第129話 天に対する不敬(砂漠サイド:05)
東の魔族領こと砂漠の北東にあって、ほとんどが廃墟と化してしまった旧帝都。
その中央には、かつての戦禍の爪痕として、まるで大地を深く抉ったかのような断崖がありありと残されていた――崖上には神殿の遺跡群がまだ微かに残っていて、祭壇から下りていった先の石室には、飛蝗の虫系魔人こと双子のアルベとサールアームがテーブルを挟んで座している。
緑色の虫人が情報官のアルベで、茶色が指揮官のサールアームだ。
以前、アルベが「無口だ」と言っていた通り、サールアームは双子の兄に一切話しかけることもなく、石室にはしんと重苦しい沈黙だけがあった。
サールアームはそんな静けさを楽しんでいるようだが、一方でアルベはというと、「うー」と貧乏揺すりをしている。いかにも対照的な兄弟だ。
すると、そこにこつこつと階段を下りてくる足音が届いた――泥竜ピュトンだ。
王国に工作を仕掛けに行っていたはずのピュトンが
「おかえり。ずいぶんと早かったんだね」
「尻尾を掴まれたのよ。今回は失敗しちゃった」
ピュトンが肩をすくめてみせると、アルベは「ほう」と小さく息をついた。
「おやおや、珍しいじゃないか。それじゃあ、王国への工作はまた一からやり直すのかい?」
「いいえ。宰相ゴーガンにはもうなれないけど、変わりはまだ幾らでもいるわ。けど、何にせよ一人だけ手強い爺さんがいるのよね。巴術士のジージ――百年前の戦いにも参加していた勇者ノーブルの仲間よ。アルベも覚えているんじゃないかしら?」
「そういや、いたねえ。聖鳥を召喚して、ここを突き止めていたっけ?」
「そうよ。そいつが寿命で死ぬまで待とうかとも思ったのだけど……どうやら私を追って、砂漠に入ってきてくれたみたいなの」
「へえ。掴むだけじゃ飽き足らず、わざわざ尻尾に喰いついてくれたとは。耄碌したものだね」
アルベがにやりと笑うと、茶色の虫人サールアームが「行ってくる」とだけ告げて立ち上がった。
アルベと違ってサールアームは同じ飛蝗系虫人の魔族でも群生相なので、群れで敵を追い込むことを得意としている。だからこそ、この第五魔王国で指揮官を務めているわけで、虫の巣窟である砂漠に侵入した者を仕留めるのにこれほど適した者もいない。
そんなサールアームの背中に向けて、アルベも、「僕も少ししたら行くよ。あまり無理はするなよ」と声をかけた。サールアームは片手を上げるだけで応じてみせる。
何だかんだで有事には息が合う当たりは、さすがに双子の兄弟といったところか。ピュトンもそんなサールアームに、「いってらっしゃい」と言って送り出した。
そして、アルベにしばらく愚痴にでも付き合ってもらおうかと喋り出そうとするも、逆にアルベはそれだけは勘弁といったふうに、石室の奥にある鉄扉に声をかけた。
「さて、アシエル。気分はどうだい?」
わざわざ近くまで歩いていって、
かつて帝国で最も危険視かつ神聖視されたこの一室では、アルベたちの主たる第五魔王アバドンが聖剣に貫かれて封印されていた。
封じられているので直視することは出来ないのだが、そんなふうに磔にされた主の痛ましさをあまり感じたくないということもあって、配下のアルベたちはこの奈落のある聖所にはあまり立ち入らなくなっていた。
一方で、自己像幻視のアシエルだけは事情が異なった。というのも、そもそもアシエルはある意味で
もとは天使であり、人族の帝王となり、最後には魔王にまで変じたアバドンは様々な自己像を持ち合わせている。
そういう意味では、奈落から
つまり、アシエルは自己像幻視という名を持ったアバドンの劣化コピーみたいなもので、以前ピュトンが語った通り、何者でもあって、何者でもなく、かつ何者にもなれない存在だと言える。だから、アシエルはアバドンの影に寄り添うと、今もまた濃密な
そんなアシエルがアルベの呼びかけにやっと応じた。
「気分については何ら問題ない」
すると、ピュトンが驚いて声を上げた。
「あら、アシエルまで戻ってきていたの? それとも第六魔王国には結局行かなかったのかしら?」
「いや、行ってきた」
「じゃあ、アシエルの認識阻害や種族特性を見破れるほど、第六魔王国には手強い者がいるってこと?」
「残念ながら、手強いかどうかを調べる前に、ふざけた人族にやられてしまった。こちらの完全な落ち度だ。申し訳ない」
ピュトンは「ふうん」と唇を尖らせてみせた。
英雄ヘーロスか、聖騎士団長モーレツあたりにやられたのだろうか。巴術士ジージ以外にそれほど強い者など王国にはいないはずだ――と、ピュトンは記憶を辿っていくも、よくよく考えてみたら、ここ数十年は王国の中枢にて宮廷工作を行ってきたので、冒険者や軍人についてはそれほど詳しくないことに気づいた。
「こういうときこそ、プリム様に相談したいのよね。いったいどこに行っちゃったのかしら?」
「さあね。僕は知らないよ。そもそも、あのやんちゃなお転婆姫様は正確には僕たちの仲間じゃないんだ。心配するだけ損ってやつだね」
虫人アルベがそう言って口の端を歪めると、聖所からアシエルの声が届いた。
「不思議なものだな。魔族である我々が魔族以外を頼るとは――」
すると、ピュトンは明らかに表情を険しくして、両手を腰に付けて抗議した。
「貴方たち、少し不敬な物言いよ。アバドン様のご
「僕からすると、何を考えているかさっぱり分からないところがあるけどね。やはり魔族とは相容れない存在なんだと実感するよ」
「…………」
しばらくの間、祭壇地下の石室では気づまりな沈黙がまた続いた。
アシエルは無言を貫き、アルベは両頬をぷうと膨らませて、またピュトンはというと、そんな二人にやや苛立っている。どうやら王女プリムに対する態度は三者三様のようだ。
だが、アルベが「よいしょ」と立ち上がって沈黙を破ると、地上に出る階段へと歩み出した。
「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。サールアームは個体だと弱っちいからね。それに可能なら手強い爺さんとやらを討ち取ってこようじゃないか」
「待って。私も行くわ。せめて巴術士ジージの最期ぐらいは看取ってあげないとね。百年間もお付き合いしてあげてきたわけだし」
こうしてピュトンもその後に続いて、地下にはアシエルだけを残して、第五魔王国はほぼ総力戦で聖女パーティーに当たることになったのだった。
「私って……意外と嫌われているのかな?」
聖所にて少女の声が上がった。
「そういうことではない。皆はいまだに戸惑っているのだ」
「普通の女の子のはずなのになあ」
「普通の女の子の肉体には、
直後、少女の声音から感情が全て失せて、その雰囲気も一変した。
「貴方はたまにアバドンみたいな話しぶりになるのよね。たかが影のくせして、生意気じゃないかしら?」
「これは……大変失礼いたしました」
自己像幻視のアシエルが声のトーンを下げて詫びると、少女こと王女プリムは聖所の柱の陰からゆっくりと出てきた。虫人アルベが気づかなかっただけで、どこかに出掛けたわけではなく、ずっと聖所内に潜んでいたのだ。
「まあ、いいわ。アバドンの影に過ぎないのだから仕方のないことだものね」
「……はい」
「ところで、あの子たちは勝てるかしら?」
「この領土で戦う限りは決して負けません。戦いにおいて、数こそ圧倒的な暴力です」
「まあ、そうよね。とすると、第二聖女クリーンも、巴術士ジージも、これで見納めになるのね。少しだけ寂しいわ」
王女プリムはそう呟いたが、その声音にはやはり寂しさなど欠片も含まれていなかった。だから、アシエルはつい好奇心で尋ねた。
「以前からお聞きしたかったのですが、貴方様のお立場で人族に犠牲者を出すのはよろしかったのですか?」
「私の立場って、いったいどっち?」
「もちろん、人族ではない、高貴なお立場の方です」
「ふふ。たかが魔族ごときがそんなに気を遣ってくれなくてもいいのよ」
王女プリムが微笑すると、アシエルはその笑みに鋭利な冷たさを感じてゾっとした。
古の大戦で幾人もの魔王を屠って、今もなお人族の庇護者となって、王国にて神の代理として、この大陸を統べる者の余裕を見せつけられたからだ。
「正直なところ、人族なんてどうでもいいのよ。今は
「はあ」
「だから、族滅しない限りは何十万人死のうとも気にしないわ。むしろ、滅びかけてくれた方が、古の大戦のときみたいに勇者がおかしなことになっちゃうから良いとも言えるわね」
「…………」
「それに私は
ならば人族もきちんと保護すべきではと、アシエルは反論したかったが口には出さなかった。
先ほど虫系魔人のアルベが語った通り、どのみち魔族の考え方とは相容れないのだ――遥か昔に天界から下ってきた天族こと、天使モノゲネースの思惑など。
「さて、私は王国に戻るわ。そろそろ王国を引き締めないと、第六魔王国に飲み込まれるかもしれないし、いつまでも駆け落ちしたお姫様じゃね」
「いってらっしゃいませ」
アシエルはそれだけ言って、王女プリムを見送った。
かつて天使だった頃のアバドンもあんなふうだったのだろうか。それとも、帝国にて人と交わることで変わっていったのか。何にせよ、影はまだゆらゆらとその場に縛られたかのように揺らめくしかなかった。
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