第171話 魔王セロと魔王ファフニール(中盤)

「セロよ。そんな……馬鹿な……」


 ルーシーはセロの敗北を呆然と見つめていた。


「こんなにあっけなく……まさかセロが負けるとは……」


 一方で、ルーシーの隣に立っていた海竜ラハブにはある種の諦観があった。


「ええ。セロ様ならもしやと思っていましたが、やはりこういう結果になってしまいましたか。まあ、仕方がありません」

「どういう意味だ? 仕方がないだと?」


 ルーシーが険しい目つきでラハブを睨みつけると、ラハブは寂しげな笑みを浮かべてみせた。


「そうですよ。義父様は初見殺しなのです。邪竜ファフニールの本質が力にではなく、その毒にあることを知らない者は必ず負けます。見ての通り、義父様の毒性はあらゆる耐性を貫通するものなのですから」

「くっ……無効化さえも貫通する猛毒か」

「貴女の母上、真祖カミラでさえも、最初はお父様に手も足も出ませんでした。逃げ出したほどです」

「まるで見てきたかのような言い方だな」

「もちろん、見てきましたよ。は貴女より遥かに長生きしているのです」

「ふん。そのぐらいは知っている……わらわが未熟な吸血鬼であることも。母上様にも、ファフニール様にも届かないことも」

「自らの弱さを自覚出来るのは、良い心がけです」


 ラハブはそう応じてから、遠くで倒れているセロをじっと見つめた。それはまるで歴史の生き証人のような底深い眼差しだった。


「やはり永く生きるものではありませんね。こうして最愛の人セロの敗北も見なくてはいけませんし、最愛の母――水竜レビヤタンが義父様に殺されるところも見なくてはいけなかった」

「…………」


 直後、二人の間には沈黙が下りた。


 いや、より正確には、そんな圧倒的な静けさがセロ陣営の配下全員に圧し掛かっていた。


 騒々しいのは宙だけだった。月明りも遮るほどの無数の竜たちが咆哮を上げ始めたのだ。それはまさに地上世界では第三魔王国こそ最強なのだという勝鬨だった。






 セロにはまだ意識があった。


 さっきから空が五月蠅うるさかった。おかげで頭痛が一層ひどくなって、安らかに眠ることさえ出来やしなかった……


 今回の戦いは学ぶことばかりだった。高潔の元勇者ノーブルと戦ったとき、いかに相手を知ることが重要なのか――セロこそが痛感していたはずだ。


 だが、今回はそのしっぺ返しを見事に喰らった格好だ。


 そもそも、セロは魔族としてまだまだ新米なのだ。本来なら格上の魔王相手にがむしゃらに戦わなくてはいけない立場だった。それなのに、いにしえの魔王だとか、魔神にも匹敵するとかと煽てられて、いつの間にか守る姿勢を作ってしまった。


「ふ、ふふ……」


 セロは地に向けて苦笑した。


 何せ、セロの心中では、最初から戦う気持ち自体が揺らいでいたのだ。


 この戦いに勝ったら海竜ラハブと結ばされる。だったら、むしろ負けてもいいのではないか――というよこしまな考えが脳裏を掠めなかった、と言ったらさすがに嘘になる。


 それに邪竜ファフニールが配下を総動員して、いきなり攻め込んできたのにも驚かされた。


 まさに電光石火だ。ラハブが第六魔王国にやって来たのが本当に偶然だったのかどうか。もしかしたら、全てがファフニールの計算づくで、ラハブの婚約を出汁だしにして、疾風怒涛の如く攻め立てることで、セロに考える隙を与えなかったのではないか。


 何にしても、それぐらい今回の奇襲は凄まじかった。おかげで相手に一撃も浴びせることすら出来ずにセロは倒れ伏している。


「いやはや……高い……授業料……だったな」


 敗者であるセロがどのような扱いを受けるかは分からない……


 ただ、セロの配下には厚い恩情を下してほしいものだ。真祖カミラの盟友だったというからさほどの心配はしていないが……むしろセロの弱さをまざまざと見せつけられて、せっかく出来た仲間たちが離れていかないか、そっちの方がよほど心配だ……


「結局……僕は……誰も――導けなかったな」


 セロは最期に、すがるようにしてルーシーにちらりと視線をやった。


 後事を託そうと思ったのだ。


 が。


 ルーシーは涙ぐんでいたものの、セロのことをしっかりと信じていてくれた――


 立ち上がってまた戦ってくれると全く疑わない眼差しを真っ直ぐに投げてかけてきた。しかも、その赤い双眼からは涙が頬を伝ってこぼれ落ちていた。


 そんな雫の波紋が地を伝って、セロを揺さぶった。


 戦場で死ぬことこそ誉れと、セロも考えてきたわけだが、果たしてこれは誇れるような戦いだっただろうか。そもそも、ルーシーを泣かしてしまっているではないか。


 こんなのは嫌だ。せめて、負けるときには、ルーシーにも「よくぞやった!」と笑っていてもらいたい。何より、セロも心行くまで戦って死にたい。


 そう。結局のところ、セロは根っからの魔族になっていたのだ。


「僕は……僕を……まだ……導いて、いない、じゃないかよ。こんちくしょう」


 いったい何をやっているんだと、セロは自身を殴りつけてやりたい気分になった。


 大切な同伴者パートナーにあんな表情をさせるなんて魔王失格だ。たとえ生き長らえたとしても、あるいは仲間が受け入れてくれたとしても――セロは自身を決して許せそうになかった。


 同時に、セロは血反吐をはいた。


 先ほどまでは体中の痛みなど無視して眠りにつこうかと考えていたわけだが――


 ――どうやらこの体はまだ毒に抵抗しようともがいているらしい。つまり、戦うことを全くもって諦めていないのだ。


 ならば、あとは心だけだ。動け、動け、と……セロは念じ続けた。


「う、おお……おおおお!」


 次の瞬間、全身を針で幾度も刺されるような痛みに加えて、頭が二つに割れてしまってのではないかという苦しみまでやって来た。


 だが、セロは膝に片手をやって、何とか立ち上がろうとした。


 モーニングスターを杖代わりにして、セロはぼんやりとした頭で一つの戦術を導き出した――


 使える魔術は低級の物で三発ほどだ。以前は二発ぐらいだったが、最近やっともう一つだけ確実に放てるぐらいには魔力量が増えてくれた。


 その三発の内、一つは法術による回復に当てるべきだ。この猛毒と魅了状態からどれほど回復出来るかは分からないが、少なくともこんな異常にかかったままでは戦えない。


 だからこそ、今は時間稼ぎが必要だ。となると、三発の内、二つ目は――


「ほほう。立ち上がってくるとはな。褒めてやるぞ。これだけのダメージを負って、挫けなかったのは貴様が初めてだ」


 邪竜ファフニールは呟いた。


 もちろん、そんな褒め言葉などいらなかった。セロにとっては誉れにもなりやしない。


 どのみちそうやって慢心させてから、隙を突くのがこの邪竜のやり方なのだ。だからこそ、今、セロが目指すべきは起死回生――


 実のところ、高潔の元勇者ノーブルから『聖防御陣』を習ったように、一方で巴術士ジージからもあること・・・・を学んでいた。


 もっとも、セロにとって、そちらはド素人に過ぎなかったので、まだ初歩も初歩でしかなかったわけだが……


「やれやれ。仕方あるまい。ここで止めを刺してやるか」

「初級……召喚術……ヤモリ……イモリ……コウモリ、召喚!」

「むう?」


 セロは少しでも落ち着いて法術による回復に専念出来る為にと、この戦場に小さき仲間たちを呼んだわけだが――


「な、な、な、何だと!」


 直後、ファフニールは仰天することになった。


「おや、ここはいったいどこだ?」


 なぜなら、召喚されたのが、優に山一つぐらいの大きさを誇る――土竜ゴライアス様だったからだ。


 セロはまだ片膝を地に突いて、「ぜい、ぜい」と息を整えながらも、初級召喚術が超特級召喚術に変じたことによって世界最強四竜の一体、ゴライアス様を呼んだ奇跡に感謝しつつも、こう命じたのだった。


「ゴライアス様、お願いします。わずかでいい。時間を作ってください」

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