第137話 元勇者ノーブルと奈落王アバドン

 砂漠にて、第五魔王国の幹部が次々と捕らえられていた頃――


 神殿郡の遺跡上空に滞空した浮遊城からは、セロ、モタや近衛長のエーク、また今回の主役と言ってもいい高潔の元勇者ノーブルとドルイドのヌフが浮遊する鉄板エレベーターに乗って下りてきた。


 もっとも、すでにダークエルフの精鋭や吸血鬼たちが先行して、祭壇周辺に潜んでいた虫たちを倒し、さらに地下拠点内も調べ上げているので安全は確認済みだ。


 ちなみに、ルーシーはセロがいない間の玉座を預かり、人造人間フランケンシュタインエメスも司令室に残って浮遊城の操縦に専念している。また、人狼の執事のアジーンは屍喰鬼グールの料理長のフィーアと共に、第六魔王国で留守番をしながら温泉宿泊施設にてお客様対応中だ。


 ついでに言うと、モタがわざわざセロたちに付いてきたのは、本人曰く、「砂漠にいるジジイから何だか良からぬ殺気を感じた。助けて、セロ」という意味不明な供述があったからで……結局、ヌフの要望もあって、認識阻害や封印を補助するお手伝いとして付き添いが認められた。


「ジジイのいないところなら、火の中、水の中、何なら奈落の中までお供いたしやす」


 そんな調子のいいことを言いつつも、モタは「ふんす」と、手柄の一つでも立てようと気合いを入れている。


「さて、セロ殿。こちらだ」


 ノーブルに先導されながら、セロたちは崖上の祭壇から下りていった。


 地上からだと神殿群は色褪せた遺跡にしか見えなかったが、地下広間に下りてみると、意外に広大で掃除なども行き届き、神聖な雰囲気も十分に残っていた。


 それに、先ほどまで第五魔王国の幹部たちが作戦会議でも開いていたのか、地下広間の一角には美しい装飾のテーブルがあって、その上には大きな古地図が広げられたままになっていた。


 地図上には侵入者の進行ルートや虫たちの配置などが事細かく記されていたし、壁に掛かっていたボードには王国などの主要人物のリストがプロフィールも合わせて書き連ねたままになっている。さらに広間の奥には聖所らしき場所まであった。


 なお、その聖所の観音開きの鉄扉の両脇には現在、ダークエルフの精鋭二人が立哨にて警戒している――


「この先に第五魔王こと奈落王アバドンが封じられているのだ」


 ノーブルはそう言って足を止めると、「準備はいいだろうか?」とセロたちを順に見つめた。


「ねえ、ノーブル。先に一応聞いておきたいんだけど、封印を解く必要は本当にあるのかな? 素人考えだと、封印されて動けないアバドンに対して一気呵成に攻撃を仕掛ければいいんじゃないかとも思うんだけど?」


 セロが素朴な疑問を尋ねると、ドルイドのヌフが代わりに答えた。


「以前、説明させて頂いた通り、認識阻害とは違って封印を施すと、眼前にあると分かっていてもその対象に一切触れられなくなります」

「つまり、封印がかかっている以上、どれだけの物量をもってしても、アバドンには直接攻撃が届かないってことだね?」

「はい。そういうことです。アバドンを倒す為には、どうしても一度封印を解く必要があります」

「じゃあ、戦っている間に奈落の瘴気が漏れたり、地下世界から魔族が湧いて出てきたりすることは?」

「もちろん、可能性はあります。その為にもアバドンの封印を解いた直後に再度、奈落そのものに当方が仮の封印をかけ直します」

「で、モタはその手伝いをすると?」


 モタは「らじゃ!」と、びしっと敬礼してみせた。


 お調子者ではあるが、やるべきことはきちんとやるので、その点はセロも心配していない。


 すると、今度はノーブルがセロに告げた。


「奈落王アバドンの相手は私がやる。申し訳ないが、こればかりはセロ殿には譲れない」

「構いませんよ。そういう約束です。ですが、僕はいったい何をすればいいですか?」

「ヌフとモタを守ってあげてほしい。エーク殿も同じように近衛として護衛を継続していただきたい」

「分かりました」

「畏まりました」


 そんなセロとエークの返事に対して、ノーブルはゆっくりと肯いてから、聖所の両開きの扉についに手をかけた。


 ただ、ノーブルにしては珍しく、開けるまでにやや躊躇いがあった。百年ぶりの勇者と魔王の対面だ。さすがのノーブルでも緊張しているのだろう。


 だが、ノーブルは「すう」と息を深く吸ってから、「よし!」と気合いを入れ直すと、


「皆、行くぞ!」


 そう言って、扉を勢いよく押し開けた――


 直後だ。


「…………」


 セロたちは思わず息を飲んだ。


 聖所は先程の地下広間よりもさらに広く、大理石の床には奢侈しゃしな絨毯も敷かれていて、最奥の祭壇まで立ち並ぶ柱には金銀などで装飾が施されていた。


 もっとも、セロたちはすぐに眉をひそめた。祭壇上に何もなかったからだ。


 いや、それは正確ではない。そこには封印から漏れ出た不気味な影だけがあった。四方の灯りによって照らし出された、大きな『×』の字の影だけ・・・が蠢いていたのだ。


「それでは、段階的に解放していきます」


 ドルイドのヌフが両手をかざして、まず認識阻害を解くと、祭壇上には一際巨大な門が現れ出てきた――奈落だ。


 以前、人造人間エメスの報告の中に、王国の大神殿地下にも同様のものが存在して、まさに古文書などに伝わる『地獄の門』そのものだったとあったので、セロもすぐにそれが奈落なのだと認識出来た。


 さらに、その門前に雁字搦めに縛り付けられている人物もしだいに見えてきた――


 第五魔王こと奈落王アバドンだ。


 その体は全体的に濃い緑色で、背丈はセロやノーブルの倍ほどもある。


 元帝王らしか金色の冠を被って、頭部には大きな目の複眼が二つと、小さな目の単眼が三つ、計五つの眼球を有している。


 基本的には筋肉質な人型ではあるのだが、腕は四本もあって、飛蝗のように薄い四枚羽も背中に生えていて、さらには外骨格が厳めしい鎧のように変形していた――いかにも凶悪で禍々しく、古の魔王と呼ばれるに相応しい貫禄だ。


 もっとも、そんな巨躯の中心には聖剣が突き刺さったままだ。そのせいだろうか。アバドンはというと、聖剣を四本の手で抜きたくとも出来ないといった苦悶の表情を浮かべていた。


 そんなふうにして突き立てられた聖剣が第一の封印だとすると、高密度の魔力マナが鎖の形を取ってアバドンもろとも門と一緒に巻き付いているのがドルイドのヌフによる第二の封印なのだろう。


 厳重な封印が施されているにもかかわらず、それでもこの聖所には奈落から漏れ出た瘴気がずいぶんと満ちていたので、ノーブルはいったん左手を宙に掲げると、


「浄化せよ。『聖なる雨ホーリーレイン』!」


 祝詞を謡ってから、瘴気のもやをまず打ち消した。


 そして、ノーブルは祭壇へと真っ直ぐに歩んで第六魔王こと奈落王アバドンのもとに着いてから、後方にいたドルイドのヌフに視線をやった。


 ヌフはこくりと小さく肯いて、左手で印を切りながら開いた右手を宙に突き出した。次の瞬間、アバドンと門に巻き付いていた鎖は自然と解けて消えていった。


 同時に、アバドンが「ぶるあああっ!」と息を吹き返す。


 これまではヌフの封印によって、触れることも、耳にすることも出来なかったわけだが、この百年間ずっと、アバドンは呻き続けていたのだ。


 ノーブルはそんなアバドンに近づいて、聖剣の柄に手を伸ばした。アバドンが苦し紛れにノーブルの腕を掴むも、全く気にする素振りも見せない。二人の視線はまるで磁石のように互いに引き付け合っていた。


「勇者ノーブルか……我にわざわざ倒されに来たか」

「久しいな、魔王アバドンよ。その減らず口を閉ざす為に戻って来たぞ」


 すると、アバドンはふいに思案顔になった。


「ん? 貴様、人族であることを止めたのか?」

「世界に仇名す魔王を討つ為ならば、人族だろうが魔族だろうが関係ない」


 ノーブルがそう言い放つと、むしろアバドンは不思議なことに、「くくく」と小さく笑ってみせた。


「何がおかしい?」

「いやはや、歴史は繰り返すというが、古の大戦以来、まさかまた勇者が魔族になるとはな。なるほど。これが因果律というものか」


 アバドンはそう言って、自ら四つの手に力を込めてノーブルに聖剣を引き抜かせた。


「うがあああああ!」


 聖所全体に轟く絶叫と同時に――


 解放されたアバドンは即座にドルイドのヌフへと爪による攻撃を仕掛けた。


 おそらく強力な封印を施すことが出来るドルイドを先に始末して、再度封印されてしまう危険リスクを減らそうと判断したのだろう。


 が。


「そうはさせない!」


 セロが棘付き鉄球を放ってヌフを咄嗟に守った。


「ちい! 貴様は誰だ? 魔族のくせになぜ邪魔をする?」

「挨拶が遅れました。第六魔王こと愚者のセロと言います。高潔の元勇者ノーブルとの約定に従って、僕の目が黒いうちはヌフには指一本触れさせません!」

「は? 第六魔王だと? まさか、真祖カミラがくたばったというのか? ふははははは! これはこれは! また傑作なことだな!」


 アバドンは攻撃を邪魔されたはずなのに、唐突に腹を抱えて大声で笑い出した。これにはさすがにセロも、ノーブルも眉をひそめた。


「何がおかしいのです?」


 セロがそう問い掛けると、アバドンは「ひーっひ」と横隔膜をいまだに震わせながらも逆に問い返してきた。


「貴様が真相カミラを討ったのか?」

「そうです」

「貴様もノーブル同様、元人族だろう?」

「ええ」


 セロが訝し気に答えると、アバドンはいかにも理解出来ないといったふうに顔を歪めてから、セロとノーブルを嘲笑ってみせた。


「もしや地上に残った天使にでも騙されたのか? 真に愉快だ。いやはや、痛快無比とはこのことだな。何にせよ、人族の本当の庇護者を人族自身が殺してみせるとは……人とはまさしく業ばかり深い欠陥品よな。そう考えると、たまらなく愛おしくもなってくる」


 アバドンは笑い終えると、「はああ」と大きく息をついた。


 今度は冷静に聖所をゆっくりと見渡す――相対しているのは、ノーブル、ヌフ、セロ、モタ、それにエークと実力者揃いだ。


 さすがに影である一人目の自己像幻視ドッペルゲンガーアシエルを使役しても、勝つには骨の折れるパーティーで、百年前よりもよほどの実力者を揃えてきたなと判断したわけだが……


 もっとも、そんなことはアバドンにとってはどうでもよかった。


 ついに封印から解き放たれたのだ。しかも、眼前には強者ばかりがいる。強い魔族にとっては、いや魔王にとってはそんな強者と戦って死ぬことこそ誉れだ。


「楽しみだ。また戦える!」

「魔王アバドンよ。ゆめゆめ忘れるな。相手はこの私だ!」


 すると、ノーブルが祭壇から下りてきた。


 第五魔王こと奈落王アバドンはにやりと笑った。結局、人族にせよ、魔族にせよ、考えていることは同じなのだ――百年前の決着をつけたいだけだ。


「よかろう。戦場にて死ぬことこそ我が本望。高潔と謳われた勇者ノーブルよ。せっかくこうして見届け人もいるのだ。共に死して地獄ゲヘナにでも落ちようぞ!」

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