第168話 邪竜家の闇
「――というのが、これまでの経緯なんだ」
魔王城二階の食堂こと広間でセロが説明すると、皆は一斉に「はあ」とため息を漏らした。これではまさに押しかけ女房そのものだ。しかも、実家の厄介ごとまで押し付けてきたのだからよほど
すると、高潔の元勇者ノーブルが「よいだろうか」と手を挙げた。
「ところで、セロ殿。引き続き聞きたいのだが――なぜそこにいる海竜ラハブ殿は当国の
その発言に全員が「ふむん」と肯いた。
そもそもラハブは第三魔王国に所属しているが魔族ではない。あくまでも亜人族の竜人だ。
どこかの拷問を趣味とする
そのせいか、皆の視線が自然とモタに集まった。まーた何かやらかしたのかと、白々とした目が向けられたわけだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよー。わたしは何もしてないよー。せいぜい、お腹がぴーぐるぐるってなる闇魔術をこっそりとかけた程度だよー」
やっぱり何かしていたじゃないかとは、皆も「はあ」と天を仰ぐばかりでツッコミを入れなかった。もっとも、ラハブは両腕を組んで「ふふん」と、これまた余裕の表情だ。
「
「そうです。モタは悪くありません。一番先に手を出したのは私です。魔鎌でその首を刈り取ろうとしました」
「もちろん、竜燐で弾いてやったさ」
これまたラハブは「へへん」と鼻息を荒くした。
ここにきて、皆も「あちゃー」と額に片手をやった。こちらから先に手を出したというなら、大義名分もへったくれもない。あとはいかにも魔族らしく、売られた喧嘩を買うだけだ――
だが、そこでリリンは話を付け加えた。
「しかしながら、このラハブは第六魔王国に来て早々、いきなりセロ様を侮辱したのですよ」
その発言で広間の空気が変わった。
皆が「ん?」と訝しげな目つきになって、それぞれラハブを睨みつけたのだ。
「ぶ、侮辱……というわけではない。あのときは旦那様のことをよく知らなかっただけだ」
「それにしてはぺらぺらと下世話な表現を使って罵っていたように思いますが? たしか、元聖職者の日和見主義者だとか、第三魔王国を怖がって外交すらしない臆病者とか、拷問が好きで性癖的にあれな変態野郎とか――」
ちょっと待て。性癖的にあれなのは絶対に違うぞ。
と、セロは断固抗議したくなったが、どういう経緯か知らないが、第六魔王国は拷問好きだという噂が広まっているらしい。
多分に人狼の執事アジーンやダークエルフの近衛長エークの日課を見聞きした神殿騎士団や聖騎士団あたりが広めた可能性が高いが……よりによってセロがその親玉みたいに扱われているのはなぜだろうか?
それはともかく、リリンの説明のおかげでセロ配下の全員がラハブに敵意のある視線をやった。当然だ。セロを侮辱されて、黙っていられるはずがない。
すると、ラハブはあわあわと両手を交錯させながら言い訳した――
「ふむう。仕方がないではないか。余は邪竜家で育った。むしろ、お兄様たちや義父様など、蔑めば蔑むほど喜ぶんだぞ?」
「…………」
皆の視線がやけに白々としたものに変じた。
それはそれでいったいどうなのかと、邪竜家の深い闇を見たような気がしたし、アジーンとエークにいたっては何かを期待するような眼差しをラハブに送るようになってしまったが……何にしても、モタの次の一言が決定打となった。
「まあ、売り言葉に買い言葉だったよね。お互いにちょっとヒートアップし過ぎたよ。ごめんね、ラハブ」
こういう素直なところがモタの長所だ。
事実、ラハブも「ふむ」と肯いて、頬をぽりぽりと掻いてから、
「たしかモタ……だったか。余もあのときは言い過ぎた。リリンも含めて、すまなかったな」
「いえ、私も外交官として軽率な行動でした。ラハブよ。申し訳ありません」
そんなふうにして三人で謝ってみせたので、皆も「まあ、そういうことでいいか」と納得して、この場は丸く収まった。
ちなみに全く話にも出てこなかったモンクのパーンチはというと、キャットファイト寸前の三人を何とか仲裁しようとしたらしい。そのせいで魂が抜けかける羽目に陥ったのだから浮かばれないわけだが、今は宣戦布告など露知らずに、温泉宿泊施設の赤湯にまったりと浸かって安静にしているとのこと。
「さて、先ほどのセロ殿の話の中で特に気になっていた点があるのだが――」
ノーブルはそこで言葉を切ってから、意味ありげにルーシーとラハブを交互に見て、セロにわざわざ視線を戻して尋ねた。
「竜の契りとはいったい何なのだろうか? もしや第六魔王国の正妻は、本当に海竜ラハブ殿になったということか?」
その質問によって、今度は広間が静寂に包まれた。
ほとんどの者はよくぞ聞いてくれたと感心する一方で、当然のことながら女豹たちはすぐにばちばちと火花が散るほどの熱い視線をラハブにぶつけた。今度こそ一触即発といった状況だ。
今まではセロを第六魔王として新たに立てたルーシーが正妻ポジションにいたから遠慮するところもあったわけだが、もしセロがラハブを認めるならば、今後は押しかけ女房同士の激しい
だが、意外にもセロは冷静に答えた。
「竜の契りというのは、亜人族である竜人の雌が持つ、特殊な種族スキルなんだそうだ。竜人は一夫一妻制で、雄も、雌も、生涯に一人だけをずっと愛し合う。逆に言うと、契りを結ばされた雄はその雌以外に興味を持たない体質になってしまうみたいなんだ」
直後、ダークエルフの双子ディンが、がたっと立ち上がった。
「では、セロ様はもう海竜ラハブ以外を愛することが出来ない体になってしまったということですか?」
それはまさに悲痛な叫びだった。
人造人間エメスやドルイドのヌフはさすがに古株だけあって竜の契りについては知っていたらしい。今はどうやってその呪縛を解くか、ひそひそと相談している。
また、女豹ではないが、モタはそれを聞いて、闇魔術による新種の媚薬が開発出来るかもしれないと、前回の失敗にも懲りずに「にしし」と画策し始めるし、セロが他に愛せないということで双子のドゥでさえもショックを受けている印象だ。
それと意外なところでは、巴術士ジージも唖然としていた。「神からの恩寵、いやご寵愛をこの身に受けることが出来ぬとは……」と、こちらは宗教的な愛について瞑想ならぬ迷走して涙を流しているようだ。セロはそろそろ
何にせよ、そんなふうに混迷する空気の中でセロは「ふう」と一つだけ息をついてみせた。
「とは言っても、なぜか僕には竜の契りは全く効かなかったんだけどね」
再度、広間には
「これって……やっぱり僕が竜人じゃないからなのかな?」
セロが隣に座っていたルーシーにさりげなく尋ねると、
「いや、それは関係ないはずだぞ。というか、
「それは
とにもかくにも、広間には「ほっ」と安堵が広がった。
一方で、もしかしてセロは全ての愛を受け付けない体質なのではないかという疑問も女豹たちを中心に生じた。
そもそも、これほど各種多様な女豹たちが集まっているのに、その中の一人にも手を出さないというのはさすがに堅物の元聖職者とはいえ奥手に過ぎる……
だが、近衛長エークが「もしや――」と疑問を呈した。
「土竜ゴライアス様の加護のおかげなのではないですか?」
そう言って、エークはセロが胸もとに隠していたペンダントに指差した。
そのとたん、ラハブが「ああっ!」と大声を上げた。
「そういうことか! 土竜の
どうやら土竜の加護は
「でも、伯父貴に認められるなんてさすがは旦那様です。ますます欲しくなってきちゃった」
ラハブはそう言って、舌なめずりした。
今後、女豹たちの戦いはどうやらさらに苛烈を極めていきそうだ。
ともあれ、そんなふうにして女豹たちが互いを牽制しつつも、場の空気がまた荒んでいく中で、ノーブルだけは相変わらず冷静に、セロに対して最後の質問をした――
「ところで、セロ殿は先ほど、邪竜ファフニールは砦の上空まで来ていると言っていたが、どうしてそんなことが分かったのだろうか?」
当然の疑問だろう。斥候や密偵でも放っていなければ相手の位置など、早々容易に把握出来るはずもない。そもそも、北の魔族領には防衛拠点が一つもないのだ。敵の侵攻状況を確認する
だが、セロがちらりと視線だけで促すと、ラハブはガラスのように研磨された
その瞬間、邪竜ファフニールがまた石板上に映し出された。
「何だ、
律儀にすぐに出てくる邪竜もどうかとは思うが――
「義父様、今はどこらへんにおられるのですか?」
「うむ。ちょうど迷いの森の上空あたりだ。ふふふ。あと、数時間ほどで着くぞ。セロとやらには首を洗って待っていよと伝えておけ」
そこでラハブは感謝も別れも告げずにぷつっと魔導通信を切ると、
「だ、そうです」
そんなふうに皆に伝えた。
年頃の娘は大抵、父親に対して冷たいというが、皆は邪竜家の闇をまた垣間見たような気がした。というか、索敵が全く必要としない敵もいったいどうなのか……
それはともかく、迷いの森の話がちょうど出たのでエークが話を切り出した。
「邪竜ファフニールが戦う為に動くのは久しぶりなのではないですか? 少なくとも、この百年間では聞き覚えがありません」
すると、ラハブは義父の話が出たからか、「えへん」と胸を張って答えた。
「そうだな。義父様は基本的に軌道エレベーターの守護があるから、南の魔族領からはほとんど出て来ない。この魔王城が起動するまでは、天峰だけが天界に通じる唯一のものだったから、どこかに隠れ潜んでいる天族からもよく狙われていたしな」
セロは「へえ」と相槌を打ちながらラハブに尋ねた。
「それじゃあ、領外に出るのは、真祖トマト解禁のときぐらいってことなのかな?」
「えーと……他にもたとえば、余と一緒に新年の挨拶代わりにエルフの森を嫌がらせで攻め入るときとか、余は春になるとその森の花粉に悩まされるので東の魔族領の虫たちをくしゃみついでに焼き払うときとか、夏には隣の島嶼国で余と水浴びするときとか、あるいは西の魔族領で余と泥遊びするときとか、まあ、それなりに領外には出ていますが……」
どんだけ義娘と遊びたいんだよ……あと領外に動くのは珍しくも何ともないじゃないか……
セロは内心でやれやれとツッコミつつも、再度ラハブに聞いた。
「じゃあ、ファフニールさんは天峰にいなくて本当に大丈夫なの?」
「はい。お兄様たちが代わりに守護しているから問題ないです」
そのときだ。ノーブルが急に立ち上がった。
「おかしいな。外から無数の殺気を感じるのだが……」
その言葉でセロたちは慌ててバルコニーに出ると、いつの間にか、魔王城の周囲は竜たちに囲まれていた。まさに空が竜によって埋め尽くされているといっても過言ではない。
「まだ迷いの森の上空だったんじゃ?」
セロが驚くと、バルコニーではなく、魔王城内の広間の入口から闖入者があった――
邪竜ファフニール本人が入ってきたのだ。石板で見たようにいかつい竜人の姿だった。さらに、同じように強面の竜人たちが幾人も付き従っている。
「ごきげんよう、諸君。我が邪竜ファフニールだ! さて、挨拶もそこそこになるが、早速、魔王セロとかいう若造を叩きのめしてやろうではないか!」
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