第169話 生涯の好敵手

「義父様! まだ迷いの森の上空じゃなかったのですか?」


 海竜ラハブがそう問い詰めると、邪竜ファフニールはにやりと笑った。


「なあに、ちょいと策を弄したまでよ。着信をもらった時点で迷いの森に入っていたのではなく、すでに出るところだったのだ。どうせ森だから石板に映る背景もさして変わらんしな」

「うー。見事に引っ掛かりました。でも、義父様、卑怯千万ですよ! 邪竜家がやるべきことではありません!」


 ラハブがそう言ってねると、邪竜ファフニールと付き従っていた竜人たちはあからさまに「がーん」とショックを受けた。


 さっきまでの傲岸不遜な態度はどこへやら――ファフニールは明らかにおろおろと慌ててラハブのご機嫌を取り始める。


義娘ラハブよ。これはサプライズなのだ」

「「「そうだそうだ」」」

「我だって義娘が急に飛び出していってびっくりこいたんだぞ」

「哀しかった」「全俺が泣いた」「死ぬかと思った」

「だから我の方がたまには驚かせたっていいじゃないか」

「今度は俺が驚かせる番だな」「いや、俺だ」「ふざけるな。俺だ」


 どうやら邪竜ファフニールの背後で追従しつつも勝手に喧嘩を始めた強面たちはラハブの兄たちらしい。ラハブによるとこの場に全員集合しているとのことだが……


「まあ、たしかに勝手にここに来たも悪いので許して差し上げます」

「ふふ。よくぞ言った。それでこそ我が義娘だ。次もまたこんなふうに攻め込んで驚かせてやるからな」


 次もまた攻め込むってどういう意味だと、セロはそろそろ内心のツッコミを口にしたかったのだが、何にせよ、そうやって「がはは」と豪快に笑い合って一家団欒しつつある邪竜家を遠巻きに見つめながら、セロはたしかに・・・・驚いていた――


 今、第三魔王国にある軌道エレベーターの守護はいったいどうなっているんだろうか、と。


 それはともかく、邪竜ファフニールはまたもや見栄を切った。


「何にしてもだ。第六魔王セロよ。まだまだ甘ったるい小僧だな。これで真祖カミラの代替わりなどとはたかが知れたものよ」


 その言葉がセロにぐさりと刺さって、「うっ」とわずかに後退した。


 たしかにこんな初歩的なトリックに騙されるなんて本当にみっともない。ついつい邪竜ファフニールについては単なる直情径行な親馬鹿ぐらいにみなしてしまっていた。危機感を欠いたのは、完全にセロの落ち度だ。


 そもそも、もし相手が本当に卑怯千万なやからだったなら、今頃、魔王城は火の海になっていてもおかしくはない。


 とはいえ、そんなファフニールたちの背後には人狼メイドのチェトリエが何食わぬ顔して突っ立っていた。てっきりセロは、ファフニールたちによって、人狼メイドたちも、警護していたダークエルフの精鋭や吸血鬼たちも、やられたのかと思っていたわけだが……


 メイド長のチェトリエはそんなセロの視線を受けて、こくりと肯いてみせる。


「たしかに宣戦布告をした上でファフニール様は入城なさっておりますが、特に破壊活動をするわけでもなく――抵抗は無駄だ! 新たな第六魔王のもとに案内せい! ――と申し受けましたのでお客様として扱わせていただきました。メイドにも、精鋭たちにも、また魔物モンスターや城などにも被害は一切出ておりません」


 被害がないからってそんな簡単に案内しちゃダメでしょと、セロはやや項垂れかけた。


 だが、人狼メイドからすれば真祖カミラの代から邪竜ファフニールとは長い付き合いもあって、その人となりをよく分かっているし、それに何より魔王同士でタイマン上等、いっそ魔王こそが先陣を切って戦うべし、といういかにも魔族的な考えも持ち合わせているから、そりゃあこうなるかなと考え直した。


 今はむしろ改築した魔王城に被害が出ていないことを素直に喜ぶべきだろうか……


 そんなふうにセロが百面相していると、邪竜ファフニールは数歩前に出てきた。人型になっているとはいってもその体躯は大きい。ジョーズグリズリーを優に超えていて、さらに多くの魔族を統べる者としての圧も凄まじい。セロが思わず、またもや後退ったほどだ。


「魔王セロよ! 貴様なぞには義娘は絶対に渡さん!」


 ファフニールはそう言って、片手の拳を強く握りしめて前に突き出した。


「この場で八つ裂きにしてくれるわ!」


 まさに怒髪天を衝くかの如く、その低い声音だけで魔王城は激しく揺れた。


 が。


「…………」


 魔王城二階の広間にいた者は皆、首を傾げていた。


 セロとてつい眉をひそめた。ラハブだって顔をしかめた。ただ、高潔の元勇者ノーブルだけが戸惑った表情を浮かべていた。


「い、いや、私は魔王セロではないのだが……」

「な、なにいいい?」


 というのも、邪竜ファフニールはなぜかノーブルに向けて啖呵を切っていたのだ。


 どうやらファフニールは自身があまりに強大な力を持っているがゆえに、敵に対する探知や分析はかなり苦手なようだ。


 さらにラハブがこっそり教えてくれたところによると、ファフニールは生涯で一度も『魔眼』を使ったことがないらしい。要は、『魔眼』を使うに足る相手に出会えなかったということなのだろう……


 いずれにしても、ファフニールはノーブルに対して言い放った。


「貴様、いい加減にしろ! いかにも凛として、この場のリーダーっぽい顔つきをしているではないか! それが魔王ではないとはどういうことだ!」

「そう言われてもな」

「それになかなか強そうだぞ。名は何と言う?」

「ノーブルだ」

「ほう。百年前ぐらいに会った気がするな。たしか真祖カミラと何やら熱心に話し込んでいただろう?」

「蝗害のときだな。というか、忘れられていたとは悲しいな」

「すまんすまん。人族なぞに興味は持てなくてな。なるほど。カミラと相談して魔族になっていたのか」


 邪竜ファフニールはそう呑気に言って、ノーブルの背中をばんばんと叩いてから横にどかさせた。それからじろりと大広間にいた第六魔王国の面々を睥睨すると、


「貴様なぞに娘は絶対に渡さん! そう。絶対にだ!」

「も、も、もしや……わし?」


 今度はなぜか巴術士ジージに向かって言っていた。


「というか、娘よ。たしかにそれなりに強そうだが、こんなじじいに結婚を申し込むとはどういう了見――ぐぶふぉっ!」


 そのとたんにラハブはファフニールに向かってきれいな飛び蹴りを喰らわした。


「余がこんな爺を好きになると考えるとは、義父様とて如何なものかと思います」


 爺と連呼されて、ジージはちょっとだけしゅんとなった。


 とはいえ、幾ら何でも現場にきて、どーんとやって、ばーんとやって、がーんとやればいいだけだと思っている魔族の筆頭ことファフニールにしても、さすがにこれはひどいと傍目から見ていてセロは思った。


「そもそも、わし、明らかに人族じゃろうが……」


 ジージがそう嘆くと、その後ろでモタが囁いた。


「もう妖怪爺の域に達しているけどね」

「こら!」


 モタはすぐに杖で殴られた。ファフニールやラハブに対しては空気を読んだ分、三倍ぐらい強くなっている。おかげでモタはおでこを抱えて涙目だ……


 何にしても、邪竜ファフニールは立ち上がって、今度こそじっくりと広間を見渡した。


 ファフニールも今度ばかりはさすがに吟味した――ふむん。我の前だというのに涼しげな顔つきをした浅黒い肌の強者がいるが……あれは違うな、ダークエルフだ。同じようにごつい岩みたいな筋肉男もいるが……あれもやはり違うな、火の国のドワーフだ。


 人狼の男は……たしかカミラのときからいる執事だったな。それとやはり浅黒い小さな子供も……ダークエルフだろうな。というか、あの子はもしや女の子か? 思えば義娘もあのぐらいの頃が一番可愛かった。将来は我のお嫁さんになりたいと言ってくれたものだ。はあ、懐かしい……


 ん。おほん。さて、それと頭の切れそうな男もいるが、間違いなく格好からしてあれは人族の貴族とやらであろうし……ん? 何だ、あの白塗りの顔で麻呂眉の男は……いったい何族だというのだ。そこそこ強そうだし、まるで我の睨みに動じていない……まさかこれが魔王セロか? いやはや、娘は正気を失ったのか? こんなやからと結ばれようなどとは……


「もちろん、麻呂も違うでおじゃるよ」


 そこでファフニールは「ほっ」と息をついた。危うく発狂しかけるところだった。


 そして、最後に残っていた青年に視線を移した。いかにもひ弱そうな神官服を着た優男だ。実のところ、最初にパっと見たとき、ファフニールはすぐさま選択肢から外していたのだが――


 よくよく見てみると……あまりにおかしな存在だった。


 内蔵する魔力マナの量うとその密度が圧倒的なのだ。最早、超越種に匹敵すると言ってもいい。魔王というよりも魔神……いや、かつて邪竜ファフニールが仕えていた冥界のあのお方・・・・に近いものを感じ取った。


 だからこそ、ファフニールはその生涯で初めて『魔眼』を使うことにした。


 直後だ。


「ふ。ふふ。ははは。あーっははははは! なるほど。真祖カミラが負けたはずだ!」


 邪竜ファフニールはふつふつと込み上げてくる喜色を堪えることが出来なかった。


 実のところ、魔族が『魔眼』によって好敵手を求めるなど、相手の力をいちいち計ってから戦うような臆病者の戯言だと常々思っていた――


 だが、今こそファフニールは生涯の好敵手に巡り会えた奇蹟に感謝した。


「我と戦え! 第六魔王こと愚者セロよ! もし勝ったならば、義娘との結婚も考えてやってもいいぞ!」


 今度こそ、邪竜ファフニールはセロと真っ直ぐに向き合って、堂々と告げた。


 そんな栄誉に預かったセロではあったが……内心ではこうツッコミたかった――いや、結婚についてはむしろ白紙に戻してほしいんだけど、と。


 何にしても、地上世界における最強決定戦がついに始まろうとしていた。

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