第123話 浅き夢みじ 酔いもせず (砂漠サイド:04)
「どうして私を助けた?」
飛蝗の虫系魔人ことアルベの掌上で、
手乗りサイズになって固まっていると、黒いおはぎとか、ブラックスライムとかみたいで、虫人アルベもまさか意思疎通出来るとは思っていなかったのか、駆けながらも器用にギョっとした。
「話せるんだ?」
「戦うことも出来る。助ける必要などなかったのだ」
「またまたあ。
「…………」
おはぎはぷるんと微かに震えた。さすがにこのサイズだと、アシエルも強がりを言っても始まらないと理解したのだろう。
「何にしても助かった。感謝する」
そして、素直に告げた。もっとも、アシエルはすぐに後悔する。
「よろしい。では、僕に大きな貸しだね。何で返してもらおうかな。最近、金欠なんだよなあ」
「私は影に過ぎないから、金銀財宝は一銭も持っていないぞ?」
「あれ? 影だからこそ、金銀財宝も作り放題なんじゃないの? 偽金なんか幾らでも影から出せそうなものだけど?」
「君は根本的に誤解しているようだが、私はいわゆる無機物にはなれない」
「ありゃ。じゃあ、お返しは気持ちでってやつ?」
「そうだな。だから、精々感謝するよ」
「ちぇー。こんな奴、助けるんじゃなかったぜい」
虫人アルベはそう言って不貞腐れた。
とはいえ、アシエルも付き合いが長いので、それがアルベの本心でないことは分かっていた。アルベはお調子者だが――いや、だからこそ周囲をよく観察している。その上で、率先してピエロを演じることがある。
今の第五魔王国で魔王代理を務めているのは泥竜ピュトンだが、それは人族だった頃に天使アバドンに最も近い位置にいたのが巫女たるピュトンだったからで、本来の実力や人望を考えれば、その地位はアルベこそが相応しい。
実際に今も、アルベは辛らつな言葉をあえてアシエルに投げることで、さりげなく貸しをチャラにしてみせた。
アシエルも常に他者の影になって寄り添っているだけに、そういった機微には聡かった。それだけにアシエルはアルベに向け、その心中で再度、感謝の言葉を告げつつも、
「ところで、なぜ第六魔王国に侵入していた?」
「げっ。それを聞いちゃう?」
「もしや、ピュトンあたりから私のフォローを頼まれていたのか? だとしたら、私では力不足だとピュトンが認識していたということになるわけだが……」
「や。ピュトンの指示じゃないよ」
「では、誰の指示なのだ? 君の双子の弟サールアームはたしかに全軍の指揮官だが、基本的に情報工作には口を出さないはずだ」
「まあ、あいつは無口だから、何に対してもろくに口を挟まないけどね」
「では、王女プリムか?」
「あのお転婆姫様も別に何も言ってこなかったよ」
「…………」
じゃあ、いったい誰の指示なのか? と、アシエルが無言になっていると、これまた駆けながら器用にもじもじと虫人アルベは悶えてみせた。
「だってさあ。サールアームや王女プリムと三人で留守番ってひどくない?」
「は?」
「僕があのお姫様を嫌いなのは周知の事実でしょー」
「作戦に当たって、そんな好き嫌いを言われてもな……」
このとき、アシエルは「やれやれ」と、虫人アルベの評価を数段下げた。魔王代理に相応しいと考えていたが、やはりアルベは単なるお調子者なだけかもしれない……
「そもそも、サールアームの奴なんか一緒にいても全然喋んないしさー」
「一応、君たちは双子だろう?」
「双子だから共感覚みたいなので何でも分かり合えるとか思った? ぶー。そんなこと、全然ないんだからねー」
「いや、誰もそんなことは――」
「ていうかさ。僕たち兄弟は水と油みたいなものなんだよ。もっと言うなら、王女プリムとは水と火の関係だね。つまり、火と油と一緒に仲良くお留守番なんて、もう司令室がぼーぼーに燃え盛ってヤバいったりゃありゃしない」
「残念ながら、その例えは全く理解出来ん」
アシエルが「はあ」とため息をつくと、二人はちょうど『火の国』のふもとに着いた。
巨大な火山が絶えず噴火して、ふもとにいても灰が降り下りてくる。火に強い耐性のあるドワーフでなければ、こんなところで暮らそうとは露ほども思わなかったことだろう。
もっとも、ドワーフたちは
ドワーフ同様に火に強い、環境に適応した生物も多数いるようで、それらを狩って暮らしているわけだが――何にしても、火には滅法弱い虫系のアルベからすれば、こんな場所には頼まれても長居したくない。
第五魔王国の神殿の遺跡群からほど近いのに、かつての遺恨の報復として『火の国』に攻め入らなかったのは、そんな相性の悪さによるところが大きい。ドワーフたちもすぐさま鎖国政策を敷いたこともあって、互いに不干渉を決め込んだ。
とまれ、第六魔王国の北の街道に凶悪なモンスターハウスが出来上がった以上、どうしてもここを経由していくしかない。
虫人アルベは、「はー、やだやだ」と悪態をつきつつも、アシエルに試しに尋ねた。
「もしかして、回復する為にドワーフを幾人か殺す必要があったりする?」
「一人目のもとに戻してくれ」
「ええと、一人目っていうと……アバドン様の下にいる影ってこと?」
「そうだ。回復するわけではないのだ。
「ふうん」
虫人アルベは生返事をした。そして、『火の国』から離れてしばらくすると、広大な砂漠が見えてきたところでふと足を止めた。
「ねえ、アシエル」
「何だ?」
「アバドン様は本当に復活を望んでおられるのかな?」
「急にどうしたのだ?」
「アシエルはアバドン様の影から生じた存在だから、その答えを知っているんじゃないかと思ってさ」
「君は
「そうさ。ただ、アバドン様の復活を告げたのは巫女のピュトンだ」
「その言葉を信じられないと?」
すると、虫人アルベはぶんぶんと頭を横に振った。
「そうじゃない。そういうつもりで言ったわけでは決してない。僕はピュトンを信じている。もう家族みたいなものだ。信じる、信じないという関係じゃない」
「ならば、何が問題なのだね?」
「僕は……アバドン様以外の天使がどうにも気に入らないんだ。おそらくこの感傷は、僕のわがままに過ぎないんだと思う。だからこそ、あえて言うよ。僕は――王女プリムを信用したくない」
次の瞬間、気づまりな沈黙が下りた。
普段はピエロを演じることの多い虫人アルベがこうまできっぱりと断言するのは珍しいことだ。だから、アシエルも慎重に言葉を選んで聞き返すことにした。
「つまり、王女プリムに受肉している者がピュトンを騙している可能性があると?」
「結局のところ、そこまでは分からない。僕も情報官として色々と探ってみたけど、天族の胡散臭さしか調べがつかなかった。それだけ狡猾な連中だよ。天族ってのはさあ」
虫人アルベはそう言って唾棄した。
もっとも、アシエルからすれば、それも当然だろうといったふうに平然としていた。そもそも、魔族と天族では根本的に価値観が違う。
それこそ、水と火だ。幾ら調べたところで理解出来るはずがない――水と油のようにただ混ざらないだけでなく、互いに打ち消し合う存在なのだ。
それでも、アルベの愚痴は続いた。アシエルは黙り込む一方だった。貸しというならば、今ここで沈黙をもって返すべきなのだろう――
「だって、本当に可笑しな連中なんだよ。王国の大神殿で神様のふりして居座りながら、これまでだって王侯貴族や教皇なんかに受肉して、ずっと人族を飼いならしてきた。かと思うと、今回みたいに庇護していた王国民を魔王セロにけしかけてみせる。まるで盤上の駒程度にしか思っていない。それがほとほと気に喰わない」
「君が元人族だから、そのように感じられるだけではないかね?」
「そうかもね。でも、一つだけ、はっきりしていることがある」
虫人アルベはそう言って、急にアシエルを握っている右手を真っ直ぐに砂漠の方へと突き出した。その真摯な視線がアシエルに刺さる。
「アシエルはいまだに僕の質問に答えてくれていない」
「いったいどの質問だね?」
「ごまかさないでくれ。アバドン様は本当に復活を望んでおられるのかどうかという話だ」
「――――」
アシエルは面喰らった。
一方で、虫人アルベの表情は真剣そのものだった。
直後、遠くの砂漠で蜃気楼が揺らいだ。不思議なことに、そこにはありし日の帝都の姿が映っていた。いや、もしかしたらアルベがそう望んだから、そのように見えただけかもしれない……
すると、アシエルはそんな蜃気楼を掻き消すかのように宙に滲みながらも短く答えた。
「杞憂だ」
「え?」
「私とて影に過ぎん。御方の御心までは知りようがない」
「では、杞憂とは?」
「そもそも、御方が復活を望まなかったとしたら、私たち影をわざわざ、
アシエルはそう言い切った。生きたいと願うからこそ、化膿して、修復が施される――自己像幻視たるアシエルの存在こそ、アバドンが復活を渇望する証明になり得るわけだ。
もっとも、アシエルは後ろ暗い思いをその影の中にこっそりと隠した。
虫人アルベも機微に聡いだけに、こればかりは幾重もの嘘をまとわらせてでも、隠し通さないといけない――というのも、奈落の門前に封じられたことで、その実態をよく掴めなくなってしまった、今の第五魔王アバドンこそ、天族と魔族との
その封が切られて、アバドンの姿が
「そうか。分かったよ」
とはいえ、虫人アルベは小さく肯いて、アシエルを抱えて神殿の遺跡群に向けて駆け出した。アシエルには見せないように。牙で下顎をギリっと強く噛みしめながら――
もっとも、このとき、第五魔王国には封印を解くべく、聖女パーティーが進攻を開始していたのだった。
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