第178話 聖女クリーンは出会う
三者会談からすでに一か月ほどが経っていた。
その間、第二聖女クリーンは馬車の中でもずっと縛られていた。
とはいえ、今やクリーンの定位置となったX字型の磔台ではなく、また両手を縛られたり、足枷をされたりといったわけでもなく、実際には聖衣の下にこっそりと亀甲縛りをされている状態だ……
そもそも、流刑によってその罪は贖われるはずで、これ以上縛る理由は全くもって微塵も欠片も何一つさらさらないのだが、それでもクリーンはこう主張した――
「今後、王国が第六魔王国と交誼を結ぶ可能性も出てくることでしょう。王国民の皆様には魔族と手を組むことに抵抗があるかもしれません。また、それを罪に感じることもあるやもしれません。でしたら、今、私めが代わりに皆様の罪をこの身にお受けいたしましょう」
よくもまあ、しれっと言えたものである。
当然のことながら、王国民はその言に号泣したし、また島嶼国に向かう幾つかの貴族領でも、領民たちは一時も拘束を解こうとしないクリーンの姿にあるべき聖人の高潔さを見出した。
もっとも、その道中、肝心のクリーンはというと、まさに晴れやかな気分でいた。
たとえるならデスマーチでろくに眠れぬ夜を幾つも過ごした後に、長期休暇の初日をほとんど寝て過ごしてやっと目覚めたばかりといった感じだろうか。
クリーンの目は期待に満ち、その肌もつるりと火照って、それでいて聖女のくせに被虐のフェロモンを無意識のうちに振り撒くものだから――そんなクリーンを乗せた馬車が過ぎた後には、見送った者たち全員がもんどりうって悶え、さらには身分の貴賤も、男女も、何なら種族も関係なく、万歳三唱が起こったそうだ。
もしかしたら、この王国は本当に終わりが近いのかもしれない……
それはさておき、馬車はかつて園遊会が開かれた辺境伯領内を、ごと、ごと、と通過して、ついにクリーンたち一行は南西岬にある港湾都市が一望出来る高台まで着いていた。
ちなみにクリーンたち一行とはいっても、護送を申し付けられた女聖騎士キャトル、それに加えて最低限の供回りとして
一応、武門貴族筆頭たるヴァンディス家の長女が護送を任されているので、さすがに王党派も、改革派も、明確には襲撃者を寄越しては来なかったが、それでもこの地域では見かけたことのない凶悪な
もちろん、クリーンたちとて急襲は想定済みだ。
護衛のキャトルはすぐさま胸の谷間でぬくぬくしているヤモリに声をかけると、
「ドゥーズミーユ、お願い!」
「キュイ!」
幾ら凶悪な魔物とは言っても、そこはさすがに弱肉強食の世界――
超越種直系のヤモリが聖鎧から出てきて一睨みするだけで、魔物たちは我先にと散っていった。
また、なぜか武人としてよく訓練された夜盗なども襲い掛かってきたのだが、クリーンたちのもとにたどり着く前にひっそりと撃退されていた。そんな夜盗もどきを退治して回っていたのは、実はダークエルフたちだった。
クリーンたち一行が王都を出て、しばらくしてから秘かに離れて帯同しているのだ。
というのも、今回の島送り自体がそもそもからしてセロの依頼だったからだ。いや、より正確に言えばルーシーか……
先日、セロ、巴術士ジージとシュペル・ヴァンディス侯爵で王国平定について話し合いがもたれた際に、当初はクリーンも第六魔王国に流されるということでたたき台が作られた。
だが、天使が受肉した王女プリムの動向がいまいち掴みづらい。大神殿の闇に籠って中々表に出てこないせいだ。それに加えて、王国平定に当たって、そのプリムが主力とみなしている大神殿の暗部がどれほどの規模で抵抗してくるかも予想出来ない。
泥竜ピュトンの情報によると、勇者バーバルも
第六魔王国が前面に立って戦争をしていいのならば、圧倒的な戦力によって蹂躙すれば済むだけなのだが、さすがに人族相手となると、その後の統治まで考慮すれば悪手に過ぎる。ならば、王国民の魔族に対するアレルギーを取り除く土壌をまずは醸成すればいい。
要は、これまでの第七魔王国(リッチ)や第五魔王国(アバドン)との戦いとは違って、今回はいわゆる攻勢的な情報戦が中心になるということだ。
だからこそ、セロとクリーンの愛の力によってアバドンを討ち果たしたといった欺瞞情報を流したし、王党派や改革派といった政治色が付く前にクリーンを王国から引き離した。
なぜか三者会談にまでX字型の磔台に縛られていたのはさすがにセロたちも想定していなかったが、何にしてもクリーン待望論を王国内で醸し出せたのは良かった。その上で第六魔王国にてクリーンの身柄を預からずに、わざわざ島嶼国へと赴いてもらったのは――
「ふむ。
ルーシーはセロたちの話し合いの最中に現れると、珍しく渋い顔つきでセロにお願いをしてきた。
「ラナンシー?」
「そうだ。次女リリンと同様、ずいぶんと昔に家出をしている」
「なぜ魔王城から出ちゃったのさ?」
「それが分からないのだ。リリンは料理を学ぶ為という目的があったようだが、ラナンシーについて言えば、いつの間にかいなくなっていた」
「ええと……放浪癖でもあるのかな?」
「実を言うと、もっと
「…………」
ルーシーにそこまで言わせるなんて、どれほどひどいのかとセロは頭痛がしてきた。
とはいえ、そんな行方不明になっていた三女ラナンシーについて、高潔の元勇者ノーブルから有力な情報がもたらされた。島嶼国にあるマン島に潜んでいるらしいのだ。
「クリーン殿。妾の
「いえ、お構いなく。これも王国と魔王国との友好の為です」
そんなわけでクリーンはルーシーから封書を預かってきた。
今回の島流しに関してはこの封書をラナンシーに渡せば終わりで、あとは先日関係を強固にしたばかりの第三魔王国を経由して、竜の背にでも乗りながら
封書の中身は知らないが、おそらくラナンシーに協力を求める内容だろうとクリーンは推測していた。吸血鬼は認識阻害などに長けているから、聖女に化けていかにも島嶼国で布教に勤しんでいるように見せかけるのだろう、と――
そんなことを考えつつも、クリーンは高地から望める海原と港湾都市に視線をやった。
「何にしても、こうした風光明媚な場所もいいですが、やはりじめじめして蜘蛛の巣が張っているような陰湿な地下の方が私には合っていますね」
なぜ合っているのかはさすがに誰も尋ねなかった。
道中の王国民はともかく、随伴している者たちにはそろそろクリーンが性癖的にあれなことに気づいてきた頃合いである。
とまれ、この南西岬の灯台がある漁港から島嶼国へと渡ることが出来る。
港湾都市といってもそこそこ大きく、辺境伯領ではあるのだが、開けている場所なので要害にはならないし、要衝として整備されているわけでもない。
もともと島嶼国については、島国同士でずっと牽制し合ってきた過去があるので、大陸への野心をほとんど持たない。最寄りのマン島にしても、島国特有の封鎖的な風土ということもあるが、同じ人族が治めているという事情もあってか、王国とは敵対していない。
「では、船旅といきましょうか」
クリーン一行はこの港湾都市にて馬車での旅を止めて、船へと乗り込んだ。
日に一本、あるかないかといったマン島からの交易船だ。マン島では鉱物資源が取れないらしく、剣や盾、
そこにクリーン一行も同乗した。クリーンは船に乗るのが初めてだったものの、風が心地良く、意外と揺れも平気だった。駄目だったのは女聖騎士キャトルの方で、ずっと船のへりにしがみついて海に向かって項垂れていた。
どうやら他の騎士たちも同様だったようで、どこか呆けた表情で空をずっと見つめている。ちなみにダークエルフたちは同じ船には乗っていない。本来は森の民のはずなので、果たしてどうやってついて来るのやら……
そんなふうにクリーンが一人でぼんやりしていると、
「あら、迎えの船かしら」
遠くに大きな船影が見えた。
マン島には王国から聖女が行くと言う話がすでに伝えられているはずだ。
配流という立場とはいえ貴賓に当たるのだから、本来なら港湾都市にて出迎えがあって然るべきところだが、そこは王国と島嶼国との文化の違いということでクリーンも気にしなかった。
が。
近づいてくる船はどう見ても歓迎的なものには見えない……
むしろ、海賊に近い。モンクのパーンチが目にしたら喜んで後継としてパーティーに加えそうな屈強な男どもが筋肉を見せびらかし、武器を携えて、野蛮な歌を唱和しながらじりじりと近づいてくる。
「どう見ても……友好的ではなさそうですが……」
クリーンが交易船の船長に視線をやると、その船長は頭を横に振った。
抵抗しても無駄だというジェスチャーではなく、船長自身もどうやら海賊とはグルのようで、こうなるとクリーンは海賊たちに売られたらしい。
護衛の騎士たちは船酔いでよろよろしていてろくに戦える状態ではない。女聖騎士キャトルはいまだに海賊の接近にも気づいていない。一番頼りになるヤモリのドゥーズミーユはというと、海上ということで得意の土魔法が全く使えない。しかも、こんな狭い船上で本来の姿を現しでもしたら、船の底が抜けて、全員が溺死直行だ。
すると、野蛮な海賊たちの間を縫って頭領らしき人物が現れた。
「はん! 本当に聖女様がのこのことやって来るとはねえ」
意外にも、先頭にいたのは女海賊だった。
背丈はクリーンとさほど変わらない。いかにも男勝りな格好ではあるが、もしドレスなどをきちんと纏ったら間違いなく社交界でも一番の花形になれるほどの美少女だ。
宝石のように煌めく瞳と、白磁のように滑らかな肌、さらに肉感的で情熱的な唇の膨らみといったふうに蠱惑的な外見ながら――起きがけの猫といったふうにいかにも機嫌も悪そうだ。
「おい! テメエら! この聖女様とやらを
とはいえ、こんな状況だというのにクリーンはというと――
福音でも聞いたような清々しさだった。
―――――
後世の王国民「…………(またまた縛られている)」
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