第172話 魔王セロと魔王ファフニール(終盤)

 土竜ゴライアス様はまずセロを見て、次いで竜人姿の邪竜ファフニールに視線をやって、「ふむん」と鷹揚に肯き、周囲に強力な結界が張られていることも理解してからやっと呟いた。


「なるほどな。召喚されたわけか。せっかく気分よく血反吐をだらだらと吐いていたというのに……ふふ。まあ、長生きすると面白いこともあるものよな」

「ば、馬鹿な……」


 一方で、邪竜ファフニールはさすがに絶句するしかなかった。


 セロの内包する魔力マナの量が魔神級だとしても、まさか世界最強の一角たる四竜を呼ぶとは想定していなかった。


 しかも、召喚されたのはゴライアス様だけではない。その巨大な体に張り付くようにして、ヤモリ、イモリやコウモリたちといった超越種直系の魔物モンスターまでもが結界内に入ってきていた。


「キュイ!」

「キュキュイ!」

「キイキイ!」


 セロを救いたい一心で、魔物たちはセロを守るようにして取り囲んだ。


 ファフニールは「ちい」と舌打ちするしかなかった。ゴライアスだけでなく、その眷族まで付き従っているのでは、この戦いを早々には終えられないと悟ったわけだ。


 もっとも、ファフニールはかつて四竜の一角こと水竜レビヤタンを沈めて、『邪竜』の称号をほしいままにしたことで、地上最強の魔王と謳われたほどの猛者だ。


 同じく四竜相手なら勝つ見込みもあるのではと思われがちだが……当時は毒と水との属性の相性もあった上に、とある・・・事情が何より絡んでいた。


 そういう意味では、ファフニールがたとえ各種異常の貫通持ちという唯一無二の種族特性を持っていたとしても、土属性で毒が効きづらく、さらに単純な物理の力で上回ってくるゴライアス様は――ファフニールにとっては最悪な相手だった。これに正面から無策で挑むほど、傲岸不遜ではない。


 そもそも、どのみちゴライアス様は召喚術で呼ばれたのだから、術者セロを仕留めれば召喚された側は消失する。だったら、いまだに毒に侵されたままで死にかけているセロをまず攻め立てるのが道理だろう――


 が。


「げっ!」


 気がつくと、ゴライアス様の血塗れの口内にはエネルギーが一点に収束していた。


 海竜ラハブが北の街道で見せたものとは比べものにならないほどの魔力マナだ。これには結界を張っているルーシーたちも青ざめたが、ヤモリたちが「キュイ」と結界強化に協力してくれた。


 直後だ。


「邪竜よ。ここでね」

「ぐおおおおお!」


 ファフニールは絶叫した。


 その波動を避けることも出来ずにもろに受けたのだ。


 まさに巨大な山がさらに山を放ってきたようなものだ。毒を充満させる為に好都合な狭い結界を張っていた分、逃げる場所はどこにもなかった。


 世界が崩壊するさまとはこのようなものかと見紛うほど、それは凄まじい光景だった――


 エネルギー波はまずファフニールにぶち当たると、ファフニール諸共に結界内で乱反射し続けて、そのたびに地が揺れ、暴風も巻き起こり、熱波で何もかもが焼き尽くされて、第六魔王国の緑豊かな北の平原の一部には『隕石』のときよりも大きなクレーターが出来た。


 それでもファフニールは倒れなかった。全身の肌が焼き爛れ、片腕も消失していたものの、両腕でガードして魔核だけは守り通したのだ。とはいえ、セロと同様に最早、動くことすらままならないといった状況だ……


 もちろん、セロについてはヤモリ、イモリたちが小さな結界を張って守ってくれた。


「ほう。朋友レビヤタンのかたきと思って本気を出したが、さすがは冥王の子飼いファフニール。なかなかやりおるな」


 それだけ言って、ゴライアス様は無念そうに消えていった。


 召喚をしている間はセロの魔力マナも減り続ける。これ以上、ゴライアス様をこの地に顕現させればセロの魔力があっという間に枯渇して、かえってセロ自身に消滅の危機が迫る。


 だから、ゴライアス様と共にヤモリたちもお役御免とばかりに「キュイ」と鳴いて、名残惜しそうにいなくなってしまった。


 もっとも、満身創痍のファフニールとて、ここで手打ちにするつもりなどさらさらなかった――


「邪竜変身」


 そう呟くと、ゴライアス様と同じ大きさの巨竜がセロの眼前に現れ出てきたのだ。


 その場にいた誰もが、これが同じ生き物なのかと目を見張った。それほどにファフニールの竜の姿はゴライアス様とは違って禍々しく、まさに邪竜と言うに相応しかった――


 一般的な蜥蜴型の竜ではあるのだが、頭部が四つにかれて、気色悪い口がぽっかりと空いたようになっている。そこから舌なのか触手なのか判断しづらいものが無数に伸びて、さらにはその触手に幾つもの目が張り付いている。


 一目見ただけで怖気が走ってくるような不気味な姿だ。なるほど。第六魔王国訪問時に竜人の姿でやって来たわけだと誰もが納得したし、その外見を目の当たりにしただけで、ダークエルフの精鋭たちですら、『恐怖』や『混乱』の精神異常にかかりかけた。


小僧セロよ。今度こそ終いだ」


 邪竜姿のファフニールは片腕を失いながらも、一歩だけ、ドスンっと進み出た。


 おそらくこのままその不気味な口内から猛毒を一気に吐き出すか、もしくはその巨体でセロを踏み潰すかして決着をつける気なのだろう……


 だが、その一歩を踏み出して、ファフニールの触手に付いた無数の目が大きく見開いた。


「な、何をやるつもりだ?」


 なぜなら、セロが右手で己の左胸を貫いたからだ。そして、心臓を抉り出してくると、それを握り潰してみせた。


「法術、『抗体生成』」


 セロはそう謳って、生成した抗毒素を口内に流し込んだ。まるで自らの心臓を貪っているかのようだった。


 これには巴術士ジージ、モタだけでなく、高潔の元勇者も開いた口が塞がらなかった。元人族の者がどれだけ覚悟を決めたとしても、自らの心臓を喰らうなど、容易にやれることではないからだ。


 そんなセロの覚悟に、ファフニールでさえもわずかに怯んだ――


 つい先ほどまでは甘い小僧だと侮っていた。だが、今眼前に立っているのは紛う方なく本物の魔王だ。それも死を恐れずに立ち向かうことこそ誉れとする正真正銘の気高き魔族だ。


 だからこそ、ファフニールは「くく、そうこなくてはな」と、つい笑みを漏らした。


 あのままゴライアス様に全てを委ねることも出来たはずだ。それでもセロは一撃だけでゴライアス様を下げた。


 世界最強の存在に、本当に時間稼ぎだけをやらせたのだ。さらには己の心臓を喰らって抗毒素まで作り上げた。


 もちろん、ファフニールにしてみれば、セロが三発しか魔術や法術を発動出来ないことを知らなかった。もし『魔眼』によって相手を分析するのが得意だったなら、今のセロには最早捨て身の攻撃しか残されていないことに気づいたはずなのだが……何にしても、ファフニールもセロと同様に覚悟を決めた。


「喰らえ、小僧!」


 ファフニールは突貫した。


 こうなったら搦め手に頼らず、肉体言語で語るのみだ。もともと、ファフニールは物理だけでも十分に無双出来るのだ。


 一方で、セロはわずかに残された魔力マナで最後の魔術を放つことにした。


 相手がよこしまな毒竜ならば、それを浄化すればいい。もともと、聖職者時代から勉強だけはしていて、その術式の構築のやり方だけは知っていた――


 だから、セロは光系の中級魔術である『聖なる雨』を結界内に降らせようとした。


 セロが猛毒をもらっているのなら、ファフニールにも同じように地形効果でじわじわと削られていってもらおうと考えたわけだ。そうやって泥の啜り合いをして、不毛な消耗戦の果てにセロは勝機を見出そうとした。


 だが、当然のことながら、セロが放つものがそんな中途半端な魔術になるわけがなかった……


「滅せよ、魔王ファフニール!」


 放たれたのは、なぜか『神の光』――あるいは「神の激しい怒りメギド」とでも言うべき、世界崩壊すら招く最強の光撃だった。


 そろそろ宵口で暗くなりかけていた空が二つに割れると、そこから光の数条がファフニールを捉えた。


 まるで狙撃銃のレーザーサイトで赤い点レッドドットが浮かび上がるかのように、ファフニールの全身には聖なる白い点が収束したのだ。


 直後、結界がぱりんと割れると、太陽そのものが墜ちてきたように皆には見えた。


 ゴライアス様の波動に加えて、セロの最強の一撃まで受けるわけだ。このとき、ファフニールはさすがに己の終末を悟るしかなかった。


「天晴だ、小僧……いや、魔王セロよ。義娘ラハブも。何より、この地上も。貴様に託そうぞ」


 邪竜ファフニールはそう言い残して、全てを無に帰す『神の光』に触れて、魔核もろとも消え去っていったのだった――






「なぜ、我は……生きているのだ?」


 魔核のほとんどを失って、力尽きて竜人の姿に戻っていたファフニールの懐には、いつの間にか、海竜ラハブが飛び込んでいた。


 どうやら消失する寸前でラハブが救ってくれたようだ。魔核も欠片ほどがまだ残っている。


 だが、ファフニールは険しい表情になるしかなかった――戦場で死ぬことこそが魔族にとっての誉れだ。このように救われるなど、恥晒し以外の何物でもない。


 それをよくよく分かっているはずの義娘なのに、それでもあえてこうして義父を救ってみせた。それだけにファフニールはやりきれない気持ちになった。


「どうして……こんな馬鹿なことを仕出かした?」

「義父様はやはり卑怯千万です」

「どういう意味だ?」

「かつて約束してくれたではないですか?」

「は? 約束だと?」

「はい。が立派な水竜に成長するまで、きちんと見届けてくれると」


 それはたしかに遥か昔の口約束だった――


 千年以上前に、とある地下世界の王に仕えていた竜ファフニールは古の大戦時に地上の大陸に降臨して、他の毒竜たちと共に水竜レビヤタンに襲い掛かった。


 幾ら毒と水とが互いに好相性とはいっても、当時の毒竜たちにとって、世界最強の一角ことレビヤタンは敵う相手ではなかった。


 そもそも、天族と魔族とが地上にて雌雄を決するまで、四竜が古の大戦の調停に動かない程度の時間稼ぎを狙って、毒竜たちはレビヤタンと対峙しつつも、戦場にて死ぬ誉れを求めたはずだった。


 そう。ファフニールの命運は本来、そこで尽きるべきものだったのだ。


 だが、不運なことに、当時のレビヤタンには小さな娘がいた。さらに悪運まで強かったのか、他の毒竜たちはファフニールほどには魔族としての誉れや誇りなどを持ち合わせていなかった。


 結果として、小さな娘を攫ってまでレビヤタンを打ち負かした同族に対して、心底嫌気がさしたファフニールは何もかも全てを喰らって、種の頂点に立ったことで魔王となり、かつ邪竜へと変じていった。その際に保護した小さき竜――ラハブに対して贖罪を誓ったのだ。


実母レビヤタンのように強くなるまで、面倒だけは見てやる。いつか成長して、貴様が我を負かすとき――それこそが巣立ちのときだ」


 と。


 こうして、魔族の邪竜と小さき亜人族の海竜との奇妙な親子関係が始まった。






「魔王セロよ。我の負けだ。煮るなり焼くなり好きにせい」


 海竜ラハブに肩で支えられながら、邪竜ファフニールはセロの前にやって来た。


 もっとも、そんなふうに強がられても、煮ても、焼いても、毒性があまりに強くて食べることは出来ないよなとセロは首を傾げざるを得なかった。


 いや、もしかしたら屍喰鬼グールの料理長フィーアならば、美味しい食べ方を知っているかもしれないが……


 ちなみに、今のセロの身なりもファフニールに負けず劣らず、襤褸々々ボロボロではあったわけだが、ドルイドのヌフや巴術士ジージの法術によって大分回復していた。そもそも、ファフニールとは違って、魔核そのものは傷ついていないので、ダメージはさほど蓄積していない。


 すると、ファフニールは殊勝にも頭を下げてきた。


「だが、我が命に代えて一つだけ願いたい。義理の娘を……嫁にとまでは言わん。せめて第六魔王国で保護してやってはくれんか?」


 そう言って、ファフニールが「頼む」と付け加えると、セロはやっと小さく笑った。


「だったら、僕からも一つお願いがあるんです」

「何だ?」

「うちのルーシーと執事のアジーンがつい忘れてしまっていたことなんですが――」


 セロがそこで言葉を切って、ルーシーからもぎたてのあるものを受け取ると、


「真祖トマトが解禁されたんですよ。今年の物は過去最高と謳われた昨年を上回って、古の時代から数えても最も美味しく育ったそうです。どうか食べてもらえませんか?」


 セロは真祖カミラみたいな謳い文句と共にトマトを一つ渡した。


 ファフニールは無造作にそれを受け取ると、一口で頬張ってからごくりと飲み込んだ。さすがに巨体だけあって食べ方も豪快だ。


「ふむん。真相カミラの紹介は面白かった分、全く当てにならなかったわけだが――」


 ファフニールはそこまで言って、セロを真っ直ぐに見つめた。


「これは掛け値なしに、今まで食った物の中で一番美味いな」

「実は、トマト畑を拡張し過ぎてしまって、真祖トマトがずいぶんと余っているんです」

「やれやれ、仕方あるまい。今日は配下も大勢連れて来てしまったからなあ……」

「ええ。だから、もし貴方に何か罰を与えるとしたら――」


 セロはそう言って、片手を差し出した。ファフニールも失われていない方の腕を伸ばして、セロの手を握り返す。


「第六魔王こと愚者セロとして、新たに配下となった邪竜ファフニールに命じます。トマトパーティーでたくさん真相トマトを食べてください」


 この日、第六魔王国は第三魔王国を併合した。名実共にセロは地上最強の魔王の座に着いたのだ。

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