第176話 王都動乱
第三魔王こと邪竜ファフニールが第六魔王国に攻め込むよりも少しだけ前の話だ――
「やっぱり私って……性癖的にあれなのかしら」
まさか自覚がなかったのか、と誰しもがツッコミを入れたくなるような驚きの台詞を第二聖女クリーンは魔王城二階のバルコニーで呟いた。
東の魔族領にて念願の第五魔王アバドン討伐を果たして、聖女パーティー、聖騎士団や神殿騎士団はセロたちと共に浮遊城でいったん第六魔王国に戻っていた。
その後、しばらくの間、第二聖女クリーンは
本来ならば、アバドン討伐の報を現王に知らせる為に、王国最北の城塞にある簡易転送陣を使用して、すぐにでも王都に帰還しなくてはいけなかったのだが、何せその現王が第五魔王国の傀儡になっていた上に、あろうことか玉座の間にてクリーンを殺めようとしたばかりだ。
巴術士ジージの命で王城の居室に幽閉していたはずだったが、クリーンたちが不在の間に、旧門貴族たちが出しゃばって、彼らの私兵によって現王は救い出されると、玉座に返り咲いて、今ではさも何事もなかったかのように振舞っているらしい……
こうした情報はシュペル・ヴァンディス侯爵やヒトウスキー伯爵によって逐一もたらされていたので、クリーンは第六魔王国にいながらにして、手に取るように王国内の情勢を掴んでいたわけだが――
「はあ。このままではいけませんね。何と言っても、私は聖女。辱めを受けることが仕事ではないはずです」
もちろん誰も辱めなど与えていないし、むしろ今まで仕事として地下のX字型の磔台に縛られてきたのかと、またもや誰もが勘ぐるような発言ではあったが、何にしてもクリーンはやっとオフからオンに意識を切り替えたようだ。
「王国に帰還しましょう」
クリーンはそう言って、重い腰を上げて出発の準備を始めることにした。
とはいっても、巴術士ジージからはこのまま第六魔王国に滞在するとすでに相談を受けている。
第六魔王国の懐に入って積極的に情報を集めるという厳しい任務に就いてくれたわけだ。「老い先短いわしにしか出来んことじゃよ」などと謙遜していたが、パーティーの最大戦力でもあるジージの離脱にクリーンも最初は難色を示した。
「なあに、魔王城の地下に一室借りることになったのでな。ついでに泥竜ピュトンめがどれほどもがき苦しむのか、じっくりと見ておいてやるわい」
「ついでにでは困ります。むしろ、私の趣味……じゃなかった、ええと、人道的にも、詳細な記録をつけておいてください。お願いいたします」
「……う、うむ」
尋常ではない気迫を持ったクリーンの表情に、さすがのジージも後退った。
そんなこんなでジージの第六魔王国の居残りは簡単に許可が下りて、ジージも気兼ねなく研究に専念出来るようになったわけだ。
また、シュペルも第六魔王国に一時的に外交官として残るということで、聖女パーティーから護衛としてモンクのパーンチを出向させることにした。
そんなモンクのパーンチはというと、「どのみち王国に帰ったら、孤児院で
「何ならオレの筋肉に匹敵する猛者でも紹介して、代役として引き継がせてやろうか?」
「ええと、すいません。殿方の筋肉には全く興味が持てないので、なるべくここで大人しくしていてください」
「……お、おう」
氷のように冷めたクリーンの眼差しには、さすがのパーンチの筋肉も固まった。
こうして聖女パーティーはジージとパーンチを欠きながらも、聖女クリーン、英雄ヘーロス、女聖騎士キャトル、狙撃手トゥレスという新たな構成で王国に出発した。もちろん、キャトルの鎧の胸もとの中では
ちなみに、ここで聖竜なる聞き慣れない言葉が出てきたのには一応の理由がある。ある日、キャトルがドゥーズミーユを可愛がっていたときだ――
「私は聖騎士ですから、さしずめドゥーズミーユは聖ヤモリ……いえ、聖竜かもしれませんね」
などと、
実のところ、名付けと言うのは運命の束縛だ。名を与えることで世界にその存在を固定する意味合いを持つし、名付けられた者はその名の通りの定めを生きようとする。
しかも、名付けられたのは本来なら希少な超越種直系の
この後、ずいぶんと経ってから、ドゥーズミーユは親である四竜をも凌ぐ、本物の聖竜にまで成長するわけだが、もちろん今のキャトルがそのことを知るはずもなかった――
さて、話を戻すと、当の聖女パーティーは簡易転送陣を使わずに、聖騎士団、神殿騎士団の一部と共にまさに牛歩の如くゆっくりと帰った。
理由はとても単純で、王国内の情勢があまりに
現王は旧門貴族を中心にして、その私兵や一部の近衛騎士を背景とした王党派を形成した。一方で、現王が聖女を殺めようとしたという報を積極的に国民に流し始めたのは大神殿だ。主教イービルが中心となって、神殿騎士団の主流を取りまとめて改革派を立ち上げた。
とはいえ、どちらにしても決定打には欠けていた。武門貴族のほとんどが静観を続けていたこともあるし、旧門貴族の中でも七大貴族の中心たるヒトウスキー伯爵が呑気に外遊していたからでもある。
いずれにせよ、そんな情勢の中で聖女クリーンの存在感はというと、不在だからこそむしろ高まっていった。
王党派はクリーンとの和解によって王権を強固なものにしようと考えていたし、改革派はクリーンに現王を弾劾させることで王権の瓦解を狙っていた。
その為に毎日毎時、王都への帰還を目指すクリーンのもとにはそれらの密使が幾度となくやって来た。
「王女プリムが不在の今、何でしたら養子となって王女になりませんか?」
と、王党派の使いが言えば――
「主教の地位は約束しよう。イービル殿と並び立って王政への改革を推し進めましょうぞ」
と、改革派の者は心にもないことを言ってのける。あるいは――
「何でしたら次期国王に。王位継承権も与えたいと、現王は申しております」
「教皇に推薦するとの声もあります。イービル殿も陰ながら支持するとのことです」
玉座も教皇もずいぶんと安くなったものねと、ゆっくりと王都を目指しながらも、クリーンはやれやれとため息をつくしかなかった。
一昔前だったらキャリア志向の強かったクリーンはどちらにしようか頭を大いに悩ませていたことだろう。だが、今のクリーンはさすがに
そもそも、どちらを選んでも罠でしかないのだ。
というのも、すでに王女プリムは王国にこっそりと戻って来ていて大神殿に匿われている。そのことを現王も知っていて、今となっては一人娘の為に改革派と手を結ぶのもやぶさかではないときたものだ。
要は、現状、王国は王女プリムのもとに一枚岩になりかけているわけだ――
「なあ、聖女殿よ。いったい、どうするつもりだ? 牛歩戦術の結果、かえって敵に時間を与え過ぎてしまったのではないか?」
翌日には王都に戻るというキャンプ地の幕舎にて、英雄ヘーロスが苦い顔つきで問いかけると、女聖騎士キャトルも不安そうに続いた。
「武門貴族の静観もそろそろ限界です。お父様が不在の中で、私の力ではこれ以上はさすがに……」
すると、狙撃手トゥレスも珍しく沈黙を破って発言してきた。
「だが、敵が誰なのかよく見えてきたのではないか? こんなふうにちんたら歩いてきたのも、炙り出したかったわけだろう?」
その言葉に対して、クリーンは深く肯いてみせた。
「はい。その通りです。私には秘中の策があります。これまで皆様に黙っていて申し訳ありませんでした。ジージ様が不在の中で、認識阻害などに詳しくない私からすると、どこに敵の耳があるか分からなかったので中々お話ししづらかったのです」
クリーンはいったん目を伏せた。そして、皆を見渡してから、ついにこう告げたのだ。
「王女プリムが王国をまとめ上げることは想定済みです。私が王国に戻った時点で、王女プリム一派は反対勢力の一掃にかかるはずです。つまり、私は利用されるだけ利用されて、大神殿の地下にでも監禁されることになるでしょう。最悪の場合、王国の内乱を首謀したとして、スケープゴートとして死刑を受けるやもしれません。そのことを踏まえて、実はセロ様、ジージ様、シュペル様らと出立前に話し合って、とある作戦を実行することに決めました。その内容を今から皆様にお話しいたします――」
王国の史書にはこの時期について『王都動乱』という項が必ず載っている。
この場合、動乱というのは、王都がすでに政情的に不安定だったことを指してはいない。むしろ、第二聖女クリーンの帰還をもって、王国民が熱烈な歓迎ではなく、騒々しく乱れてしまったことを意味することの方が大きい。
では、なぜそこまでの騒動が起こってしまったのか?
その理由もまた単純だ。なぜなら、聖騎士団や神殿騎士団が並列して王都の正門をくぐる中で、聖騎士団長モーレツ、英雄ヘーロス、女聖騎士キャトル、狙撃手トゥレスに担がれた神輿の上に、第二聖女クリーンが鎮座ましましていたからだ――よりにもよって、X字型の磔台に縛られた状態で。
―――――
テストの問題「聖女クリーンがどのような人物だったか百字以内で記しなさい」
後世の王国民「よく縛られた人」(たった七文字)
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