第177話 三者会談

 王国民は政治に対してとうに関心を失っていた――


 というのも、王国成立以来、長らく続いた王政には支配階級たる貴族たちの腐敗がついて回った上に、目の上のたん瘤だった帝国が滅んだ後、王国が大陸の中央にて人族最大の国家となっても、国民の暮らしぶりは一向に改善されなかったからだ。


 もっとも、それもまあ、仕方のないことではあった……


 四方には強力な魔王国が存在して、これ以上の領土の拡張は望めなかったし、他国との交易もなくなって、時代を経るにつれて知識や技術もしだいに失われていったし、さらには近年、泥竜ピュトンなどの暗躍も重なった。


 おかげでこの百年など、王都周辺に貧民街スラムが広がる一方という有り様だった。


 しかも、そんな王国民の拠り所となるべき信仰はと言うと、ここにきてどういう訳か、大神殿の胡散臭さが際立つようになってきた。


 聖剣を抜きに行った若者たちが帰って来ず、魔術師教会と無駄に対立して、さらにはイービルのようないかにも胡乱な者が主教にまで上り詰めたことで、王国民もさすがに不満を漏らし始めた。


 とはいえ、王侯貴族も、聖職者も、そんな国民感情など全く気にも留めなかった――


「現王が聖女を殺めようとするなど言語道断! 今こそ国民全てが手を取り合って、王政に対して断固として立ち上がるべきときです!」


 主教イービルが珍しく表舞台に出て来て、大神殿の広場で声を張り上げてみせると、


「聖職者はよほど異端論争が好きだとみえる。大神殿こそ正統で、それ以外は異端だとする危うさに国民は早く気づいてほしい。王政こそ、古来よりあるべき正しい姿なのだ」


 現王に代わって旧門貴族たちはお抱えの吟遊詩人に王都の辻々でそう歌わせた。


 本来、こういうときにこそ、王国民の不満の捌け口として勇者パーティーの活躍が必要だったわけだが……肝心のバーバルはというと、先日、第六魔王に敗北して、あろうことか王女プリムをかどわかしたばかりだ。


「やれやれ、改革派と王党派、いったいどっちがマシだろうか?」

「どっちもどっちさ。所詮、自分可愛さの連中だ。代わり映えなんてしねえよ」

「いっそこうなったら、魔族になった方が人族のときよりも良い暮らしが出来るってもんだよな」

「何なら、俺だって王女を誘拐してみたいもんだぜ」


 と、こんなふうに暗澹としていた王国民だったのだが――ある日、吉報が舞い込んできた。


 勇者バーバルの代わりに第二聖女クリーンがパーティーを率いて魔王討伐に赴き、第五魔王こと奈落王アバドンを討伐したという噂が流れてきたのだ。


 しかも、その噂はすぐにおおやけに認められた――


「聖女が第五魔王討伐に成功した! 今こそ大神殿の時代がやって来たのだ!」


 と、改革派の聖職者たちが意気揚々に叫べば、


「聖女に魔王討伐を命じたのは現王だ! その先見の明にこそ感嘆するべきだ!」


 当時の討伐対象は第六魔王であって第五魔王ではなかった上に、直前に当の現王自身が聖女を殺そうとしたのだが、そんなことは都合よく忘れて、王党派の旧門貴族たちはいけしゃあしゃあと喜んでみせた。


 こうして王都はまさしくから騒ぎとでも言うべき状況になっていたわけだが、王国民もそんな喧騒に浮かれて、第二聖女クリーンの帰還を待ちわびた。


 そもそも、クリーンのそばには英雄ヘーロスもいるし、王国の盾となってきた聖騎士団長モーレツもいる。


 新たな一大勢力ともなったクリーンが果たして、所属している大神殿につくのか、それともかつての勇者たちと同様に現王にかしずくのか――王国の誰にも確たることは分からなかった。


 だが、いずれにせよ王国民にとっては、クリーンの進むべき道にこそ、未来が開かれているように思えた。


 何しろ、高潔の勇者ノーブルでさえも出来なかった第五魔王討伐という偉業をなしてみせたのだ。これ以上に信頼出来る人物がどこにいるだろうか。だからこそ、国民はクリーンに対して救世を願った。


 が。


 クリーンが到着する直前になって、王都では可笑しな噂が流れ始めた。


「第二聖女様が御輿の上で縛られているだと?」

「馬鹿な。なぜ、そんな不可解なことになっているのだ?」

「何でも第五魔王討伐は第六魔王の助力を得て成功したんだとよ。魔族と手を結んだことを反省し、その贖罪として自ら望んで縛り付けられているらしい」

「魔族? 第六魔王? ええと……たしか吸血鬼の真祖カミラだったっけか?」


 噂は必ずそんな疑問に行きつき、そしてこんな答えに導かれた――


「いや、違う。今の第六魔王はセロというらしい」


 そこで誰もが首を傾げた。第二聖女に協力したセロとはいったいどんな魔族なのだと。


「知らなかったのか? 勇者パーティーにいた光の司祭セロ様だよ。最近、姿を見せないと思っていたら、何でも呪われて魔族に変じて、北の魔族領に追放されていたそうだ。今じゃ第六魔王になっちまっていたんだとよ」


 驚愕の事実に誰もが愕然とするも、こうして王国民の中では都合良く、一つの物語が受け入れられていった。それは次のような典型的な悲劇メロドラマだ――


「聖女クリーンは呪われし婚約者を泣く泣く追放せざるを得なかった。しかしながら、王国の仇敵アバドンを討つ為にも、魔王となった元婚約者セロの力を頼って、二人は真実の愛の力でもって、ものの見事に強敵を打ち倒した。とはいえ、今や人族と魔族、いや聖女と魔王――クリーンは許されざる愛に永遠の別れを告げて、王国に帰り、さらには聖女としての高潔さゆえに、魔族を頼った罪をこれから王国にて贖おうとしているのだ」


 ……

 …………

 ……………………


 いやはや、いったいどこぞの冒険者かつ自称文豪が創作したかは知らないが……


 事実を知っている者が聞いたら噴飯もの、かつ我が耳を疑いたくなりそうな与太話である。


 そう、事実・・――クリーンは自らのキャリアの為にセロを追放したし、砂漠では危うく無謀な侵入で死にかけたところを助けられたし、恋愛どころか女豹にすらなれていないし、そもそもアバドンを討ったのは高潔の元勇者ノーブルだったし、何より性癖的にあれ・・だからクリーンは喜々としてはりつけになってみせたわけだが……


 しかしながら、現実・・はというと――


「聖女様だ……」

「本当に磔にされている……」

「ああ、むごい。これが王国の為に戦った者に対する仕打ちか……」

「俺もあんなふうに縛られたい……」


 と、X字型の磔台に拘束されて帰還したクリーンを目の当たりにしたとき、セロとの悲劇の相乗効果もあってか、全王国民が涙を流した。


 もしこの場にわずかでもまともに思考出来る者がいたなら、せめて両手を縛るだけとか、片足に足枷するだけとか、その程度でも十分にいいのではないかと冷静にツッコミを入れたことだろう。


 そもそも、魔族の力を借りたという罪と、それによって魔王討伐したという功を天秤にかけても、磔にして衆人にさらすほどの大罪には決してならないし、それにクリーン自身も頬を赤らめて、何だか喜んでいるのではないかとも指摘出来たはずだ。


 だが、このときの王国民は様々な不満のせいで冷静ではいられなかったし、そもそもからして磔になったクリーンの姿にいっそ深い感銘を受けてしまっていた。


「何ともまあ……まさに聖人君子とはあの方のことよ」


 皆はそう呟くと、静寂でもってクリーンを迎えたのだ。


 実際に、クリーンの被虐的な贖罪っぷりはあまりに真に迫っていた。


 それもそうだろう。ただでさえ性癖的にあれなのに、それをこそこそと隠さず、王都の中央通りにて白昼堂々と完全露出フルオープンしているのだ……


 当初はこの案を話し合ったセロも、巴術士ジージも、シュペル・ヴァンディス侯爵も、「何もそこまでせずとも……」と表情を曇らせたが、クリーンは真剣な顔つきで、「必要なことなのです。そもそもこれは私にとってもみそぎなのですから」と、頑として譲らなかった。


 いったい何に対しての禊なのか。実のところ、誰にも分からなかったのだが――とまれ、今、クリーンは御輿に担がれながら感極まって泣いていた。


「微笑みの聖女様が哀しみで泣いておられる」

「ああ、痛ましい……俺たち王国民に出来ることはないのか!」

「むしろ、現王や主教イービルこそ磔になるべきでは? 聖女一人にあんな惨い仕打ちをするなぞ許してなるものか!」

「そうだそうだ。聖女様は磔になることで俺たち王国民の苦しみも共有して下さっているんだ!」


「「「「何と慈悲深いお方だ!」」」」


 もちろん、そんな生活の苦しみや聖職者としての慈愛など、このときのクリーンにとっては全く関係ないことではあったのだが……


 結局のところ、こうして王国民の不満は一気に爆発して、その日の午後には世にも不思議な三者会談が実現する運びとなった。


 場所は中立地ということで冒険者組合の建物の前。


 参加した人物は三名――現王、主教イービルに第二聖女クリーン。


 そして何より、その三人ともなぜかX字型の磔台に四肢を縛られて、その姿を公衆に晒されながらの会談となった……


 絵面的には何とも滑稽ではあったが、そうでもしないと怒り狂った王国民によって王政も神聖も共に打倒されかねない事態にまで陥っていた。まさしく世も末というやつである。


 当然のことながら、縛られている間、現王はずっと不貞腐れていた。


 そもそも現王は意外にも・・・・性癖的にはノーマルだった。いや、いっそこんなアブノーマルな恥を晒すくらいなら、自害した方がよほどマシだという極めて真っ当な感性の持ち主でもあった。


 また、主教イービルは名前からして分かる通り徹底的なサディストなので不機嫌そのものだ。


 本来はむしろ縛る側であって、縛られる側ではない。ある意味ではクリーンと相性がばっちりなはずだが……運命の皮肉と言うべきか、クリーンのタイプではなかったらしい。


 それはさておき、X字型に縛られたままの現王は平坦な口調で会談の口火を切った。


「第二聖女クリーンよ。此度の活躍見事であった。何ぞ望むものはあるか?」


 不貞腐れていたおかげで全く抑揚のない声音となってしまったせいか、三者会談の様子を遠巻きに見ていた王国民たちからはすぐさま罵倒された。


「ふざけるな!」

「それが魔王を討伐した者にかける言葉か!」

「そもそも、現王は聖女を殺そうとしたっていうじゃねえかよ!」

「緊縛されて、もっと感じている顔つきになれよ!」


 石でも投げ込まれそうな雰囲気だったが、さすがに近衛騎士たちが周囲を固めていてそれを許さなかった。


 一方で、現王に問い掛けられた第二聖女クリーンはというと、恍惚とした表情から一転、「はっ」と我に返って何とか粛々と告げた。


「これ以上……望むべくもありません」


 現王とは対照的に切実で真摯な声音だった。


 それもそうだろう。クリーンはまさに今、その生もといの最高潮を謳歌している最中なのだ。望むものなどそれこそないに違いない。


 もっとも、そんなことなど露知らない王国民はクリーンの謙虚さにまさに感じ入った。


 すると、主教イービルは嫌々ながらも宣告するしかなかった。


「大神殿としては第二聖女クリーンに対してこう命じざるを得ない。魔族を頼った罪を贖う為にも、流刑を命じる、と」


 現王同様にあからさまに不満げな声音だったので、それを耳にした王国民からは散々悪口を叩かれた。


「お前こそ贖罪しろ!」

「それが同僚の聖職者にかける言葉か!」

「そもそも、イービルなんていかにも魔族らしい強欲な顔つきじゃねえかよ!」

「王国の磔台気持ち良すぎだろ!」


 今度こそついに石が無数に投げつけられた。


 神殿の騎士たちが盾をもって守ったが、その幾つかはイービルに当たってしまった。


 もちろん、イービルとてそんな贖罪など求めたくはなかった。クリーンを手もとに置いて御した方がずっと楽だからだ。


 だが、クリーン本人が自らを縛ってまで罰を欲した上に、どこかに拘留や監禁でもしようものなら王国民にその場所が襲われて解放される未来がありありと見えた。


 だから、不承不承ながらもクリーンを突き放すしかなかったのだ。


「畏まりました、イービル様。流刑の件、承ります。この度は、ご迷惑をおかけいたしました」


 一方で、第二聖女クリーンはというと、ずいぶんと落ち着き払った様子で答えた。イービルとは対照的に、その口ぶりはまさに神に対する静かな祈りそのものだった。


 それもそうだろう。クリーンはまさに今、絶頂の瞬間ヘブンを経験したばかりだったのだ。ちょうど賢者タイムとでも言うべきタイミングだ。


 もっとも、そんなことなど知るはずもない王国民はクリーンの信心深さにあるべき聖人の姿を垣間見ていた。


 何にしても、こうして王国史上、世にも不思議な三者会談の結果、クリーンは流刑に処されることになったわけだ。


 多くの王国民は元婚約者が統治している第六魔王国に流すべきだと温情を期待したが、意外なことにクリーンがそれを慎ましやかに辞退した。


 というのも、クリーンがこう言ったからだ――


「私は島流しを望みます」


 と。


 この場合、島流しとは大陸南西にある島嶼国に送られることを意味する。


「マン島に赴いて、その地の人族に信仰を説いて回りたいと考えております。もし王都に戻ることがあるとすれば、かの地に信心が根付いたときになりましょう」


 こうして女聖騎士キャトルを見届け人として随伴させて、わずかばかりの騎士たちと共に、クリーンは島嶼国に向かったのだった。






 今や、王国民は待望していた――


 王国成立以来、長らく続いた王政も、あるいは大神殿も、とうに時代の遺物に過ぎない。王国には新しい人物がそろそろ統治者として立つべきだ。


 その統治者は魔王と互する力を示さなくてはならない。もちろん、現王も、主教イービルも、そんな力は微塵も持ち合わせていない。


 だからこそ、王国民もあえて苦難をしばし受け入れることにしたのだ。


 あの日、自らを縛ってみせた第二聖女クリーン同様に――


 王国民は信じていた。クリーンならば島嶼国の人族や亜人族をまとめ上げ、それらを引き連れて王都に帰還してくれると。何より、王国の救世主メシアはまさにX字型に磔にされたクリーン以外の何者でもないとも。


 皮肉なことに、性癖的なあれを露出させたことによって、王国民は磔になった聖女に神そのものを見出だして、こうして情勢は大きく動き始めたのだった。





 後世、『クリーンの磔刑たっけい』とされ、多くの聖像イコンまで残されたこれらの出来事について、真実を知る者はわずかばかりいたのだが、関係者は全て黙して多くを語らなかったという。



―――――


後世の王国民「歴史書の『王国動乱』の頁をめくったら、『三者会談』の頁でもまた縛られているじゃん……」

著者「次話はきっと縛られないはず……」

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