第136話 百年の因縁

「やはり年だけは取りたくないものじゃのう」


 巴術士ジージは感慨深げに言った。


 ここ直近だけでも三度も大きなミスを犯してしまった。百二十年にも及ぶ長い人生の中で本当にありえないことだ――


 その一つ目は、感情の赴くままに泥竜ピュトンを追いかけて、東の魔族領にさしたる危機感もなく突入してしまったこと。


 二つ目は、ピュトンを眼前にして討ち取れる好機だと捉えて、戦場全体の把握を怠ってしまったこと。


 何より、三つ目は――第六魔王国を侮っていたことだ。


 もちろん、セロたちの強さを計り損ねたという意味ではない。さすがのジージでも第六魔王こと愚者セロには敵わないと判断したし、実のところ、その側近たるルーシーや人造人間フランケンシュタインエメスたちにも全力で当たって勝てるかどうか、あとは運次第だと認識していた。


 だから、そういった個々の実力について認識違いをしていたというわけではない。


 むしろ把握出来なかったのは、第六魔王国がこれほどまでに高い文明を有していたという事実で、訪問時に全くもって見抜けなかった――そんな眼力の衰えをジージは口惜しく感じていたわけだ。


 何せ、浮遊城だ。


 幾ら年老いたといっても、男子なら誰でも浪漫を感じる古代技術オーパーツの集大成だ。


 これまでも胡散臭い古文書や吟遊詩人の酔いどれ歌などで散々残されてきたわけだが……まさか本物が実在して、本当に浮かんで遠路はるばるやって来るとは、ジージとて想像だにしていなかった。


 しかも、そんな御伽話のような存在に、たった今も、この老い先短い命を救われたばかりなのだ。


 そんな救済・・があったからだろうか、ジージはまるで新たに生まれ変わったような気分になっていた。


 今までいかに狭く、低くて、浅いだけの価値観に囚われてきたことか。本来の世界は、王国やこの砂漠よりも遥かに広く、目指すべき頂きはあの空のように高く、また知識の海とてどこまでも深いものに違いないのだ――


「これぞ、天啓よな」


 ジージはそう呟くと、浮遊城を仰ぎ見た。


 いっそ第六魔王こと愚者セロにこの残りの生を捧げてもよいのではないかと思うまでになっていた。


 どのみち神など、大神殿や生臭坊主たちの胡散臭さもあって、ろくに信じてこなかった身だ。


「いやはや、魔族嫌いのわしが魔王を信奉したいとは……ほんに人生とは楽しいものよのう」


 巴術士ジージは、「かっかっ」と声を上げて笑った。


 直後だ。ジージの体を温かい光が纏ったのだ。上空にいるセロの『救い手オーリオール』による身体強化バフだ。


 これにはジージも最早、苦笑するしかなかった。さながら天からの贈り物だ。気のせいだろうか、幾分若返った感覚さえあった。いや、実際に若返ってしまったのだ。御年百二十歳の爺だったはずが、今では老年――いや壮年といってもいいほどに活力がみなぎっている。


「さて、それではやり残していた仕事をしっかりと納めなくてはな」


 ジージはそう言って、真っ直ぐに泥竜ピュトンと相対した。


 一方で、そのピュトンはというと、爛れた長い竜の体で渦を作りつつも愕然としていた。


 第六魔王国を決して舐めていたわけではなかった。だが、せいぜいぽっと出の新興国程度の認識でしかなかった。


 そもそも、歴史のある王国の方が工作対象としては格上と見ていたし、むしろ第六魔王国に関しては、真祖カミラが君臨していたときの方がよほど脅威だとみなしていた。


 だが、現実は――どうだ?


 まず、浮遊城だ。栄華を極めた帝国でさえも持ち得なかった、いにしえの技術の集大成を早くも手にしている。


 次に、抱えている戦力だ。先ほど一人の女吸血鬼が飛来してあっという間にサールアームを蹴散らしたが、それ以上に禍々しい魔力マナが浮遊城には満ち満ちていた。


 これほどに遠くに離れていても、その魔力の波動を感じ取れるということは、もしかしたら第六魔王こと愚者セロはすでに第五魔王こと奈落王アバドンを優に超えた存在になっているやもしれない……


「いったい……どんな化け物が私たちに宣戦布告してきたというの?」


 そんなふうに呆然と宙を見つめていると、泥竜ピュトンはふいに殺気を感じた。


「ほれ」


 巴術士ジージが杖で突いてきたのだ。


 とはいえ、その棒術による攻撃のおかげで、ピュトンはかえって我に戻ることが出来た。


 ぼんやりしているときなどではなかった。今は眼前の宿敵ジージを何とかすることが先決だ。


「ふん。物理攻撃が私にあまり効かないことぐらい、知っているはずでしょう?」

「なあに、頭の血の巡りでもよくしようと思ってな。それにはこうして体を動かすのが一番じゃろう?」

「舐めているのかしら? それとも浮遊城でも見て、ついにボケてしまった?」

「冷静に考えて、お主に負ける要素など微塵もないからな」

「いいわ。じゃあ、少しだけ相手をしてあげようかしら」


 もっとも、泥竜ピュトンは内心では焦りまくっていた。


 巴術士ジージがずいぶんと大きく見えたせいだ。不思議と若返ったようにも思える。


 まるで百年前に対峙したときの青年かと見紛うほどだったから、さすがにピュトンも頭を横にぶんぶんと振ったが……


 何にしても、どのみちまともに戦っても勝ち目が薄いことは百年前から分かっていた。


 あのときは認識阻害や封印にまだ詳しくなかったジージを翻弄することが出来たから、ピュトンはジージをいなせたわけだが、今となってはあらゆる点でジージに劣っている。


 人族は生が短い代わりに大きく成長する――そのことに不死性を持つ魔族のピュトンはほとほと嫉妬するしかなかった。実際に、今でもジージはまだ着実に成長を遂げているのだ。


「そこじゃ。いや、こっちかの」


 おかげで最早、ジージに棒術で完全にもてあそばれている状況だ。


 物理攻撃だというのに、杖先に魔術付与してピュトンに確実にダメージを与えられるように工夫している。さらにはピュトンお得意の認識阻害まで巧みに使って、杖そのものを隠したり、わざと短く見せたりと、その技術まで多彩だ。


「どうやら、いちいち相手にしちゃ駄目なようね」


 ピュトンはそう言ってから、ジージと距離を取った。


 そもそも、虫人のアルベやサールアームとは違って、ピュトンは武官ではないのだ。


 帝国内で最も権威のある神殿の巫女として天使アバドンに最も近いところで仕えていたが、奈落の瘴気で共に呪われたことで一蓮托生となってしまった。


 そういう意味では、魔王となってしまったアバドンに対して、二人ほどの忠誠心は持ち合わせていなかった。


 どちらかといえば、元神官として、天使が受肉した王女プリムこそ新たな主人と捉えているふしもあったぐらいだ。


 だからこそ、王女プリムのもとに行く為に、ここでピュトンは逃げの一手に打って出た。


 今のジージとまともに一騎打ちするなど愚の骨頂以外の何物でもない。ならば、百年前と同じようにジージの認識を狂わせて逃ればいい――


「ところで、この数十年ほど、貴方のことはずっと気にかけてきたのよ」


 ピュトンはジージに対して、ふいに艶かしい声を掛けた。


「ほう。いきなりこんなところで愛の告白をされても困るのじゃがな」

「ねえ、一つだけずっと不思議に思っていたのだけど……人族として百二十年ほども生きてきて、家族を全く持たなかったのはなぜかしら?」

「長らく王族の魔術指南役じゃったからな。お主みたいな者が宮廷工作を仕掛けてきて、家族が人質にされることを恐れたのじゃよ。要は、結婚しなかったのはお主のせいでもある」

「あら、それは本当にごめんなさい」

「構わんよ。今は家族よりもよほど大切な者たちがいるからな」

「そうよね。弟子たちとの家族ごっこは大切だものね」

「ふむ。急に何が言いたい?」

「じゃあ、こんなのはどうかしら?」


 泥竜ピュトンはそう妖しく囁いて、認識阻害でジージの愛弟子ことモタの姿に変じた。


「えへへ。ジージ、どうかなー?」


 ジージは目を丸くした。一瞬、本物のモタかと見紛うほどに完璧に化けていた。


 そして、「なるほどな」と納得した。勇者パーティーからモタが出奔したとき、なぜあれほど大掛かりな捜索が行われたのか――モタを殺して成り代わって、ジージを騙して近づこうとしたわけか。


「いちいち、やることがほんに卑怯じゃな」

「へへ。でしょー。ジージ、もっとほめてほめてー」


 泥竜ピュトンはモタのように照れてみせた。


 大抵の人族はこうした近しい者を目の当たりにすると攻撃に躊躇いが生じるものだ。たとえそれが認識阻害だと頭で分かっていても、どうしても情が邪魔をする。


 特に、ジージのように家族を持たずに多くの高弟を抱える者ほど、弟子に愛着を感じてしまって割り切れなくなる。


 これはピュトンが宮廷工作をしてきた中で培った、人族に対する最も効果的な対処法だ。もちろん、このやり方でピュトンは多くの人族の強者を闇の中に屠ってきた。


 が。


「こやつめが!」


 なぜかジージの棒術はさらに冴え渡った。


「ど、ど、どゆこと?」


 ピュトンはモタの姿のままで何とか避けるも、突きの連撃に堪えきれずに、ついにもとの醜い竜の姿に戻ってしまった。


「ふん。さかしらに弟子の姿になぞなりおって」

「よくもまあ……愛弟子にそんな一撃必殺の攻撃を何度も繰り出せるものね。人としての情というものがないのかしら?」

「そもそも、モタはわしをジージなどと呼ばん」

「は?」

ジジイ・・・じゃ。彼奴め、最後の弟子じゃからと甘えおって、まともに名前を言ったことが一度としてない」

「そ、そう。それは……何と言うか、ご愁傷様」

「化ける者を間違えたな。いつか折檻でもしてやろうと本気で思っておったところじゃ。少しはわしの気も晴れたわい」

「…………」


 泥竜ピュトンが沈黙すると、意外なことに巴術士ジージは杖をしまった。


 しかも、唐突に背中を向けて、ピュトンからゆっくりと遠ざかろうとまでしている。これにはピュトンも不審に思ったが、好機と捉えて牙を向けようとした――


 そのときだ。


 ピュトンの首には大鎌サイスの刃先が向けられていた。夢魔サキュバスのリリンだ。


「泥竜ピュトンよ。最重要参考人として貴女を拘束します」

「いつの間に……?」


 ピュトンはそこでやっと気づいた。


 周囲に認識阻害がかけられていたのだ。それがうっすらと解けていくと、虫の魔物モンスターや魔族を討伐し終えた聖騎士たちや団長モーレツだけでなく、聖女パーティーや巨大ゴーレムこと『かかし MarkⅡ』までいて、ピュトンを取り囲んでいた。


「わしがお主を瞬殺しなかった時点で気づくべきじゃったのう。もう逃げられはせんぞ」


 ジージが背を向けたままでそう言うと、リリンが付け加えた。


「貴女には王国、それに真祖カミラ統治時代も含めた第六魔王国に対する工作活動に深く関わってきた疑いが持たれています。抵抗など最早無駄ですよ」

「もちろん、わしも付いて行ってやるぞ。全て吐いてもらうからな」


 泥竜ピュトンは「ふう」と短く息をついてから、「分かったわよ」と応じて、人族の姿に戻った。


 元巫女だけあって、意外にも生真面目そうで美しい外見をしていたが、その皮膚は呪いによって膿んで掻き毟ったのか所々が爛れていた。


 こうして元帝国神殿郡付き巫女、かつ現第五魔王国魔王代理のピュトンは第六魔王国に拘束されたのだ。もちろん、ピュトンはその先にエメスによる嬉々とした情報収集という名の実験ごうもんが待っていることなど知るはずもなかった。

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