第170話 魔王セロと魔王ファフニール(序盤)

「ファフニールさん。場所を移してもいいですか? この魔王城も、周辺一帯も、改修したばかりなのであまり壊したくないんです」


 セロがそう提案するも、邪竜ファフニールは「ふん」と聞く耳を持たなかった。


「ふざけるな。我は言ったはずだぞ。この場で貴様を八つ裂きにしてくれると」


 それを言い放ったのはたしかノーブルに対してであって、セロではなかったはずだが……


 何にしても、セロは狭い室内での肉弾戦を想定した上で、いかに魔王城から出て、遠くに離れていくかという戦い方を考えるしかなかった。


 ただ、バルコニーから外にちらりと視線をやると、ファフニール配下の竜たちが宙で無数に蠢いていた。


 どうやら簡単にはセロを行かせてはくれなそうだ。それに室内で殴り合いをするにしても、体格差を考慮したら、明らかにファフニールの方が有利だろう。


「さて、どう戦うべきか……」


 セロがそう呟くと、意外なところから援軍があった。


「セロ様との新居を壊したら、義父様とは一生口を聞かなくなりますよ!」


 海竜ラハブがそう言って、ぷんすかと唇を尖らせたのだ。


 もっとも、ファフニールは新居と聞いたからには、何が何でも意地でも壊したいといった顔つきになる一方で、義娘がこれから一生口を聞いてくれない事態と天秤にかけてみて、後者をよほど重く受け止めたらしい。「ぐぬぬ」と歯ぎしりをしてまで、ついに苦渋の決断を下した――


「よ、よかろう……場所を変えるのを認めてやろうではないか」


 もしや、ラハブを介すればすごくチョロい竜なのでは……


 そんなふうにまたファフニールを甘く見てしまいそうになったが、セロはぶんぶんと頭を横に振って、魔王城の北東にある平地に移動した。


 しかも、以前の高潔の元勇者ノーブル戦の際と同様に、ルーシー、リリン、ヌフに加えて、今回は巴術士ジージやモタ、さらにはラハブまで結界を張るのを手伝ってくれた。


 まさに鉄壁と言っていい。何せ魔王同士の戦いだ。どれだけの被害が出るか、全く想像がつかない――「最悪、地殻変動が起こり得るわい」と、ジージが嘆いたほどだ。


 そんなふうにして皆が結界を張り終わると、セロは一つだけ短く息をついてから、ファフニールと対峙した。


 相手は邪竜には戻らずにまだ人型――竜人の姿のままだ。


 それでもセロの体格の優に三倍はあった。セロとて魔族に転じてから人族のときと比して、相当に腕力が上がったとはいえ、同じ魔王級でいかにも物理に全振りしたような相手となると、正面からどつき合っては命が幾つあっても足りない……


 武器については、セロはいつものモーニングスターを取り出したが、ファフニールは何も持っていなかった。どうやら己の拳一つ、モンクのパーンチ同様に肉体言語のみらしい。


 そんな相手の様子にセロはいったん目を細めた――実のところ、ファフニールの戦い方については王国の伝承にあまり残されていなかった。


 いや、正確には多く残されてきたのだが、そのほとんどは王国の騎士団が瞬殺される話ばかりなので、とにもかくにも南の魔族領には近づくなという寓意しか伝わっていないのが実情だ。


 そういう意味では現状、竜種の魔族で、強大で巨大な体躯を有していて、いかにも拳で語り合うといった様子からして、圧倒的な力でねじ伏せてくるタイプだとセロは看破した。


 だとしたら、セロはなるべく距離を取って、魔術で対抗するのがベターか。


 いまだに膨大な魔力量に対して、放てる攻撃魔術の数が少ないのが欠点ではあるが、そこは何とかやりくりするしかないだろう。


 相手は短気で、悩筋なようなので、頭脳戦なら負ける気はしない。戦術と遠距離戦で相手を嵌めていくしかない――と、セロはそんなふうにいったん定めた。


「おい、誰ぞ。始まりの合図でもせい!」


 すると、邪竜ファフニールがそう言ってきた。


 同時に、結界を張っていないセロの仲間たちで顔を見合わせて、その中から高潔の元勇者ノーブルが進み出てきた。


「それでは私が執り行おう。ごくごく単純にコインを跳ね上げる。それが地に着いたら、戦いの始まりだ。よかろうか?」

「構わん」

「はい。それでいいです」


 二人が同意すると、ノーブルは中央にやって来て、コインを跳ねる構えを取った。


 だが、ファフニールがなぜか片手でノーブルを制した。


「ノーブルとやら。死にたくなければ離れた方がいい。わざわざ我らの間に入る必要はない。距離を取って、コインを間に投げ入れよ」


 開幕早々、相当に衝撃波のある物理攻撃を繰り出してくるに違いないと、セロは身構えた。


 ノーブルは「ふむん」と首肯すると、二人から十分に離れて、「それでは始めよう」と王国の金貨を一枚だけ、指できれいに跳ね上げた。それが回転して、セロとファフニールの間にぽとりと落ちる。


 セロはモーニングスターを両手で持って、いつでもファフニールの一撃に対応出来るように『聖防御陣』を繰り出すタイミングを見計らった。


 そうして物理攻撃をいなしてから、カウンターを喰らわして様子を窺おうと考えたのだ――その際に与えられるダメージで、ファフニールの実力もある程度見定められるはずだ。


 が。


「うっ……」


 と、セロは小さく呻いて、胸のあたりを抑えてうずくまった。


 手足の先が痺れて、しだいに眩暈も襲ってきた。呼吸がひどく難しくなってきている。まるで体の中からじわじわと蝕まれていくような感じだ。


 もちろん、セロはすぐに気づいた――


 これは毒だ。猛毒だ。いつの間にか、空気中に散布されていたのだ。


 それよりもセロは驚くしかなかった。毒にかかるなど、本当に久しぶりだ。そもそもセロはかつて司祭で、状態異常回復の専門職スペシャリストだったので、状態・精神異常に対する高い耐性を有していた。


 真祖カミラの『断末魔の叫び』による呪いですら、しばらくの間は自力のみで抵抗していたほどだ。魔族に転じて、賢者もとい愚者になってからは、それら耐性も一層強化されて、今ではほとんど無効に出来るはずだから、まさか今になって毒に侵されるとは考えもしなかった。


「くっ……マズい。早く回復しないと……」


 セロは地に片膝を突きながら、アイテムボックスから毒消しのポーションを取り出した。


 それをごくりと飲み込むのをファフニールは止めもしなかった。だから、セロも嫌な予感がしたが――ポーションが胃の中に入ると同時に、さらに痛みが跳ね上がった。どうやらこの猛毒はかなり厄介な性質を持っているらしい。


「まさか……こんな攻撃を仕掛けてくるなんて……」


 セロはそう呟いて、地に崩れかけるのを何とか踏みとどまった。


 こうして毒に侵されたことには驚かされたが、そもそもファフニールを侮っていたことについて反省しきりだった。まさか初手が物理攻撃ではなく、こんな搦め手で攻めてくるとは……


 なるほど。ファフニールがノーブルに「離れた方がいい」と言った理由はこれだったのか……


 しかも、鉄壁の結界を張っているから空気中に毒が充満していく。いや、それだけではない。無効化出来るはずのセロがこんなふうに簡単に猛毒にかかるなど、何か他にもからくりがあるはずだ。


「……どうする?」


 セロはいまだ片膝立ちしながらも、揺れる視界の中でファフニールを凝視した。モーニングスターを両手で持って、防御の構えだけは取り続けた。


 が。


 ファフニールはというと、「ふん」と短く笑うだけだった。


「全くもって甘いな。危機管理がなっていないぞ、小僧セロよ」

「…………」

「どうした? もう話すことも出来んか? では良いか、覚えておけ。貴様がこれから冥界の『万魔節サウィン』で対峙する魔王ばけものどもは――我よりも数段強く、また狡賢いぞ」


 セロは顔をしかめるしかなかった。


 たしかに先日遭遇したルシファーはセロよりも格上の魔族だった。だが、地下世界にはあのレベルの魔王が他にもごろごろといて、しかも狡猾に相手の隙を突いてくるというのか……


「さて、それでは仕上げといこうか。そうなってしまったら、貴様はもう何も出来んよ」


 ファフニールはそう言うと、なぜか急にセクシーなポーズを取った。


「我の逞しさ。しっかりと目に焼きつけよ!」


 その姿はまさに女豹だった。いや、ファフニールは雄なので男豹――もとい雄竜なのだが、怪しすぎるポージングからの「あはん♪」という『ファイナルヌード』でセロの脳はあっけなく破壊されて、精神異常の『魅了』まで受けてしまった。


 最早、思考することも、立つことすらも覚束なくなっていた。


「哀れだな、小僧セロ。魔神に匹敵する力を有していても、それでは宝の持ち腐れだ。まあ、婿とはいかんが、せいぜい我の配下としてこき使ってやろうか」


 次の瞬間、ファフニールの拳がセロの腹部にめり込んでいた。


 さながらピンボールのようにセロは結界内を幾度も反射して、最後にはファフニールの足もとに落ちた。そのセロをファフニールは足で踏みつける。魔核の位置を探るようにして、右足でセロを踏みにじると、仰向けになったセロの喉もとあたりに圧し掛かって――


「これで終いだ。あっけなかったな」


 こうしてセロは魔王となって初めての完全敗北を喫したのだった。



―――――


作中でファフニールが取ったファイナルヌードはもちろん、『真女神転生5』のクレオパトラが見せてくれるやつです。これを執筆時、ちょうどプレイしていたんですね……変えようかとも思いましたが、改稿でも残しました。

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