第141話(追補) 百年後の勇者パーティー

 東の魔族領こと第五魔王国で奈落王アバドンを討伐して、しばらく経ってからのことだ――


 高潔の元勇者ノーブルはドルイドのヌフに認識阻害をかけてもらって、王国の南東にある小さな街を訪れていた。


 そこは何の変哲もない、いたって普通の田舎の街だった。


 広大な牧草地帯を有していて、いかにも長閑のどかで、放牧されている羊や馬たちは草をみ、ここに暮らす人々もどこかマイペースで穏やかだ。


 そんな街の片隅には教会があって、雑木林のそばには幾つか墓石が並んでいた――


「よう。久しぶりだな、アタック。こんな姿になりやがって」


 ノーブルはそう言って、墓石に水をかけてから丁寧に拭いてあげた。


 それは百年前の勇者パーティーに所属していた、戦士アタックの墓だった。


 ずっと墓参りをしたいとノーブルは考えていたのだが、魔族になってしまったことに加えて、宿敵アバドンを封じたままだったこともあって、かつての仲間を訪ねる計画はずっと先延ばしになっていた。


「しかし、あれだけ聖女殿を好いていたお前が……まさか別の女性と結婚していたとはな」


 ノーブルは墓石の前でつい愚痴をこぼした。


 同じ女性を愛した者同士、語り合えるかと思っていたら――この街を訪れて、戦士アタックの子孫に話を聞いてみて驚かされた。というのも、百年前にアタックは街に戻ってすぐに幼馴染の女性と結ばれていたからだ。


「たしかにそんな切り替えの早さこそ、お前の強さでもあったと思う。私はいまだにそれが出来ずにいるからな」


 その瞬間、ノーブルは不思議と、「この勝負、オレの勝ちだな」というアタックの声がどこからか聞こえてきた気がした。


 もっとも、ノーブルはというと、「ふふ」と苦笑を漏らした。


「ところで、知っているか? お前の子孫は騎士として立派に務め上げているそうだ」


 ノーブルはそれだけ言って、ゆっくりと立ち上がった。


 どんな皮肉かは知らないが、戦士アタックの子孫はたしかに今、神殿の・・・騎士団の中隊長を任じられていた。皆まで言う必要もないだろう――そう。あの騎士たちストーカーのリーダーだ。


「どうやら私たちは骨の髄まで聖女殿に惹かれる運命にあるらしいぞ」


 ノーブルは「じゃあな」と短く別れを告げると、この街の領主邸の前に停めてあったシュペル・ヴァンディス侯爵の所有する馬車に乗ったのだった。






「こちらになります、ノーブル殿」

「わざわざ申し訳ないな、シュペル卿」

「いえ。私もやっと、胸の荷が下りたような思いですよ」

「そうか」


 高潔の元勇者ノーブルはそう答えて、ヴァンディス侯爵家の代々の墓が立ち並ぶ霊園に入った。


 霊園とは言っても、ここは緑豊かで、花々も咲き乱れていて、その前庭では朝早くから市場まで開かれるほど活気がある。


 そんな霊園の奥に歴代当主たちの墓が並んでいる。


「ここに暗黒騎士キャスタが――いや、キャスタ・ヴァンディスが眠っているのだな」


 ノーブルは「ふむ」と一つだけ息をついた。


 王国には昔から聖騎士と黒騎士という二つの主流があった。前者が王国の盾なら、後者は剣だ。


 そのうち、暗黒騎士というのは黒騎士の職業をマスターした者がなる最上級職に当たる。キャスタは当時の王の落胤で、その為に人知れず戦場で死ねと望まれていたこともあって、常に最前線でその身を呈して戦ってきた。


 とても寡黙で、その出自も、素性すらも、仲間には一切知らせずに、ノーブルとてキャスタがまだ若い女性だったことを知ったのは最後の戦いにおいてだ。


 もっとも、百年前に勇者パーティーから離れてしばらくすると、戦線からは身を引いて、全く表舞台には出てこなくなった――ヴァンディス侯爵家に匿われていたのだ。


「当時の聖騎士団長、つまり私の祖先が戦場で一目惚れしたようで、口説き落としたのだそうです。ただ、王の落としたねでしたから、さすがに公に求婚することは出来ませんでした」

「その王が亡くなってから、やっと日の目を見るようになったということだろうか?」

「というよりも、我が侯爵家が聖騎士を多く輩出するようになったのは、むしろキャスタ大叔母君が鍛え上げてくれたからですよ」


 暗黒騎士が聖騎士を育てるというのも、何とも皮肉な話ではあるが……


 ノーブルは「なるほど」と納得した。そして、ゆっくりと霊園を見渡した――


 当時のパーティーでは一言も発することなく、沈黙を貫いたキャスタの周りには、今では領民たちが集まって、とても賑やかに、かつ逞しい生活を送っている。


 そんな光景に触れるだけでも、キャスタが幸せな余生を送れたのだと、ノーブルにはよく理解出来た。


「ここは任せよ、先に行け――と言っておいて、貴女が先に逝ってしまうとは、当時は全く考えてもいなかったよ」


 ノーブルはそう言って笑みを浮かべると、墓石に花を手向けてから、「ありがとう。そして私はまだ前に進み続けるよ、キャスタ」と呟いた。






 それから数日後、高潔の元勇者ノーブルはヒトウスキー伯爵領にある露天風呂に呑気に入っていた。


「どうでおじゃるか。ここの湯は?」

「うむ。お湯自体は全くもって悪くはないのだが……」

「ほう。何か言いたげでおじゃるな」

「まあな。というか、温泉中央に建っているこのモニュメントに対して、いつツッコミを入れようかと迷っていたところだよ」


 ノーブルはそう応えて、露天風呂のど真ん中を直視した。


 そこには墓石がどっしりと突っ立っていた。墓名には――『アプラン・ア・ト・レジュイール十五世・・・之墓』とある。墓石そのものが温泉に浸かっている格好だ。


「温泉の中にお墓があることはいいとしよう。それは故人と遺族の自由だ」

「うむ。麻呂もこのように墓を建ててもらいたものじゃな」

「あと、十五世についても気にせずにおこう。たしか、私の記憶ではアプランの芸名は十三世だったはずだが……」

「うむ。あれは戒名でおじゃる。だから、芸名とは異なるのでおじゃるよ」

「そうか。まあ、そこらへんは本当にどうでもいい。アプランの考えることにいちいち付き合っていたら面倒臭いことこの上ない……ところでだ、ヒトウスキー卿?」


 ノーブルはそう声をかけてから、お墓に背をもたらせて、堂々とお湯に浸かっている人物を指差した。


「あの屍喰鬼グールは誰だね?」

「亡くなったはずの麻呂の曽祖父でおじゃるが?」

「だろうな。見た目が非常によく似ている」

「ふむん。たまにこうして湧いて出てくるのでおじゃるよ。温泉に浸かっているせいか、屍喰鬼のくせして卵肌でおじゃる。まあ、悪さはせんので、好きにさせているでおじゃるが」

「ここでいっそ討伐していいか?」

「倒してもまた湧いてくるでおじゃる。無駄じゃよ。何より武器がなくても強い」

「…………」

「おそらく、世界中の秘湯を巡るまで死ぬに死に切れんのではないか。今度、第六魔王国の赤湯にも連れて行こうと考えているでおじゃる」

「そうか。くれぐれもセロ殿には迷惑をかけないようにな」


 ノーブルはそう言って立ち上がった。せっかく温泉に入っていたはずなのに、何だかひどく疲れ果てた気がした……






 最後に、高潔の元勇者ノーブルは巴術士ジージに連れられて、王国西北にある村に立ち寄った。


 ここは西の魔族領こと湿地帯に近いので、いつ屍鬼ゾンビ屍喰鬼グールなど亡者に襲われてもおかしくない場所だ。


 だが、不思議なことに村は百年もの間、一度も襲われたことがなく、戦士アタックの街と同様に放牧によって生計を立てていた。


「これはまさか……『聖防御陣』か?」


 ノーブルは村に着くとすぐに気づいた。


 強大無比な法術の陣が村をしっかりと守護していたのだ。


 しかも、聖女にのみ伝えられる独特の術式に加えて、いまだ温かみのある魔力マナの残り香をノーブルは決して忘れるはずもなかった。


 すると、そんなノーブルたちのもとに一人の老人がやって来た。


「巴術士ジージ様、お久しぶりでございます」

「うむ。村長も変わりないようじゃな」

「はい。もうとうにくたばっていい年のはずですが、この村では不思議と老人たちの方が元気なのです。ところで、ジージ様。そちらの御仁は……もしや?」


 老人が目をしばたたくと、ノーブルは言っていいものかどうか、ジージにいったん目配せしてから話しかけた。


「ノーブルと言う。とある人物の墓参りに来たのだ。こんななり・・・・・ではあるが、少しだけ滞在許可が欲しい」


 ノーブルは魔族となった身を晒して、村長に願い出た。


 村長はというと、かつて高潔と謳われた勇者の姿にぽかんと口を開けたものの、すぐに二人を墓場へと案内した。


 その墓場は湿地帯にほど近い場所にあって、ノーブルでも道すがら足をぬかるみに幾度も取られてしまった。


 ただ、ジージはかつて来たことがあって慣れているのか、ノーブルよりも遥かに足取りが軽い。


「お二方、こちらになります。どうかゆっくりとしていってください」


 村長はそれだけ言って、二人から離れていった。


「…………」


 ノーブルは無言で、ぽつんと立った侘しい墓石を見つめた。周囲には花が幾つか咲いていて、丁寧に清掃もされて、墓石も高級とはいかないがきちんと洗われている。


「ジージよ。この村には彼女の親族でもいるのか?」

「いや、おらんよ。そもそも、聖女殿は孤児じゃった。王都の孤児院で育ったはずじゃ」

「ああ、知っているよ。それに結婚しなかったことも。以前、お前から聞かされた。となると、これだけ墓石が清潔に保たれているのはいったいなぜだ?」

「その理由にとうに気づいているはずなのに、あえてわしに聞こうとするのはどうしてかね?」


 ジージがため息混じりで逆に問い返してきたので、ノーブルはやれやれと肩をすくめてみせた。


「そうだな……全くもってその通りだ。すまなかった。彼女の墓石を前にして、やはり気が動転しているのだろう。つまり、村人たちは百年経った今もなお、彼女に感謝しているのだな――村全体を守るように張ってある、この聖防御陣のおかげに違いない」


 ノーブルはそう結論付けて、墓石の前にゆっくりと跪いた。


「こんな形で君と再会するとは――」


 だが、ノーブルはそれ以上の想いを語ることが出来なかった。


 胸がしめつけられて、喉もとから言葉が漏れてこないのだ。伝えたいことはたくさんあるはずなのに、墓石の前にいると、どれもが全て虚しく感じられしまう――そもそも、愛した彼女はもういないのだ。


 その事実がやけに重く圧し掛かって、ノーブルから言葉も、想いも、何もかも奪ってしまった。


「なあ、ジージ……一つだけ、聞いていいか?」

「何じゃね?」

「彼女は孤児だったわけだが、ここが出身村だったのか?」

「いいや。違うよ」

「では、なぜ……彼女はここを終の棲家としたのだろうか?」


 そのときだ。先ほどの村長が二人のもとに戻ってきた。


 老いた村長の手もとには羊皮紙があった。きちんと管理されてきたのか、虫食いや黴なども全くなく、記した当時と同じ状態でノーブルはそれを読むことが出来た――




 ノーブル様がこの手紙を読む頃には私はおそらく生きてはいないでしょう。

 北の魔族領にノーブル様を転送してからというもの、私には後悔しかありませんでした。

 なぜあのとき、ノーブル様と共に行かなかったのか。

 たとえ封印の触媒として、ひっそり身を隠さなくてはいけない立場と分かっていても、強引にでも付いて行けば良かったのではないかと、今でも自問自答する日々です。


 人族は魔族と共にはいられない――


 頭では理解していても、心では納得出来ないときがあります。

 本当に魔族とはそれほどに恐ろしい存在なのか。人族とは全く相容れない者なのか。

 結局、私は怖かったのだと思います。ノーブル様が魔族に変わっていく姿を見ることが。そして、そんなノーブル様を許容出来ないかもしれない、聖職者としての強情さが――


 それでも、こうして羊皮紙に言葉を書き残すのは、きっと私の未練です。


 この村の端では、日が高々と昇って、湿地の霧が薄いときには、ずっと遠くに砦がうっすらと見えてきます。

 これまでそんなものは建っていなかったと、ここ十年ほどで急に出来たものなのだとも、村人たちは噂をしていました。魔族領の新たな拠点かと、恐れている村人もいます。

 ただ、私には不思議とその砦が懐かしいもののように感じられるのです。

 もしかしたら、魔族となったノーブル様がそこにいらっしゃるのではないか、とも――


 だから、あの砦が一番よく見える場所で私は眠ります。せめて心だけでもそばに行きたいと願って。


 さようなら、ノーブル様。貴方様と一緒にいられた時間は、私にとって何よりもかけがえのないものでした。どうか、高潔の勇者として、この世界を真っ直ぐに導いてください。




 直後だ――


 ノーブルは泣き崩れた。


「勇者として導けとは……最期まで貴女は本当に酷なことを言うものだな」


 それもそうだろう。ノーブルはもう魔族であって、人族の希望たる勇者ではないのだ。しかも、今は第六魔王こと愚者セロに仕える身でもある。


 それでも、ノーブルは愛した者の言葉について、頭でも、心でも、よく理解出来た――


 人族と魔族とが共にいられる世界を作る。


 二度と分かたれる者たちが現れないように。決して未練など残さないように。


「今こそ、誓おう。高潔の意思はずっと、君と共にあり続けると! そう。私は仲間を絶対に手放さない!」




―――――


これにて第二部は終了です。ここまでお読みいただきありがとうございました。

明日の更新は「キャラクター表など(141話まで)」のみで、明後日からは第三部に入る前に「外伝」の掲載となります。

まだ続きますが、どうかよろしくお願いいたします。

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