第147話 ドゥの意外に忙しい一日(序盤)

 ダークエルフの双子ことドゥの朝はセロよりもずっと早い。


 どれぐらい早いかと言うと、季節にもよるがちょうど夜明けの時分、人狼の執事アジーン、メイド長チェトリエと同じタイミングで起きだすほどだ。


 その理由はとても単純で、仕えているセロが目覚めたら自分の時間が取れなくなるからだ。セロは「別に気にしなくていいよ」と言ってくれるが、ドゥからすると、セロがまた眠るまで付き人としてそばにいるのが本分だと思っている。


 そもそも、セロの周囲には楽しいことやハプニングで溢れているから付き合っていて全く飽きない。むしろ、ドゥの方から離れたくないぐらいなので、他にどうしてもやるべきことがある場合は、セロが起きる前にやっておいた方がいい――


 まずは、笑顔の練習だ。


「うふふ、えへへ、にぱー」


 などと、ディンが使っている鏡台の前に立って、ドゥは両手を使って表情を緩めていくのだがどうにも上手くいかない……


 以前、笑顔が眩いモタにこつを聞いてみたのだが、「笑えばいいと思うよ」とだけ、しかも満面の笑みで返されてしまった。それ以来、ドゥはモタの真似をしているのだがなかなか良くならない。


「また笑顔の練習……?」


 すると、ドゥよりも起きるのが遅いディンが寝ぼけつつ尋ねてきたので、ドゥは「うん」と短く返した。そのときには表情はいつものドゥに戻っている。


 そして、練習を終えて、土地神様のいる方向にしっかりとお祈りしてから、


「じゃあ、行ってくる」

「……ええ、行って……らっしゃい」


 もう一度ごそごそと眠りにつくディンを後にして、ドゥは魔王城三階にある二人部屋から飛び出した。


 次に、ドゥが日課にしているのが鍛錬だ。


 一階にあるダークエルフの近衛たちの詰め所に降りて、夜間立哨や巡回をしている者たちが休みを取っている間に相手をしてもらっているのだ。


「お願いします」

「いいぜ。かかってきな」


 さすがに休憩中に鍛錬を手伝ってもらうのは、同族といえども顔をしかめるかと思いきや、意外なことに皆が嫌な顔一つせず、ドゥの頼みを聞いてくれる。


 というのも、ドゥから主君たるセロの最新情報を仕入れられるし、そもそも付き人のドゥが少しでも強くなってくれればセロを護衛する精鋭たちの仕事も減るからだ。


 最近は、人狼メイドの掃除担当ドバーまで参加してくれるようになった。虫たちのスパイがいなくなって、彼女なりにちょうど良い暇潰しを見つけたわけだ。


「…………」

「…………」


 とはいえ、ドゥもドバーも互いに人見知りな上に口数も少ないので、視線と首肯だけで以心伝心している。


 傍から見ると、ただじっと見つめ合っているだけなのだが、執事のアジーン曰く、「わずかな眉の角度の変化などで全てを語らっている。まるで武を極めた達人同士のようだな」とのこと。


 ちなみに、そんなドゥがセロの付き人になることに対して、最初のうちは人狼たちからずいぶんと反対意見が出た。もう片方の双子ディンはともかく、ドゥはセロの足を引っ張るだけだろうとの指摘が多かったのだ。


 もっとも、ダークエルフの近衛長エークはそれら全てを一笑に付した。


「まあ、見ていれば分かる。見ていればな」

「良いのか? 貴殿の落ち度となるぞ。実際にあの身のこなしを見ても、手前てまえにはそれほど優秀には思えん」


 アジーンが近衛長に対する執事という立場から忌憚なく言ってみせると、


「適所適材という言葉がある。ドゥはセロ様のもとに置くことでより輝く」


 エークはやはり全く取り合わなかった。


「まあ、貴様の言いたいこともよく分かる。同族の私とて、ドゥに関しては見誤った。だからと言って身贔屓しているわけでもないぞ。まあ、繰り返し言うが、見ていてくれ」


 そこまで言うのだから、しっかりと見て、精々駄目出ししてやろうかと、アジーンも、チェトリエも、密かに粗探しも含めて人狼の目で観察していたのだが――


「あのメイドさん、体調が悪そうです」


 人狼のメイドが主人に仕えるという職務上、全力でひた隠しにして、アジーンたちでさえ気づかなかったわずかな変化をドゥは事もなく看破した。


 それ以外にも、ドバーですら気づかなかった虫系スパイの気配を感じ取ったり、裁縫担当のトリーでも見逃した衣服のわずかなほつれを指摘したり、かと言えばセロが誤ったことをしようとしているときにはズバっと物申したりと、結局のところ、わずか数日でアジーンは前言を撤回してドゥに詫びた。


「すまない。貴殿を見くびっていた。これからは何でも申し付けてくれ」


 もっとも、ドゥはきょとんと首を傾げるだけだった。


 エークが「ほら、見ろ」と、ふふんと胸を張っていたのは言うまでもない。それだけ地下洞窟のカナリアで培った観察眼と、何より巫女として受け継いでいる『真実を見抜く目』は本物だったということだ。


 とまれ、話を戻すと、ドゥは早朝の日課にしている鍛錬を終えてから今度は調理室に向かった。


「おはようございますです」

「あら、お早う。じゃあ、今日もお願いね」


 チェトリエに挨拶してから、五人分・・・の食事の入った大きなバケットを持ち上げる。


 以前のドゥなら難しかったことだが、セロの『|救い手(オーリオール》)を受けてからは力作業も苦にならなくなった。ドゥはそんなバケットを両手で頭上に担いで、てくてくと駆け出した。


 そして、掃除中の人狼メイドや巡回中のダークエルフの精鋭にお願いして、鉄扉などを開けてもらって、魔王城の地下階層へと進んでいく。その最奥の司令室には完全に夜型の生活となった駄目人間もとい人造人間フランケンシュタインエメスやドルイドのヌフがいて、いかにも一仕事終えたといった顔つきをしていた。


「おはようございますです」

「ほう。もうそんな時間になりますか、終了オーバー

「今日もセロ様の姿絵をたくさん保存出来ましたね。そろそろ巨大モニタで芸術作品として皆に公開する時期にきたかもしれません」


 セロが聞いたら飛び上がりそうなことをさらっと言いつつも、エメスも、ヌフも、「ふふふ」と、まさに悪役の魔王がしそうな微笑を浮かべてみせた。もっとも、ドゥはしっかり見抜いていた――これはセロに気づかれて失敗するパターンだな、と。


 何にしても、ドゥは二人の前に食事を広げていった。


 エメスは魔族なので食事を必要としないのだが、元人族だけあって食べるという習慣を捨てたわけではない。特に、ヌフが美味しそうに食べる様子を見て、最近はよく食事をとるようになった。


 実のところ、エメスも、ヌフも、どちらかというとダークエルフや人狼たちからはいまだに怖がられ、あるいは畏れられて、敬して遠ざけられている格好ではあるのだが、ドゥだけは全く臆することなく接している。


 同族のヌフはともかくとして、エメスはそれを好意的に受け取っている。実際に、エメスが感情をよく露わにするのは、第六魔王国ではセロとドゥぐらいだ。毎日のようにあれな・・・ことを与えてもらっているエークやアジーンに対しても、エークは冷たい女に徹している。


 もっとも、二人からすれば、「むしろ、それこそがご褒美です」などと、意味不明の供述をしているわけだが……


 それはともかく、エメスはふいに思い出したといったふうにドゥに声をかけた。


「そうでした。ドゥよ。本日の午後はセロ様に言って、お側を離れる時間を取らせてもらってください」

「どうしてですか?」

「ゴーレム《かかし》の新たな試作機が出来ました。搭乗者が必要です、終了オーバー

「分かりましたです」


 ドゥは肯いてから、バケットを担いで、今度は拷問室に入っていった。


 そこには磔台に拘束されている泥の竜ピュトンと、同様に早朝から並んで縛られているエークとアジーンがいた……


 普通の感覚ならば、この人たちは朝からいったい何をやっているんだろうかと白々とするところだが、これまたドゥは物怖じせずに三人の前に朝食を用意していく。


「いつもすまないな、ドゥよ」

「いえ」

手前てまえとしてはむしろ食事を抜いてもらった方がご褒美なのだが……」

「そうですか」

「この国って本当におかしいんじゃないの?」

「はい」


 三者三様の物言いにドゥは淡々と答えていく。


 もっとも、ドゥはまたしっかりと見抜いていた――性癖的にあれと言われているエークとアジーンだが、前者はどちらかと言えば戒めだ。近衛長としての重圧をあえて課す為にこのように縛られている。一方で、執事の方は性癖的にガチであれ中のあれだ。


「何なら、ドゥ殿よ。こっそりと毒を盛ってみてもいいのだぞ」

「…………」


 アジーンの本気には、さすがのドゥも言葉が出なかった。


「ふん。私をこんなふうに拘束していることをいつか後悔させてやるからね」


 ちなみにドゥはさらに見抜いていた。この一見常識人らしき立場を貫いている敵のピュトンも、しだいに性癖的にあれになりつつあるなと。どうやら第六魔王国にしっかりと染まってきているようだ。


 そんなタイミングで魔王城の鐘が、リーンゴーンと鳴った。


 ドゥはアジーンを伴ってセロの寝室に急いだ。扉の前にはすでに人狼メイドやダークエルフの精鋭幾人かが待機している。その人狼メイドが扉をノックして、「セロ様、失礼いたします」と言って入室すると、ドゥを先頭にして部屋の中央にある大きな棺へと歩んでいく。


 その棺へのノックはドゥにとって神聖な儀式のようなものだ。


 かつて『迷いの森』の地下洞窟で危険察知の為に壁を叩いてモンスターの動きを確かめていたドゥからすると、ノックの音の反響だけで棺内にいるセロの状態が整っているかどうかよく分かるのだ。


 かんかん――


 まだセロは目が覚めたばかりで頭が回っていないようだ。


 こんこん――


 あ、二度寝したがっている……これはいけない。


 とんとん。


「起きてください、セロ様」


 このままではセロがまた寝てしまうと見抜いたドゥは十二回目のノックでセロに声を掛けた。


 すると、セロは棺の蓋を自ら開けてゆっくりと上体を起こす。


「おはよう、ドゥ」


 ドゥは満面の笑み――とはまだ上手くいかないけれど、何とかぎくしゃくと笑顔を作ってみせて最大限の愛情表現でもってセロに応える。


「はい。おはようございますです」


 その瞬間、ドゥの本当の一日が始動した。

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