外伝
第143話 セロの何気ない一日(序盤)
これからの外伝エピソードの幾つかは第二部終了前後の時間軸を中心にして、それぞれの登場人物の何気ない一日を切り取ったものになります。本筋とは違って、スローライフがメインとなります。どうか気軽にお楽しみください。
―――――
セロの朝は意外に早い。
駆け出し冒険者時代、あるいは勇者パーティー時代はどちらかと言えばバーバルが中心になって動いてきたから、その思い付きや行き当たりばったりな生活にセロもわざわざ合わせてきたわけだが、魔王となってからは皆がセロを中心にして生活を組み立ててくれている。
最初のうちは、魔王だし、一番偉くなったわけだし、好き勝手な生活が送れるかなと期待していたものだが、逆に敬われる立場になったせいで、自ら厳しく律していかなくてはならないと、かえって身が引き締まる思いだった。おかげでいまだに夜更かしも、寝坊も全くしていない――
以前、砦のリーダーを長らく務めてきた、高潔の元勇者ノーブルにそんな引き締まる思いをどうやって上手く
「気分転換か……私は時間がある限り、日がな一日、筋トレをしているな」
「筋トレですか?」
「うむ、セロ殿。たとえば見てくれ、この広背筋を」
そう言って、ノーブルは背を向けてから着ていた皮の服をいきなり脱ぎ出した。
「す、すごいですね」
「そして、この脊柱起立筋から僧帽筋に続くラインも。美しいだろう?」
「…………」
どうやら身が引き締まるといった話をノーブルはなぜか筋肉がよく締まると捉えてしまったらしい……
何にしても、延々と筋肉自慢をされそうだったので、たまたまそばを通りかかったモタにスルーパスして押し付けて、セロは難を逃れたわけだが……そのときちょうど近衛長のエークがやって来たので、
「エークはどんなふうに息抜きをしているんだ?」
と、これまたためしに尋ねてみた。
エークもダークエルフのリーダーを務めてきたので、ノーブル同様に一日の長がある。
すると、なぜかエークは両頬をやや赤らめた。それだけでセロは何だか嫌な予感がひしひしとした。
「では、セロ様も……一緒に瞑想をしに地下へといかがですか?」
「いえ。結構です」
速攻で断ったわけだが、どうせ性癖的にあれなことになるのだろうなということは簡単に予測出来た。
何にしても、そんなふうにいまだ上手い気分転換を見つけられずにいる、第六魔王こと愚者セロの何気ない一日はというと――
「起きてください、セロ様」
ダークエルフの双子ことドゥの声掛けによって始まる。
もちろん、セロは大きな棺の中で眠っているので、まずはドゥによる蓋へのノックがある。かんかん、こんこん、とんとん、といったふうに様々な音色が鳴るわけだが、ドゥにはこだわりがあるらしく、気に入った音が出ないとセロに声をかけて起こしてくれない……
これまでの最長記録は百八回だったが、今日は十二回のノックで済んだ。
セロは添い寝してくれている羊の悪魔バフォメットに、「じゃあ、起きるよ」と伝えてから蓋を開けて身を起こす。
このバフォメットとの付き合いもわりと長くなった。魔王になってからは激動の毎日だったので、緊張で眠れないことの方が多かったのだが、バフォメットが毎晩羊を一緒に数えてくれたおかげで、それがルーティンとなって眠りに落ちることが出来た。
もっとも、昨晩は羊ではなく、いきなりモタの数をかぞえ始めたから驚いた。どうやら棺にかけてある召喚術にモタが悪戯したようだ。
さてはノーブルのときの意趣返しかなと、あとでこちらもやり返さなきゃと、セロは大人げなく思い至った。
「おはよう、ドゥ」
「はい。おはようございますです」
「それと、皆もおはよう」
セロが挨拶して立ち上がると、ドゥの背後に控えていた人狼のメイドたち、ダークエルフの精鋭数名に加えて、執事のアジーンが「おはようございます」と丁寧に返してきた。
ちなみに、アジーンだけはなぜかX字型の磔台に縛られたままで挨拶をしている……
以前、セロの寝室があまりに広くて、棺だけしか置かれていないこともあって、「やっぱり少し寂しいよなあ」と相談したところ、
「では、どのような家具を置きましょうか?」
「いや、でもさ。今、皆は温泉宿泊施設や地下通路の建設で忙しい時期でしょ?」
「とんでもございません。セロ様のお部屋のことなら、もちろん最優先でやらせていただきます」
「別に急いでいないからいいよ。それよりもやっぱり皆で使えるインフラを優先させてほしい」
「畏まりました。ところで、家具と言えば――」
と、アジーンがどこか言葉を濁しつつも、ちょうど魔王城内に良い家具が余っていると言うからセロの寝室に運ばせてみたわけだ。果たして
「セロ様。ただの家具ではつまらないのです。魔王としての威厳を示す為にも必要な物です」
そんなふうにアジーンだけでなく、エークにも押し切られたものだから、仕方なく設置することになった。もともと棺で寝ているわけだし、人族の価値観をそろそろ脱却するべきなのかもしれない……
「セロ様って……やっぱり性癖があれなのかな?」
そこのダークエルフ。ひそひそ話が聞こえているよ。というか、性癖は決してあれじゃないから変な誤解をしないでほしい。
ともあれ、セロは起きてすぐに人狼メイドたちの生活魔術によって全身をきれいにしてもらって、寝間着からいつもの神官服に着替えた。
最近は人狼メイドの裁縫担当トリーが毎日のように魔王に相応しい衣装を持ってきてくれるのだが、どこかの舞台装置みたいに派手なものばかりで、なかなか頭を縦に振ることが出来ない。食事が人族並み以上になった今、そろそろ普通の衣服のデザインが出来る人材を求める頃合いなのかもしれない……
そんなことを考えつつも、セロは城内の見回りを始める。
魔王としての朝一の日課だ。皆に挨拶しながら、きちんと仕事をしているかどうか確認するだけなのだが、もちろんセロがしっかりと見て回ることで現場の士気も上がる――
そのルートは決まっていて、まず寝室から出て、ぐるりと城内一階の廊下を回って入口広間に出る。
大階段から二階へと上がる最中に、人狼メイドの掃除担当ドバーが報告をしてくれる――第五魔王国が健在だった頃は毎日のように虫系の魔族のスパイが入り込んでいたようだが、最近は全く見かけなくなったとのこと。ドバーも心なしか寂しそうだ。まあ、侵入者がいなくなったのは良いことなんだけど……
次に玉座の間や応接室などを見て回る。掃除がきちんと行き届いているのか確認するわけだが、以前はちらりと見るだけだったのに対して、あるとき執事のアジーンから、
「セロ様、申し訳ありませんが、もう少しだけ丁寧に見て頂けませんでしょうか?」
「別にいいけど……どこもかしこもきれいだから、十分に仕事してくれているって僕は分かっているよ?」
「ありがとうございます。ですが、使用人としてはやはり主人に確かめてもらうことこそ誉れなのです」
「ふうん。なるほどね」
というわけで、最近はどこかの小姑みたいに窓の隅を指で払って、埃が残っていないかどうか嫌らしくチェックしている。もちろん、塵一つ残されていないわけだが……
ちなみに三階、四階には上がらない。そこは使用人やダークエルフの精鋭たちの寝室になっていて、魔王が赴くべき場所ではないとされているからだ。
人族の場合、王は上に住んで、使用人たちは地下や別棟にて寝泊まりするものだが、魔族の場合は事情が異なる。
というのも、もし魔王城に攻め込む者がいたときは魔王が率先して出迎えるといった風潮があるせいだ。逃げるよりも戦うことが優先される魔族らしい考え方だが、おかげでセロは城の上階に行ったことがまだ一度もない……
ルーシー曰く、「大したものはないぞ」とのことだが、何やら伏魔殿のようになっている気配を覚える。いつしかドルイドのヌフに認識阻害でもかけてもらって忍び込んでみたいものだ。
何にしても、こうしてセロはやっと二階の食堂こと大広間に到着する。朝食の時間だ。
最近は人狼のメイド長こと調理担当のチェトリエも
この朝食にしても、最初は応接室でこぢんまりと取っていたのだが、皆で食べた方が楽しいということでここで取ることになった。どのみちすぐに玉座で報告などを受けるのだ。どうせなら食事をしながら話を聞いた方がいい。
「おはよう、ルーシー」
「うむ。セロも早いにゃ」
「…………」
何だろうか。ルーシーの語尾がおかしかった……
風邪でも引いたのか。ちょっとだけ心配だ。実際に、ルーシーも顔を真っ赤にしている。
テーブルについていた皆も、どこかぼんやりとしたふうだったから、もしかしたら城内で風邪でも流行っているのかもしれない。いや、魔族が風邪を引くのかどうかは知らないが、状態異常にはかかるはずだから、やはり注意をするべきか――
ちなみに、朝食時にはルーシー以外にも、
吸血鬼は一日中寝ているようなものだとルーシーが前に言っていたから、リリンが毎朝いるのには驚かされたが、どうやら真祖カミラの躾は相当に厳しかったらしく、真祖直系の娘三人は早寝早起きが叩き込まれているようだ。そういえば、まだ三女に会ったことがないけど――
すると、気を取り直したのか、ルーシーがその話題に触れた。
「リリンよ。あやつは今、どこにいるのだ?」
「お姉様。実のところ、私にも分かりません。どうせどこかで男漁りでもしているのでしょう」
どうやらかなりのトラブルメーカーのようだ。
もっとも、意外なことにノーブルがそんな三女に関する情報を口にした。
「男漁りの吸血鬼と言えば、王国南西にある
「マン島?」
セロがそう聞き返すと、ノーブルは「うむ」と肯いてみせた。
「南西諸島こと島嶼国のうちの一つに、規模は小さいながらも、他を寄せ付けないほどに
ノーブルがそう言うと、ルーシーとリリンが同時に「あちゃー」といったふうに額に手をやった。もしかしたら第三魔王こと邪竜ファフニールに会いに行く際に、ついでに捜索隊でも出す流れになるかもしれない……
ともあれ、その日の朝食は三女の話題で盛り上がって、セロは「ちょっと食べすぎたかな」とお腹をさすさすしながら玉座の間に赴くと、本分とも言うべき魔王としての職務に就いたのだった。
―――――
基本的に今後、二話構成なら、「前半・後半」、三話構成なら、「序盤・中盤・終盤」、また四話なら、「序盤・中盤(前半)、中盤(後半)、終盤」、そして五話なら、「序盤・中盤(前半)、中盤、中盤(後半)、終盤」となります。ご了承くださいませ。
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