第117話 所作(秘湯サイド:03)

 第六魔王国の温泉宿泊施設の前では、ついに王国と火の国との戦いの火蓋が切られようとしていた――


「何だか、ひ弱そうやのう」

「あれで本当に拙者どもの強さを証明出来るのか?」

「おらあ、王国の人族どもよ! かかってこいやあああ!」

「わし、強さを見せつけて、夢魔サキュバスのリリンさんと衆道の契りを果たすんじゃ」


 とはいえ、これほどたちの悪そうな酔っ払いドワーフたちに積極的に関わろうとするほど、王国の聖騎士たちとて落ちぶれてはいなかった。


 実際に、当の聖騎士たちはというと、どこか白々とした目つきでいかにも、「どうするんです、これ?」といったふうに団長のモーレツとシュペル・ヴァンディス侯爵をじっと見つめている。


 何せ、王国と火の国とは友好的な関係どころか、ここ数百年ほど、公式には一度も付き合いがないのだ。


 もっとも、王国は帝国の属国だった時期もあるので、全く無関係でもないのだが、それでも両国にとって記念すべき久しぶりの邂逅に違いはない。


 そんな奇跡的な出会いだというのに……酔っ払いどもは殺る気満々だ。


「さあ、いっちょ皆殺しにしたるぜえええ!」


 しかも、そばにいる美男美女リリンたちが棒声で、「頑張ってー」とか、「かっこいいー」とか、一応は宿のお客である酔っ払いたちに声援を送っているものだから、聖騎士たちは頬をひくひくと引きつらせてしまった。


 そもそも、聖騎士たちはつい先ほどまでトマト畑という名の凶悪な暴風の渦中を何とかくぐり抜けてきたばかりだ。体力はともかく、気力はとうに尽きていた……


 しかも、『火の国』のドワーフといったら、火竜サラマンドラの加護を受けて、近接格闘最強と謳われる亜人族でもある。


 いくら付き合いがないとはいっても、さすがにエリート集団の聖騎士だけに、そういった情報はきちんと頭の片隅に入れていた。


 だから、疲労困憊の聖騎士たちがうんざりした顔つきで、「もしや本当にこんな悪酔い筋肉馬鹿どもと、着いて早々に一戦しなくてはいけないのか」――


 と、悲壮感を漂わせつつ、それでも王国最強の盾たらんと直立して団長モーレツの指示を待っていたら……何とまあ、「よいしょ」と、一人の男が空気も読まずに馬車から華麗に降り立った。


「なるほど、ここが第六魔王国でおじゃるか」


 言うまでもないだろう。ヒトウスキー伯爵だ。


 額に片手を当てて遠方まで眺めつつ、「くんくん」と早速赤湯の匂いでも嗅ぎつけたのか、呑気に歩き始めた。


 しかも、殺気立っているドワーフたちの群れに向けてどんどんと突っ込んでいくではないか。これには団長モーレツも、シュペルもギョっとして互いに顔を見合わせた。当然、ドワーフたちは獲物を見定めて、今にも飛び掛かっていきそうな雰囲気だ。


 シュペルは即座に、「ちい!」と舌打ちした。


 それを一種の合図と受け取ったのか、団長モーレツはこう大声を張り上げるしかなかった。


「ヒトウスキー卿に続けえええ!」

「「「うおおお!」」」


 聖騎士たちはジョーズグリズリー相手にもやった聖盾による亀甲テストゥド隊列を組んでから、ヒトウスキー伯爵に追いつけ追い越せとばかりに一気に前進していった。


 すると、ドワーフもすぐに色めきだった。


「潰せー!」

「王国と戦争じゃあああ!」

「タリホー!」「チェストー!」「ウラー!」


 ドワーフたちは一気呵成にヒトウスキー伯爵を目掛けて駆け出した。


 もっとも、聖騎士たちとしては正直なところ、ヒトウスキー伯爵なぞ、最早どうなってもよかったのだが、一応は王国最強の騎士団の沽券にも関わってくるので、


「何としてでも、ヒトウスキー卿を守れえええ!」


 と、必死に喰らいつこうとした。


 肝心のヒトウスキー伯爵はというと、温泉宿を目前にして、「るんるんるー♪」と鼻歌混じりにスキップしている始末である……


 しかも、王国も、人族も、本来ならドワーフたちとは長らく交流を持っていないはずなのに――


「おや? そこに見えるのはオッタ殿ではないでおじゃるか?」


 ヒトウスキー伯爵はそんなふうに素っ頓狂な声を上げた。


 ドワーフたちの中心にいたオッタは、「む?」と首を傾げると、いったん歩を止めてから、


「おお! 其許そこもとはヒトウスキー殿か、いやはや懐かしいな!」


 そんな予想外の再開があったものだから、ドワーフたちはいったん攻撃をぴたりと中止した。


 むしろ、止まれなかったのは全力で追いかけていた聖騎士たちの方で、全員が聖盾もろともその場でズコーっと転倒する羽目になった……


「まさかこんなところで会えるとは思っていなかったでおじゃるよ」

「それはむしろ拙者の台詞だ。元気そうで何よりだ!」

「たしか火の国の溶岩マグマ風呂に一緒にエクストリーム入浴して以来でおじゃるか?」

「いや、活火山の暗黒地底風呂にダイビング入浴して以来ではなかったかな?」

「何にしても重畳でおじゃる」


 いつの間にこの秘湯馬鹿は『火の国』にまで足を延ばしていたんだ……


 と、聖騎士たちの誰もがツッコミを入れたくなったが、たしかにヒトウスキー伯爵をよく見ると、所持している刀はドワーフが装備している武器によく似ていた。少なくとも王国で一般的に使われている両刃の片手剣とはかなり趣が異なるものだ。


 これはいったいどういうことだと、団長モーレツも、シュペルも、二人の様子をうかがっていると、


「ヒトウスキー殿がここまで来るということはやはり赤湯か?」

「もしや、オッタ殿はすでに入られたのでおじゃるか?」

「もちろんだ。いやあ、最高の湯だったぞ。恥ずかしい話だが、我らが火の国にあれほどの湯に匹敵するものはない」

「それほどか!」

「うむ!」


 ドワーフ代表オッタの首肯だけで、ヒトウスキー伯爵は天にも昇る思いに駆られていた。


「赤湯に入りに来たというならちょうどいい。そこにいる人狼の旦那か、宿内にいるハーフリングの若女将にでも声をかけるといいさ」

「相分かったでおじゃるよ」


 こうしてヒトウスキーは一人だけ、ドワーフの群れに親しげにハイタッチを交わしながら、人狼の大将アジーンに声掛けして温泉宿泊施設へと入って行った。


 取り残されたドワーフと聖騎士たちはというと、そんなおじゃる麻呂の背中を静かに見送ってから、「さて」と一区切りをつけて、


「人族に突撃だあああ!」

「来るぞ、備えろおおお! 聖盾防御陣形!」


 と、本当にどうでもいい喧嘩を再開したわけである。


 とまれ、人狼の大将ことアジーンから湯屋に案内されたヒトウスキー伯爵はというと、脱衣所でふんどしだけの姿になってから、アイテム袋を肩にかけて、ついに赤湯の前に立った。


 たしかに燃えたぎるように見事に真っ赤な湯舟だ。


 花崗岩に囲まれて、どろどろの血溜まりのようなこってりと、檜に囲まれて、お湯が足されてやや薄くなったさっぱりと、二つの種類があって、ヒトウスキー伯爵はずいぶんと悩みつつも、まずは行水にて体を清めてからこってりを堪能することにした。


 が。


 そのとき、背後に気配があった。


「誰でおじゃるか?」


 振り向くと、そこには先ほどのドワーフ代表のオッタがいた。


 聖騎士たちと無駄に戦うといったは止めて、早速、温泉ついでに旧交でも温めに来たのかと、ヒトウスキー伯爵も考えて、


「ほう。どうしたのじゃ?」


 と、声をかけると、オッタは肩をすくめてみせた。


「いや、何。せっかくだからヒトウスキー殿と昔話でもしようかと思ってな」

「ふむ。それは悪くないでおじゃるが――」


 ヒトウスキー伯爵はそこで言葉を切ると、せっかくの楽しみを邪魔されたとばかりに鋭い殺気・・を投げかけた。


「貴様などは知らん。失せろ。殺すぞ」

「……ど、どうしたというのだ? ヒトウスキー殿よ?」

「元に戻るがいい。姿は変えても、魔族は臭いで分かりまするぞ」


 次の瞬間、オッタだった・・・者は、「ふむん。臭いか」と呟いてから姿を変じた。


 自身にかけていた認識阻害を解いたのだ。オッタの姿がどろりと溶け、全身が黒い影になって、ブロックノイズがまとわりついた存在――自己像幻視ドッペルゲンガーのアシエルが現れ出る。


「そこまで臭ったものかね?」

「臭いというのはものの例えでおじゃる」

「では、どこで分かった? この宿の吸血鬼でも全く気づかなかったのだが?」

「なるほど、貴様はたしかにオッタ殿にそっくりでおじゃった。認識阻害を使っていたようだが……おそらくそれだけではあるまい。魔族としての種族特性か何か、よほど化けるのが得意らしいの。じゃが、見た目がそっくりな分だけ、かえって違和感が先行した」

「違和感だと?」

「そうでおじゃる。ドワーフは皆、武家の仕来しきたりとやらを律儀に守っている。その所作は独特で、長年培ってきた分だけ洗練されてもいる。結局のところ、貴様からはそんな作法が見受けられないばかりか、単に外側を模しただけに過ぎん。化ける人物を間違えたというわけでおじゃるな」

「そういうことか」


 ヒトウスキーはアイテム袋から刀を取り出した。


「そういえば、麻呂の曽祖父アプランの与太話で、幻視とか言う不可解な現象そのものの魔族がいると聞いたことがあったでおじゃる。殺した者や新鮮な遺体に瓜二つに化ける怪物と言うておったな。子供じゃった麻呂を怯えさせる為の法螺かと半信半疑でおじゃったが」

「…………」

「麻呂となり代わるつもりじゃったか? まあ、たしかに裸一貫、しかも一人で温泉に入りに来るなど、狙ってくれと言わんばかりよな?」


 その問い掛けに対して、アシエルは無言になった。


 ドワーフの所作とやらを見抜けなかったのはたしかにアシエルの落ち度だ。自己像幻視ドッペルゲンガーの種族特性を過信していたこともあって、そこまでは気づけなかった。


 だが、それはまだいい。ドワーフなど、滅多に遭遇する種族ではない。そんな習慣は知らなくても仕方がない……


 ただ、もう一つの落ち度についてはどうやらアシエルの足もとを見事にすくいそうだった――そう。この飄々としたおじゃる麻呂はアシエルも想定していないほどにとんでもない実力者だ。


 しかも、よりにもよって二人目・・・のアシエルに因縁のある人物だったらしい。


「麻呂を殺るつもりじゃとしたら、貴様も殺されても文句は言えんよな?」


 その殺気にアシエルは思わず唾を飲み込んだ。


「三秒じゃ。それで貴様はここで果てる。では、行くぞ」

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