第181話 誤解
ルーシーが第二聖女クリーンに預けた手紙の内容を簡単に要約すると以下となる――
「母カミラが亡くなって第六魔王国では新たに愚者セロが魔王として立った。
短くしてしまうと、何てことはない、ごく普通の内容である。
だが、セロの隣で支えたい、あるいは大切な人、というたった数文字の
そんなわけで、こればかりは妖精ラナンシーが「だあっ!」と宙に放ってしまうのも仕方がない代物に仕上がっていた……
とはいえ、クリーンや女聖騎士キャトルなどはそれら手紙の断片を集めながら、さっきから「あらあら」とか、「きゃっ」とか、さながらちょっとした女子会の盛り上がりを見せ始めている。
もっとも、そんなのろけに納得がいかなかったのはラナンシーだ。
「あたいが男漁りってどういうことだよ!」
悲痛な叫びが洋館の一室に響き渡った。
これにはクリーンやキャトルも「ん?」と首を傾げた。ルーシーからは真祖一家の面汚しとまで聞かされていたからだ。おかげで海賊の頭領という立場同様に、性的にもかなり自由奔放な人物なのだろうと勝手にみなしていた。
「もしかして……男漁りはしてこなかったということかしら?」
クリーンがおずおずと尋ねると、ラナンシーはいかにも心外だといった顔つきになった。
「していない! ……いや、待てよ。見方によってはもしやずっとしてきたのか? だが、していない! 断じて皆が考えているようなことではないのだ!」
いったいどっちだよ、とクリーンも、キャトルも、ツッコミを入れたくなったが、どうやら何か事情があるらしい。仕方がないので、クリーンがラナンシーに対して説明を促した。
「たしかにあたいは男漁りをしてきたよ。だが、それは性的な意味ではないのだ」
「性的な意味ではない男漁りとは、いったいどういった
真祖カミラ直系の吸血鬼だから血でも大量に吸うのかなと、クリーンがいまだに首を傾げていると、
「そもそも、あたいは男の筋肉にしか興味がない。だから、強い男しか漁っていないんだ」
クリーンは「ほーん」と気の抜けた相槌を打った。
そして、これはもしやモンクのパーンチと同じ手合いかもしれないと、わざわざ席を動かして距離を取ろうとした。自分だって性癖的にあれなくせして、他人には厳しいという二律背反な聖女である。
「いや、待て。その説明も何だか違うな。ああ! こういうとき、リリンの姉貴がいると上手く説明を代わってくれるんだが……つまりだな。あたいは
今度はキャトルが「ほへー」と、モタみたいな呆けた声を上げた。
小鬼族、大鬼族や豚鬼族はろくに理性を持たない魔族な上に、エルフ族が触手を嫌うのと同様に王国では
もちろん、ラナンシーとて二人に全く伝わっていないとすぐに察したのか、「もう!」と頭を掻きむしった。同じ真祖直系の吸血鬼で美少女とはいえ、二人の姉とは違って落ち着きがなく、いかにもお転婆なお嬢様といったふうだ。
「あたいは戦いたいだけなんだよ! 色気や食気よりも、強くなりたい一心なんだ!」
そこでやっと、クリーンもキャトルも互いに顔を見合わせた。
「要は、これまで強い相手を求めてきたということなのでしょうか?」
クリーンが改めてそう尋ねると、ラナンシーはぶんぶんと頭を縦に振った。
「言うなれば道場破りみたいなもので、大鬼族なども含めて、戦う相手をずっと漁って来たと?」
さらにキャトルがそう聞くと、ラナンシーは「そう! それだよ!」とビシっと指差した。
「もう! それがなぜ男漁りなどと姉貴たちに誤解されたのか……たしかに何も言わずに家出したのは悪かったと思っているさ。だが、リリンの姉貴だってしょっちゅう家を空けていたし、そもそもあたいはルーシーの姉貴に勝つ……とまではいかなくても匹敵する力を持つまでは帰らないと決めたんだ」
ラナンシーはそう言って、ぎりぎりと歯ぎしりをしてみせた。
たしかにルーシーは真祖カミラの血を最も色濃く受けた天才だ。妹のリリンですら、届かないと早々に諦めて別の道を歩むことを決めた。
母親の真祖カミラでさえもルーシーを後継にして引退しようと考えていたふしがある。実際に、魔族としてはまだ若いはずなのに、すでに古の魔王たる
実際にラナンシーによると、彼女自身はルーシーほどの才能を持っていないものの、魔族は不死性を有しているので、いずれ努力すれば追いつくのではないかと信じて、強い相手を求めて勝負を仕掛けたきたのだそうだ。
事実、高潔の元勇者ノーブルがラナンシーの存在を知っていたのは、ラナンシーがノーブルの噂を聞きつけて挑戦しに行ったからだし、このマン島に行きついたのも、屈強な人族がたくさんいると聞きつけたからだ。
すると、キャトルはパンっと自身の膝を叩いた。
「素晴らしいです! ラナンシー様!」
そう言って、キャトルはラナンシーの両手を取った。
「私も王国では多くの聖騎士を輩出するヴァンディス侯爵家の一員ということで、父や兄たちと比較されてきました。血の滲むような努力をしてきたつもりですが、それでも兄たちには敵わない。そんな私に対して、父は箔を付けようと勇者パーティーに参加させましたが……」
キャトルはそこまで言って、つい俯いてしまった。
勇者パーティー時代はセロにおんぶにだっこで、聖女パーティーになってからは英雄ヘーロスや巴術士ジージとは比べるべくもない。いわば、お荷物でしかなかった。
「そうか。お前もか……」
「はい。ラナンシー様……」
ここにきて、二人に妙な共感が生まれた。
もちろん、誤解と言うならば、この二人だけに限らず、クリーンにだってある――
「私も聖女として辛い時期を過ごしました。聖女は清廉潔白かつ品行方正でなければいけません。しかしながら、私は神学舎時代のお姉様こと第一聖女アネストとは異なって、ただの俗物に過ぎません。ただ、そんな私でも最近になってやっと気づきました。別に立場に縛られる必要はないのだと」
クリーンは滔々と語りながら、ラナンシーやキャトルに視線をやった。
二人はクリーンをじっと見つめ返した。立場も生き方も異なる三人だったが、今、この瞬間、連帯が生まれようとしていた。だからこそ、クリーンは最後にこう付け加えたのだ。
「そう。物理的に
「何言ってんだ、お前……」
「クリーン様とさすがに一緒にしないでください……」
「ええ、良いこと言ったのに……」
クリーンは全く理解されずにしょぼんとするしかなかった。
当然だ。誰もアブノーマルの真理だか極致だかに至りたいわけではない。そもそも、そんな話をしていたわけでもないのだ。とはいえ、ラナンシーは意外にも小さく笑ってみせると、
「ふふ。まあ、たしかに自然体であることは大事だよな。急いては事を仕損じると言うからな」
そう言って、ずいぶんと落ち着いたのか、ラナンシーはクリーンとキャトルに静かな――それでいながら決意のこもった眼差しを送った。
「ところで、外海で
ラナンシーの問いかけにキャトルはこくりと肯いた。
「はい。その通りです。私たちが出て行って説明すれば誤解もとけて、今の逼迫した事態も収まるはずですよ」
だが、クリーンは頭を横に振って、「いえ、それは難しいでしょうね」と呟いた。
「ダークエルフたちは収まっても、蜥蜴人たちはそうもいかないのでしょう?」
「たしかにな。あんたたちのことやダークエルフの来訪はきっかけに過ぎない。結局のところ、これはマン島の人族と、リザー沖の蜥蜴人との長らく続いた抗争の一環なんだ。やるか、やられるか。抜き差しならないところまでとうに来ちまっていたってことさ」
ラナンシーがそう応じると、キャトルが真摯な顔つきで言った。
「私たちに何か出来ることはありますか?」
ラナンシーはますますキャトルのことが気に入った。
もしかしたら、人族や魔族などという種族の垣根を越えて、共に力を高められる仲間になれるかもしれない――だからこそ、ラナンシーはキャトルたちを利用することをきっぱりと諦めた。
「何もないさ。だから、ダークエルフたちと一緒に早くマン島から離れな。蜥蜴人もあんたらにまでは攻撃してこないはずだ。それと姉貴たちには、くれぐれもよろしく伝えておいてくれ。あたいはここで華々しく戦ったとさ。まさに魔族の誉れってやつだ」
ラナンシーはそう言って、「あばよ」とだけ告げ、応接室から足早に出て行った。
すぐに「てめえら! いいか、マン島の力を見せつけるぞ!」という海賊の頭領としての声が上がって、同時に屈強な男たちの「応っ!」という掛け声が続いた。ついに戦争が始まるのだ。
「では、私たちも行きましょうか」
クリーンは冷静に立ち上がった。
一方で、キャトルはさすがだなと感心した。キャトルにはまだ後ろ髪を引かれるような気分があったからだ。
だが、ここは頭をクールダウンして、すぐにでも退くのが正解だろう。クリーンやキャトル、あるいはダークエルフたちがこの戦争に介入するということは、王国や第六魔王国が島嶼国での紛争に関わってしまうのと同義だからだ。
「はい、クリーン様……分かりました。それでは急ぎましょう」
が。
運命とは不思議なもので、このときキャトルは気づいてしまった――
ルーシーが寄越した封書の中にまだ一枚だけ、読まれていない手紙があったことに。
しかも、その内容がマン島の人族と、リザー島の蜥蜴人たちの生き様を変えてしまうことなど、当然のことながら二人はまだ知る由もなかった。
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