第122話 足跡を追って(女聖騎士サイド:01)

 王国の王城で起きた異変から、ほんの数日後のことだ――


 聖女パーティーの皆といったん別れた女聖騎士キャトルは、バーバルと王女プリムの目撃情報を集め、王国最北の城塞からいったん出て、狙撃手トゥレスと共に東の魔族領にほど近い村までやって来ていた。


 渓谷にあって、風が東から西にずっと吹き抜けているような寒村だ。


 最近は東の魔族領からの飛砂の被害もひどいようで、人口はどんどんと減っていって、今では百人にも満たないらしい。


「どうやら、この村で二人の目撃情報が途切れてしまっているんですよね」


 女聖騎士キャトルはそう呟いて、狙撃手トゥレスに視線をやった。


 トゥレスはというと、先ほどから何も応じてくれない。もっとも、これはまあ仕方のないことだろう。古の盟約によって魔王討伐にのみ関わるはずが、今はこうして駆け落ちした若者二人の捜索をやらされているのだ。


 むしろ、キャトルからしたら、こんな寒村までわざわざ付き合ってくれたことに感謝すべきところだが……実のところ、トゥレスにとってはただの消去法でしかなかった。


 何かと知識があって勘の鋭い巴術士ジージと一緒にいたくはなかったし、一方であまりに存在自体がおかしい第六魔王国に戻りたくもなかった――結果として、安全牌の女聖騎士キャトルに付き従ったに過ぎない。


「当時は雨が降っていて、地面もぬかるんでいたので、ここから北の魔族領に抜けようとする二人分の足跡がくっきりと残っていたようです」


 すると、狙撃手トゥレスが「ふむん」と初めて合いの手を入れてくれた。


「だが、この北方にある村々では二人の姿は全く目撃されていないのだろう?」


 その問い掛けに、キャトルはつい嬉しくなって、「はい!」と大きく肯いてから、この村で先ほど仕入れてきたばかりの情報をまとめてみせた。


「その通りなのです。この村の人たちは口を合わせて、二人の不審者は北方の村へと抜けたと言っていますし、実際に先程も言った通り、そんな二人分の足跡もたしかに残っていました。しかしながら、ここから北方にある村や街道では目撃情報が一切出てきません。ということは、この付近にまだ隠れ潜んでいると見て取っていいのでしょうか?」


 キャトルがそう尋ねると、遠くから村長が大声で呼びかけてきたので、二人はいったん村長宅へと戻った。


「おお、聖女パーティーのお二方。お呼び立てして申し訳ありませんな」


 朴訥そうな老いた村長が二人を迎え入れた。同時に、すぐそばにいた目つきの鋭い壮年の狩人を紹介してくれる。


「実はこの者が当日の朝、目撃したというのですよ」


 キャトルが首を傾げると、その狩人は「ふん」と鼻を鳴らした。


「つい昨日まで狩猟に出ていたので、村にお尋ね者が来ていたことを今しがた知らされたばかりだ。とはいっても、別に大したものは見ていない。雨の日の翌日、まだ薄暗い早朝のうちに外套を纏った不審者が東の魔族領に抜けて行ったのを目撃しただけだ」

「それはちょうど私ぐらいの背丈の女性と、こちらのエルフと同じぐらいの男性の二人組でしたか?」

「いや、一人きりだ。遠かった上に、夜目で、さらに砂も飛んでいたので、背丈や性別までは正確には分からん」


 キャトルは村長と狩人に、「ありがとうございます」と伝えてからいったん外に出た。


「結局のところ、この村では何も分からずじまいのようですね。私たちもいったん最北の城塞まで戻りますか? ここら辺にまだ潜んでいるなら、北で構えていた方が網にかかる可能性が高いかもしれません」


 キャトルがそう言ってから小さくため息をつくと、トゥレスはむしろ眉をひそめた。


 いかにもこれまでの情報でほとんど分かったといった様子で、果たしてキャトルに話すべきかどうか迷っているふうでもあった。


 だから、キャトルがトゥレスに対して頭を深々と下げて、


「お願いです、トゥレス様。何かお気づきならお教えください。私はプリム様にどうしても会って尋ねたいことがあるのです」


 そう嘆願すると、今度はトゥレスが、「ふう」と短く息をつく番だった――


 やはりトゥレスには、全てお見通しのようだ。


「これは単純な欺瞞工作だよ」

「どういうことでしょうか?」

「まず、ここから北方で二人の目撃情報がない以上、この村から北へは抜けていないと考えるべきだ」

「しかし、この村の人々は皆、口を揃えて北へ抜けたと証言していますよ」

「考えてもみたまえ。雨の日にこんな渓谷の斜面を抜けようとする馬鹿がいるかね? 斥候が得意な私だって、そんな無謀なことはしない。ということは、村人は足跡を見て、そう刷り込まれた可能性が高いということだ」

「つまり、噂をしているうちにそれが事実だと思い込んでしまったと?」

「ああ。いわゆる村特有の同調圧力というやつだろうな。あるいは相手に変装や欺瞞工作が得意な者がいるなら、簡単に仕掛けることも出来る。まあ、それについては今のところは置いておこう」


 キャトルはそこで先ほど狩人から聞いた話を思い出した。


「ただ、東の魔族領に抜けたのは一人きりだったはずです」

「その通りだ。狩人の目をごまかすのは難しいから、おそらく本当に一人で抜けたのだろうな」

「ちょっと待ってください。ということは、もう一人は付近にまだ残っているということですか?」

「こんな村付近に長らく滞在する意義などない。だから、ここでも欺瞞工作を仕掛けたのだと考えるのが妥当だ」

「どのような内容でしょうか?」

「バーバルと王女プリムが常に二人一緒にいるのだと、二人分の足跡を作ってまで刷り込ませたことだよ」

「ということは、二人はバラバラになって東の魔族領に向かったと?」

「その可能性が高いだろうね。ここは東から風が吹きつけて飛砂もひどいから、雨の日でなければ足跡などすぐに消える。一人ずつなら夜陰に紛れて行動するのも簡単だろう」


 より正確に言えば、狙撃手トゥレスの指摘通り、表立って東の魔族領に向かったのは偽物のバーバルだけだった。自己像幻視ドッペルゲンガーアシエルは王女プリムに扮するのを止めて、その影となって、バーバルの足もとに潜んだわけだ。


「さて、私が手伝うのはここまでだ。これ以上は一切関与しない」


 トゥレスはそう言って、砂が飛び交ってくる東の魔族領をちらりと見た。


 いつの頃からか『死の大地』などと呼ばれるようになったが、『迷いの森』に侵入したことのあるトゥレスでさえも、この先に足を踏み入れたことはなかった。ここから先は盗賊でも敬遠するほど、あまりに不毛な砂漠地帯だからだ。


 すると、キャトルはトゥレスに向けて笑みを浮かべてみせた。


「分かりました。ご助力、ありがとうございました。素人の私では何も気づけずに拠点に戻っていたことでしょう。良い勉強になりました。後は私だけで向かいます」


 トゥレスは眉をひそめた。


「待て。今、何と言った?」

「ええと、ここから先は、私一人きりで行きます。必ずバーバル殿とプリム様を連れ戻してきます」


 キャトルがあまりにも真っ直ぐな視線でトゥレスを見つめたので、むしろトゥレスは嘲るような笑みを作った。


「君は存外に馬鹿なのか? 東の魔族領は『死の大地』として恐れられている場所だぞ。砂漠でも生息出来る虫系の魔物と魔族が多く潜んでいる。たとえ行くとしても、守備職の君と、後衛職の私と、あとは攻撃職の者が必要で、さらに道先案内人だって欲しいくらいだ。それが最低限度の準備というものだ」

「お気遣いありがとうございます。それでも私は進まなければなりません」


 トゥレスはやれやれと頭を横に振ると、「好きにしろ」とこぼした。


 それからしだいに小さくなっていくキャトルの背中を見送りつつも、額に片手をやって「はあ」と大きくため息をつくと、


「本当に……世話が焼ける娘だ」


 それだけ言って、キャトルの後を追い始めた。


 魔王討伐以外の任務には興味がないふり・・をしてきたし、同族からは極悪人として謗られるトゥレスではあったが、それだけに長らくトゥレスはとある生き方に束縛されてきた――それは古の盟約だ。


 人族と亜人族のエルフとの間に結ばれた約束として知られてはいるものの……実は全く異なる。


 そもそも、本来は魔王討伐に関わるものでもないのだ。人族が勝手に勘違いしているに過ぎないし、エルフ側が本当の目的を隠す為に勘違いさせてきたという経緯もある。


 何にしても、第六魔王国で元勇者のノーブルが話したことを含めて、第五魔王のアバドンの配下が蠢いていることを考慮すると、この先では必ず奈落が関わってくるはずだ。それも間違いなくトゥレスの望まない方向に――


「やれやれ。面倒なことだ。天族がやるべきことをなぜエルフが補填してやらなくてはいけないというのだ。全くもって、忌々しい盟約だよ」


 トゥレスはそう呟いて、キャトルに追いつこうと足早になったのだった。

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