第165話 軌道エレベーター

 第三魔王国から宣戦布告されたとセロが告げると、魔王城二階の食堂こと広間にはどよめきが一気に広がっていった。


 つい一か月前に、第六魔王国セロたち第五魔王国アバドンたちと戦ったばかりだ。より正確に言えば、第七魔王国リッチたちからも侵攻は受けてはいたが、それでも第六魔王こと愚者セロが立つまで、この百年の間にこれほど大きな争乱が続くことはなかった。


 そもそも、第六魔王国は第三魔王国とは良好な関係を築いていたはずだ……


 毎年この時期には第三魔王こと邪竜ファフニールが自らやって来て、真祖トマトを食べていったというし、百年前までは真祖カミラと協力して蝗害の被害が拡大することを未然に防いできた。


 それなのに魔王がセロに代替わりしたからといって、いきなり宣戦布告してくるのはいかにもおかしい。


「欺瞞情報ではないのですか?」


 当然、ダークエルフの双子ことディンが意見を出した。


 王国の王女プリムあたりが第六魔王国を牽制する為に誤った情報を流してきたのではないかと疑ったわけだ。だが、セロはゆっくりと頭を横に振ってみせた。


「今回、邪竜ファフニールが宣戦布告をしてきた理由はこれまた三つある。まず一つ目は――ルーシー、説明してくれるかな?」


 セロがそう言って、横に座っていたルーシーに話を振ると、


「う、うむ。そのだな……真祖トマトの解禁を知らせる羊皮紙を送らなかった件……ということなのだが、実のところ……わらわもよくあずかり知らないところなのだ」


 ルーシーがそんなふうに珍しく言い淀むと、人狼の執事アジーンが補足した。


「たしかにカミラ様はこの時期になると、ファフニール様にお知らせを送っていました。百年ぶりの当たり年とか、品質は例年より良いとか、ここ百年で最高とか、最高である昨年を超える傑作とか……よくもまあ、恥ずかしげもなくそんな誉め言葉を並べられるものだなと、手前てまえも感心したものですが……ん、おほん、失礼いたしました。何にしても、ファフニール様を招待していたのは確かです」

「だが、今年は魔王がセロに変わったこともあって、妾もすっかり忘れてしまっていた」

「手前も指摘するべきでしたが、その前に代替わりの挨拶が先かなと考えておりましたので、色々なことが起こって、ついついそのタイミングを逸していたのは事実です。申し訳ありませんでした」


 アジーンがそう言って頭を下げると、広間には、まあ仕方ないんじゃね、といったふうな空気が流れた。というか、そんな些細なことで宣戦布告してくる方がむしろ悪いといった雰囲気だ。


 だから、セロはもう一つの理由を説明するように人造人間フランケンシュタインエメスへと促した。


「了解しました。説明いたします。皆様は奈落についてはよくご存じのことかと思います」


 エメスがそう言って、広間の皆を見渡すと、さすがに全員がこくりと肯いた。


 当然だろう。一か月前に戦ったばかりの第五魔王アバドンが守護していたのがその奈落――端的に言うと、地下世界への出入口だ。地下世界にいる凶悪な魔族を地上に出さない為に封じるべきものとされてきた。


「では、軌道エレベーターについてはどれほどご存じでしょうか?」


 エメスがそう話を切り出すと、ドルイドのヌフ以外の皆が首を傾げた。


 セロとて最近、ルシファーからそんな単語を聞いたばかりで、簡単な説明しか受けていなかった。これについてはエメスやヌフといった最古参組でないと分からない代物のようだから、仕方がなかったとも言える。


「軌道エレベーターとは奈落と対照をなすものです、終了オーバー


 エメスが以前にセロにしたように短く説明すると、高潔の元勇者ノーブルが顎に片手をやりながら問いかけた。どうやら奈落絡みなので相当に関心が高いらしい。


「奈落は地下世界への扉のようなものだから、逆に軌道エレベーターとは天界への扉という認識で合っているだろうか?」

「その通りです。現状、この地上世界では二つが確認されています、終了オーバー


 エメスがそこで説明を打ち切ったので、セロはため息をつきつつもさらなる説明を求めた。


「それだけだと邪竜ファフニールが攻めてきた理由が分からないよ。皆にももうちょっと詳しく話してくれるかな?」

「分かりました。まず奈落は地下世界に通じるということで天族が警護してきました。王国にある奈落は大神殿の地下にありましたし、今も王女プリムに天使が受肉して見張っています。また、東の魔族領の遺跡群にあった祭壇のものも、もとは天使のアバドンが守護していました」

「そういえばルシファーが、この門は少し事情が複雑だ、と言っていたな」


 ノーブルがそう付け加えると、エメスは「ええ」と頭を縦に振ってから話を続けた。


「本来、天族側が警護すべき物がよりにもよって魔族に変じた者の手に渡ったわけです。ただ、狂いながらもアバドンは奈落の警備はしてきました。泥竜ピュトンからの情報によると、天使が受肉した王女プリムも度々訪れて、経過を観察していたようです」

「なるほど。奈落については分かったが……では、肝心の軌道エレベーターとは?」


 ノーブルがまたエメスに質問を繰り出した。


「先ほど話した通り、現状、地上世界には軌道エレベーターは二つあります。一つは第三魔王国の魔王城こと天峰にあって、邪竜ファフニールが天族に渡らぬように守護しています」


 ここまできて皆も話が何となく読めてきた。軌道エレベーターというものがどういうものかは分からないが、天界に通じるということは空高く届くものなのだろう。その一つを邪竜ファフニールが守ってきた。ということは、当然、もう一つは――


「はい。今、皆様がいるこの魔王城こそが軌道エレベーターに当たります、終了オーバー


 そんなエメスの発言に対して、全員がぽかんと固まった。


 たしかにいきなり魔王城が浮遊するとかおかしいと思っていたんだよなあと、誰もが白々とした表情になっていた。


 だから、セロも仕方なく、そんな沈黙を破って発言した。


「ちなみにルーシーは知っていた?」

「いや。セロよ。初めて聞いたぞ。そんなことは……」

「当然です。このことは第六魔王当人しか知らない機密情報です。小生から次代の真祖カミラに申し送り、一か月前に次々代の愚者セロ様にお伝えしたばかりです。終了オーバー


 そういうのは浮遊させる前に言ってほしかったんだけどなあ、とセロはまたため息をつくしかなかった。まあ、やってしまったものは仕方がない……


 すると、ノーブルが適当なタイミングでちょうど欲していた質問をしてくれた。


「つまり、軌道エレベーターを勝手に起動した上に、それで第五魔王国に攻め入ったことについて、邪竜ファフニールは怒った……いや、より丁寧に言えば、軌道エレベーターを守護する資格なしとみなしてきたということだろうか?」


 そんなノーブルに対してセロはビシっと指を差した。


「全くもってその通りです」


 全員がじとっとした視線でエメスを見つめた。


 とはいえ、浮遊城で東の魔族領を攻めていなければ、今頃、聖女パーティーは全滅していたかもしれないし、王国は王女プリムの思うがままになっていたことだろう。


 真祖トマトの件とは違って、さすがに今回ばかりは皆も呻った。とはいえ、こちらにもそれなりの事情があったわけだから、それにつけこんで第三魔王国が攻めてくるなら、いざ受けて立つといった空気が流れた。


「ところでセロ殿よ。一つだけ大きな疑問があるのだが?」


 そんな状況でノーブルがまたもや皆を代弁するかのように疑問を呈してきた。


「なぜここまで正確な情報をすでにセロ殿は持っているのだ? 宣戦布告があったのなら、私たちの耳にも届いていてよさそうなものだが? しかも、敵はすでに砦の上を通過中だと言うではないか。もしかしたら、三番目の理由とやらがその事と関係あるのだろうか?」


 さすがはノーブルだ。伊達に砦のリーダーをやっていたわけではない。


 真祖トマト解禁の知らせが届かなかったこと。それに加えて軌道エレベーターの無断使用ときて、さらにあと一つだけ理由があったから、邪竜ファフニールは第六魔王国に攻め込んできたわけだ。


 というか、むしろ先の二つは単なる前振りに過ぎない。むしろ、三番目の理由こそが最も大きく、ファフニールとしては許されざるべきものだった――


 セロはやれやれと肩をすくめつつも、広間にいる全員を見渡してから言った。


「というわけで、皆さんに紹介したい人がいます。ほら、出てきていいよ」


 すると、バルコニーの陰から一人の美少女が現れ出てきた――竜人だ。


 ところどころに竜鱗があって、尻尾も隠してはいないが、長くて美しい金色の髪が波打って、凛とした顔立ちで、よく動く涼やかな竜眼が広間にいる皆を見渡す。頬は紅く上気して、いかにもこの新しい出会いに対して気持ちの昂りを抑えきれないといったふうだ。


 その周囲には水魔術だろうか、水で形成された宝石が幾つも浮いて、頭には二匹の水の魚がまるで角を象っていて、背にも透明に煌めく翼が付いている。


「はじめまして。邪竜ファフニールの義理の娘である海竜ラハブっていいます! 今日からセロ様に嫁ぎました! どうかよろしくお願いします!」


 直後、広間がしーんとなった。


 ルーシーとリリンは事前にセロから聞かされていたので、まさに苦虫でも嚙み潰したような表情をしていたが――エメスは頬をひくひくと痙攣させていたし、ヌフは天を仰いで失神しかけていたし、ディンは子供がしてはいけないようなメンチを切っているし、モタに至っては「ひょえええ」と顎が外れてしまっている。


 つまるところ、邪竜ファフニールは娘を嫁にさせんとばかりに怒り心頭、第六魔王国というかセロ本人に宣戦布告やつあたりをしてきたわけだ。



―――――


次話で事情説明。少しだけ時間を遡ります。

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