第151話 モタとリリンと不穏な一日

「ねれねれねれねは、ひゃっはっはっは、練れば練るほど強くなって、こうやって魔力マナを込めて――ついに完成! これぞ、モタ史上最高の闇魔術なのだ!」


 魔王城の四階の空き部屋にモタはいた。


 何かを練っていることから分かる通り、それは闇魔術というよりもどちらかと言うと錬金術に近かった。


 だが、モタはまだ知らなかった。今、この瞬間に、全世界を破滅に導くほどの型最終決戦兵器がよりにもよってモタの手で完成してしまったことを……






 話は少しだけ前に遡る――


「モタいるー?」


 昼過ぎに温泉宿泊施設を訪ねてきたのは吸血鬼の夢魔サキュバスことリリンだった。


 どうせ二度寝してまだ起き出してはいないだろうとリリンは高を括っていたので、大将のアジーンから部屋の鍵を借りて、きちんと数回ノックして、しっかりと声掛けもして、それでも返事が全くないことを確認してから、


「入るよ」


 と、短く告げて、部屋に入った。


 いまだにモタは宿の一室を借りている身分なのだが、その部屋は散らかし放題だった。


 王国から持参した魔術書のたぐいがあちこちにうず高く積んであって、また冒険者がよく携帯する燻製肉などの糧食がなぜか色んなところに置かれている。


 さらには最近覚えたらしき『火の国』の麦酒エールの空き瓶がこれまた糧食と共にあって――どこに何があるか自分にだけは分かっているから整理なぞしないと言い出す面倒臭がりの研究者の部屋なのか、それとも単なる酒飲みの汚部屋なのか、リリンも首を傾げたくなる状況になっていた。


 が。


「モタ!」


 リリンはそう声を上げて、素早くアイテム袋から魔鎌サイスを取り出した。


 というのも、羊の悪魔ことバフォメットが数体ほどモタを取り囲んでいたからだ。これはもしや召喚術にでも失敗して、逆に返り討ちにあっているのかとリリンが危惧すると、


「おや、リリンじゃん。ごめんよー。今、めっさ取り込み中なんだー」


 そんな呑気な声が返ってきた。


 どうやらセロの寝室にある棺にかかっている契約魔術を改竄かいざんする方法について、魔界に住んでいる野良のバフォメットたちから聞き取り調査ヒアリングしているらしい……


「ふむふむ。分かったよ。ありがと。じゃねー」


 モタはそう言うと、バフォメットたちに対価として麦酒を持たせてかえらせた。「にしし」といかにも悪戯小僧っぽい笑みを浮かべてみせる。


「ごめんね、リリン。召喚時間に制限があったから、ろくに返事している暇がなかったんだー」

「あんまりセロ様に迷惑かけちゃ駄目だよ」

「迷惑じゃないよー。逆に、感謝されちゃうぐらいだよー」


 それを聞いてリリンは「ううむ」と呻った。これはまたどうやらセロにこってり絞られるパターンだろうなと、なるべく関わらないように距離を置きたかったところだが……実のところ、リリンにとってはそれどころではなかった。


「で、どうしたんだい。リリンさんや」


 モタが汚部屋にあるソファで何とか座れる箇所を指差して、リリンを迎え入れると、


「モタに相談があってきたんだ」

「どぞどぞ。人生の悩みから世界の成り立ちといった哲学的なモノまで何でもござれですよ。森羅万象、このモタさんにどんとこい!」

「うむ。では聞きたいのだが、実はの相談なんだ」

「こ、?」


 当然、モタに一番してはいけない相談だろう。


 それ程度の自覚はモタにも一応はあったので、てっきり王国貴族のごく一部が嗜んでいるとかいう錦鯉の養殖の話かと勘違いした。もっとも、これだって専門外のモタに話すべきことでもない。


「違う。恋だ。恋愛だ。誰かを愛することの方だ」

「いやあ、リリンさんや。照れるなあ。それはとてもありがたい話だし、わたしだってリリンのことは好きだけどさあ――」

「誰がモタに恋をしたと言った?」

「あれれ? そういう話でもないの?」


 リリンは「はあ」とため息をついてから、じっくりとソファに背をもたらせた。


「その前に一つだけ、きちんと聞いておきたいのだが、モタは――」


 そこまで言って、リリンはいったん言葉を切った。


 とても真剣な表情で真っ直ぐにモタを見つめるものだから、モタも思わず「ごくり」と唾を飲み込んで、ついリリンの前に正座して次の言葉を待った。


「モタは、セロ様のことが好きか?」

「ひょえ!」


 モタは慌てふためいてしまった。


 もちろん、リリンとてからかっているわけではないようだ。その顔つきから真面目に聞いてきているのだと、モタもすぐに分かった。


 だが、モタには答えづらい質問ではあった。そもそも、好きか嫌いかということなら――間違いなく好きだ。伊達に長く付き合ってきたわけではない。おそらく世界で最もモタのことを理解しているのはセロだろうし、それに駆け出し冒険者時代からセロとは、時間も、価値観も、何もかも、あまりに多くのものを共有してきた。


 ただ、二人の関係が果たして恋や愛なのかと聞かれると、モタも、「うーん、違うんじゃないかな」と首を傾げざるを得なかった。


 出会った頃からセロのことは実の弟のように見てきたし、それに勇者パーティー時代のセロには聖女クリーンという婚約者がすでにいた。呪いによって追放されて、魔王となってからはルーシーという同伴者パートナーも出来ている。


 そういう意味では、セロは聖職者になるぐらいに堅物で、恋愛にはとても奥手なように見えて、意外と女性関係が途切れない人物だ。こればかりはそういう星の下に生まれたとしか言い様がない……


 さらに言うと、モタは亜人族のハーフリングだ。この世界では種族の違いは恋愛の障壁にあまりならないが、そもそも人族とは寿命が異なる。エルフやダークエルフほどではないが、ドワーフ同様にハーフリングも長寿の種族だ。


 だから、モタの精神年齢はまだ子供だ。ダークエルフの双子ことドゥやディンとさして変わらない。むしろ、ディンの方が耳年増なだけ、ずっと大人びているぐらいだ。


 何にせよ、モタは腕組みをしつつも、「うーん」としばらく項垂れてからやっと答えた。


「好きだよ。でも、それはきっと恋じゃないかなー」


 そんなモタの言葉に、リリンは「ふう」と安堵の息をついた。


 一方で、その様子を見て、さすがに鈍いモタでも、リリンがどういう話を切り出したいのかだいたい察しがついた。


「私はセロ様に告白したいと考えている」

「でもさ。ルーシーはリリンのお姉さんでしょ?」

「うむ。もちろん、最初は姉上を応援しようと思っていた。さらに言うと、モタがセロのことを愛しているなら身を引こうかともついさっきまで思い悩んでいた」

「あらやだ。リリンさんや。これはありがとうと言うべきなのかな?」

「気にするな。こちらの勝手な事情だ。それはともかく、セロ様は強大な魔王だ。あれほどの力を持った魔族を私は他に知らない。今では母たる真祖カミラを超えたのではないかとさえ感じる。当国の外交官として身近に接してきて、最近、ほとほと姉上が妬ましくなってきたほどだ」

「じゃあ、もしかしなくとも略奪婚?」

「まあ、亜人族のモタには理解しづらいかもしれないが、魔族とは力のある者とつがいになりたいと欲するものなのだ」


 それならもちろん、モタでもある程度は知っていた。


 そもそも魔族は不死者だ。永く生きることに飽いて、やることと言ったら喧嘩して、むしろそこで死ぬことこそ誉れであって、『魔眼』によって終生の好敵手ライバルを探し出すとまで言われる種族だ。


 リリンは真祖直系の吸血鬼だからこそ、そういう価値観を根強く持っているはずだ。強大な力を持つセロはさぞかし相手にとって不足ないことだろう――


「でもさ。リリンがセロを好きになるのはいいとして……それが結局、わたしとどう関係あるのさ?」

「モタは、『女豹の会』という存在を知っているか?」

「なあに……そのいかにも怪しげな秘密結社は?」

「ふむん。やはり知らないか。単純に言えば、セロ様を狙う女性たちの集まりだ。より正確に言えば、セロ様がこれといった一人の女性を決めるまでは、抜け駆けなどを許さない、たちの悪い相互監視のファンクラブに近い」

「……セロって意外に苦労しているんだね」


 モタは心底、同情した。


 まあ、第六魔王になってしまったのだ。モタには分からない、王として上に立つ事情も色々とあるのだろう……


「じゃあ、リリンもその『女豹の会』とやらに入っているの?」

「いや、私が本心を打ち明けたのはモタだけだ。だから、私はまだ『女豹の会』から狙われてはいない」

「狙うって……」

「そういう組織なのだ。属すれば身は保障されるが、恋愛の自由は奪われる。逆に属さなければ、どうなるかは分からない。それほどに敵は強大なのだ」

「ええと……そんな話をわたしにして本当に大丈夫なの?」


 大丈夫も何も、当の『女豹の会』からすると、モタは恋愛の指名手配被疑者として最重要視されている人物だ。もっとも、ドゥと同様に恋愛には疎そうだから、今のところは放っておかれているだけに過ぎない……


 リリンもさすがにそのことはモタに知らせない方がいいかと考えて、「まあ、大丈夫だ」とだけ応じた。


「つまるところ、私はそんな『女豹の会』に狙われる前に勝負をつけたいと考えている。より具体的には、モタを天才的な魔術師と見込んで作ってほしいものがあるのだ」

「ほほう? 何となく見えてきちゃったぞー」

「ふむ。さすがだな。それでこそモタだ。王国で天才の名をほしいままにしてきたわけではないということだな」

「えへへ。もっとほめてほめてー」

「よっ、天才! 次代の最強魔術師!」

「よっしゃ! いいですぜい! リリンの為なら何だってやってやろうじゃん!」

「ありがとう、モタ。もちろん、私とて真祖直系の夢魔だからな。こと恋愛に関しては手段を選ばない。だからこそ――」


 リリンもそこで「ごくり」と唾を飲み込んだ。


 そして、恋愛という名の戦場に赴く一人の魔族として、戦友ことモタに真摯に告げたのだった。


「モタに、この世界最高の媚薬・・を作ってほしい!」




―――――


一応フォローすると、『女豹の会』はそこまで怖い組織ではありません。まあ、武闘派ヤンキーの人造人間エメスとか、作者でも何を考えているのかいまいちよく分からないドルイドのヌフとかいますけど……

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