第131話 バーバルは約束する(勇者サイド:19)
「第八魔王の巨大蛸クラーケンだと?」
バーバルは鮫の魚系魔族ジンベイの言葉に眉をひそめた。
当然、バーバルは勇者だったから魔王についてはそれなりに詳しい。だが、第八魔王については聞きかじった程度しか知らなった。
理由は単純だ。クラーケンは蛸だけに陸地に上がってこないし、
もちろん、王国だけではない。大陸上の他の魔王国や亜人族の集落にとっても何ら脅威になり得ない。だから、最弱と謳われた第七魔王こと不死王リッチよりもさらに一段と低く見られて、その存在すら忘れ去られている――それが第八魔王こと巨大蛸クラーケンだ。
そもそも、陸地に上がれない以前に、島嶼国の事情がこれまでずっと巨大蛸クラーケンを中央から遠ざけてきた。というのも、大陸南西にある島嶼国は『三國志』よろしく、三竦みの国家で構成されているのだ。
まず、マン島に本拠を置く人族が中心となった海賊国家。次に、西の魔族領の最南端の海岸に棲息している
これらの勢力がそれぞれ牽制し合って、大陸南西にこじんまりと収まってきたこともあって、結局、大陸ではその存在が無視され続けてきた。せいぜい動向を気に掛けてる者がいるとしたら、島嶼国近辺に港湾都市を持つ王国の辺境伯ぐらいか……
だから、バーバルも、そういえばそんな奴がいたなあ、と何とか頭を捻って思い出しつつも、鮫の魚系魔人ことジンベイに尋ねてみた。
「で、俺にいったい何の用だ?」
「貴様はなかなか強そうに見えた。死なすには惜しい」
「まあ、魔族だから溺れる程度じゃ、死なないようなんだがな」
「どうやらそのようだな。ふん。この世界に泳げない者がいるなど、初めて見たぞ」
バーバルにとっては屈辱的な物言いだったが、そうはいっても事実なのだから仕方がない……
そもそも、魚にとって泳ぐという行為は、人族で言うなら赤子が呼吸をするくらいに自然に出来るものだ。むしろ、泳げない方がどうかしている。
何にしても、バーバルからすれば窮
「とりあえず、助かった。礼を言う」
「気にするな。同じ魔族だ。助けるのは当然のことだ」
どうやらこのジンベイというのはよほど義理堅い男のようだ。
というか、この島嶼国自体が三竦み――人族、亜人族と魔族とで長らく争っている関係で、それぞれの種族の結束が高いのかもしれない。とまれ、バーバルはジンベイに真っ直ぐ向き合った。
「借りは作りたくはない。海中ではろくに動くことが出来んが、俺に何か手伝えることなどはないか?」
「ふむん。それならば、我らが王に会って行ってくれ」
「別に挨拶するぐらい一向に構わんのだが……俺は全く泳げんぞ? 会いに行ける自信があまりない」
「構わん。少しだけ海に沈めるぞ」
そう言われて、バーバルはジンベイに掴まれたままで海中に戻された。
また呼吸が出来なくなるのかと、バーバルは警戒したが、意外なことに今回は息が出来た。どうやらジンベイが水魔術によって、バーバルの頭部を大きな気泡で囲ってくれたようだ。
「ほう。こんな水魔術があるのか」
バーバルは目を輝かせて感心した。
もしモタがこの魔術を知っていたなら、冒険者時代から川での水浴びなどを避けることもなかったのにと、やや悔しくなったぐらいだ。
もっとも、水魔術の多様さはさすがに魚系の魔人ならではらしい。実際に、ジンベイは海の潮流を水魔術によって変化させると、バーバルを放ってその流れに乗せた。
「バタ足くらいは出来るだろ?」
ジンベイにそう言われたので、バーバルは水の流れに乗りながら人生で初めて泳ぐことに成功した。
感動したし、泳ぐことが意外と楽しかった。やはり食べず嫌いとはいけないなと、バーバルも痛感するしかなかった。
とまれ、こうしてバーバルはジンベイに導かれるがままに遠洋の大陸棚までやって来ると、そこに不可解なものを見つけた。
海底の山の前に城があったのだ。まるで御伽話に出てくるような美しい竜宮城のようだった。
暗い深海のはずなのに、ここにだけなぜか光が下りて乱反射する格好で、珊瑚などで出来た城を幾重にも煌かせていた。バーバルも、「ほう」と感嘆の息をついたほどだ。
もっとも、驚くべきは城の美しさではなかった――
城のすぐ後ろの山がぴくりと動きだしたのだ。それこそがジンベイよりも遥かに巨大な蛸こと――最果ての海の支配者である第八魔王クラーケンだった。
見た目は文字通り蛸そのものだが、何より海底にいるときは山、海面に出たなら島かと見紛うほどに体が大きい。魔紋は両目の間に紫色に浮かび上がっている。
「まさか……こんな化け物が世界に存在しているとはな」
バーバルがまたため息をつくと、巨大蛸クラーケンはジンベイに問い掛けた。
「こいつはいったい誰だい?」
しゃがれた女の声だった。どうやらクラーケンは雌のようだ。
「はい。近海を漂っていたので、保護した次第です」
「見た感じ、それなりに戦えそうな魔族だろう? 猿や蜥蜴どもに簡単にやられるとは思えないが?」
「とはいっても、この者は全く泳げないそうでして」
ジンベイがクラーケンの前でひれ伏すと、クラーケンは「くつ、くつ」と笑って、触手で海底を叩いた。そのたびに地響きがして、バーバルはその場に立っていられなくなった。
「泳げないだと?」
クラーケンが真っ直ぐにバーバルを見つめてきたので、バーバルはいかにもやれやれといったふうに肩をすくめてみせた。
「何か悪いか?」
直後だ。
クラーケンの触手がバーバルに伸びて、その首根っこを掴んだ。
「私の前でよくもまあ傲岸不遜な態度を取れるもんだね。だが、まあ気に入ったよ。泳げない者を見るのも初めてだしね」
「そりゃあどうも」
「で、ジンベイ。なぜこいつをわざわざここに連れてきたんだい?」
「はい。この者が借りを作りたくないと言うものですから、クラーケン様にお伺いを立てようかと」
「なるほどね。そうはいっても、泳げん者に何が出来るというわけでも――」
というところで、クラーケンは言葉を切って、バーバルの首から触手を外して海底に置いた。
「あんた、名前は?」
「バーバルだ」
「よし。じゃあ、バーバル。私はもうすぐ島嶼国を統一して、大陸に打って出る」
その言葉にバーバルはさすがに眉をひそめた。
島嶼国の三竦みの現状などバーバルは全くもって知らなかったが、少なくとも巨大蛸クラーケンは今の停滞した時代に一つの区切りをつけるつもりのようだ。
マン島の海賊国家や蜥蜴人たちがどれほど強いのかは知らないが、これだけ巨大な海棲魔族に勝てるとは、バーバルには到底思えなかった。そもそも、体の大きさはそれだけで物理的な強さに繋がる。バーバルとてクラーケンは相手にしたくない存在だ。
それにもしクラーケンが陸地で戦えるというなら、それはそれでバーバルにも興味があった。
海中でならバーバルは絶対に負けるだろうが、陸地でならバーバルでも勝機が見込めるかもしれない。
何なら実験の途中で墜落してしまったが、『飛行』が出来るようになったら、面白い勝負になるだろう――
魔族になったせいで戦闘本能が刺激されるのか、バーバルは不遜にもそんなことを考えてしまった。
「だから、私が大陸制覇をする際に力を貸しな。私の部下は魚系の魔族ばかりだからね。今のところ、陸地で十全に動ける者がいないんだよ」
「配下になれということか?」
「食客でも、用心棒でも言い方は何でもいいさね。あんたの好きなように捉えればいい」
「分かった。ジンベイにも言った通り、俺は借りを作ったままにしたくはない。借りた分は返す。その話を受けよう」
こうして自称第八魔王こと巨大蛸クラーケンと、元勇者の人工人間バーバルとの間に秘かな協定が結ばれた。
勇者と魔王との約定ということで、バーバルも何だか不思議な気分になったものだが……
もっとも、そんな約束がわずか半年もしないうちにきっちり果たされることになるとは、このときさすがにクラーケンも、バーバルも、想像すら出来なかった。
大陸南西の島嶼国が遠望出来る、王国南の辺境伯領の港湾都市にほど近い、高台の突端――
そこに黒服の女神官ことセラはいた。
「ほう。こんな真っ昼間から釣りとは良いご身分だな」
そのセラの背後からバーバルは声を掛けた。
鮫の魚系魔人ことジンベイの協力を得て、水魔術で作った潮流に乗ってバーバルは先ほど無事に戻って来たばかりだ。
ここらへんはマン島の海賊国家の縄張りにも近いということで、ジンベイはすぐに退散したが、バーバルは海中にいるときからよく見知った
「で、釣果はどんなものだ?」
「大物は逃しました」
「何を狙っていたんだ?」
「バーバルという名の未確認合成魚です。餌がミミズではさすがに喰いついてはくれませんでした」
「貴様なあ」
と、バーバルは短気で怒鳴りつけようとしたが、溺れている最中に寛容になろうと考えていたことをふいに思い出して、「はああ」とため息をつくと、
「俺のことをここでずっと待っていたのか?」
「墜落は私の責任です。申し訳ありません」
「別に構わんさ。科学の進歩、発展に犠牲はつきものなんだろう? 今度こそ、成功してくれ」
「――――っ!」
セラは立ち上がって、バーバルを煌々とした目で見つめた。
よほど怒られるか、最悪は
こういう湿っぽいのにはバーバルも慣れていないので、一応セラの額をこつんとだけ叩いてから、そばに置いてあった壺の中を見た。
「めちゃくちゃ釣ったな……お前」
「はい! 昔から釣りは得意なんです」
「研究者になるより、漁師の方が天職なんじゃないか? 何なら、第八魔王国を紹介してやるぞ」
バーバルはそう言って苦笑を浮かべた。
何にしても、ろくに食事をしなくてもよい体になった二人ではあったが、王国に戻るまでずっと焼き魚ばかり食べたらしい。
―――――
明日から砂漠こと第五魔王国での激闘が始まります。よろしくお願いいたします。
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