第125話 謁見(秘湯サイド:06)

「皆様、どうぞ城内にお進みください」


 夢魔サキュバスの外交官ことリリンに勧められて、聖騎士団長のモーレツはついに覚悟を決めた。


 そもそも、今はモーレツ以外にいないのだ。


 肝心のシュペル・ヴァンディス侯爵は幼児退行しているし、英雄ヘーロスはそんなシュペルを背中におぶっているし、モンクのパーンチはモタを何とか羽交い絞めにしている最中だ。


 一応、ヒトウスキー伯爵がいるにはいるが……やはり溶岩マグマ坂上の露天風呂には抗えないのか、そわそわとしていて全くもって頼りにならなそうだ。


 結局のところ、王国の外交は、畑違いのモーレツの双肩にかかっているといっても過言ではなかった。


 とはいえ、さすがに空飛ぶ巨大ゴーレムこと『かかし MarkⅡ』や浮遊城以上の演出はもうないだろうと、モーレツも気持ちを新たに、「よし!」と両頬をパンっと叩いて気合を入れ、堀に掛かっている跳ね橋を進んで、ついに城内に足を踏み入れた。


 直後だ――


 モーレツは「ほう」と、小さく息を漏らした。


 入口広間には十数名のメイドたちが縦に二列で階段前まで並んでいた。


 全員が人狼だ。モーレツは臨戦体勢こそとらなかったものの、緊張で「ごくり」と唾を飲み込んだ。


 ちらりと見たに過ぎないが、そのうちの三人ほどが団長モーレツや英雄ヘーロスにも匹敵する力を持っていた――メイド長のチェトリエ、それにドバーとトリーだ。


 もちろん、セロの『救い手オーリオール』による能力上昇バフを含めた実力ではあるのだが、何にせよモーレツは苦虫でも噛み潰した表情になるしかなかった。


 というのも、モーレツやヘーロスといった王国屈指の実力者をもってしても、この魔王城ではメイド程度の仕事しか出来ないと示唆されているも同然だったからだ。これにはさすがにモーレツはまた忸怩たる思いに駆られた。


 さらに入口広間の階段を上がって、意外と質素な玉座の間に入ると、そこにはダークエルフの精鋭たちが儀仗兵となって等間隔で並んでいた。


 エルフやドワーフと同様に偏屈で知られるダークエルフがここまで明確に第六魔王セロに従っていることに驚かされると同時に、モーレツは玉座付近ではべっている人物たちを目の当たりにして、一瞬だけ目眩と吐き気を覚えた。


 真祖カミラの長女ルーシー、人造人間フランケンシュタインエメス、高潔の元勇者ノーブル、それに加えてドルイドのヌフといった面々だ――


 この四人の側近は王国最強の盾たるモーレツからしてみても、底が全く見えない化け物中の化け物だった。


 下手な魔王よりもよほど危険な存在だ。それこそ史書に出てくるいにしえの魔王に匹敵するのではないかと、モーレツも我が目を疑ったほどだった。


 もちろん、その四人以外にも、この第六魔王国にはダークエルフの近衛長エーク、人狼の執事アジーン、夢魔サキュバスの外交官リリンだっている。


 彼らも一騎当千などという言葉では生温なまぬるい存在だ。しかも、それぞれがダークエルフ、人狼、そして吸血鬼たちを束ねていることを考えると、この第六魔王国における三軍を司る存在なのだろう……


 唯一の癒しが第六魔王セロのすぐそばにいるダークエルフの双子ことドゥとディンなのだが、この二人とて子供ながらに決して侮ってはならない相手だ。


 しかも、そんな化け物たちを平然と統率して、玉座にていかにも鷹揚に座している存在――


 第六魔王こと愚者のセロ。


 もっとも、モーレツは信じがたいものでも見ているかのようだった。


 というのも、セロの姿がぼやけてよく見えないのだ。あまりに魔力マナの量が多く、さらに高密度なので、モーレツからすると玉座から黒いもやのようなものが立ち上がって、セロを直視することすら出来ない有様だった。


「こ、これは……まさか、魔神の領域とでも言うのか……」


 モーレツは愕然とした。


 最早、地上にいていい存在ではない。


 第六魔王国は間違いなく、現時点でこの大陸こと地上世界における史上最強の国家に違いない。


 王国最強の聖騎士ことモーレツはそう痛烈に感じて、息をすることさえ苦しくなってきた。今となっては、第六魔王セロが元人族で、光の司祭と呼ばれて勇者パーティーに所属していたといった話が全て法螺だったのではないかと疑いたくなるほどだ。


 そのときだ――


「ばぶー」


 何と、シュペルがはいはいしながら前進したのだ。


 しかも、よりにもよってその下半身は何の衣服も着ていないモロ出しフルティンだった……


 どういうことかと、即座にモーレツが後方にいた英雄ヘーロスに視線をやると、どうやら人狼のメイドに頼んで、おしめを着けてもらおうとしていたところを逃げられたようだ。


 そんなことを謁見中にやるなよと怒鳴りつけたくなったが……おしっこ臭いままで魔王の前に堂々といるのと、ここで素直にごめんなさいして交換させてもらうのと、果たしてどちらがマシかと問われたなら……さすがにモーレツとて明確な答えは出てこなかった。


 そもそも、そんな外交的な知識や礼節を一番わきまえているはずの当の人物シュペルが、今もあそこ丸出しのまま、はいはいしながら進んでいるのだ。


 しかも、シュペルは玉座の前の小階段を懸命に上がって、第六魔王セロの前にたどり着くと、


「きゃっきゃ」


 と、眩いほどの笑みを浮かべながら、セロの足もとにあそこを擦りつけた。


 まさかマーキングか、とモーレツは思わず犬かよとツッコミを入れたくなったが、何にせよ青ざめるしかなかった……


 終わった。王国はこれにて崩壊した。魔王に男の最大の武器ティンティンを擦りつけるなど、敵対行為以外の何物でもなかった。だから、モーレツは万感の思いを込めて、天井を仰ぎ見た。


 もっとも、そこに張り付いていたコウモリたちが、


「キイ?」


 と、つぶらな瞳で見返してくれて、モーレツは少しだけほっこり出来た。


 こうなったら、いっそここで自害してみせるかとモーレツは冷静に考えた。腹をかっさばいて謝罪すれば、もしかしたら元人族のよしみでセロも許してくれるかもしれない……


 が。


 意外なことに――


 セロはやれやれと額に片手をやって、いかにも申し訳なさそうな表情を見せた。


「これ……どうせモタのせいでしょ?」

「げっ」


 モタが呻って、すぐに目を反らすと、セロは「はあ」と息をついてから、


「アジーンに命じる。モタを羽交い絞めにしているパーンチに拷問部屋の場所を教えてあげて。それとエメス。好きにやっちゃっていいよ」

「畏まりました」

「了解です、終了オーバー

「セロおおおおお!」


 モタの絶叫が玉座の間に響くも、しばらくすると、遠く、地下深くから、ガシャンという鉄格子の無機質な音が響いた。どうやら魔王城地下に連行されたようだ。


 ちなみに拷問部屋というのはどうにも趣味の悪い名前だが――かつての地下牢獄、今となってはエメスやヌフの持ち込んだ資料が散乱している空き部屋に過ぎない。


 一応は牢屋や尋問室を兼ねているので、セロはモタにお灸を据える為にも大袈裟に言ったわけだ。


 だが、モーレツはドン引きするしかなかった。かつて勇者パーティーで共に戦った仲間に対しても、躊躇なく過酷な罰を課すセロの姿に、魔王としての威厳だけでなく、恐怖まで感じたからだ……


 そんなモタの地下室送りはさておき、セロはドルイドのヌフに向かって、


「シュペル卿にかかっている『催眠』は解けますか?」

「当方はさほど法術が得意ではないのですが……どうやら相当に根深くかかっているようですね。下手に解こうとすると、この者の精神に影響が及ぶかもしれません」

「それだけモタの魔術が強力だったってことですか?」

「いえ、それだけではありませんね。深くという点に、何かしら意味があるのかもしれません。何か最近、この者が……について悩んでいたとか、誰か知りませんか?」


 ヌフがモーレツたちに問うも、当然のことながら誰も答えられなかった。


 ふっさふさのシュペルが毛根についてひどく悩んでいたなど、長い付き合いのモーレツとて知るはずもない。何にしても、ヌフはさらにシュペルの状態を解析アナライズした。


「根だけではありませんね。どうやらこの者は、現在の状態ステータス――『幼児退行』を本心から望んでいる可能性が高いようです」

「…………」


 なぜに?


 と、その場にいた全員が首を傾げたが、これは単純にシュペルがそれだけのプレッシャーと毎日一人で戦っていたからに過ぎない。


 とまれ、セロはやや困り顔で、英雄ヘーロス、ヒトウスキー伯爵や団長モーレツと目を合わせたら、三人共に「仕方あるまい」と首肯した。


 モーレツがここで自害してみせたり、王国が崩壊したりするよりかは、シュペルがちょっとぐらい頭がパーになったとしても致し方ないと理解したわけだ。


 そんなわけで、三人の合意を取り付けた上で、セロは改めてヌフに頼んで、シュペルの『催眠』を強制的に解いてあげた。


「こ、ここは……どこだ? 私は……誰だ?」


 何だか、似た台詞を聞くのは二度目な上に、どっちもモタ絡みだなと、セロはふと思ったわけだが……何にしてもヌフの腕が良かったらしく、シュペルはさしたる障害もなく我に戻れたようだ。


 ただし、戻ったのは意識だけだった。


「な、なぜ……私は――下半身が丸出しフルティンなのだ?」


 残念ながら、幾らヌフでも衣服までは戻せなかった。


 もちろん、シュペルの問い掛けに対して、おしめ交換中に逃げたからとは、さすがに誰も言い出せなかった。おしっこ塗れのパンツはちょうど今、城外で人狼メイドのドバーが生活魔術で洗濯中だ。


 だから、人狼メイド長のチェトリエが仕方なく、おしめをシュペルに差し出した。


 シュペルは「なぜ、おしめ?」と訝しみつつも、豊富な外交知識を駆使して、これはもしや第六魔王国における謁見中の習わしなのかもしれないと踏んで、下半身丸出しよりはいいかと手渡されたおしめを履くことにした。


 そして、おしめの意外な履き心地の良さにシュペルがつい、「ほっ」として、それからゆるりと周囲を見て――


 シュペルはやっと、すぐ眼前に魔王セロがいることに気づいた。


「…………」


 そのとたん、シュペルの時が停まった。


 数十秒ほどして、シュペルはセロに背を向け、玉座の前の小階段を下りると、即座に見事な三跪九叩頭を行った。


 王国の外交使節団の代表者が他国、それもよりによって魔王国に対して叩頭してみせるという行為は、単純に言えば、属国になることを意味する。


 とはいえ、魔王の前で下半身をモロ出しにした愚行の代償として、宣戦布告によって蹂躙されるぐらいなら、いっそ自ら進んで属国になった方がマシだと、シュペルは判断したわけだ。


 果たして王国に戻って五体満足でいられるかなと、シュペルは悲壮な思いに駆られた。またこのとき、哀しきかな……シュペルの毛髪はふさっと全て床に堕ちた。


 もっとも、そんなシュペルの叩頭に黙っていられなかったのがドワーフたちだ。


 属国になるかどうかはともかく、セロが統治する第六魔王国の最初の友好国は『火の国』こそが相応しいと、赤湯の奇跡を通じて考えるに至ったドワーフ代表のオッタはというと――


 なぜか褌を脱いで、シュペルよりもご立派なモノを堂々とさらけ出した。


 何せ数百年も鎖国して、外交を全くしてこなかった種族だ。王国の代表者がモロ出しを見せつけたのを受けて、最近はそういう慣習になったのだろうと判断した。


 もちろん、午前中は一滴も飲んでいないが、ドワーフは基本的に素面ではいられないので、ろくな思考力を持たない……


 こうしてドワーフたち三人もまた見事に露出させながら、深々と頭を下げたのだ。それこそ玉座の間の大理石に頭突きして、めりこませるレベルである。


 何はともあれ、こうしてセロは何の苦労をすることもなく、とまれ不浄なものを散々見せられた挙げ句、王国と火の国を得たのであった。




―――――


地下へと連行されたモタの運命はいかに? というエピソードはもうちょい進めば出てきます。

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