第128話 通商条約(秘湯サイド:07)
本来ならば、第六魔王セロが「良い関係を築きましょう」と応じた時点で、謁見は終了となる段取りだった。
前日のうちに
あとは会食して、和やかに世間話やひそひそ話でもしてせいぜいお茶を濁す――王との謁見とは得てしてそんなふうに儀礼的なものに過ぎない。
が。
このとき、オッタはというと、下半身裸で感極まっていたせいか、さらに一歩踏み込んでしまった。
「貴国の助力を得て、いつしか我が国は必ず、第五魔王アバドンを討ち取りたいものです。それこそが我々種族たっての宿願でもあります」
オッタがそう言って泣き崩れると、隣で叩頭していたシュペル・ヴァンディス侯爵までもが釣られてしまった。
「私たちの王国内でもその残党らしき者が
オッタとは対照的に理性的なシュペルにしては珍しく、感情的な吐露とも言えた。おそらくおむつを履いて、下半身がやや蒸れていて落ち着かなかったせいだろう……
もちろん、シュペルはそう告げてから、すぐに「しまった」といったふうに口もとに手を当てた。
当然だ。もしここでセロから、「当国は魔族が中心ですし、そもそも第五魔王国とは何ら関係を持ちません」と、その点での協力を断られてしまったら、取り返しのつかないことになる。
今後、たとえ要請しても第五魔王国に牽制してくれることも期待出来ず、重要な情報を知らせてくれることもなくなる可能性があるわけで、二国間で協調をしていく上で、外交上では許されないケアレスミスをシュペルは犯してしまったと言ってもいい。
ただ、そんな二人の直訴を受けて、セロは高潔の元勇者ノーブルと顔を見合わせた。
セロもノーブルも元人族だからこそ、王国の事情はそれなりに知っている。だから、オッタとシュペルにも情報共有ということで、セロたちの知っていることを全て話して上げた。
シュペルにとっては聖女パーティーから聞いていたことの再確認となったわけだが、ドワーフたち三人には多くのことが初耳だったので目を丸くした。
何なら第六魔王国にやって来たドワーフたち全員でもって東の魔族領に攻め入って、セロたちのアバドン討伐の助力をしたいとまで申し出てきた。
「勝利の暁には、門外不出としてきた我が国の
そこまで言ってきたものだから、ダークエルフの近衛長エークがセロのすぐそばにやって来て耳打ちした。
「非常に良い話です。この場でお受けしますか?」
「たしかに魔族と亜人族との交易なんて歴史にもないものね」
「それだけではありません。
「でも、通商でしょ? 僕たちの国はお金をろくに持っていないよ」
「それについては……申し訳ありません。セロ様のお耳にはまだ入れておりませんでしたが、当国においてはその黄金級の麦酒のレートがせいぜい温泉宿泊施設の大部屋一泊分ほどとなっております」
「え? な、何で……そうなっちゃったの? まさか脅したとか?」
「とんでもありません。宿で若女将として孤軍奮闘したモタ殿の功績です」
「…………」
セロは「ふう」と小さくため息をついた。
モタの師匠ジージに長々と説教してもらって、それをモタへの拷問の代わりにしようかと思っていたが、功績で相殺して出してあげようと考え直したわけだ。
何にしても、エークの助言もあって、セロは「うーむ」と色々考えを巡らすことにした――
実のところ、肝心の麦酒は昨晩セロのもとにも届けられていた。セロは別にバーバルのように下戸でも、モンクのパーンチのように禁酒しているわけでもなく、とりあえず神官だったから控えていたに過ぎない。
そもそも冒険者時代のセロは交渉役も務めていたから、情報交換の為に酒場にもよく顔を出していたし、モタが知らないだけでその付き合いで飲むことだってあった。
だから、モタとは違って、『火の国』の麦酒の価値は十分に知っていた。それに加えて、
食欲、性欲、睡眠欲は三大欲求と言われるが、もしかしたら食欲が強い方なのかなとセロはついつい含み笑いを浮かべてしまった。
「ノーブル」
セロがそう短く告げると、高潔の元勇者ノーブルはセロの前に出て跪いてみせた。
「以前の話を受けようと思う。僕はアバドンを討つよ」
その瞬間、玉座の間にさざ波のようにざわめきが立ち、次いでそれは一気に歓喜に変じていった。
ドワーフの代表オッタは号泣した。またシュペルは危うくミスをしていただけに、「ありがたき幸せ」と感じ入っていた。セロに借りを作った格好だ。
一方でドルイドのヌフは「ほっ」と息をついて、少しだけ肩の荷が下りたといったふうに微笑を浮かべた。そして、当のノーブルはというと、
「よくぞご決断下さいました。このノーブル、身命を賭してでも、百年間の無念を必ずや討ち晴らしてみせます」
そう言い切って、セロに叩頭した。
直後、ノーブルにも『
こうして歴史的な公式行事が終わって、魔王城の二階広間で会食に入ったわけだが、そこでヒトウスキー伯爵から改めてフィーアの件でセロに感謝が告げられた。
というか、最初のうちはたしかに感謝だったはずが、しばらくしてフィーアの料理がいかに美味しいか、滔々と語り出して、その後は赤湯がいかに素晴らしいかという話になっていった。
セロも配下や自国のことをこれだけ熱心に褒めてくれるものだから悪い気は全くしなかったのだが、同席していたシュペルはというと、いつ空気を読まずに失礼なことを言い出すかと胃のあたりを押さえて食べづらそうにしていた……
そんな会食も済んで、東の魔族領に侵攻する準備を始めることになったわけだが、その前にセロは忘れないうちにモタに会おうと魔王城の地下へと下りて行った。
もちろん、そこはもう地下牢獄などではなく、
「どうしたのさ、エメス?」
「いえ、その……モタがなかなか手練れだったのでつい……
セロが部屋を覗くと、モタとパーンチがなぜか二人してはいはいしていた。
「ばぶー」
「ばぶばぶ」
「…………」
セロは遠い目になった。
「一応……説明してくれるかな?」
「はい。モタが騒がしいので、とりあえず罰も兼ねて、赤子になる『催眠』をかけて大人しくしようとしたわけですが、先ほども言った通り、モタは手練れで、高い精神異常耐性を有していました」
「まあ、魔女だからね」
「その為、かなり強めに『催眠』をかけてみたら、羽交い絞めしていたこのどうでもいい男にもかかってしまいました。
どうでもいいって、ひどい言い様だな……
と、セロもわずかに仰いだが、たしかに現状、モンクのパーンチはどうでもよかった。
というのも、幼児退行したモタはセロの神官服の裾を「ばーぶー」と強く引っ張る。さらに暴れる。やっかいなことに赤子なのに無意識に魔術を発動して、「きゃっきゃっ」と嬉々として攻撃まで仕掛けてくる。
ある程度予想は出来たが、どうやらモタは赤子の頃から傍若無人だったようだ。
「やれやれ。城内放送ですぐにヌフを呼んでくれるかな。それまでは僕が何とかして押さえるから」
もっとも、意外なことにパーンチの方は大人しくすやすや眠っているようだ。人は見かけによらないものだと、セロはつくづく思った。
「さて、と……」
セロはモタに向き合った。
パーンチとは対照的に、モタは相変わらずひどかった。暴れん坊の子猫か見紛うほどに、噛む、爪を立てる、どこかに勝手に行こうとする。
さらに魔術が普通に使えるものだから、赤子だけに歯止めが効かなかった。もしかしたら第五魔王アバドンよりも厄介な存在かもしれなかった……
「けっけっけ。ばぶー」
「くっ。遠慮がない分、ほとほと面倒だな。ていうか、これ……もしかしてすでに解けていたりしないよな」
「ギクっ」
そんなこんなで拷問室でセロとモタはしばし激闘したわけだが――当然のことながら、部屋は
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