドゥとモタがやって来たわけだが、もちろん二人とも最初から乗り気だったわけではない。
特に、モタについて言えば、リリンから協力を請われたものの、正直なところ、セロの姿絵などどうでもうよかった。駆け出し冒険者時代に川辺でセロの上半身むき出しの裸体など散々見てきたし、何ならキャンプで一緒の毛布で寝たことも幾度かあった。
今さらセロの筋肉などで釣り出されるモタではなかったわけだが――
「では、このモノリスの試作機を優先的に貸し出しましょう。
「ふむん。仕方があるまい。わしの研究施設の掃除を一週間ほど休ませてやるわい」
「私がモタに上げられる物なんて特にないけど……肩叩き券とかでいい?」
エメス、ジージやリリンから次々と迫られて、モタも「しゃーないなあ」と軽いノリで同意してしまった。
それがいけなかった。ここからが激務だったのである――
何しろ、セロの出身村に行かされて、実家から子供時代の姿絵を回収させられたし、セロの棺にかかっている
ある意味で今回のMVPは誰かと言えば、それは間違いなくモタだった。
「ういしょ、と」
だから、モタもちょっとした充実感をもって司令室の特等席でルーシー、エメスやヌフと一緒に並んで座って映画『セロ』を楽しむことにした。
ちなみに、今回はあくまでも城内の見回りなどの役を持たない女性や子供たちを対象としているが、観客は一週間のうちにローテーションして、希望する者は全員見られるように上映スケジュールが立てられている。
というわけで、あっという間に最終日になって、セロもつい首を傾げながら、
「着痩せするセロ様って素敵」
「あの神官服の下に美しい僧帽筋が――」
「私は臀部がセクシーだと思ったわ。一度くらい
「いつかセロ様の筋肉を甘噛みしたいわ」
そんな声を廊下の端々で聞くようになった。
何だか女性たち全員がノーブルやパーンチみたいなことを言い出したので、さすがにセロもこれは何だかおかしいぞ、と感じ始めたわけだが、その夜、さすがに高い精神異常耐性を有していることもあって、うつらうつらとしたところでぱちりと目が覚めた。
これまでの睡眠導入の副作用か、幾度か寝返りをしても全く寝付けなかったので、棺から出て二階のバルコニーで風にでも当たろうかなと思いついたわけだが――
「あれ? エークが立哨しているってどういうこと?」
このとき、エークもよりによって最終日にセロが起き出してくるとは微塵も思っておらず、立哨しながら器用に翌日の書類仕事を片付けていた。
「セ、セロ様……おはようございます。如何いたしましたか?」
「うん。ちょっとだけ眠れなくてね。バルコニーにでも行こうかなって」
「そうでしたか。それでは、先導いたします」
「ところで、エーク?」
「はい」
「精鋭たちは? それに人狼メイドたちも見当たらないけど? ていうか、女性がいないよね?」
「い、今は……皆……少し体調を崩していまして……」
「…………」
エークは先導しつつも、背後から並々ならぬプレッシャーを感じた。
というか、さすがに言い訳が苦しすぎた。そもそも、最終日まであまりに上手く行き過ぎたこともあって、今日の上映が最後だからと、ローテーションもへたくれもなく、女性たちは全員、立ち見までして司令室に押しかけていたのだ。
ここにきて、エークはついに天を仰いだ。
セロに対する忠誠心と、性癖的にあれな被虐心が天秤にかけられて、当然のように前者の重みでがたっと秤は傾いたのだ。
「セロ様……大変、申し訳ありません!」
こうしてセロはともかく、「百聞は一見に如かずと言います」と詳細をろくに告げられずに、とりあえず現場を押さえる為に司令室にエークを連れ立って向かったわけだが、
「…………」
司令室のモニターでは映画が上映されていた為、対象自動読取装置でセロが接近していたことに誰も気づけず、廊下で立ち見していたダークエルフたちが「あ! セロ様」と声を上げたことでやっと異変が伝わって、咄嗟にルーシーがセロの視界を遮って、エメスとヌフは同時に映像を切り替えた――
「今日もナイスバルクだ!」
「イケてる! オレたち、イケイケマッチョだぜ!」
「その胸板が厳めしい! 『火の国』の険しい山々のようだ!」
「当方は毎晩、こんなところでいったい……」
もっとも、よりによって切り替わった先は温泉宿の大部屋の一室だった。
これにはセロもさすがに無言のままで、白々とした視線を大型モニターに向けるしかなかった。
「え、ええと……うん、まあ、何というか……女の子ってこういうマッチョなのが好きなのかな」
と、片頬をひくひくしながらも、セロは何とか笑みを浮かべてみせたのだった。
ちなみに、そんな出来事の顛末を知らない男性たちはというと、女性たちにモテる為にこぞって、ノーブルたち主催の筋トレに参加したらしい。この結末はさすがにドゥの真実の目でも見極められなかったとか、何とか……
―――――
作中では記せませんでしたが、セロ(とバーバル)の出身村にはダークエルフの精鋭たち数人ほど滞在していて、いざというときには触媒を通じて村全体にヌフの封印が発動するようになっています。当然、領主の貴族は買収済みで――まあ、ここらへんの話はいつか機会があったら書きたいと思っています。
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