第120話 パーティーは対峙する(聖女サイド:16)

 玉座の間で現王に欺かれた第二聖女クリーンはほとばしるかのように声を張り上げた。


「現王よ! なぜ、このようなことを!」


 そんなクリーンの激情とは対照的に、現王はゆっくりと着座すると、玉座に左肘を掛け、その拳に頬を乗せてからいかにも詰まらなそうに淡々と答えた。


「なぜと言われてもな。王国民を守る為だよ」

「守るも何も……これではただの裏切り行為ではないですか!」

「いったい何に対する裏切りだね?」

「王国民に対してです。魔族と組んで不正を働くなど――」


 すると、そのタイミングでクリーンの動揺を誘うかのように、泥竜ピュトンが聖防御陣にミシミシとまた亀裂を入れ始めた。


 クリーンは顔をしかめるしかなかった。第六魔王国で出会ったルーシー、人造人間フランケンシュタインエメスや愚者セロといった古の魔王級に破られるならまだ分かる。


 だが、泥竜ピュトンはたしかに強い魔族ではあるが、セロたちとは比べるべくもない。それなのに歴代の聖女が継いできた聖防御陣が全く通用していない……


 これはいったいどうしたことかと不審に思っていると、そんな胸中を読んだかのように泥竜ピュトンが嘲笑った。


「裏切りというのだったら、大神殿とてそうではないの?」

「魔族風情が何を戯けたことを言うのです!」

「あら、貴女だって目の当たりにしたわけでしょう。大神殿の地下に第七魔王こと不死王リッチがいたところを」

「ぐっ……」


 とはいえ、研究棟の地下に不死王リッチを招いたのは主教フェンスシターで、宰相ゴーガンに扮した泥竜ピュトンが買収したわけだが――


 泥竜ピュトンはというと、そんな事情をおくびにも出さなかった。


 おかげでクリーンは思考の罠に嵌まってしまった。王族が魔族と組んでいるのと同様に、大神殿にも主教クラスで魔族と繋がりを持っている者がいる――ということは、魔王の軍勢さえも退けると教えらえてきた、この虎の子の聖防御陣とはいったい……


「うふふ。やっと気づいたようね」

「まさか……」

「その通りよ。百年ほどかけて腑抜けになった聖なる法術の集大成。それが、今の貴女が拠り所にしているこの薄っぺらい聖防御陣というわけ」

「…………」


 その瞬間、クリーンの中で何かが壊れたような気がした。


 玉座で黙っている現王にちらりと視線をやると、やれやれといったふうに頭を横に振っていた。


 いかにも聞き分けのない子供に悟らせるかのように。あまりにもぎこちなく、それでいて哀しく、何より全てを放棄したかのように虚しく――


 直後、聖防御陣はパリンと音を立てて割れていった。


 泥竜ピュトンがクリーンに詰め寄ると、つい脱力して油断していたクリーンのか細い首をあっけなく噛みしめた。


 だが、その喉もとをまだ砕いてはいなかった。クリーンは喰らい付かれたままで宙ぶらりんになった状態だ。


 何とか両手で口をこじ開けようともがこうとはするものの、下手に動くと牙が喉を完全に貫きかねない。そもそも、口もとの皮膚がただれているせいで、掴む手が滑って仕方がない。


 おかげで、何の装飾品も付けていない白く、か細い両腕だけが、じたばたと宙で踊っているように見えた。


「では、第二聖女クリーンよ。最後に問いたい」


 そんなクリーンの無様な姿を眺めながら、現王は滔々と語った。


「人柱にも二種類ある。ここで王国の安寧の為に犠牲となるか。それとも、我らの手駒となって朽ちていくまで献身するかだ。もちろん、後者を選ぶ場合はそれなりに代償を払ってもらうことになる。ちんは嘘をつかれるのが嫌いでね」

「……こ、これまで、その、台詞を……いったい何人に、言ったのですか?」

「さてね。朕の息子たちも含めて、もう数えきれないほどだよ」

「…………」


 クリーンは絶句するしかなかった。


 十年前に王子たちが亡くなったとは聞いてはいたが、まさか自ら手にかけていたとは……


 古の時代から勇者と共に人族を守護せし者――その頂き王族はそこまで狂ってしまっていたのかと、クリーンは暗澹たる思いに駆られた。


 そして、同時に人生最大の決断を迫られていた――


「分かり……ました」


 もっとも、答えはとうに決めていた。


 かつてのクリーンだったなら、迷うことなく生き長らえることを選択して手駒になっていただろう。


 クリーンが欲していたものは栄光あるキャリアであって、かえって泥竜ピュトンや現王との太い繋がりが出来たと、喜んで尻尾を振っていたかもしれない……


 が。


 今のクリーンはそんな過去の自分をとっくに精算していた。


 第六魔王こと愚者セロに謝罪したときに誓ったのだ。王国の中枢に躍り出ようと企んで、逆に全てを失ってしまった不徳と浅はかさ――そんな失敗を糧として、クリーンは自らの人生をじっくりと考え直した。


 聖女として、王国民の為にありたい、と。


 何より、クリーンを信じてくれる人たちをもう決して見放しはしない、とも。


 そんなクリーンにとって、遠くにいる玉座の主は、今となってはただの裸の王様にしか見えなかった。


「答えは……出ています」

「ふむ。それでは、聞こうではないか」

勘弁してくれ・・・・・・、この糞野郎が――です」


 元勇者バーバルの品の欠片もない罵りを真似た上に、さらに行儀悪く唾まで飛ばして短く笑ってみせると、さすがに現王も「はあ」とため息をついてから、「やれ」と、泥竜ピュトンに命じた。


 直後だ。


 泥竜ピュトンは容赦なくクリーンの首を噛み砕いた。


 クリーンは抵抗することも出来ずに、ぼとりと頭部を床に落とし、体も人形のようにだらりと崩れていった。


 これにてクリーンの人生はあっけなく終わったわけだ。


「つまらぬものよな。朕と共に歩む人族は一人として現れぬ。王国が生き残る道を最も真剣に考えているというのに……息子たちも、宰相も、聖女すらも、こうも身勝手に正義やら何やらよく分からんものに殉じるとはな」


 現王はそうぼやいた。


 だが、クリーンの死体を見てやや首を傾げた。


 というのも、不思議なことに血が一滴も飛び散らなかったからだ。


 しかも、無残に床に落ちたクリーンの頭部と体はしだいに黒いもやのようなものに変じていった――これは呪詞だ。


「まさか!」


 現王と泥竜ピュトンが驚愕すると同時に、玉座の間に張ってあった封印もパリンと割れた。


 すぐに入って来たのは、近衛騎士団長を含めた近衛たちと――巴術士ジージ、それに加えてミサンガ・・・・を手首に巻いた第二聖女クリーンに、二名・・の神殿騎士たちだった。


「いったい……これは、どういうことだ?」


 玉座の主がそう呟くと、巴術士ジージは現王に倣って、これ見よがしに「はあ」とため息をついてみせた。


「まさかと思うが、わしの本職を忘れたとは言わせんぞ?」

「巴術……そうか。先ほどまでの第二聖女は召喚した偽物ダミーか? くそがっ! 玉座に偽物を送り込むなど不敬に過ぎるぞ!」

「何が不敬じゃ。大神殿の地下で不死王リッチがやっていたことを真似ただけじゃ。お互い様じゃろうに、よう言うわ」


 巴術士ジージがそう苦笑すると、召喚物ダミーと区別をつける為にミサンガを着けていたクリーンが前に進み出てはっきりとこう告げた――


「今こそ、改めて先程の問いかけにお答えいたします。現王よ。自浄の時間です。王国民の安寧の為にも退位ください」




―――――


次話で完全回答編になります。

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