第167話 邪竜は許さない

 セロは「ふう」と息をつくと、巻き付いてきた海竜ラハブを何とか解いて、きちんと真っ直ぐに向き合った。


 それでもラハブはというと、さっきから頬を赤らめたまま、つん、つん、と尻尾の先でセロの太腿のあたりを突いてくる。


 さらに気が付くと、ぴったり距離を縮めているものだから、セロとラハブの間には、リリンとモタが壁のように立ち塞がることになった。


「ところで、なぜあんなところでパーンチは倒れているんだ?」


 セロは百メートルほど後方にいるモンクのパーンチを指差した。どうせモタの闇魔術の被害にでもあったのだろうと思っていたら、


がぶん殴りました!」


 いかにもほめてほめてといった感じでラハブがまた擦り寄って来た。


「ど、どういうことかな? というか、そもそもなぜラハブさんは当国に来たんです?」

「さん付けなんて止めてください。つがいでも、嫁でもいいですし、何なら余の名前のハの部分を弱めに、ラブとでもお呼びください。失われた古代語で愛を意味するのだそうです」

「…………」


 積極的にくるなあとセロはやや引きつつも、とりあえずモタにパーンチの介抱をお願いすることにした――


「何だか口から魂が抜けかけているから、魔王城の地下階層にでも連れて行って、ヌフかジージさんにでも法術で回復してもらって。ついでにルーシーにここに来るように伝えてくれるかな?」

「えー。めんどくちゃい」

「何なら昨晩の夢でパーンチが筋肉を数え始めたことを咎めて、二人とも拷問室送りにしてもいいんだけどなあ」

「らじゃ! すぐに実行いたしますです」


 モタは即座に最敬礼のポーズを取ると、近くにいたコウモリに運ぶのをお願いして、パーンチを連れて戻っていった。


「さて、それじゃあ――ラハブ」


 セロが呼び掛けるも、今度は一転して、ツンとして応えない。


「ええと……ラハブさん?」

「ダメです。愛称のラブと呼んでください」

「…………」


 すると、夢魔サキュバスのリリンがやれやれとため息をつく。


「セロ様。言うことを聞いたらそれこそダメですよ。竜族は希少種ということもあって、無駄に誇りだけは高いんです。最初にガツンと躾けないと、ろくなことになりません」


 躾って……


 と、セロは若干遠い目になったが、リリンが言うのだから確かなのだろうと、頑としてラブとは呼ばなかった。


 そのせいか、意外にもラハブはよろよろと後退あとずさった。


「余の言うこと聞かない雄がいるなんて……お兄様たちは言うに及ばず、義父様でもほいほいと何でも聞いてくれるのに……」


 邪竜家はいったいどんだけ一人娘に弱いんだよ……


 セロは心の中でツッコミを入れたが、まあ、たしかに世界三大美女に数えられるだけあって、親兄弟からしたら目に入れても痛くない存在なのかもしれない。


 それに、どうやらラハブの中でセロの株はさらに上がったようだ。ついにはセロのことを堂々と、「旦那様」と呼び始めた。最早、結ばれるのはラハブの中では決定事項らしい……


 何はともあれ、セロはそんなラハブから第六魔王国にやって来た経緯を聞き出すことに成功した――ラハブ曰く、第三魔王国としては真祖トマトと軌道エレベーターの件で正式に遺憾の意を表明するとのことだ。


 もっとも、第三魔王こと邪竜ファフニール自身はさほど興味を持っていないらしく、あくまでもラハブの独断先行らしい……


 もちろん、このときのセロにとっては、真祖トマトの告知も、軌道エレベーターの無断使用も、まさに青天の霹靂であって、何がなんだかさっぱりと事態を把握していなかった。


 そうこうするうちに北の街道にルーシーがやっと到着した。


 そのルーシーはというと、ラハブの顔を見るなり、「げっ」と顔をしかめたわけだが、


「ふん、久しいな。ラハブよ。真祖トマトでも食べにやって来たのか? ファフニール様はいったいどうした?」

「そうだな。一年ぶりかな、ルーシー。そうそう、ちょうどよかった。紹介したい人がいる。第六魔王こと愚者セロ様だ。余の旦那様になったばかりだ」

「……………………はあ?」


 このとき、北の街道には雪でも降ったかと思うほど、冷たい空気が流れた。


 モタやリリンと対峙していたときとは比ではないほどの血みどろの抗争が始まりそうだったので、セロがラハブを、そしてリリンがルーシーを何とか引き留めた。


「おい、ラハブよ。旦那様とはいったいどういう了見だ?」

「文字通りの意味だ。腐れ吸血鬼は寝呆けていて、そんなことも忘れたのか?」

「うっさい。暴れ竜の妄言なぞ理解出来るはずもなかろう。そもそも、セロはわらわのもにょ……いや、その、ええとだな、妾の……何と言うか……とてもすごく大切な人にゃのにゃぞ」

「ふふん。何だ、その程度か? 余はすでに竜の契りも結んだのだぞ!」

「ま、まさか……」


 ルーシーは絶句してセロをまじまじと見つめた。


 もちろん、セロはそんなものを結んだ記憶はなかったからぶんぶんと頭を横に振った。だが、ラハブはというと、「ふふん」と余裕を見せつけている。


 だから、ルーシーは次に事情を知っていそうなリリンにも視線をやった。


 もっとも、リリンも竜の契りとやらが何だかよく分かっていない様子だ。それでもやはりラハブは腕を組んで自信満々だ。そのせいか、セロも、リリンも、何となくここにきて気づき始めた――


 さっき尻尾でぱしぱし、つんつんしていたのがまさかその契りとやらじゃなかろうな……と。


 セロはすぐさまリリンに目を合わせた。


「申し訳ありません、セロ様。私も家出していた都合上、そこまで第三魔王国というか、竜族の習性について母上様から聞いていないのです。というか、以前から姉上とラハブは好敵手ライバルみたいなものでしたから、それこそ互いのことをよく知っていて……」


 リリンが耳打ちするように言ってきたので、セロも「うーん」と天を仰ぐしかなかった。


 すると、地に手足を突いて、まさにがーんといった感じで落ち込んだルーシーを尻目に、ラハブはセロに近寄ると、アイテムボックスから掌サイズくらいの綺麗な石板を取り出してきた。


 また知らないうちに竜の契りみたいなことを仕掛けられないようにとセロが警戒するも、ラハブは「大丈夫です」と頭を横に振ってみせた。


「これは古の技術で作られたモノリスになります。当国に伝わってきたオーパーツです」

「へえ。鏡のように研磨された石板にしか見えないけど……で、それがいったいどうしたのかな?」

「はい。これを使って、義父様に連絡を取ります」

「え?」


 セロが首を傾げて、理解がまだ覚束ない間に、ラハブはというと、その石板に「義父様」と呼びかけた。


 直後、魔導通信によって石板に邪竜ファフニールの姿が映った――


「どうしたのだ、娘よ」


 やけに渋い声が地響きのように轟いた。


 小さな画面に映し出されたのは人型だったので、あまり邪竜といった雰囲気はなかったが、いかにも強面で、顔中が傷だらけで、油断のない目つきをしている中年の男性がそこにはいた。


 何だか目を合わせただけで喧嘩を吹っ掛けられそうな気がして、セロはつい咄嗟に目を伏せた。


「義父様、第六魔王国に着きました」

「おうよ。それで気は済んだのか? そろそろ夕方だから暗くならないうちに帰ってくるんだぞ」


 初めてのお使いかな? とはさすがにセロもツッコミを入れなかった。


「まだ帰りません」

「何だと? もしや新たに立った第六魔王の愚者セロとかいう若造にまだ会えていないのか?」

「もちろん、お会いしましたよ」

「ふむん。ちなみに真祖トマト解禁の羊皮紙を寄越さなかった件について、何と言っていやがった?」


 邪竜ファフニールがそう尋ねてきたので、ラハブはセロにではなく、落ち込んでいるルーシーに石板を近づけた。


「あ、ファフニール様……お久しぶりでございます」

「うむ。久しいな。真祖カミラの長女ルーシーよ。まずカミラについてはお悔やみ申し上げよう」

「痛み入ります。それと真祖トマトの件……大変申し訳ございません」

「まあ、構わんよ。カミラの件でごたついていただろうしな。だが、あの紹介文がもう来ないというのは少しだけ寂しいな。結構、気に入っていたんだが」


 邪竜ファフニールはそう言ってから、「そうそう」と言葉を続けた。


「ルーシーが軌道エレベーターを動かしたのか?」

「ええと……何の話なのかよく分からないのですが……」

「そうか。ちなみに人造人間フランケンシュタインエメスはどうしている?」

「もしやエメスが封じられていたことをご存知だったのですか?」

「ああ、カミラから聞いていた。あやつは機械音痴で古の技術にはさっぱりだったからな。エメスを生かしたのは、その保険でもあった。だから、浮遊城が起動したのならば、エメスが絡んでいるはずだ」

「はい。仰る通りです。そのエメスですが、地下の封印からは解放しています。今は魔王セロの配下となっております」

「ということは、セロとやらが配下を御しきれなかったということか。はん。とんだ腑抜け野郎だな」


 その言葉がセロにずぶりと刺さった。


 たしかにやや抜けているところはあるし、エメスには好き勝手にやってもらっているが、こんなおっかない顔をした人物にそう言われると、問答無用で怒られたような気持ちにさせられるから不思議だ。


 が。


「義父様! たとえ義父様といえど、セロ様を侮辱することは、このラハブが許しません!」

「な、何だと?」


 さっきまでいかつい顔つきだった邪竜ファフニールが急におどおどし始める。やはり娘には相当に甘いタイプのようだ。


「いいいいったい、どうしたというのだ、義娘よ?」

「どうしたもこうしたもありません! セロ様は余にとって、とても大切な人なのです!」

「た、大切ううう? 待て。この義父と、セロとやらと、いったいどっちが大切だというのだ?」


 その質問に対して、ラハブは胸を張って堂々と答えてみせた。


「もちろん、セロ様です。報告が遅れましたが、余はセロ様と結婚したのですから」

「……………………はあ?」


 ルーシーと全く同じリアクションだ。


 またもや、雪でも降ってきそうな冷たさが支配するかなと思いきや――次の瞬間、ファフニールの表情は怒りに染まった。


 いかにも活火山が噴火寸前といったふうに、顔が真っ赤になって、無数の戦傷から血が吹き出し、画面越しだというのに毒気まで漏れてきて、まさに邪悪そのもの、その権化と化していく。


「ぐ、ぬ、ぬぬぬ。ゆ、ゆ、許さん。結婚など絶対に許さんぞ! 義娘ラハブよ!」

「嫌です! 余はセロ様と結ばれます!」

「ふん! ならば、そのセロという若造ごと第六魔王国を滅ぼしてやろう!」


 こうして邪竜ファフニールは断言したわけだ――


「今、我は第六魔王国に宣戦布告する!」

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