第175話 古の大戦
魔王城二階にある食堂こと広間の一角が女豹大戦の火薬庫になる中で、セロという尊い犠牲もとい人柱をあえて遠巻きにしながらも、そのセロを除いた男性陣は邪竜ファフニールに質問を続けた。
主に代表して聞くのは高潔の元勇者ノーブルだ。こういうときのリーダーシップはさすがと言うしかない。
「私たちには知らないことが多いので、幾つか質問をさせていただきたいのだが――」
「おい、ノーブルだったか? 別にそう畏まる必要はない。魔王セロの下についたという点では我も貴様も同僚だ。気兼ねせずに何でも聞くがいい」
「分かった。助かるよ、ファフニール。ではまず初めに、直近で最も関心の高い話題だと思うのだが、『
ノーブルがそう尋ねると、男性陣全員がこくりと肯いた。
名前だけはよく知っていながらも、いつ何がどこでどう行われるのか、さっぱりと分からないイベントだった。これではいつまで経っても、喉に魚の小骨が刺さったようなものだ……
ちなみに男性陣とは言うが、女豹大戦に参加する気のないダークエルフの双子ことドゥ、あるいは給仕が本分の人狼メイドは女豹たちがいるバルコニー側とは逆の廊下側に集まっていた。
そのドゥはというと、あんな開幕宣言をして女豹たちを散々焚きつけておきながら、今はすまし顔でトマトジュースをちゅうちゅうと呑気に飲んでいる。
そんなドゥの背後にしっかりと仕えているのがメイド長のチェトリエで、またファフニールにしても、ドゥのすぐそばに座って微笑ましく
「おい、お嬢ちゃんや。そんなにたくさん飲むとお腹を下すぞ」
「うん」
「ほら、言わんこっちゃない。こぼしたじゃないか。仕方ない。我の鱗で早く拭け」
「ありがとう」
「何なら、今後は我のもとで暮らさんか?」
「ダメ」
「そうか。うーむ。とても残念だ。まあ、いつでも第三魔王国に遊びに来ていいんだからな。ていうか、来てくれよ。来てくれないと、お爺ちゃんはすごく寂しいんだぞ」
「うん」
ついさっきまでの
もしやラハブやドゥを通したら、ファフニールは簡単に
ついでに言うと、モタも初めはこそこそと男性陣に擦り寄っていたのだが、なぜかリリンに「モタは私の味方でしょ」と首根っこを捕まえられて、「ひょえええ」と泣く泣く火薬庫に放り込まれてしまった。
とまれ、ドゥの口もとを拭いてあげたり、色々食事を供したりと、一通りの世話をしてからやっとファフニールは男性陣に向き合った。
「すまん。『万魔節』の話だったな。地上のものと地下のもの、どちらの方を聞きたいのだ?」
「は? 二つもあるのか?」
ノーブルが驚くと、ファフニールは「ふん」と含み笑いを浮かべた。
「まあ、似て非なるものだがな。地上のものは貴様らもよく知っているはずだ。特に、執事のアジーン、それにそばに控えている人狼のメイドたちは毎年のように見てきたはずだろう?」
その瞬間、アジーンたちは「まさか!」と声を揃えた。
「そう。そのまさかだ。例年のトマトパーティーが地上における『万魔節』だ。何なら、今この場において『万魔節』が行われているといっても過言ではない」
すると、近衛長エークがおずおずと片手を挙げて疑問を呈した。
「お待ちください。ファフニール様――いや、ファフニール。私たちエルフ族の間では『万魔節』とは、魔王たちが争いの調停をする国際会議だと認識してきたのですが?」
「それも間違いではない。実際に地下ではそのような『万魔節』が行われている」
そこで高潔の元勇者ノーブルが上手に話をまとめつつも再度尋ねた。
「つまり、地上では長らく有力な魔王が真祖カミラと邪竜ファフニールに限られていて、その上に互いに交誼も結んでいたから、年に一回の真祖トマトの解禁をもって話し合いをして、それを『万魔節』としていたということでいいのだろうか?」
「その通りだ。第七魔王などと名乗っていたが
ファフニールがそこまで言うと、ノーブルは男性陣を見渡してから深く肯いてみせた。
「ということは、セロ殿が地下の『万魔節』に呼ばれたという意義は……もしや?」
「ふん。察しの通りだ。地下世界こと冥界には霊界、魔界、地獄をそれぞれ統べる王がいる。かつては七十二もの王が乱立していたが、最終的には順に
「しかし、セロ殿には失礼な話かもしれないが……本当に脅威足り得るのだろうか?」
ノーブルの疑問に幾人かの配下たちは非難するように目を細めた。
だが、意外にも肝心の近衛長エークはじっと黙していた――奈落で見かけたルシファーなる自称使い魔を知っていたからだ。
すると、ファフニールはつまらなそうに一つだけ息をついてみせる。
「さてな。我は真祖カミラと違って、地下世界の『万魔節』には呼ばれたことがないから何とも言えん。だが、長い睨み合いを打開する為に
ファフニールがそう答えると、ノーブルは眉をひそめた。
実のところ、ノーブルには気になることがあった。かつてルシファーは何者かを指して
となると、地下世界こと冥界には三者以外にも――いやその三者すらも超越する者がいる可能性がある。
「それでは、果たして……あのお方というのはいったい?」
誰からともなく声が上がった。
それはノーブルだったかもしれないし、エークやアジーンだったやもしれない。あるいは、静観を決めていたシュペル・ヴァンディス侯爵やドワーフ代表のオッタがこぼしたとしても不思議ではない……
だが、誰もがファフニールを静かにじっと見つめ続けた。
「やれやれ、無知とは罪だな。いや、もしや違うのか……古の大戦にて地上世界の記録がほとんど失われたとはいえ、その御名が人族、亜人族にも継がれてこなかったのは何か
ファフニールはそう達観するかのように言って、「ふむん」とまた息をつくと、今となっては一時停戦してファフニールに注視していた女性陣も見据えてから、皆にはっきりと告げた。
「あのお方とは――冥王ハデスだ。冥界の帝王に当たるお方だ」
直後、セロがファフニールに問い質した。
「つまり、地上に王がいて、帝王もいたのと同様に、地下世界の魔王同士の争いとは、その頂点となる冥王の後継者争いでもあるわけですか?」
「その通りだ。セロ殿よ。そして、後継者が定められたときにこそ、冥王ハデスはその者に命じて、改めて天界を攻めるのであろう。新しい大戦の幕開けというわけだ」
ファフニールがそう断言すると、皆は呆然とした。
魔族が争いを好む種族だとはいっても、千年以上も仕込んで新しい戦争を始めるなど、気が遠くなるというか想像すら出来ないことだ。
それを冥王ハデスは生真面目にも地下にて虎視眈々と狙っていて、今やセロという火種を投げ入れて様子見するつもりのようだ。セロが格上とみなしたルシファーを配下にしていることからも分かる通り、相当な実力者なのだろう。
が。
意外なことに、ルーシーが頭を横に振ってみせた。
「
「む。どうした? 真祖カミラの長女ルーシーよ。何が分からんのだ?」
「はい。妾は母上からいわゆる帝王教育を受けてきました。ただ、その中で一度も冥王ハデスなる存在を聞かされたことがないのです。母上はたしか地下の『万魔節』に参加したことがあったはず――」
「古の大戦後に呼ばれていたな」
「それでしたら、なぜ母上は冥王ハデスの存在を教えてくれなかったのでしょうか?」
ルーシーがそう尋ねると、ファフニールは苦笑を浮かべた。
そして、この場にいた誰もが驚くべき発言をそれとはなしにしてしまったのだ。
「さあな。
次の瞬間、大広間には耳に痛いほどの沈黙が下りた。
誰もが聞き間違いだと思った。真祖カミラが元人族などと、冗談にも程があると考えたのだ。
「おい、何だ? 貴様らはもしや何も知らんのか。おい、ノーブルとやら。貴様は元勇者だったのだろう。何も聞かされておらんのか?」
もっとも、ノーブルはというと、「いったい何を仰りたいのか。私にはさっぱりと分からない。勇者と真祖カミラが何か関係があるのだろうか?」と逆に尋ねて、顔をしかめてみせた。
「はあ。やれやれだ。人族とは戦いに明け暮れて、知識も、技術も、文明も、何もかも失っていくことに気も留めない。まさに神を模倣して作られた欠陥品だ。だから、我は人族なぞ嫌いなのだ」
もちろん、ファフニールは嘘をつくはずも、真相カミラを貶めるつもりもなかった。
それにどうやら一人だけ、真実を知っている者がいたようだ。かつて古の大戦にて当のカミラに敗れて、魔王城の地下に幽閉された者――
「なあ、エメスよ。我は何か間違ったことを言ったか?」
「いえ。何ら問題ありません。真祖カミラはたしかに元人族です、
「それに加えて、そもそもカミラは
ファフニールがそう言うと、その場にいた誰もが鳩が豆鉄砲を食ったような顔つきになった。
「こうなったら最後に教えてやろう。どうやら、そこの元第六魔王ことエメスは貴様らに何も伝えていないようだから、我が代わりに言ってやるが――いいよな、エメスよ?」
「構いません。小生があえて言わなかったのは、セロ様の統治に影響を与えるかもしれないと考えたからです。現状、その王権は盤石となりましたから、むしろいつ言うべきかタイミングを計っていたぐらいです。
エメスがそう答えると、ファフニールはわざとらしく、「ふん」と鼻を鳴らした。
それから、ルーシーとリリン、次いでセロに視線をやった。この状況を面白がっているといったふうな表情ではなかった。かといって、驚かせてやろうといった顔つきでもなかった。あくまでも事実のみ淡々と告げる執行官のような生真面目な声音で――
ファフニールはその場にいた全て者を突き刺すかのようにこう言ったのだ。
「そもそも、真祖カミラは生きているぞ。今も、まだこの地上世界のどこかに身を潜めているはずだ。まあ、何を企んでいるのかは我にもさっぱりと分からんがな」
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