第150話(追補) 犬も歩けばトマトに当たる

 その者・・・は意識が戻ったとき、空を飛んでいることに気づいた。


「ど、どういうことだ?」


 一応は『飛行』の種族特性を持っているので――と言うよりも、その特性を有している者を取り込んだので、これまでも飛ぶことは出来た。


 だが、せいぜい羽虫程度の高さであって、こんな高度まで飛び上がったことは一度もなかった。いったい全体、何が起こったのかと、その者が周囲に視線をやると、


「し、城が……浮いているのか?」


 愕然とすると同時に、記憶がまざまざと蘇ってきた。


 そうだった。その者こと自己像幻視ドッペルゲンガーのアシエルは――いや、その影に取り込んだ者たちは突然、飛来した浮遊城から注がれた幾筋もの雷によって一網打尽にされたのだった。


 どうやらまた塵芥ほどの大きさになったアシエルは、ひらりと爆風に乗って、浮遊城中層の岩肌の陰にぴたりと張り付き、こうしてそのままどこかに持っていかれている途中らしい……


 この浮遊城は第六魔王国の王城だったはずだから、行き先は間違いなく北の魔族領に違いない。


「待て。では、聖女パーティーとの戦いはどうなった?」


 アシエルはそう呟いて、岩肌の陰を伝いながら、何とか浮遊城二階のバルコニーまでやって来た。


 そして、またもや呆然とするしかなかった。バルコニーから直結している食堂こと二階広間にて、王国の聖騎士たちが祝勝会をやっていたからだ。


「王国と第六魔王国と火の国に乾杯!」

「リリン様、俺たちの活躍を見てくださいましたか?」

「よっしゃー。これから第六魔王国の夢魔嬢たちと楽しむぞー」

「無礼講じゃあああ! ほら、魔王セロ殿も。杯をもって、我々と一気に!」


 アシエルは内心、くつくつと怒りが込み上げてきた。


 こうなったら魔族らしく、この命と引き換えにしてでも、誰か一人を倒して誉れにしようかと思い至って――


 ふと、アシエルは魔王セロと呼ばれた存在に目をやった。そう。つい興味本位に視線を送ってしまったのだ。


 直後だ。体が硬直した。思考が完全に停まった。


「…………」


 第五魔王こと奈落王アバドンも凄まじい存在だと敬していたが、この者の禍々しさはそれを遥かに凌駕していた。


 これではまるで古の魔王を超える存在だ。地上世界にいていい存在ではない。地下に囚われて、大陸に這い上がってこないように天使たちに監視されるべき対象だ。


「なるほど。負ける……わけか」


 アシエルは吐き捨てるかのように呟いた。


 よく見れば、第六魔王こと愚者セロの配下も凄まじい――真祖の長女ルーシー、人造人間フランケンシュタインエメス。


 それに加えてよく見知った顔もいた。高潔の元勇者ノーブルにドルイドのヌフだ。魔王アバドンと対等に渡り合える実力を備えた二人までもがセロに臣従しているのだ。


 他にも一騎当千の力を持ったダークエルフに吸血鬼たち、さらにはドワーフや王国屈指の聖騎士団や神殿騎士団ストーカーもいて、これだけ多士済々ならどんな策を弄しても勝てるはずがない。地力の差が違い過ぎたのだ。


 つまり、何もかも全ては、情報収集の甘さがもたらした敗北だ――


 とはいっても、アシエルは同僚だった泥竜ピュトンや虫系魔人の情報官アルベを攻める気にはならなかった。そもそも、以前の第六魔王こと真祖カミラが敗れたのがほんの数か月前だったはずだ。


 たったそれだけの間で、これだけの陣容を揃える方が可笑しいのだ……


「く、くく……くははは」


 アシエルはバルコニーの柱の陰に張り付いて、ずっと笑い続けた。


 死んでいった仲間たちに対して、せめてもの手向けだった。これだけの相手だったのだ。いっそ精一杯、誇れ、と。


 戦場で死ぬことは恥ずべきことではない。むしろ、帝国屈強のつわものどもなら、何よりの誉れにすべきだと、アシエルは多くの者たちを自らの中に取り込んでいたからこそよく理解していた。


 そうこうしているうちに、浮遊城は夜通し飛んで、昼には北の魔族領に入って、険しい岩山の頂きに乗った魔王城は本来の姿に戻った。


「さて、どうすべきか」


 アシエルは小さな羽虫となって、ぱた、ぱた、と飛んだ。


 今さら魔王セロに一矢報いようなどとは考えてもいなかったが、そうはいっても今の羽虫サイズでは何も出来やしない。下手をしたらそこらへんの獣一匹にも負けてしまう。それだけはやはり避けたい……


 アシエルは裏山の坂道をなぞるように下って行って、広いプールに出た。


 そこではダークエルフの女性が幾人か水着になって、水浴びを楽しんでいるようだったが、アシエルは「ちい」と舌打ちをした。


 魔王城内にいた、百戦錬磨の精鋭たちに比べて、この女性たちはいかにも非戦闘員の村娘といったふうだったが、それでもさすがはダークエルフ――王国の手練れの冒険者よりよほど強者だった。


 しかも、全員が狩人の職業を持っているようだ。下手に魔力マナの気配に感づかれると厄介だったので、アシエルはプールを避けて、『迷いの森』の木陰に飛ぶと、


「ん? あれは……?」


 そこにはなぜか死にかけの子犬がいた。


 どこか狐にも似た、美しい赤毛の犬だったが、どうやら森の植物系魔物モンスターの餌食にでもなったのだろう。血塗れになって横たわっていた。


 アシエルが魔眼で確認すると、野獣でも、魔獣でもなく、『柴犬』と出た。様々なものをその影に取り込んできたアシエルでも知らない種族だ――少し興味が湧いたし、怪我で体力をずいぶんも消耗しているようだから、今のアシエルでも容易に取り込めるだろうと思って、いったんその影に潜んだら、


「ねえ、あの犬、怪我してない?」


 先ほどのダークエルフの女性たちが駆けつけてきた――


「誰か、ポーション持っている?」

「ないわよ。それよりも助けて大丈夫なの? こんな犬、森の中で見掛けたこともないわ」

「万が一のときにはヤモリさんたちに助けてもらえばいいんじゃない?」

「それもそうね。じゃあ、あれ・・を持って来て」


 そんなふうに会話を交わして、一人のダークエルフの女性がひとっ走りすると、トマト畑から戻ってきた。


 その手には木製のバケツがあった。アシエルは一瞬、トマトを潰した果汁が入っているのかと思ったが、どうやらそれは血反吐のようだった。


 ダークエルフの女性はそれをバケツ一杯分、豪快に犬にぶっかけた。


 これにはさすがにアシエルも「は?」と頭を抱えそうになった。もしや、ダークエルフに伝わる呪術か何かでこの犬を葬送するつもりなのだろうか。だとしたら、影に取り憑いているのはかなりマズい状況だ……


 が。


「くうーん」


 犬はよろよろと立ち上がり始めた。


 アシエルはまた「は?」と、今度は顔をしかめた。先ほどまで死にかけで、これならアシエルも取り込めそうだと考えていたわけだが、今では犬の方が逞しく、かえってアシエルを魂ごと引きずり込もうとしていた。


 こいつ! まさか……ただの犬ではなかったのか!


 弱っていたアシエルの魔眼では、『柴犬』としか出ていなかったが、どうやられっきとした魔獣らしい。もっとも、子犬だからか、助けてくれたダークエルフの女性たちに恩義を感じているらしく、「くん、くん」とすでに懐いていた。


 そのときだ。


「あ! ちょうど良かった。ドゥ!」


 ダークエルフの女性たちは同族の子供に呼びかけた。


 そのドゥはというと、何か用事があるのか、てくてくと駆けていた。しかも、そばには屍喰鬼グールの猫を連れている。


 もっとも、アシエルはギョッとした。その猫から不思議と、亡者の王・・・・たる貫禄を感じたからだ。


 アシエルと同様に弱っているようだが、年端もいかない子供が使役テイムしていてよい存在では決してなかった。


「ねえ、ドゥ。このワンちゃんも世話してもらえないかしら? 私たち、午後一で出荷の準備作業をしなくちゃいけないから、見てあげられないのよ」


 ダークエルフの女性が気軽に言うと、ドゥは子犬をじっと見つめた。


 それから何かを悟ったかのように一瞬だけ真顔になると、こくりと肯いてみせた。


「わかりましたです」

「本当? ありがとう、ドゥ」


 ドゥは子犬を抱えると、またてくてくと走り出した。


 この現状にはさすがのアシエルもマズいと感じた。この子供の眼差しを受けた瞬間、どこか得体のしれないものを感じたし、そもそも魔獣の子供まめしばにさっきから魂を手繰り寄せられて、自己像幻視のアシエルとしたことが全く抜け出せなくなっていた……


 しかも、ドゥが魔王城の玉座の間に戻ると、そこには当然――


「あ、セロ様。ただいま、戻りました」

「おかえり、ドゥ。それより、その子犬は?」

「えへへ。拾いました」

「またあ? まあ、でも、ちゃんと猫と同様に世話出来るなら飼ってもいいよ」

「はい。ありがとうございますです」


 セロとしては表情表現に乏しいドゥの情操教育にいいかなと簡単に許可したわけだが……


 この時点でアシエルはというと、観念するしかなかった。ドゥはよりにもよってこの大陸で最強かつ最凶の第六魔王こと愚者セロの付き人で、どうやらその付き人のさらに付き犬ペットにされそうということで、最早、逃げ出しようがなかったからだ。


 すぐ横では屍喰鬼の猫が「なあ」と、やけに訳知り顔をして肉球でぽんぽんと叩いてきたのだった。






 さて、ドゥがてくてくと、魔王城の前庭を走っていたときのことだ――


「おや? 今、ドゥ殿が抱きかかえていたのは?」


 シュペル・ヴァンディス侯爵が首を傾げてから聖騎士団長モーレツに問いかけた。


「犬でしたな。しかも、子犬のようでした」

「貴様はあれがただの子犬に見えたか?」

「いえ、魔獣でしたな。最低限に見積もっても、成長したら超越種に匹敵しそうな危険な種に見受けられました」

「うむ。正解だ。あれはおそらく――フェンリルだろう」

「…………」

「第一魔王こと地獄長サタンの番犬ケルベロスと戦ったという逸話が古文書などで残されている、犬系最強の魔獣だ」

「……よくご存じで?」

「モーレツ卿よ。これは極秘にしてほしいのだが……かつてどこかの貴族が飼い犬にでもしようとしたのか、領内に召喚してしまった事件があった」

「ほう?」

「その際に、当時の勇者と聖騎士団、黒騎士団、魔導騎士団と神殿騎士団とで何とか極秘裏に処理することが出来た。もっとも、被害は甚大だったがな」

「私が聖騎士団に入る前の話ですか?」

「そうだ。私もまだ見習い騎士だった頃の話だ」

「しかし、シュペル卿。それがなぜ、今ごろになって子犬として?」

「知らん。もしかしたらどこかに雌も隠れていて、子供を生んでいたのかもしれん」

「まあ、何にしても、この第六魔王国にいるうちは問題ないのでは?」

「そうだな。そもそもドゥ殿の飼っているもう一匹の猫っぽい魔獣とて――」

「はい。あれはベヒモスの幼体ですからな。なぜか屍喰鬼になっておりますが……」


 そう言って、モーレツも、シュペルも、「はあ」とため息をつくのだった。

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